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天花降る  作者: たき@現在多忙につき執筆停滞中
第2章 乱れ花
13/16

(6)

 産声が上がる。元気のよい泣き声――乳を欲しているのか。それとも母を求めているのであろうか。

 生まれたのは姫であった。己と同じ髪と瞳を持つ女児。しかし誰も喜ばない。祝いの言葉を口にしない。

 

 醜花であったから。


 これは報いか。

 母を殺めた、己への罰。

 偽りの花の身でありながら、高貴な花を欺き、愛したことへの罰――。


(ああ……麟鳳(りんぽう)様……)

 それでも授かりたかった。あなたの御子を。


 ただ、幸せになりたかった――……



 翌日、玉芙蓉は恐れや悲しみを癒す間もなく再び御殿に上がった。貴王が御殿への帰途に際し玉芙蓉を強引に連れ帰ったのである。したがって御殿に戻ってからも玉芙蓉はすぐに太后のそばに伺候することはなかった。従蕾殿の部屋で養生を命じられた玉芙蓉は同輩の女官たちより見舞いを受けながら、感傷の時を過ごしていた。

 何度目になるか、また深黄色の衣をまとった女官と若草色の衣の女官がこちらを見ながら御簾ごしに過ぎていく。部屋の主の動向を気にしているのは明らかで、褥の上に座していた玉芙蓉は、長く沈んだ息を吐き出した。

 のどかな気候である。昼の間は風も穏やかでほどよいぬるさを携えてくる。降る春光も快いものがあったが、玉芙蓉はまどろみにつかることはできなかった。

 貴王が玉芙蓉を求めて屋敷へ単身乗り込んだという話は、すでに御殿内に広まっている。雨の中を供も連れずに訪うたことで、貴王は大臣たちをはじめ上臈の女官たちから厳しく叱られたが、太上貴王ならびに太后の戒めは甘く、貴王もさほど自省することはなかった。貴王の無謀な行為に巻き込まれた長楽大臣も一日の謹慎に処せられた程度である。しかしながら貴王が玉芙蓉への寵愛をあらわにしたがために、御殿内――ことに玉芙蓉の周辺はにわかに喧然となった。

 それでなくとも貴王は烏羽玉妃という堅固な壁が取り除かれ、むき出しの身である。その寵を得ようとひしめく女たちからの好奇と嫉妬のまなざしは、暗鬱を招くに十分なものであった。

 玉芙蓉は右手を額にあてた。まだ微熱がある。そのまま玉芙蓉は傷痕にも触れ、唇を結んだ。

 もうすんだことである。貴王からもそう言われた。もう己をおびやかす者はいない――はずであるのに、玉芙蓉の心は晴れなかった。

 恐ろしかった。あのとき確かにおぞましく厭わしかったのに、胸をしめつけるこの情は……玉芙蓉は目頭をそっと指で押さえた。

 己の罪を背負って生まれた子。罪により生まれた罪なき子。

 醜花を殺めるのは己のあやまちを隠すも同然――保身だと玉芙蓉は思った。

「玉芙蓉、入ってもかまわぬな?」

「あっ、お待ちくださいませ」

 不意に呼びかけられ、玉芙蓉は慌てた。とめたにも関わらず、声の主は遠慮なく御簾を持ち上げて踏み込んでくる。せめて前触れをと幾度頼んでも聞き入れてくれない貴王は、困惑顔の玉芙蓉ににこりと笑った。

「具合はどうか?」

 笑みを見せれば皆が許すとでも思っているのであろうか。思っているに違いない。現に己も、腹立たしいながらつい受け入れてしまっている。

「このようななりで申し訳ございませぬ」

 乱れた下衣の胸元を整え、上掛けにしていた薄紅の衣を素早く肩にかけて玉芙蓉は低頭した。

「よい。まだ癒えておらぬそなたを無理に連れ出したのはわたしだ。よく休め」

 貴王が褥の傍らに腰を下ろす。

「それに、しどけない姿を見るも趣があろう」

「わたくしにおきましては見苦しいばかりにございましょう」

「またそのようなことを申す」

 目を伏せる玉芙蓉に貴王は眉をひそめた。

「そなたの美しさはわたしが認めておるというに。それとも、わたしの目は信じられぬとでも申すのか?」

「王の御目が確かだとは存じませなんだが……いったいいずこのお方が仰せでございましょう」

「よう言うた。そなたの性根、しかと見極めたぞ」

 むすりとする貴王に玉芙蓉が噴き出す。そこへ新たに外側を遅々として歩んでいく女官の姿が御簾に映った。笑いやむ玉芙蓉を見た貴王は、御簾を尻目に見やった。

「ずいぶんと評判になっておるな。気に入らぬことに、男どもまでがそわそわしておる」

「……王」

 玉芙蓉はうつむいた。

「お願いでございます。なにとぞわたくしを下がらせてくださいませ」

「ならぬ」

 即答する貴王を玉芙蓉はふり仰いだ。

「わたくしは、これ以上さらし者にはなりとうございませぬ」

「そなたを笑う者はおらぬ。皆そなたの美しさを聞き、一目会いたいと思うておるだけだ」

「されど……」

 玉芙蓉の唇に人差し指をあて、貴王は自虐の言を封じた。

「ここで下がればそなたは引きこもり、二度と表へ出ぬつもりであろう」

 ずばり当てられて玉芙蓉は言いよどんだ。やはりな、と貴王が息をつく。

「どうあっても聞き届けてはいただけませぬか」

「すまぬ。こればかりは許すことはできぬ」

 粘る玉芙蓉を貴王は抱き寄せた。

「毎夜わたしが馬でそなたのもとへ通い詰めてもよいのであれば、考えぬこともないが」

 玉芙蓉は目を丸くした。さんざんとがめられたというのにまだ懲りていないのかとなかばあきれる玉芙蓉に、貴王がにやりとした。

「そなたの父にも迷惑がかかるが、よいのか?」

 おどしまで口にされ、いよいよ頭をかかえる。何が貴王を駆り立てているのかと玉芙蓉がとまどうそばで、貴王は小さく笑って扇を一つ打ち鳴らした。外に控えていたのであろう、御簾を上げ、壮年の女官が入ってくる。玉芙蓉は貴王の腕にかくまわれていたがために、女官に顔を見られることはなかった。

 女官は手にしていた高坏を貴王の脇に置くと、退出していった。貴王が玉芙蓉の耳にささやく。

「もうよいぞ」

 玉芙蓉は顔を上げ、そして瞠目した。眼前に積まれた果物は今まで一度とて見たことのないものである。

「清王に頼んで取り寄せた。食せば精がつく」

「それでは梅の郷の……?」

 玉芙蓉は驚惑した。異郷の果実を口にすることができる者は指折るほどしかいない。加えて郷特有の食物は郷を出れば長くはもたないのである。

 高坏に盛られているのは、梅の実を燻製にしたものであった。

「一種の薬ゆえ、あまり美味とは言えぬが」

 貴王が一つつまみ、玉芙蓉の口に運ぶ。玉芙蓉は恥じらったが、そのまま貴王の手より食べた。

 かみ砕きながら渋い顔をする玉芙蓉に、貴王が瞳をやわらげる。その優しいまなざしに玉芙蓉はときめいた。

「実においしゅうございます。王もお一つ」

「いや……」

 動揺を悟られまいと高坏にのばした玉芙蓉の手をとらえ、貴王は顔を寄せた。

「わたしには別に欲しい実がある」

 ほんのりと香った梅の匂いをかき消すように、リンポウの香りがまとわりつく。深い赤紫の瞳は真摯な光を宿して玉芙蓉のみを映していた。

 心縛られ、玉芙蓉は息をとめた。

 唇が触れあう。とても長い時間に思えた。

「早くそなたを妃として迎えたいが、そなたの容態が落ち着くまではやむを得ぬか」

 玉芙蓉を抱きしめながら貴王が嘆息する。

「わたくしが心を決めましたときには、すでに王はわたくしに飽きておられましょう」

 他の女たちも放っておくことはなかろう。玉芙蓉を見舞った女官たちも皆、以前より化粧が濃くなっていた。そして貴王との仲を聞き出そうと執拗に問うてきたのだ。

「それはない」

 貴王はまなじりを下げた。

「三月を過ごして想いが募ったのは、そなたしかおらぬ」

 しかも、目の前から去ったのをわざわざ迎えにまで行ったのである。

「わたしはあまり気が長いほうではない。それを忘れてはならぬぞ」

「わたくしもあまり敏捷(はしこ)くはございませぬゆえ、お忘れになりませぬよう」

「それだけ達者なら問題あるまい」

 貴王が苦笑する。同じく笑みを浮かべる玉芙蓉のすきをついて、貴王は今一度口づけた。

 ふと貴王が御簾へと視線を流した。外側にひざまずいたのは貴王の侍従であった。

「いかがした」

 立ち上がり近づいた貴王に、御簾をはさんで若者が何事かを告げる。貴王の背中がこわばるのを目にし、玉芙蓉は不安にかられた。

「すぐに行く」

 短く答え、貴王がふり返った。整った顔立ちが先ほどまでの甘さを消し、けわしいものに変じている。

「何事にございますか?」

 玉芙蓉を見下ろす貴王の瞳が揺れた。

「淑生舎周辺に妖花が現れた」

 玉芙蓉は驚怖した。卒倒しかけた玉芙蓉に貴王が駆け寄る。

「案ずるな、わたしがついている。そなたに手は出させぬ」

 貴王の袖をつかみ震える玉芙蓉を、貴王は強く抱擁した。

「おそらく別の妖花だ。先の者は間違いなくわたしが殺した」

 貴王が腰を浮かす。玉芙蓉はおののいていっそう貴王にしがみついた。

「様子を見てくるだけだ。すぐに戻る」

 玉芙蓉はかぶりを振った。一人になるのは嫌だとすがる玉芙蓉の髪をなで、貴王は己の衣を一枚脱いだ。深緋色の衣で玉芙蓉をくるむ。

「しばし待て。必ず戻る。よいな?」

 リンポウの匂い漂う衣のぬくもりに、玉芙蓉の心は少し落ち着いた。それでも完全には振り払えない懸念を視線に込めて貴王を見上げると、貴王は柔らかく微笑み、出ていった。

 御簾を下ろしたところで、貴王は傍らに跪座している侍従を一瞥した。

「衛士を集め、この周辺を護らせよ」

「花陽妃様の御許には?」

「必要ない」

 貴王は低く言い放った。陽光を浴びた庭で鮮やかに映える幾多の牡丹を見やる。

「あれにはすでに護り手がついておる」

 花々の間で何かを探し歩いている金鵄に、貴王は鋭く瞳をすがめた。



 ふわりと香気が鼻をくすぐり、玉芙蓉は目を覚ました。斜光を背に膝をつき、男が玉芙蓉の顔をのぞきこんでいる。

「……王」

 いつの間にか眠っていたらしい。おそらく貴王より預かった衣のせいであろう。リンポウの香りに酔いしれるように、安らぎの中を漂っていたのだ。

 身を起こそうとする玉芙蓉を貴王が制した。

「まだ少し熱があるようだ。横になっておれ」

 深緋色の衣をかけ直してやりながら貴王は笑った。

「そなたがおびえていると思い、急ぎ戻ったのだがな」

「王の御衣をお借りいたしましたゆえ」

 よもや眠りこけているとは予想していなかったと言いたげな貴王に弁明する。そして玉芙蓉は、これまで注意深く表に出さぬようにしていた己が心情を告げてしまったことに気づいた。もとより貴王が聞き逃すはずはない。

 色づく貴王の瞳を避けるように背を向け、玉芙蓉は上掛け代わりにしていた深緋色の衣を顔まで引き上げた。

「梅の実に酔いでもしたか?」

 貴王が耳元で問う。心地よい声に玉芙蓉は頬が熱くなった。そのまま貴王も身を横たえようとしたため、うろたえて話題を探す。

「妖花は……」

 玉芙蓉の肩に触れた貴王の指がぴくりとこわばった。玉芙蓉は貴王を見向き、そのかんばせが翳るのを目にした。反照はくらむほどでありながら落とす影が濃い。背後の夕陽の色に溶け込む貴王は、水面に映る日影のようであった。

「淑生舎の近くで襲われたらしい。花陽妃付きの女官だ」

 現場に衣と枯れ花の臭いが残されていたという。

 昼日中、誰にも目撃されなかったのかといぶかる玉芙蓉に、発見が遅れただけでおそらく昨夜か今朝方であろうと貴王は答えた。

「この周辺は衛士でかためた。そなたに害が及ぶことはない。わたしもここにとどまるゆえ」

 貴王の言葉に、「なりませぬ」と玉芙蓉は吃驚して跳ね起きた。

「登華殿に召したところでそなたは承知するまい。ゆえにわたしがここに泊まるのだ。否とは言わせぬ」

「王ともあろうお方が、このようなところにお泊まりになるなど」

「ならばこれからそなたを登華殿へ連れて行こうか?」

 拒むと知りながらの貴王の誘いに、玉芙蓉は閉口した。勝ちを確信したのか、貴王がしたり顔になる。

「そのお心だけで十分にございます。王は淑生舎へお渡りくださいまし。花陽妃様は今頃さぞやご不安かと……王のお越しをお待ちしておいででしょう」

「わたしは心にもないいたわりを口にすることはできぬ。妃とてそのようなものを望んではおるまい」

「されど……」

「今のわたしには、そなたを失うほうが恐ろしい」

 言いさす玉芙蓉の肩口に貴王が額を押し当てる。切実な響きに、玉芙蓉もそれ以上は勧められなかった。



 篝火のはぜる音にまぎれ、衛士たちの沓音や話し声が漏れ入ってくる。すっかり日が落ちた時分、玉芙蓉は貴王と食事をとった。運ばれてきた夕餉は部屋に似つかわしくないほど豪華であったが、以前より食が細くなったうえに快復途中ということもあり、玉芙蓉はのどごしのよいものだけを選んで食べた。

「奉納祭までに捕らえられればよいが」

 燈台の明かり一つを共有しながら、貴王が盃に口をつける。その優れた面容は薄暗さのせいのみならず、確かに憂いに沈んでいた。

 奉納祭をおこなう郷は毎年変わる。今年の祭を担う牡丹の郷に不穏な気配があることは、すでに他郷にも知れ渡っていた。他王より事の真意をただす文が入れ替わり立ち替わり届き、貴王もまめに返しているのだが、やはり王となって初めて祭主を務めるというこの時期に起きた不祥事は、貴王の心を重くさせるのであろう。

 憐憫のまなざしをそそぐ玉芙蓉の隣で空になった盃を台に置き、貴王はごろんと寝そべった。

「王……?」

「もう疲れた。わたしも退位してゆるりと過ごしたい」

「そのような弱音、王には似つかわしゅうございませぬ。ましてや早すぎるお言葉にございましょう」

「……なぐさめようとは思わぬのか?」

 玉芙蓉に叱咤され、貴王は眉根を寄せた。

「そなた存外手厳しいな」

「王はとうにご存じかと思うておりましたが」

「知っていたとも。なにせそなたは初めて会ったときから、わたしになびく気配をまったく見せなんだ」

 茵に広がる玉芙蓉の淡紅色の髪をもてあそびながら、貴王が思い出したように笑う。火が揺れるたびに貴王の美顔にかかる影もまた形を変えた。

「ひどく傷ついたのだぞ。わたしの誘いに乗らぬ女はそなたくらいであった」

「不遜とお思いなら罰してくださいませ」

「ふむ……しからば我が妃となるか?」

「またそのようなことを」

 玉芙蓉が渋面し、ふいと顔をそむける。貴王は体を起こした。

「そなたが厭うものを与えねば罰とは言えまい」

「わたくしは妃位を厭うているわけではございませぬ」

「ならば我が妃となれ」

 玉芙蓉は困惑して貴王を横目に見た。貴王はにんまりしている。

「王がそのように心根の悪いお方とは存じませなんだ」

「わたしはとうに承知の上と思うておったが」

 玉芙蓉の睥睨を受け、貴王は発笑した。

「心配せずとも、廃されぬかぎりわたしは降りぬ。確たる跡継ぎをもうけてからだ」

 貴王が顔を寄せる。鼻と鼻がかするほどに間近で、貴王は玉芙蓉を見つめた。

「わたしの子を産め」

「王――」

「今はそなたしか見えぬ」

「当たり前にございましょう。少し離れてお話しくださいませ」

 玉芙蓉が貴王を押しやる。はぐらかす玉芙蓉の手を貴王はつかんだ。

「わたしの心が信じられぬのであれば、奉納祭にて証してみせよう。こたびの奉納舞、そなたのために舞う」

 玉芙蓉は驚愕して貴王を見た。

「いけませぬ。たとえ戯れにございましょうとも、そのようなことを仰せになれば花神より罰が下ります」

「花神はまことの愛を何よりも尊ばれるお方。わたしの気持ちに偽りなくばお許しくださる」

 貴王は玉芙蓉を引き寄せ、ふわりと包み込んだ。

「必ずや天花が降るであろう。そのときは妃となるを承知いたせ。よいな?」

「王……」

「醜花など産ませぬ。二度とそなたにつらい思いはさせぬゆえ」

 玉芙蓉は何も言わなかった。言えなかった。聞こえてくる貴王の心音を耳にしながら、玉芙蓉はそっと目を閉じた。

 唯一の灯火がその身を揺らす。炎は寄り添いあう二つの影を優しく御簾へと映していた。


次回更新は木曜の予定です。

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