ひな祭りは……。
クリスマスに年末年始、バレンタインに猫の日と。
じゃれる口実を見つけてはいちゃついていた日々も過ぎ――……。
あんまり頻繁にじゃれてると兎場さんの許容量を超えちゃいそうだし。
次の日の仕事に影響とか出ちゃったら、兎場さんは途端にぐずってさせてくれなくなる。
がっつきすぎて夜のいちゃいちゃ当面禁止――なんて言われちゃったら泣くに泣けないし。
ホワイトデーまでは小休憩。
お仕事に専念しーよう、とか思っていたら。
「も~うい~くつ寝ぇるぅとぉ、ひぃなぁ祭ぅりィ」
「ひな祭りには、着飾ってぇ、美味しいものを~食べましょおう」
「「は~やくこぉいこぉい、ひぃなぁ祭ぅり~」」
――……なんて恐ろしい替え歌を口ずさみながら、見てくれだけは極上の雌豹が二匹。
仲良く手を繋ぎ、加地さんの周りをスキップしながらくるくると回っている現場に出くわしたりなんかして。
これは目が合ったら不味い! と。
本能の命じるまま、咄嗟に身を翻そうとした、一瞬早く。
「うん? ひな祭りってな、そういう行事だったか?」
雌豹たちが口ずさむ替え歌の恐ろしさに気がついていないのだろう。
待機室へ戻ってくる途中で一緒になった兎場さんが扉の前で立ち止まり、のほほんと小首を傾げてオレを見る。
違うに決まってるでしょーッ!
なんて叫んじゃったらオレの負け。
雌豹にがっちり首根っこを押さえつけられ、酷い目に合わされる。
臆病者と言わば言え。
慌てて兎場さんの口を塞ぎ、細腰を抱え込んでダッシュで逃げようとした――のだけれど。
ぬうっと伸びてきた白くてしなやかな二対の腕に取っ捕まり、待機室へと引きずり込まれる。
「ふぎゃっ」
「っとお」
不意を突かれてバランスを崩し、べしゃりと床にずっこけたオレとは違い。
同じく不意を突かれたはずの兎場さんは器用に細腕から抜け出し、サッと間合いを取ると、さり気なく魔の手の届かないところまで逃げてゆく。
うぬう。
こおいう時、オレが怪我をしそうな時は別だけど、兎場さんてば絶対助けてくれないんだよなあ。
じゃれてるだけだと判断してるんだとは思う。
楽しそうに……つか、微笑ましそうな顔して眺めてるくらいだもん。
仲良しでいいな、くらいの感覚で見てるに違いない――んだけど!
自分だけさっさと蚊帳の外に逃げちゃうのってどうなのさ。
微笑ましいと思ってんなら、あんたもまざればいいでしょおう。
それを、いっつも自分だけ安全なとこに逃げてぇえッ。
と、恨みがましい視線をむけてもなんてなんのその。
ちょこなんといつもの定位置におさまった兎場さんは、逃げられて悔しそうな香乃さんをあしらって、楽しそうに遊んでいる。
って、文さんに羽交い締めにされてるオレは無視なわけ、あんた!
助けてってサイン送ってるのに、薄情者ぉッ。
猫の子でもからかうみたいに香乃さんをじゃれつかせている兎場さんはあてにならず。
加地さんに助けてと目線を送っても、疲れ果てた様子でラグに座り込んじゃってて気づいてくれないし。
「な、ななななんですか?」
しょうがなしにオレを羽交い締めにして不気味な笑い声を響かせる文さんに向け、おそるおそる口を開く。
聞きたくないけど。
どうせ絶対、碌でもない内容なんだろうけど。
いつもなら適当なところで落ちをつけてくれる美濃班長がいないし。
自力でなんとかしなければ、誰も助けてくれそうにないんだもん。
打開策を見つける為には、いきなりのご無体の理由を、襲撃者本人に問う他ない。
あわあわと暴れるオレを軽々と羽交い締めにし、
「どおして逃げようとするのお? 逃げられたら、つい捕まえたくなっちゃうでしょおう?」
とんでもなく色っぽい獣が、耳元で艶めかしく囁く。
って!
なにそれ!
この状況って、条件反射?
条件反射で襲われてんの、オレ?
こんながっちり押さえ込まれて身動きできなくされてんのに、条件反射!?
いくらなんでもそれはない。
そうは思えど、言ったらたぶん、絞め落とされる。
「お、お邪魔かなあ……って」
胸の谷間にがっちりと後頭部を挟まれ、手だけで再度、はやく助けてと兎場さんに合図を送る。
これをされると、途端にオレは逆らえなくなる。
理不尽なことにこのアマゾネスどもは、自分で押し付けてきておいて、嫌がったオレが暴れて動けば、わざと当たっただのなんだの。
感触を楽しむために動いたと、人を痴漢扱いしてくれるのだ。
抵抗すれば、どうしたって押し付けられているモノを、どこかしらで触っちゃうことになる。
さすがにお色気攻撃は目に余ったのか。
はたまたオレが本気で助けを求めているのがわかったからか。
兎場さんが香乃さんをつかまえてなんか言ってくれたみたいだけども。
みたいだけども!
にこにこと満面の笑みを浮かべた香乃さんに何事かを言い返されて――……。
なんで目を逸らすかな?!
つか、ねえ。
あきらめろ、とか唇が動いているの、酷くない?
「んふふ。いいのよう。加地におねだりしてただけだから」
「おね、おねだり?」
甘い吐息に耳朶をくすぐられ、助けを求めるのをあきらめたオレは、びくびくと身を竦める。
アマゾネスコンビがお色気だだ漏れで絡んでくるのは即ち、ご機嫌斜めな証拠で。
相手をこてんぱんに伸す気満々の時だ。
おとなしく降参の意を示さなければ、どんな目に合わされるかわかったもんじゃない。
オレ、なんにも悪いことしてないんだけど。
言ったって、聞いちゃくれないし。
兎場さんがあっさり撃沈されちゃった以上、もう助けてくれる人はいないし。
弄くり倒されるよりは、さっさと降参しておいた方が身のためだ。
「ひな祭りって女の子の節句でしょおう?」
「――……はい?」
曰く、桃の節句は女の子の祭り。
女の子の祭りってことは、女の子が主役。
だから主役としてもてはやせ――ってことらしい。
てことは、だ。
あの歌はやっぱり、『洋服買って。ごはん食べに連れてって』ってことであってたんじゃないかッ。
つまり要するにこの状況は、加地さんへのおねだりを邪魔したからか!
うわあん。
兎場さんが、兎場さんがもうちょっと危機感持ってくれてれば逃げ切れたのにィ。
「飯なんざ、しょっちゅう食いに連れてってもらってるんじゃねえの?」
香乃さんに撃沈されても、一応はこちらの話を聞いていたのか。
兎場さんが香乃さんを見あげ、のほほんと小首を傾げる。
たまに思うんだけど。
あんたが空気読まないの、ひょっとしなくてもわざとな時あるよね?
我関せずを貫きたい時は、わざとのほほんとしてるよね?
「それはそれ、これはこれ。砂兎さんが奢ってくれてもいいんですよう?」
「ん~? 予定がなけりゃあどこへでも連れてってやったが、今日の晩飯は、小鳥ちゃん特製のばら寿司でなあ」
艶めかしくしなだれかかってくる香乃さんを笑って避け、楽しみにしてっから却下、なんて。
にまにま笑って言う兎場さんは、火に油を注いだってことを――わかってて言ってくれてるのか。
空気を読まない発言かと思いきや。
「ばら寿司!」
「ばら寿司!!」
にんまりと笑い、さも惚気てますってな顔をする兎場さんに、香乃さんだけでなくポイとオレを放り出した文さんまでが突撃してゆく。
お裾分けをひたすらねだる雌豹を構う兎場さんに仕草で促され、オレはこっそり急いで、加地さんの側まで避難する。
せっかく兎場さんが身を挺して逃げる隙を作ってくれたんだもん。
一番安全な場所に逃げなきゃ。
「大丈夫ですか?」
「ああ、堪忍なあ。こないだから機嫌が悪うてあかんのや」
「加地さんが持て余すなんて、珍しいですねえ」
興に乗った女性陣が現場で暴走するのはよくあること。
加地さんでも御しきれず、阿鼻叫喚の嵐になることもしばしばだ。
でもそれはあくまで『現場』での話であって、普段はたいてい、加地さんは香乃・文コンビが満足するまで付き合ってあげている。
こんな、ご機嫌斜めにしちゃうなんてこと、これまでなかったのに珍しい。
喧嘩でもしたのかなと思ってたら。
「ほれ、こないだ坊が長谷川部長から貰うたバイク。納入された時にはカスタマイズされて、砂兎さんのバイクと引けを取らん性能になっとったやろ? なんや羨ましなったみたいで、自分らあが声をかけた時には仕事上障りがある言うて断りはったのに、坊のお願いやったら猫耳乗せて仕事した、言うて拗ねてしもうてなあ」
げんなりと吐き出された言葉に、思わず目がそよぐ。
この間の猫の日。
去年、美濃班長の相手を真摯にしてないって怒った兎場さんに雌豹たちの生贄として差し出された長谷川部長は、かなり派手なセクターにゃんこにされていた。
自分の連れ合いより仕事を優先させておいてフォローしてなかったり。
美濃班長のご機嫌取りを兎場さんに押し付けてみたり。
かなあり自業自得だったんだけど、そこはそれ、古馴染みの悪友同士。
やられたらやり返さなければ気が済まないらしい。
長谷川部長は、試験導入してみたもののお流れになった大型バイクを餌にオレたちを唆し、兎場さんの頭に猫耳を乗っけようと目論んだ。
面白がった雌豹コンビが兎場さんに突撃したもののあえなくあしらわれ。
続いておねだりしに行ったオレは、香乃さんと文さんの失敗を踏まえ、包み隠さず長谷川部長の企みを暴露した。
一時の恥と、高価なバイク。
兎場さんの天秤はあっさりバイクに傾き、オレはめでたく大型バイクをもらえたわけだけれども。
あの日、夜にもめちゃくちゃいい思いしました、なんて言えるわけもなく。
さり気なく話を逸らす。
「あれは祐太くんが玩具にした結果ってゆーか……」
兎場さんのバイクのメンテナンスを引き受けてる祐太くんは、前々からずっと、既に魔改造の域に達しているモンスターバイクをさらに改造したくてうずうずしてたそうなんだけど。
使い勝手が変わるのがやだって言って、兎場さんがちっとも改造させてくんないって嘆いてて。
防具も碌につけない兎場さんが銃弾飛び交う現場でも無事で済んでるのは慣れたバイクがあるからだとか。
さしもの宮部部長も、兎場さんの許可なく改造しちゃいけませんって祐太くんに言ってるらしくて。
オレが晩酌の熱燗三本追加で兎場さんの頭に猫耳を乗せるのに成功したのを知った祐太くんは、その足で改造させてと交渉にやってきた。
ノーパンクタイヤにしたり、防弾仕様にしたり。
実際現場で乗れるようにするにはいろいろと大変だなあって思ってたとこだったオレは、これ幸いと祐太くんにバイクを預けた――ら。
祐太くんだけでなく、整備に携わってる人たちがみんなして悪ノリしちゃったらしく、届いたバイクは兎場さんのモンスターバイク並みの、とんでもない仕様になっていた。
ちょっと試運転させてくれって乗った兎場さんが苦笑いしてた仕上がりだ。
塗装も勿論、ウチのカラーに合わせ、派手な焔が踊り狂っている。
届いた日、「あ、これウチの女性陣の好みのドストライクだ」って思ったもんなあ。
香乃さんと文さんが欲しくなった気持ちもわかる。
「そない言うたんやけど、納得せんのや」
「でも、オレのって言っても結局、メンテナンス費用は班の経費でしょ。兎場さんのみたく個人所有じゃないんだから、空いてる時は誰が乗ったっていいと思うんですけど」
美濃班長はもとからそのつもりだったみたいだし。
オレだってあんな大きなモノ、個人で所有したいとは思わない。
てか、兎場さんのモンスターバイク、めちゃくちゃ金食い虫だし。
オレ、あんな金額の維持費、出せないし。
みんなで使えばいいのに。
と、加地さんとぼそぼそ話していたら。
「「乗ってもいいの?」」
耳に心地よいソプラノが、オレたちの背後で綺麗にハモる。
なんか静かになったと思ったら。
聞いてたのか!
にこにこ迫ってくる捕食直前の顔をする雌豹二匹にこくこくと頷き、慌てて兎場さんの背後へ逃げ込む。
バイクが欲しかったのはそもそも、班の機動力を強化したかったからだ。
作戦に応じて、適任者が乗ればいい。
「なんだ、人にあんなカッコさせてまで欲しがったもんを、えらくあっさり譲るんだな?」
「だってもともと、班で使うのに欲しかったんですもぉん」
ごろごろと兎場さんに懐き、逞しい胸板にぐりぐりと頭を押し付ける。
ふくよかな谷間より、オレは断然、兎場さんの胸の方が好きである。
「試し乗り、おにゅうのバイクの試し乗り♪」
「加地、加地。試運転行こう? 試運転。ね、ね、許可取って?」
なんて言いながら加地さんが香乃さんと文さんに引きずられて行っちゃったけど、気にしない。
だって、可愛い恋人たちの機嫌が直ってまんざらでもないって顔してるんだもん。
加地さんがふたりといちゃつきに行くのなら、オレだって兎場さんといちゃついててもいいはずである。
美濃班長が用事を終わらせて戻ってくるまで。
「こぉら。美濃に見つかったらまた怒られるぞ?」
なぁんて言いながらも甘やかしてくれる腕にじゃれつき、オレは思う存分、兎場さんとの時間を楽しんだ。
※ウサギさんは結局、なんだかんだで小鳥ちゃんには甘いのだよといふお話※




