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tea break  作者: ふゆき
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過日。

ぎりぎりまで身体を酷使して、倒れるようにして眠るのがかつての日常だった。


毎日毎日、より過酷な状況に身を置いて。


そうして生き延びることが出来たなら、束の間の睡眠を対価として得ることができる。


そんな日々。


たまにどうしようもなく身体を持て余した日にゃあ、酒に逃げた。


そうでもしないと眠れずに、そうまでしてさえ、浅かった眠り。



思えば、あの頃のオレを支配していたのは――……腹の底から滲み出てくる、尽きることのない不安感だけだった。



不意に奪われた、平穏だった日々。


どうにも出来なかったのだと、頭ではわかっている。


導入されたばかりの強化服が作動不良を起こしたのはなにも、オレたちのせいじゃあない。


強化服の製造ラインで操作ミスがあり、その時納品された強化服すべてが欠陥品だったのは、あきらかに製造業者の不手際だ。



戦闘中に動力系統がいかれちまやあ、中の人間にゃあどうしようもありゃしねえ。


身動きさえ取れず、的になるしかねえってもんだ。



あの、一瞬。


なにがどうなったのか。


情けないことにオレは、ほとんど覚えちゃいやしねえ。


テメエの教官の後ろ姿を必死になって追いかけてる最中。


ふいに手足の自由がなくなった。


オレが覚えてるのはそんだけだ。


古馴染みの連中に聞いてみても、似たり寄ったり。



警告音すら鳴らず、いきなり全ての感覚が消え失せた、と。



皆が皆、口を揃えておんなじことを言う。


あん時、辛うじて生きてたのは、通信機能だけだった。


外部カメラの映像すらダウンしちまった、暗くて狭い空間の中。


不安と焦燥に押し潰されそうになった刹那。


ポッと点った小さな画面に。


太い笑みを浮かべた教官の姿に。


これでもう大丈夫だと安堵したことだけはなぜか、いまも鮮明に覚えている。



その……後の。


血塗れの記憶と共に――……。



声を限りに叫んでも、頑として逃げてくれなかった人たちの。


穏やかで満足そうだった死に顔。



悲惨な出来事の直後は、当然のようにオレたちの操作ミスを疑われた。


碌に別れの挨拶すらさせてもらえねえで。



導入されたばかりの道具だ。


不馴れな若者が功を焦って致命的なミスを犯したのだだろう。



そんな憶測が瞬く間に社内中を駆けめぐり、これでもかってくらいに翻弄された。



社内一の実力を誇る班が、若造を庇って全滅したんだ。


オレたちにバッシングが集中するのは、致し方ないことだった。


形ばかりの調査委員会が立ち上げられはしたが――……その頃にゃあもう、オレたちの操作ミスだってな噂が社内中に浸透しちまってたんだ。


たぶん恐らくあれは、オレたちを弾劾する正当な証拠を揃えるための調査委員会だったのだろう。



原因がわかったからとてあの人たちが帰ってくるわけでなし。


実際、オレたちを庇ったせいで、教官たちは死んだんだ。


断罪されるべき理由なら、未熟だった。


それだけでじゅうぶんなように思えた。



だが、半ばなげやりだったオレたちとは違い、調査委員会に選ばれた連中は、心情とは裏腹。


仕事は仕事として、真摯に事の対応にあたった。


噂や私見に惑わされず、強化服そのものが不良品であった証拠を、完璧に集めてみせたのだ。



ある一定の負荷を越えると基盤が焼きつき、動力系統がダウンする。


そしてその限界値は、猟犬の運動量をはるかに下回る。



そう報告書があがってきたのは、あの人たちの喪があけてすぐの頃だった。



葬儀にも参列させてもらえず、もちろんのこと、法要にも参加させてもらえず。


当時オレたちは、墓の場所すら教えてもらえていなかった。



断罪されるのをただ待つオレたちへ、上層部の連中が雁首並べて謝罪に訪れたのは、いつのことだったか。



そん時にゃあもう仄暗い深淵の底で、後ろ向きな決意を固めちまってて。


暗い眼をしたオレたちが、よっぽど危なっかしく見えたのだろう。


いまにして思い返しゃあ、腫れ物に触るみてえだった連中の態度を、オレたちは。


侮蔑を含んで不承不承頭を下げているようにしか受け取れなかったん、だが。



最近、つーか。


オレがものの見事に小鳥遊に一本釣りされちまってからこっち。


カエラは紘子に押しきられ、長谷川は美濃に取っ捕まった。


宮部でさえ、裕太にほだされて落ち――……。


深淵を覗いてた頃よりゃ丸くなったっつーか。


ガキども可愛さに振り回されてるオレたちは、随分と笑うように――笑えるようになってきてて。


それを見た上層部の、ずーっと無関心を装ってた上役連中が、ちょこちょこちょこちょこ、オレたちに構ってくるようになった。


――……のはいいとして。



妙な気の回し方をされての無茶ぶりが、日を追う毎にオレたちの日常を侵食してゆくのが困りもの。



オレは単に、小鳥遊が可愛くて、アイツの交遊関係に支障をきたさねえよう振る舞ってるだけである。


他の三人にしてみたとて、おなじことだ。


決して社交性がでてきたわけでもなけりゃあ、子ども好きってわけでもありゃしねえ――……ん、だが。



「兎場教官!」



「あいよう」



入社したばっかのガキの世話――中にゃあ転職組のとうの立ったのも混じっちゃいるが――を押し付けられて。


すげなく扱ってるっつーのに、どうしてだかやたらめったらなついてこられて、ひたすら首を捻る毎日だ。



小鳥遊もそうだったが。


ちぃと構ってやりゃあ、すーぐ人懐こく寄ってくんのが、オレにゃあ、不思議で不思議でしょうがねえ。



オレみてえな人種に、あんま簡単に信用を預けんな。


そう言いたくなる時もたんまにあるが。


信用してもらえにゃあ、指導なんぞ出来やしねえ。



面映ゆい思いを抱えたまんま。


廊下を精一杯の早足でやってくる連中を、立ち止まって待ってやる。


小鳥遊より若いのから、加地とたいして変わらねえ年のまで。


男女が入り交じった集団は、オレがはじめて浮き島で教官役を務めた時の教習生たちだ。


あん時ゃこっちの都合やら会社の都合やら。


いろんな事が重なって、最初っからちゃんと面倒をみてやれなかった。


一人立ちして各班に配属された後も、なにくれとなくフォローしてやってたのは、なんとはなしに後ろめたさみてえなもんがあったからだ。


浮き島でちゃんと教えてやれなかった部分を補うつもりで構ってただけだってえのに、コイツらは。


事情を知ってなお、なついたまんまで離れやしねえ。


同期の連中で寄り固まりたくなる気持ちはわからいでもないが。


勝手がわからず、オレの好みの戦闘スタイルを教え込んじまったんだ。


こうもしょっちゅう同期でつるんでやがるのを見かけると、各々ちゃんと配属先で馴染めてんのかが心配になってくる。


よもやまさか、変にオレの影響を受けて班の中で浮いてやがるんじゃねえだろうな、と。


ふと不安になりかけたものの。


表情を見る限り、どいつもこいつも、生き生きピチピチしてやがる。


きゃっきゃと楽しそうにしているところを見ると、お悩み相談に呼び止められたってわけでもなさそうだ。


はて、じゃあ。


同期生揃い踏みでなんの用事だと思いきや。



「教官、あの。これッ」



「いっつもお世話になってるんで」



「なに買っていいのかわかんなくて、こんなんになっちゃったんですけど」



「小鳥遊先輩が料理が趣味だって」



「教官のごはん、先輩が作ってるって」



「だからあの。八十一期生皆からその、今日バレンタインデーなんで!!」



口々にピーチクパーチク囀ずりながら。


一番年嵩のが恭しく差し出した手提げの紙袋を、全員が手で指し示す。



やたらと可愛らしくラッピングされた紙袋だ。


聞かなくても意図はわかる。



つーか、朝から何度目の襲撃だ、コレ。


毎度恒例、総務課からのお情けだけでもお返しで頭が痛えってえのに。


近頃の若いのはなんだってこう、義理チョコだの友チョコだの。


この手の遊びに気合いを入れてやがるんだかなあ。


そもそもバレンタインデーなんつーもんは、女の独壇場だったんじゃねえのかよ。


いや、菓子会社の戦略がきっかけだったんだから、合ってるっちゃあ合ってんのか、このノリで?



朝イチでカエラの持ってきた総務課からの義理を、毎度の習慣で受け取っちまってるし。


他を断るのは、不公平だとは思う。


思うが、この人数だ。


お返しを考えると頭が痛い――が。


受け取ねえってなわけにもいかねえ……んだろうな。



「おう。気ィ遣わせて悪ィな。ありがたく頂戴せて……ん? なんかやたらと重てえな?」



恭しく捧げ持たれた紙袋を受け取り、その意外な重たさに首を傾げる。


酒……にしても、重てえような?



「見ていいか?」



あんまり高価なもんをもらっても、後で困るのはオレだ。


中身によっちゃあ、諭して突っ返すかと。


ガキどもが揃って頷いたのを確認して紙袋をあけてみりゃあ。


入ってたのは、大小様々な瓶の群れで。


よくよく見れば、小鳥遊が喜びそうな瓶詰めの食材が、そこそこ大きめの紙袋にみっちりと詰め込んであった。


栗の甘露煮だの、白桃の砂糖漬けだの。


木の実や果物を砂糖漬けにした瓶詰めにはじまり、野菜の酢漬けやらオイル漬けまで。


多種多様なそれらは、売り場の棚に並んでいたものを一種類ずつ総ざらいしてきたかのような量だ。



「――……こりゃすげえな。小鳥ちゃんが喜ぶわ」



思わず呟けば、ガキどもの間で小さな歓声があがる。



お互いの手を打ち鳴らしてきゃっきゃはしゃいでやがるがよ。


バレンタインっつーのは、もっと別な遊びじゃなかったか?



「よかったあ、外してなくて」



「義理でもチョコレートだと小鳥遊先輩がご機嫌ななめになるって聞いてたから、なににしようか悩んで悩んで」



「選ぶの苦労しました」



「でも、当たりだったみたいでよかったですう」



「あ、ちゃんと『日頃の感謝の気持ちですんで』ってお伝えくださいね」



「じゃ、オレたち休憩時間終わっちゃうんで、失礼しまあす」



言いたいことだけ言って、やってきた時の倍の早さでにこやかに手を振りながら去ってゆく連中を、半ば唖然と見送る。


小鳥遊の尻に敷かれまくってんのがあんな連中にまで浸透してんのは――……オレが悪いんだろうな、やっぱ。


待機室の外じゃあいい子にしてろっつーて口癖みてえに言いつつも、じゃれてこられりゃつい甘やかしちまう。


精神安定剤代わりなんだっつーてわかってくれてる身内は兎も角も。


そうだわな。


下の方の連中にしてみりゃあ、オレが尻に敷かれてるようにしか見えやしねえわな。


教え子どもの姿が見えなくなるまで見送り、ため息ひとつ。


今後はもうちょい気ィつけっかと反省したのもつかの間。



「モテモテだなあ、兎場よう」



背後からからかうような声をかけられ、げんなりと肩を落とす。


以前と比べりゃあ風当たりが弱くなってきたとはいえ、長年のわだかまりなんてえもんは、そうすぐ無くなるもんでもねえ。


いまだオレを快く思ってねえ人間も、中にはいる。


もう数は少なくなっちまったが、オヤジたちと同期だった連中や、オレたちと同じく、オヤジたちの指導を受けてた連中は、特に。


コイツ――野々宮もそんな連中のひとりで。


オレと同じく、オヤジたちに指導を受けていた。



一応のところ、アレがオレたちのミスに起因したもんじゃあねえと納得してくれちゃあいても、感情は別。


そう簡単にゃあ割り切れるもんじゃあない。


あの時、オレたちが一緒じゃなけりゃああの人たちは、いまも元気に生きてたはずだ。



足手纏いを庇いさえしなければ。


いっそオレたちを見捨ててくれていたら。



助けられた当事者でさえ、いまだ割り切りきれずにそう思ってる部分があるんだ。


周りの、オヤジたちと親しかった連中の心情がどんなものかなんぞ。


推し量るまでもありゃしねえ。



「モテてんのか、これ」



ちょいと前までなら、嫌味を言われるたんびに噛みついてた。


んでも、雌豹どもに慣らされたかして、最近はどうにも、諦めが先に立つ。


考えてみりゃあ、コイツだって被害者だ。


程度の差はあれ、あの出来事によって、消えねえ傷を胸ん中に刻み込まれたことにゃあかわりない。


力なく肩を竦め、口論する気はねえぞと言外に示し、ただ苦笑を返す。



いまさら。


そうは思えど、コイツの班にも、オレの訓練教室に参加してる若いのがいる。


若い連中の事を考えりゃあ、いつまでもいがみ合ってるわけにもいきゃしねえし。


オレが折れておさまるんなら、そんでいい。


そう思い、反発することなく対応したオレを、どう感じたのか。


上から下まで。


奇異なモンでも見るみてえな目で、野々宮が眺め回す。


まあ、よ。


逆の立場だったらオレも、なんかの罠かと疑いまくるけどよ。


さんざん眺め回した挙げ句、しみじみと首を振りながらため息を吐き出すとか。


どういう反応だ、そりゃあ。



「じゅうぶんモテてんだろうが。ほれ」



「あ?」



こっちが下手に出りゃあなんだよと。


些かムッとしかかったオレの鼻先へと無造作に突き出された小さな箱を、反射的に受け取る。



ハート型をした、ちっこい箱だ。


今日既に何個かもらったお義理の施しん中に、似たような箱が幾つもあった。


問うまでもなく、中身はわかる。


わかるが――……。



なんでおまえがこんなもん突き出してくるんだと硬直したオレを、野々宮が声に出して笑う。



「オレから――……ってったらいい嫌がらせになりそうな顔だなあ、おい。安心しろ。ウチの若いのからだ。アイツら訓練教室でおまえに傾倒してきやがってよう」



ひとしきり笑った後で、野々宮が気安く人の肩を叩き、そんなことを言う。



相変わらずのからかうような口調はそのまんまなんだが――……。


いつもはこれでもかってくれえ言葉に込められていた険がない。



厳つい背中を丸めて笑う強面の男を、ついまじまじと見返しちまったのは、お互いさまだ。



「オレに傾倒……って、不味いだろそれ。ちゃんと矯正しとけ?」



「おまえが言うな」



「オレが言わにゃあ誰が言う。加地はまだしも、美濃だの香乃だの文だの小鳥ちゃんだの。アイツらみてえになっちまったら手に負えねえぞ」



どいつもこいつも、なついちゃあいる。


小鳥遊に至っては、オレに惚れてる――……と、本人は言ってやがるんだが。


誰ひとりとして、人の言うこた聞きゃしねえ。


辛うじて現場での指示にゃあ無条件で従うものの、普段はどんな小言も耳を素通りだ。


アレが。


カエラ曰く、『オレに傾倒した結果』だってえんなら。


若いのがオレを慕ってると聞きゃ、心配にもなってくる。


アイツらにモノを教えたのは、やさぐれまくってる最中だったしよ。


いまはもうちょいましな指導が出来てると思いてえ、が。


如何せん、てめえの指導力なんてもんを、オレはこれっぽちも自信できちゃあいない。


どこぞで誰ぞが歯止めになってくれんことには、不安だらけだ。



「手綱取れてねえ中に、さらっと恋人の名前まぜてんじゃねえよ。年下なんだろが。ちゃんと躾ろ。えげつねえぞ、おまえんとこのガキども」



小鳥遊がオレの恋人だってえのは、本人がやたらとあっちこっちでアピールしまくってやがるもんで、社内じゃもう、周知の事実だ。


オレがアイツに押しきられてほだされたのも、甘やかしまくってるのも、全部含めて。


んでも、他人に迷惑をかけりゃあ、オレがきっちり説教してんのもちゃんと知れ渡ってて。


たんまに、おいたをやらかしたガキの苦情が、オレんとこへくる。


事情を聞いてみりゃあ、オレの悪口を言われただのなんだの。


しょうもねえことで癇癪起こしてやがることのが多いんだが、ごく稀に。


雌豹どもの影響を受けまくって、判断がおかしくなってやがる時もある。


まななんぞやらかした苦情が本題かと謝罪しかけ、ふと。


『ガキ』ではなく『ガキども』と。


複数系で表現されたことに気付く。


『ども』つってつくってこたあ、小鳥遊じゃなくてひょっとして、雌豹どもの方か、はたまた全員でやらかしたのか。



「――……どれが迷惑かけた?」



思わず上目遣いでオレより高い位置にある目を窺うように覗き込みゃあ。


なんでか怯んだような顔をしてちょいと距離をあけた後、野々宮がひょいと肩を竦める。



「どれっつーか、ウチの女どもがおまえにチョコレートを渡そうと待機室を訪ねたはいいが、中へ引きずり込まれて辱しめを受けたっつーて半べそんなって戻ってきてな。班長のオレがこんなお使い頼まれる羽目んなった」



野々宮の言葉の途中でだいたいのところを察し、密かに頭を抱える。


あんのガキども。


免疫のねえ奴らにゃ酷でしかねえからやめろっつってあれほど言っといたってえのによ。


まあだ手加減しねえで『歓待』してやがんのか。



「――……ああ。そりゃ、辱しめようとしたんじゃなくて、じゃれついてるだけだ。アイツら、甘噛みのつもりでいきなり急所に爪立てやがるから気ィつけろ?」



「なんだそりゃ。なんつー育て方してやがる」



「もとからだ。もとから。一番被害受けてんのはオレだってえの」



美濃班の連中は、オレの評価があがると、テメエのことのように喜んではしゃぐ。


自分の気に入ってるモノを他人に認められるのが嬉しくてしょうがねえってな態度を見てると、可愛らしく思えなくもないんだがなあ。


悲しいかな、可愛らしいのは見た目だけ。


一皮剥きゃあ、中身は狩をする肉食獣だ。


じゃれつかれただけでも、避けそこねりゃ大怪我必須。


甘えた口調でありながらも歯に衣着せぬ明け透けな物言いに、こてんぱんにされちまう。


ウチのクソガキどもの性格をざっくりと説明し、「まあおまえんとこの若いのにゃあ謝っといてくれや」と苦笑して締めたオレを。


野々宮が、目を見張って見つめる。


さっきの、奇異なモノを見るような目とも違う。


心底びっくりしたみてえな、そんな顔。



「……丸くなったな、おまえ」



「あ?」



「前はこっちがなんか言うたんびにキッツイ目えして噛みついてきてやがったろうが。だからこっちもつい喧嘩腰んなっちまってたんだがよう。なんか拍子抜けするほど父親面んなりやがって――……面影が重なるほど似てて、腹が立つ」



誰に、とは言わず。


野々宮が、オレの頭をぱしんと叩く。



宮部がしょっちゅうするみてえな。


長谷川がたまに絡んでくる時みてえな。


カエラが「しょうがないわね」って顔して眺めてる――……。



じゃれてるだけのソレと重なる、軽い衝撃。



「色惚けすっとこうも腑抜けるもんかねえ。ま、色惚けでもなんでも、立ち直ったんならなによりだ。まあたオヤジらに恥ィかかすような体たらくに戻りやがったら、今度は容赦してやらねえからな」



叩かれた場所を押さえて茫然とするオレの胸を、野々宮が鼓舞するみてえに拳で突く。


唇に浮かんだ太く短い笑みは何故か、酷く満足そうだ。


『オヤジらに恥ィかかすような体たらく』。


野々宮は確かにそう言った。



それは、つまり。


コイツはコイツで、オヤジたちの名誉を守りたかったってことだ。



オレたちが潰れちまえば、命懸けで守ってくれたあの人たちの名誉も地に落ちる。



それで、だから。


コイツは――……オレに。


オレたちに。


わざとキツくあたってくれていたのだ。



随分と、遠回しな慰め。


同じ人たちを大事に想うが故の思い遣りを、気づかぬままどれほど無為にしてきたのか。


四人寄り固まって蹲ってねえで、周りを見回してりゃあ。


救いの手は、こんなにもすぐそばで常に差しのべられてたってえのに。



「は……なんだそりゃ……」



オレを――オレたちを不幸にしてたのは、なんのこたねえ。


後悔に苛まれて周りが見えてなかった、自分自身だ。



遠く過去になった懐かしい人の面影は、ちょいと顔をあげりゃあ、そんで。


いつも近くにあったんだ。



オレたちだけが、あの人たちを忘れられないでいるわけじゃあなかった。


いくらでも思出話をして、いなくなってしまった人たちを偲べたものを。



うかうかと暗闇に囚われちまったオレたちは、差し出された優しさを、全部見逃しちまってた。



「え、うわっ。おまえこんなとこで……っ」



半ば茫然として立ち尽くすオレの顔を見た野々宮が、ギョッとしたように狼狽えまくる。


悪いとは思えど、テメエじゃもう、どうしようもありゃしねえ。



面影が重なるほど似ている、なんぞと。


嬉しがらせを言った、おまえが悪い。



ぽたぽたと滴る雫を拭いもせず、腹の底から込みあげてくる感情に従う。



あの人たちと一緒に、なくしてしまったのだと思い込んでた、人との繋がり。


辛うじて繋がってんのは、四人だけだ。


ずっとそう思ってた。



でも実際は、いろんな奴らが、陰日向で支えてくれていたのだと、いまはわかる。



「ばっ……か、おまえ。勘弁しろよ。オレが泣かしたみてえじゃねえかっ」



ほろほろと、溢れてこぼれる、懐かしい情の。


あの欠片でもオレがガキどもに与えられてるってな評価がもらえたのなら。




――……これ以上の、赦しはない……。




残像を追いかけて追いかけて――……いなくなってしまった人たちの、存在していた証を。


あの日、あの時の、あの人たちの選択が間違っていなかったと。


そう、証明できたのなら。


オレたちが受け継いだものを、ちゃんと残せてやれているのだと、他人に認めてもらえたのなら。



オレはもう、それだけでじゅうぶん報われる。



「あーッ!! やっぱりだ。野々宮班長が兎場教官苛めてるぅッ」



「兎場教官のこと敵視してるからちゃんと渡してくれるか心配になって見にきてみれば!」



「なんてことしてくれてやがるんです。このゴリラが!!」



「そりゃ、私たちが教官ばっかり誉めるから焼きもち妬いたのかもしれませんけど」



「ゴリラのくせに焼きもちとか図々しいですッ。兎場教官、ウチのゴリラがすみません〜」



子供の温もりにほだされてすっかり緩くなった涙腺を、如何ともし難く。


感情を抑えることすら放棄したオレを。


かしましい叫び声とともに廊下を走ってきた女がふたり。


背に庇って野々宮を睨みあげる。



違う、ソイツは悪くない。



ちゃんとそう言ってやらにゃあなんのに。


止めどなく溢れる感情を往なせず、泣き顔を見られるのを厭い、ただ俯く。



「誰がゴリラだ、このお転婆どもめ。どっちかちびすけ呼んでこ……ああいやいい。こんなもん人目に晒しとくのも毒だ。待機室までオレが運んでくっから、長谷川かカエラに、兎場がしばらく使いもんにならなくなったっつーて伝えてこい」



「ゴリラが泣かしたって言いつけてやる」



「焼きもち妬いて苛めたって言ってやる」



「苛めてねえし泣かしてねねよ!!」



「「じゃあ教官の色気に惑って廊下で襲って泣かせてたって言ってやるう」」



俯いたまんま。


感情に引きずられてみっともねえ様を晒すオレを、上着でくるんで担ぎ上げようとしていた野々宮が。


綺麗にハモったソプラノに撃沈され、廊下に沈む。



「だあれがこんなもんに惑うかッ」



「さっき上目遣いで見られて動揺してたくせしてッ」



「てか、『誰が襲うか』が正しい突っ込みだと思うのです。語るに落ちるとはこのことだゴリラめッ」



「だあッ。こおの、かしまし娘どもが。いつから見てた!」



「「最初っからに決まってるでしょーッ」」



背が低くてこんまいのと、背が高くてひょろり細いの。


髪型も服装も。


まるで正反対な装いをした、たぶん小鳥遊と同い年くれえだろう、女がふたり。


偉そうに胸を張って反りくりかえる。


どこも甘ったれたガキは手に負えねえもんなのか、強面で名を馳せている野々宮がしてやられてんのが、ちぃと笑える。



長谷川が組んだ『訓練教室』とやらに参加してきた連中は、顔だけだが、一通り覚えるようにゃあしている。


どっかの現場で見かけた折り、オレの教えたことが邪魔になってねえか。


教えたことをちゃんと理解して消化してやがるかを、チェックしときてえからだ。


だいたい、似たり寄ったり。


オレが教えた内容を実戦に活かそうとして活かしきれず、戸惑ってやがる連中の多い中。


このデコボコしたコンビは、やたらめったら飲み込みがはやく、いつだったかどこぞの現場で見かけた時。


学んだ事柄を早速自分の技術として取り入れ、ウチの雌豹並の無茶苦茶を平然とやらかしてやがったのが、印象に残ってる。


どこの所属なのかまでは把握しきれてなかったが、そうか。


野々宮の班だったのなら、納得がいく。



拒絶反応を示したオレたちとは違いコイツは、強化服を掌握する道を選んだ。



強化服を自在に操り、作動不良を起こしてさえ操れるだけの練度を求め――……得ている。


だが、オヤジたちに学んだモノもまた、いまだ大事に抱え持ってるんだ。


すなわち、野々宮が育てたガキは基礎の中にちゃんと、古き技術をまぜて教え込まれてるってこった。



新しい技術を取り入れ、往なし。


テメエの持ってる古い知識と馴染ませるようなやりよう、は。


オレにゃあ到底、真似のできねえ芸当だ。



「――……千鶴子、春日。ちょいと目ぇ痛めただけだ。あんま野々宮をからかってやるな。後で小鳥ちゃんが怖ええことになったらどーしてくれる」



やいのやいの騒いで野々宮を責め立てるお転婆娘どもの名を呼び、周囲の耳目が気になるのだと、仕草で伝える。


こりゃあ単にオレの失態で、野々宮は悪くない。


思わぬ人物から予想だにしていなかった言葉をかけられ、動揺したってえだけの。


できればあんまり他人にゃあ見られたくねえ姿だ。


騒いで人目を集めてくれるなとの意思表示は正しく伝わったらしく、かしましい口がピタリと閉じた、のはいいが。


ふたり揃ってまじまじと見つめられ、居心地の悪さに小さく身動ぐ。



頑なに抱え込んできた古傷は、小鳥遊が事あるごとにやんわりと触れてくるもんで、いまやすっかりオレの弱点になっちまってる。


昔流し損ねた涙の分だけ泣いていいだなんぞと、アイツがオレを甘やかしたりしたせいだ。


んでも、弱ってる時の姿なんてえもの。


まじまじと見られたいもんでもない。



「うそ、なまえ……」



「兎場教官、私たちの名前、覚えてるですか?」



野々宮のかけてくれた上着で表情を隠そうとするオレを、千鶴子――背の低い方の娘っ子が、目を丸くして下から覗き込む。



受け持った教室の数が多すぎて、顔と名前が完全に一致すんのはごく一部。


あとは、教えたことがあるかないか程度の区別くれしかできねえが。


ずば抜けて目立ってた顔ぶれくらいは、オレだってちゃんと覚えている。



「常識を落っことしてきてるせいでいまいち使えねえくせして、性能だけは無駄にいいんだよ、コイツは。受け持った連中全員の顔と名前を覚えるくらいは、軽くやってのけるぞ」



目を合わせようとオレを覗き込む女ふたりの襟首を引っ掴んで引き離しながら。


野々宮が、誉めてんのか貶してんのかわからねえ台詞を口にする。


さすがにそこまで記憶力はよくねえよ、と。


苦笑とともに切り返そうとして、果たせず終わる。



小鳥遊が取分けオレにご執心だってなあもう、周知の事実だ。


んでもって、とある一点において――即ち、オレにいらんちょっかいをかけてくる連中に対して――のみ短気で癇癪持ちなのも、いまや社内中に広まっている。


恐らく、どこぞの誰かが気を回して呼んだのだろう。



「あんた、オレの兎場さんになにしてくれてるんです!!」



颯爽と、と言っていいのか悩むところではあるが。


整った顔を怒りに染めた小鳥遊が、勢いよく野々宮を急襲する。


気配もなく走り寄ってきたと思ったら、いきなり顔面狙って回し蹴りを放ちやがったんだ。


正に急襲。


さすがに、悪くもねえ――……つーか。


長年のわだかまりを解消してくれたばかりの相手を理不尽な暴力にさらすなあ気が引ける。



咄嗟に凶行に及ぼうとしている小鳥遊の軸足に足払いをかけちまったのは、まあ。


口で止める間がなかったせいなん、だが。


よもやまさか、庇ったつもりのオレにそんな真似をされるたあ思っちゃいなかったのだろう。


受け身も取れずに後ろ向きにひっくり返った小鳥遊が、ゴチンと痛そうな音をさせ、後頭部を強打する。




――……一瞬の、限りなく重たい沈黙。




野々宮は心底驚いた顔をしてこっちを見てやがるし、お転婆娘どもと野次馬陣は、なにが起こったのかわからず、ぽかんとしてオレを見ている。


んでもって小鳥遊はというと――……。




「う……わあぁあん! 兎場さんひどい〜。襲われてるって聞いて、急いで助けに来たのにィ〜ッ!」




転んだ瞬間、きょとんと目を見開いたものの。


数秒後、オレに足払いをかけられたのだと理解するや、踞って強打した後頭部を押さえ、盛大に泣きはじめた。



「おまえがいきなり暴力に訴えるからだろが」



「だってだって、兎場さんが襲われてるって皆が!」



「なんで社内で襲われにゃならねえんだ。真偽を確かめてから動け、阿呆」



「兎場さんの色香に迷った野々宮班長が廊下で襲ってるって! 野々宮班の子たちがそう叫んでたぞって他の班の人たちがこぞって言いにくるから、オレッ!!」



感傷的だっただった心情から一転。


最近はちょいとしたことで疼く古傷に丁寧に蓋をして、溜め息ひとつ。


オレを精神的に脆くしたのがてめえだっつって自覚がねえんだもんなあ、このガキ。


今度じっくり――……話をするのは身の危険を覚えねえでもないからやめとくとして。



「あのなあ。オレがんなことで泣くわきゃねえだろが」



「でも、だって。じゃあなんで?!」



「年取ると涙脆くなんだよ」



「だから、理由は? どんな理由で涙腺が……って! 庇うってことはまさか――……浮気……ッ?!」



案の定、とんでも思考へと走ってめんどくせえことになりやがった小鳥遊が、くりんとした目をさらに大きく見開く。


いい加減、おまえ以外にゃあ食指は動かんつーて理解しろってえんだ、甘ったれめ。


オレがめんどくさがりを返上したのは全部、おまえが肩身の狭い思いをせんで済むようにってな親心だってえのに、ったく。


終いにゃ拗ねるぞ、コラ。



阿呆な妄想に突入してプルプルと小刻みに身を震わせる小鳥遊を、どうしてくれようかと思案しつつ見下ろす。


否定したってどうせ、なんだかんだと難癖つけてきやがるだろうし。


つか、本気で浮気を疑ってやがるんならもっと、手がつけられねえ有り様になりやがるはずだ。


てこたこりゃあ、いつものごっこ遊びだ。


颯爽と駆けつけたつもりだったところをオレにひっくり返されのが、どうやらお気に召さなかったらしい。


ったく。


あそこで回し蹴りが決まってりゃ、悪者はおまえの方だったってえのによ。


めんどくせえ拗ね方しやがって。


しばらく放置しとくかと無視を決め込むオレに代わり。



「噂に違わずすんげえ焼きもち妬きだな、コイツ。和解だよ、和解。双方誤解の上に成り立ってた認識の変更があっただけだ。コイツが泣きやがったのは――……なんでだ?」



待機室での駄々っ子モード全開な小鳥遊を知らねえ野々宮が、気を遣ったのかどうだか知らねえが。


小鳥遊を宥めにかかる……が。


詰めが甘えっつーか。


コイツも、あの瞬間のオレの感情をわかってなかったのだろう。



「あー? おまえがオヤジに似てきたとか嬉しがらせ言うからだろが」



目線を向けてくるのに肩を竦めて答えてやりゃあ。



「――……単なる年寄りの情緒不安定だ」



両手にお転婆娘どもをぶら下げたまんま。


フォローしてえんだかオレを小馬鹿にしてえんだか。


野々宮が、どっちつかずの発言をする。


おおよそのところは、たぶん。


駄々っ子モード全開の小鳥遊に呆れてやがるんだろう。



「そっちのが年上のくせして、よくも人を年寄り扱いできるな?」



四十路に手ぇかけたオレがてめえの年を痛感してるってえのによ。


そのオレより幾つか年上のくせして、なに言ってやがるんだかと呆れた視線を送れば。



「おまえと違ってオレは、自分を『年寄り』だなんて思ってないんでなあ」



野々宮が、強面にふてぶてしい笑みを浮かべる。



働き盛りの、精力的な男の顔だ。


班をひとつ仕切ってるだけあって、年相応に多少のことくたびれちゃあいるが、オレみてえな怠そうな倦んだ雰囲気は、欠片も持ち合わせちゃあいねえ。


とはいえ。



「図々しいだろ、その年で」



オレより年上。


しかも、五十路手前。


どっちかってえともう、後進の指導専門に鞍替えしててもおかしかねえ年齢だ。


中堅どころがほとんどいないせいで、なかなか現役からは退かせてもらえないってえだけで。


『現役』がイコールで『まだ若い』ってことにゃあなりゃしねえ。



「煩え。四十代はな、脂の乗り盛りなんだよ。枯れてるおまえがおかし……イテェッ」



「聞いたぞ、ゴリラめ」



「自分が枯れてないからって教官を襲っていいわけないでしょ、この破廉恥漢!」



襟首を掴んでぶら下げていた娘っ子どもに片足ずつ脛を蹴られ、思わずといった体で手を離した野々宮から、仔猫が二匹。


しゅたたっと走って距離をとる。


ちゃっかり野々宮との間に小鳥遊を挟んで障害物にしている辺りが――……なんとなくどこぞの雌豹を連想させるのは気のせいか。



「だあッ! このお転婆娘どもが!! 人にお使い頼んどいて破廉恥漢呼ばわりたあいい度胸だ。オレにだって好みっつーもんがあんだよ! いくらコイツが昔っからのべつ幕無し生半じゃねえ色気をだだもれさせてようとも、だ。男はいらん!!」



ずびしッと人を指差して、野々宮が碌でもねえ台詞を口にする。


オレが昔から……なんだって?



「嘘だあ。さっき教官の上目遣いにクラッときてたくせして」



「嘘だあ。泣き顔の教官抱えてしけこもうとしてやがったくせして」



納得のいかない台詞に半眼になったオレが、なにを言うより早く。




「「野々宮班長のむっつりスケベ〜ッ!」」




わざわざ大声で、捨て台詞よろしく野々宮を貶める発言を残した仔猫どもが、あかんべーと舌を出して走り去る。



「んだとお! 兎場、さっきのウチの女どもからのチョコレート返せ。てめえで渡せっつって突っ返してやる!」



人の手の中から可愛らしくラッピングされた小箱を有無を言わせず引ったくり。


野々宮が、言いたいだけ言って逃げた仔猫どもを追って行く。


ガキどもの傍若無人に振り回されてんのはウチくれえなもんだと思ってたんだけどよ。


どこの班も似たり寄ったりなのか、ひょっとして?



「――……えと。もしかしてあの人も、『お気の毒な人』だったりします?」



「ん〜?」



ウチで言うところの『お気の毒な人』、は。


なんの落ち度もねえのに雌豹どもの玩具にされ、無体を強いられる羽目になった人間を指す。



野々宮には今回、なんの落ち度もありゃしねえし。


ウチの雌豹どもにゃあいいように弄ばれてきたみてえだがよ。



「そうなんじゃねえの?」



あの娘っ子どもは、じゅうぶん雌豹予備軍だ。



「…………オレ、後で野々宮班長にごめんなさいしてきます」



「そうしろ。つかおま。社内の人間に先手必勝はやめとけ?」



「だ……って、あの人! 理由はどうあれ、兎場さん泣かしたんでしょ?!」



「泣いた泣いた言うなっつの。年取ると、不意打ちで嬉しいこと言われたって泣けてくる時があんだよ」



遠く過去になっちまった思い出と重なるなんぞと。


なにかと反発してた野郎にんなこと急に言われてみろ。


オレだって、動揺くらいはする。


ちょいと前までなら、なにを言われようが感情が動くなんてこたあなかったもんを。


ガキの温もりにほだされて、最近じゃあちぃとしたことですぐ、感情がざわめくようになっちまった。



こんな、みっともねえ様。


人に見せてえもんでもねえ、んだが。



コイツのお陰で、いろいろと嬉しい誤算が増えてんのも確かだ。



みなまで言わずとも、先程の会話からある程度は汲み取ってはいたのだろう。



「それはそれですっごくジェラシー感じるんですけどぉ。兎場さんが意地悪されたんじゃないなら我慢します」



唇を突き出して不満を示しながらも、不承不承ながら小鳥遊が引き下がる。


と、同時に。


いまだちらほら残ってやがった見物人どもが、ホッと息を吐く。


いつもの揉め事とは違う雰囲気に驚いて小鳥遊を呼びに走った連中にも、喧嘩ではなかったのだと、ちゃんと理解されたらしい。


ほわんとした空気を残して、野次馬どもが各々やりかけていた作業へと戻っていく。



とんだ恥をかいたが、まあ。


いまさらと言えばいまさらだ。



それに――……。


オレの心境の変化を感じ取って、いままで遠巻きにしてた連中がこうして寄ってきてくれるってえのは。


そう悪い気分でもない。



遠い過去になっちまった日々を語り合える相手なんざもう、数えるほどしか残っちゃいねえんだ。


和やかに穏やかに。


あの懐かしい日々を振り返れるようになったいま。



当時を覚えてる人間は、貴重な存在だ。



「むう。嬉しそうな顔してくれちゃってもう。仲直りできてよかったデスネ」



「仲直りっつーか。いまにして思や、こっちもたいがいな態度とってたからなあ」



「たいがいなって?」



昔話をねだる顔で寄ってきた小鳥遊の後頭部を、瘤になってねえかを確かめながら、するりと撫でる。


どんだけ頑丈な頭をしてやがるんだか。


あんだけ派手にぶつけたくせしてなんともなってねえとは、たいした石頭だ。



「昔話をご希望で?」



「あなたが聞かせてくれるのなら」



「んじゃ、口が軽くなるよう、旨い酒と旨い肴とを用意してもらわにゃなあ」



「ぬッ。今日は飲み過ぎ禁止ですう! って、今朝言ったでしょ」



「オレは『イヤだ』っつって返したろうが?」



コイツが『深酒禁止』を言い出す日は、碌でもねえ企みをしてやがるか、夜にむちゃくちゃやらかすつもりでいやがる日だ。


次の日が休みだってえんなら気の済むまで遊んでもやるがよ。


生憎と、明日は朝から訓練教室の予定がみっちり詰め込まれてる。



「せっかくせっかくバレンタインなのにぃ」



「そう言うと思って、ちゃんとおまえの欲しがってた靴買ってやったろ? なんとか言う限定品の」



「だからッ。流通数が少なくてなかなか手に入れられないようなものを、いつもいつも、どうやって調達してくるんです!」



じとっと睨みつけてくる小鳥遊の。


琥珀色の目が半分座っているのに気づき、小さく笑う。


なるほど。


クリスマスん時みてえなエッチな尋問ごっこを、またやらかそうとしてたわけか。


途中で焦れて、てめえのが先に根をあげちまうくせして懲りねえヤツめ。



「加地にカタログ見せて『これどこで売ってんだ?』って聞いたらよ。毎度アイツがネットなんちゃらで競り落としてくれんだよ」



予算の制限がない競りは楽しいとかなんとか言いつつも。


相場より安く落とせたと自慢気にしている辺り、加地の金銭感覚は信用できる。



ちゃんとお駄賃もくれてやってるし。


加地も、楽しんでやってるこった。


そう迷惑はかけてねえ……はずだ、と思いたい。



「まさかのネットオークション……ッ」



「オレが自力で調達できるわきゃねえだろうよ」



だからこそ不審がってやがったんだろうが。


ギブアンドテイクだっつって、雌豹たちが無茶ぶりしてくる分、加地はいろいろと骨を折ってくれる。


美濃班の連中は、揃って小鳥遊を可愛がってくれてる。


オレと拗れてどん詰まりに迷い込み、足を引っ張りまくってた時でさえ、ちゃんと面倒を見てくれてたんだ。



美濃班の連中にオレがついつい甘い対応になりがちなのは、そうした積み重ねで、アイツつら自身がオレの信用を勝ち取ってるからなんだが。


一方的に甘やかされるのはどうにも、加地の男としての矜持が許さないらしい。



あんだけ雌豹どもに振り回されといて――……いや。


振り回されてるからこそ、か。


加地は加地で、雌豹たちに懐の広さを示したいのだ。



ふと、遠く過ぎ去った日々のひとこまが、脳裏を過る。



同期生だった連中の、懐かしい顔ぶれ。


まだ屈託なく笑いあえていた頃、オレたちは。


教官たちに自分の能力を認めてもらおうと、お互いが切磋琢磨して競い合っていた。


あの人たちの苦手分野を見つけようものなら、それこそ。


シレッと手伝ってのけ、このくらいは出来て当然だと、ことさら涼しい顔をしてみせたもんだった。



加地もそうなのかと思い至った途端、なんだか急に可笑しくなった。



「兎場さん?」



喉を鳴らして低く笑うオレを、小鳥遊が訝し気に呼ぶ。



「いや。ちょっとした思い出し笑いだ。おまえ、野々宮に謝りに行くんならよ。金平糖持ってけ」



「金平糖、ですか?」



「ああ。たぶん、喜ぶ」



あの人たちとの、数少ない思い出の品だ。


アイツがアレに持ってる思い出がどんなものにしろ。


昔を懐かしむにゃあ、ちょうどいい。



小鳥遊も、いつだったかしてやった寝物語を思い出したのだろう。


なにか言いかけて、結局。


ふんわりとした笑みを浮かべるにとどめ、するんと腕を絡めてじゃれついてきた。



「こぉら。待機室の外じゃあいい子にしてるんだろ?」



「しぃてまぁすもおん。これは単なる虫避けです」



虫避けもなんも。


オレに寄ってくるような物好きな虫は、せいぜいがおまえくらいのもんだ。


とは言わず。



腕にぶら下がるガキの足を払い、転がす。



心配してくれるのはありがてえんだがよ。


ここんとこちぃと、過剰に反応し過ぎだ。



「んな?!」



「野々宮にちゃんと謝ってくるまでベタベタ禁止」



「な、ちょ、ひどっ」



「酷かねえよ。躾だ躾」



美濃班にいる限り、うっかりしてりゃあ小鳥遊みてえに若いのは、すぐ感化されちまう。


オレが指導員やってた時だってそうだ。


この馬鹿は、オレに感化されてオレの真似をしたがった。


加地はまだまともな方だとはいえ、残りの雌豹三匹に感化なんぞされてみろ。


なまじ実力がありやがるだけに大惨事必須だ。


てえか、問答無用で回し蹴りだなんぞ。


すでにかなり感化されてやがる。


この辺でいっぺんしめとかねえと、後で困るのはオレだ。



「うわあん。兎場さんのいけずぅ」



「事の真偽も確かめず、いきなり暴力に訴えるおまえが悪い。てか、昼から外回りだろ。泣いてる間に野々宮追いかけねえと、明日まで謝れなくなるぞ?」



「…………?! 兎場さんのドSぅ~」



「ちゃんと詫びの品持ってけよ!」



新手の泣き言を残し、小鳥遊が脱兎のごとき勢いで走り去るも、周囲の連中も慣れたもんだ。


いつものことだと、視線すらくれずにクスクスと笑ってやがる。



過日、オレが――オレたちがなくしたと思い込んでた風景は。


なんのこたあない。


気がつきゃ、当時の名残をとどめ、そこかしかこに溢れてる。



昔っからそこにあったのか。


小鳥遊や他のガキどものお陰で戻ってきたもんなのか。



どっちにしろ――……。















※ 本人が気づいてないだけで、実はウサギさんは周囲に相当過保護にされてるといふお話※







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