犬も喰わない。
最近気づいたことあがる。
オレの『好き』とあの人の『好き』との間には、とんでもなく温度差がある。
例えば、休みの日。
一緒にどこかへ出掛けようと誘っても、あの人はいつも、めんどくさそうな顔をする。
映画が好きで、休みの日には一日テレビの前にいたいのだと、知ってはいる。
オレと暮らすようになるまで、あの人にとっては休みの日イコール映画鑑賞の日だったってことも。
でも、だけど。
いまはオレと付き合ってるんだし。
一緒に暮らすまでの仲になったんだ。
ちょっとくらい、オレのために時間を割いてくれたっていいと思う。
そりゃあ、服の趣味だって食べる物の好みだって、ぜんぜん違う。
一緒に出掛けるにしても、行きたい場所が一致することだって、あんまりない。
それでも、付き合ってるんだ。
休みの日に外でデートしたいと言ったからといって、なんで鬱陶しがられなきゃなんないのかがわからない。
「――……んで、喧嘩して飛び出してきたってか?」
ひとしきりオレの話を聞き終えると、明らかに寝起きらしい寝乱れた姿の兎場先輩は、そう言って小さくあくびを噛み殺す。
オレが宮部さんと付き合っているからか。
はたまた、翔太くんと仲がいいオレを、気の抜けた姿を見せても構わない身内だと思ってくれているのか。
近頃の兎場先輩は、オレに対してかなり無防備だ。
ちょっとくらいならセクハラしても苦笑いするだけになったし、こうしてだらけた姿も、平気で見せるようになった。
兎場先輩は気を抜いていると、妙に色気の増す人だ。
物憂げな仕種だとか、気怠げな表情だとか。
本人はまったくもって意識していないらしいんだけど、雰囲気そのものの色香が増す。
普段のオレなら、寝乱れた姿の兎場先輩の色っぽさを、嬉々として楽しんだことだろう。
寝間着のあわさからちら見えしてる鎖骨もさることながら、腹に手を入れてガリガリ掻いてる兎場先輩の手元でちら見えしてる腹筋も。
普段なら垂涎ものである。
だがしかし。
いまのオレに、無駄に色気を垂れ流して気づいてもいない兎場先輩の艶姿を堪能する余裕なんてものは、これっぽっちも存在していない。
「だってだってあの人、『翔太くんは兎場先輩にもっと構ってもらってるのに』って言ったら、『じゃあウサギに乗りかえたらどうだ』なんて意地悪言うんだもん〜ッ」
感情のままに叫び、びゃあ〜っと泣き崩れる。
オレだって、ただ我が儘を言ったわけじゃない。
ずっとレンタル中でなかなか借りられないってぼやいてたヤツだし。
自分でも見たいなって思ってた映画だった。
だから、ふたりで一緒に映画を見た後、デートがてらご飯を食べに行こうって誘ったら!
めんどくさそおな、鬱陶しそおな顔して、一言。
『怠い』って。
怠いって言ったんだ、あの人はッ!!
疲れてるから家でゆっくりしたいだとか。
見たい映画がまだ残ってるだとか。
なにがしら理由があるのならまだしも。
怠いって。
いくらなんでもあんまりな言い種だ。
挙げ句が、『じゃあウサギに乗りかえたらどうだ』ときたもんだ。
「――……おま、そもそも宮部のこたあ、遊びではじめたんじゃなかたっけか?」
ブルブルと震えて着信を告げる携帯端末に手を伸ばしながら。
兎場先輩が、艶かしく吐息を吐き出す。
ほんのちょっぴり怠そうな感じに見えるのは、この人が今日も出勤だったせいだろう。
「遊びでっていうか。そりゃ、はじめは顔が好みだなあ、くらいだったけどッ。本気で好きになったんじゃなきゃ、同棲まで持ち込んだりしませんー」
「ソレ、宮部に言ったか?」
ようやく使いこなせるようになったばかりの携帯端末をぽちぽち弄り、どうにかこうにかメールを読んでいた兎場先輩が、ちらり横目でオレを見る。
物憂げで怠そうな、どこかしら眠たそうな眼差し。
夜中なせいか、いつもより何割か増しでだだ漏れな色気を漂わせてたりするのが。
今日に限っては、ほんのちょっぴり腹が立つ。
オレごときのお悩み相談なんてめんどくさいのかも――……いや。
この人は常からめんどくさがりだけど。
もうちょっと真面目に聞いてよ!
って思っても、小首を傾げ傾げ携帯端末を弄る姿があざとすぎるせいで、癇癪を起こそうにも毒気を抜かれちゃう自分が、かなり悲しい。
「イヤですう。オレばっか本気だなんて、言えるわけないでしょおう」
「なんで」
「なんで……って。だってあの人、身体の相性がいいからって理由でオレと付き合ってるんですよ?」
メールでもしているのか。
携帯端末の画面をぽちぽちやっては小首を傾げていた手を止めて、兎場先輩がようようまともにオレを見る。
訝しそうな、不思議そうな、なんとも表現し難い眼差しが、じっとオレを見つめることしばし。
なにか言おうとして、けど。
タイミング悪くメールの着信を伝える着信音が鳴り、兎場先輩の意識はそちらへと戻ってしまう。
翔太くんと付き合うようになるまで、兎場先輩はほぼ待機室に住み着いているようなものだった。
携帯端末を鳴らすよりも、待機室の内線をならした方がよほど早い。
そんな感じだったもんで、ごくごく最近まで、兎場先輩は携帯端末の通話以外の機能をまるっと放棄し、使ってなかった。
でも、すったもんだあって兎場先輩が指導員を引き受けるようになって。
常に移動しまくる兎場先輩をつかまえるのが、もんのすごく困難になった。
指導中はもちろん、そうそう携帯端末になんか出られない。
非常招集ならまだしも、たいしたことではない用事で、いちいち緊急用の番号からなんてかけてらんない。
結局、留守録かメールで折り返してくれるようメッセージを残すしかなくなるわけだけれども。
携帯端末に通話以外の機能があるってことすら意識していない兎場先輩が、そんなものをいちいちチェックするはずもなく。
兎場先輩をつかまえるべく東奔西走するのに苛ついた美濃班長さんの号令一下。
恐い恐い雌豹さんたちに取っ捕まり、肉食獣ふたりにみっちりと携帯端末の使い方を仕込まれたる羽目になったのが、つい先日。
なんとか使いこなせるようになったものの、基本操作以外は、まだあまり理解できていないのだろう。
首をひねりひねり着信メールを読み、また首をひねって、溜め息ひとつ。
寝乱れた姿なままのせいか、そんな仕草すら艶かしいんだから、ほんと質が悪い。
コレで、本人無自覚なんだもんなあ。
「ちょっと、兎場さん。裕太くんが真面目に話してるんだから、ちゃんと相手したげてくださいよ」
飲み物をいれてくるとキッチンへ消えていた翔太くんが、小言をくれながらも湯気の立ち上るカップを、そっと兎場先輩の前に置く。
ついでだとばかりにつむじにチュッとキスを落とすのはご愛敬。
唇にチュウじゃなかったのは、喧嘩して飛び出してきたオレに気を遣ってくれてる……からだといいな……。
「んでもなあ。こっちもほっとくと厄介つーか……」
背後から近寄られるのを嫌がる人が、翔太くんだけは特別なのだろう。
真後ろに立つ翔太くんの腰を、当たり前みたいな顔をして手を伸ばすや、自分の傍らへと抱き寄せる。
普段、人前でいちゃいちゃしたがらない人だから、これはたぶん無意識だ。
翔太くんが好きで、翔太くんが可愛くて、だから。
小言を言われるようなことをしているのを詫びるかのように、意識せず翔太くんの機嫌をとっている。
まんざらでもなさそうな翔太くんの表情が、ちょっとだけ、ううん。
正直、めっちゃくちゃ羨ましい。
宮部さんなんて、オレの機嫌がどうだろうが、気づいてもくれないもんなあ。
「もう。ごめんね、裕太くん。カフェオレでよかった?」
「うん、ありがとう。こっちこそ、夜遅くに押し掛けてごめんね」
「――……おま、そういう台詞はまずオレにじゃねえの?」
ソファに怠惰に座っていた自分の膝の上に翔太くんを座らせた兎場先輩が、不満そうな声をボソリと落とす。
下唇を突き出したりして、ホント。
なんでこう無駄にそそる仕種を大安売りするんだろう、この人は。
「ううん。気にしないで。ちょうど一区切りついたとこだったし」
『一区切り』のところで、翔太くんが艶かしい視線を兎場先輩へと送る。
ちょうど、鎖骨の辺り。
着崩れた寝間着の隙間からちらり見え隠れしている、赤い痕を。
ひょっとしたらひょっとするかも、とか思ってたら、どうやらひょっとしたらしい。
そういや、兎場先輩の声もビミョーに掠れてるし。
目元がショボショボしてるのは、眠いとかじゃなくて、翔太くんにさんざん泣かされた後だからか。
通りで、今日はいつもに増して色香がだだ漏れてるはずだ。
この人さっきまで――……翔太くんに組敷かれてたのか……。
常日頃からして無駄に色っぽいんだもん。
えっちの時はとんでもなくエロいんだろうなあ、兎場先輩。
宮部さんも、そういう雰囲気の時はすんごいセクシーだけど。
大人の余裕っていうの?
泣かされるのはオレばっかで、相性がいいっていっても、宮部さんがどんな表情でオレを抱いてるのか。
いまいちちゃんと見たことがないんだよなあ。
好き好き言ってるのも、オレの方だけだし。
喧嘩して夜中に飛び出してみたって、携帯端末ひとつ鳴りゃしない。
「よかった。お邪魔だったらどうしようって、ちょっと気になってたんだ」
「水臭いこと言わないでよ。オレと裕太くんの仲でしょ」
「――……オレは無視かおまえら」
ぽちぽちぽちぽち。
必死に頑張ってますって顔をしてメールを打っている兎場先輩が、視線も上げずに不満を告げる。
なんとか送信したと思ったら、すぐさま折り返しがきて、ほぼエンドレス。
着信音が鳴る度、嫌そおうにしながらも律儀に返信してるってことは、相手は年長組の誰かなんだろう。
「人と話してる時にメールしてるお行儀の悪い人なんて、無視されてもしょうがないんですう」
「んなこと言ってもなあ。裕太が宮部にちゃんと言やあ解決する話だろうよ」
「ほらちゃんと聞いてない。宮部さんの態度があんまりだって話でしょ? 裕太くんが折れて仲直りしたって、またおんなじことの繰り返しになっちゃうだけでしょうが」
「だからよう。ビシッと言ってやりゃあいいじゃねえか」
「なんて?」
「ん〜?」
メールを打つ手を止めた兎場先輩が、唸りながらこてんと可愛らしく小首を傾げる。
歳上のくせして可愛らしい仕種も違和感がないって、あんた。
あざといにもほどがあるでしょうが。
「アイツもなあ。オレと変わらねえくれえにゃ情緒がぶっ壊れてっからなあ。裕太。マジであんなんがいいのか?」
思い直すならいまだぞ、と。
あながち冗談でもなさそうな声を、兎場先輩がオレに聞かせる。
翔太くんと拗れた時、オレが――……オレたちが背中を押したのを覚えてくれていたのか。
古馴染みである宮部さんを慮ったのかは、わからない。
でも、本気でオレを案じてくれてもいるのだというのは、声の調子で伝わってくる。
「あんなの『が』いいんです。ぶっきらぼうで俺様なくせして寂しんぼなとことか。厚意を上手く表現できない不器用なとことか。知れば知るほどツボなんだもん、あの人ッ!!」
だからオレは遠慮なく、思いの丈を駄々にして吐き出す。
宮部さんと兎場先輩は、やたらめったら仲がいい。
年長組はみんなそれぞれすんごい仲良しさんだけど。
宮部さんと兎場先輩は、その中でもずば抜けて仲がいい――……というか。
思考回路がなんとなく似ているからだろう。
四人で出動、なんてことになった時、このふたりは特に打ち合わせもなく、とんでもない荒業のコンビネーションの数々を見せつけてくれる。
もちろんのこと、長谷川部長とカエラ部長の絶妙なサポートがあってこそのコンビネーションではある。
四人揃ってはじめて成し得る神業だ。
けど、なんていうのか。
ふたりの間にある間合いっいうか。
そんなのが、すごくすごく親密そうに見えて、オレは時々焼きもちを妬く。
翔太くんがいるくせに。
どうしてもそう思ってしまう。
いまだってそう。
兎場先輩はオレを心配してくれたんだってわかってる。
わかってるのに――…素直な返事ができなかった。
「んじゃ、仕切り直しで『真面目にお付き合いしてください』でいいんじゃねえの? おま、最初に『お試しでオレとかどうです?』なんつーて売り込んでただろが」
「ちょっとコナかけただけで百戦錬磨だってわかるような人に、他にどう売り込めと?」
「最初の餌にうまいこと引っ掛かったんだ。シフトチェンジすりゃいいだろ」
「それが出来れば苦労してませんー。あの人、ほんと、マジで、ぜんぜん、オレのことなんとも思ってないですもん!」
「そおかあ?」
「そうですよ。今日だって今日だってぇえ〜」
言ってて悲しくなってきたオレは、ジタジタとソファに座ったままで足を踏み鳴らす。
兎場先輩は、頭の先から足の先まで。
全部が全部、翔太くんの趣味で整えられている。
髪型もシャンプーもボディソープも。
洋服はもとより、下着から靴下に至るまで。
すべて翔太くんが選んできたものだ。
宮部さん曰く『アイツのアレは横着だ』だそうだけど。
それらを買いに行くのにもちゃんと着いてってるし、試着だって嫌がらずに、翔太くんの気が済むまで付き合ってあげている。
横着っていうより、翔太くんの好きにさせて甘やかしてるんだってことくらい、オレにだってわかる。
対して宮部さんはというと、オレの好みには絶対に染まってくれない。
ネクタイくらいならいいかな、とか。
マフラーや手袋くらいなら大丈夫かな、とか。
小物くらい、オレの選んだものを使って欲しいと思っても、全部ダメ。
プレゼントの封を開けただけで、クローゼットにしまっちゃう。
鏡の前であててみてくれたことさえないんだ。
宮部さんがオレをどう思ってるかなんて、考えるまでもない。
「ねえ、兎場さん。なんとか間に入ってうまいこと取り持ってあげられません?」
「オレが横からあれこれ言うのもなあ」
駄々っ子よろしく、いままでの不満を全部ぶちまけたオレを見て、兎場先輩が困ったように頭を掻く。
膝の上に乗せて後ろから抱っこしてた翔太くんをそっと降ろしてるのが、気を遣われてるのが丸わかり過ぎてなんかヤダ。
「いいです、もう。せっかくのクリスマスなのに、プレゼントだってこんなだったし」
「こんなって?」
バサリとオレが投げ出した紙袋の中身を、興味深そうに翔太くんと兎場先輩が覗き込む。
けど、上から見ただけではソレがなにかまではわからなかったのだろう。
取り出してもいいかと身振りで問うてくるのに、無言で頷く。
デートしたかったのも、一緒に映画を見たかったのも、珍しくもふたり揃ってクリスマスの日が休みだったからだ。
一緒に街をぶらついて、ご飯を食べて、プレゼントを交換して。
そんで、いつもよりちょっと多目にいちゃいちゃできたら満足だったのに。
デートがダメでも、せめてプレゼント交換だけでもして雰囲気を楽しもうと思ったら。
オレのプレゼントを受け取った宮部さんが、お返しだと言ってポイと投げて寄越したのが、コレ。
用意してくれてただけでもありがたいと思おうとはした。
でも、いくらなんでもコレはあんまりだ。
開けた瞬間、オレがどれだけがっかりしたことか。
どういうつもりかと詰め寄れば、きょとんとした顔でシレッとあしらわれ、瞬間的に頭に血がのぼった。
後はもう、勢いだ。
思いっきり喧嘩して、勢いのまま飛び出してきた。
「――……なあ、小鳥ちゃん。なんだ? このヒラヒラしたの」
レースたっぷりの薄っぺらい布地を両手でつまんでぴらんと広げた兎場先輩が、傍らの翔太くんの顔を覗き込む。
宮部さんの道楽に付き合っておなじく百戦錬磨なくせをして、兎場先輩はこうして時折、天然な面をちらほら見せる。
どっからどう見たって下着にしか見えないはずのソレを、宮部さんがオレに寄越したってだけで、なんなのか理解できなくなってしまったらしい。
どう見ても、下着。
でも男が男に贈るようなモノじゃあない。
てことは、下着に見えてもなんか別物。
たぶん、兎場先輩はそんな風に考えたのだろう。
「ええ〜と、ですね。俗に言うところの、ベビードールってヤツ……ですか、ね」
なんとも言いにくそおに、翔太くんが正解を口にする。
「ベビードール?」
だが、今度は素で知らなかったのだろう。
兎場先輩の目が、きょとんと丸くなる。
無駄に色っぽいくせして、色事に興味持ってないもんなあ、この人。
ベビードールだとかテディだとかだけでなく、巷で流行ってる『男の娘』なんてものも。
知らないんだろうな、きっと。
「まあ、いわゆる――……女性用のセクシーランジェリー?」
「…………」
ヒラヒラした下着を広げたまま、兎場先輩がなんとも言えない表現をして固まる。
オレだってそうだ。
クリスマスプレゼントでこんなもの渡されて。
どれだけがっかりしたことか。
こんなの、暗に身体しか興味がないって言われてるようなものだもん。
真面目にお付き合いしてくださいなんて、言い出せるわけがない。
「阿呆か、アイツは。なに間抜けなことやってやがる」
がしがしと寝癖のついた頭を引っ掻き回し、兎場先輩がぽちぽちとメールを打ち出す。
オレが目の前にいるからか、通話ではなくメールを選んで宮部さんに連絡してるみたいだけど、気づくもんか。
オレが飛び出してったのを幸い、映画の続きを見てるに決まってる。
「あれ? でもこれ……あ、やっぱりそうだ。ねえねえ裕太くん。コレ、付箋挟んでたヤツじゃない?」
見てほら、と。
ぱたぱた手招きしながら、翔太くんがベビードールを丁寧に整えてローテーブルの上に広げる。
「え?」
「ほらほら。こっちのピンクに黒のレースのがオレに似合いそうだって裕太くんが言ってたヤツで、こっちのピンクに白のレースのが、裕太くんに似合いそうだってオレが言ってたヤツ」
通販カタログに載ってるっぽい形に並べられた二着のベビードールを眺めることしばし。
「――……似合いそうって、女物なんだろ……」
「あ……あーッ! あの『男の娘のための通販雑誌』の!!」
記憶の扉が一気に開いたオレは、兎場先輩が小さい声でぼそりとなんか言ってるのに被せるようにして、思い切りよく叫ぶ。
「そうそれ。『実際に注文するのはさすがにちょっと恥ずかしいね』って言ってた。あ、見て。Tバックのショーツとニーハイ編みタイツにガーターベルトまで、一式全部入ってる!」
「え、うわホントだ。でもなんで……?」
そのままトントントンと軽快に会話を弾ませるオレたちを、不機嫌そおに眉を寄せた兎場先輩が、ジト目で睨む。
決して兎場先輩を蔑ろにしたわけではないのだけれど。
お疲れのところを叩き起こされて怠怠だった兎場先輩にしてみれば、ご機嫌斜めになるにはじゅうぶんすぎるだけの不服を感じたのだろう。
「おまえらよう。さらっと人のこと無視すんだったら起こすなよ、オレをよ。ふたりでじゃれてろ。つか、その通販雑誌とやらはどこで見てた」
やさぐれかけて、でも。
ふと思い直したようにして言葉を続けた兎場先輩は、溜め息ひとつで不満を飲み込んでくれたらしかった。
すかさずしなだれかかって甘えた視線を向けた翔太くん効果――……というよりは。
じゃれてくる翔太くんをあしらうより、会話を続けた方が労力が少なく済むと判断してのことだと思われる。
だって翔太くんてば、どさくさで露骨にえげつないセクハラしてるんだもん。
迂闊に拗ねようものならどうなるかなんて。
考えるまでもなくわかる。
「無視なんてしてませんー。先輩の口を挟むタイミングが悪いんですって。エロい雑誌とかエロいDVDは主にウチで見ます」
人前でもいちゃいちゃさせてもらえて羨ましいなあ、とか。
オレが宮部さんにあんなことしたら、しばらく避けられるのにいいなあ、とか思いながら。
セクハラを嫌がって身を捩る兎場先輩を見るのは楽しいので、シレッと会話を続けてみる。
「あなたが会話に被せて喋るから返事する間を逃してるだけで、無視なんてしてませんよう。兎場さんが嫌あな顔しそうなモノはたいていが裕太くん家です」
したり顔でさらっと乗ってくるあたり、翔太くんはとはやっぱり気が合う。
ふたりで目を合わせてにっこり笑い合い、『ねー』と仲良くハモってみせれば。
「――……いろいろ言いてえことはあるが、言うだけ無駄だなんだよな? 確信犯なんだもんな、おまえら。んで、そん時宮部はどこにいた」
ぐいぐいと翔太くんを押しやっていた兎場先輩が、諦めたようにげんなりとソファになつく。
確信犯ていうより、好き勝手言っても怒られない範囲を覚えただけ……って。
それを指しての『確信犯』か。
「どこって……リビングの床で雑誌広げてたから……」
だが、だらけていてもそこはそれ、凄腕の猟犬だ。
翔太くんが思考を巡らせた一瞬の隙をつき、兎場先輩がするりと悪戯な腕の中から抜け出す。
あれだけがっちりしがみついてる翔太くんを、どうやってひっぺがしたのか。
近くで見てたオレにもわからないほどの、さりげない動作。
逃げていった兎場先輩を名残惜しそうに追いかけようとして、けど。
「あれ? 宮部さんがいたら、あんな雑誌広げないないよね?」
視線だけで怒られた翔太くんが、しょんぼり項垂れかけた首をふと傾げ、くるり振り返ってオレを見る。
確かにそうだ。
エロい系の雑誌とかDVDは、馬鹿話をするためのネタである。
宮部さんがいても、兎場先輩がいても、ううん。
ふたりで馬鹿話をして遊ぶネタにする時以外は――……誰か他に人がいたら、あの手のモノは、絶対に広げたりしない。
てことは、宮部さんが仕事で居なかった日ってことになる……んだけど。
あれ?
居たよな、あの人。
「あの雑誌見てたのいつだっけ?」
「え〜とね、兎場さんたちが緊急招集されてった日だから、先月?」
「先月……先月? えーと、翔太くんが遊びに来たのが……ああ、そうだそうだ先月のはじめ! 雑誌見ながら『クリスマスにコレ着て襲ったら兎場さんどんな顔するかなあ』って翔太くんが言ったのに対してオレが、『こういうのって一回着て反応とか見てみたいけど、実際に注文するのはさすがにちょっと恥ずかしいよねえ』って返して馬鹿笑いしてる時に宮部さんが帰ってきて……」
「あー、そうそう! で、慌ててソファの下に雑誌隠したんだっけ」
ぽん、と手を打ち鳴らし、すっきりした気分でうんうん頷く。
見られたって別にいいんだけど。
あの手の馬鹿をやる時は、なんとなくふたりだけの内緒の遊び、みたいな感覚があって。
バレバレなのを承知の上で、あえて内緒でこそこそやるからこそ楽しめる、みたいな。
要は、大人の目を盗んで悪さしてる的な感じが可笑しくて仕方ないって感じで。
『見つからないよう慌てて隠す』のも、実は遊びの一環だったりする。
「――……寄ると集ると碌なコトしてやがらねえな。その雑誌は回収したのか?」
兎場先輩も、その辺りのことは理解してくれているのだろう。
苦々しげな口調とは裏腹。
苦言を告げながらも、喉の奥で低く笑ってくれている。
昔、暗い目をした近寄りがたい雰囲気だった頃。
オレは、ものすごぉく兎場先輩が怖かった。
仕事で話しかけなきゃいけなくても、なかなか寄っていけなかったくらいだ。
それが、翔太くんを受け持つようになってから、少ぉしずつ険が取れてまぁるくなって。
はじめて兎場先輩がやんわり笑ってる姿を見た時。
オレは素直に翔太くんに感嘆した。
怖い人に平気でじゃれついていける図太さもさることながら。
さりげなくどころか、どうやら本人が認識していないのをいいことに、堂々とセクハラしまくってるんだもん。
凄いなあ、って感想しか浮かんでこなかった。
死んでいった人の背中だけを見ていた人が、ゆっくりゆっくり現実へと目を向けてゆく様を、オレはずっと遠くから眺めてて。
いつだったか、とんでもないミスをやらかして落ち込むオレの頭を『気にするな』と撫でてくれた兎場先輩の。
暗闇を映してばかりだった眼差しが、ちゃんとオレを見てくれてるって気がついた日。
オレは、兎場先輩を『怖い人』にしてたのはオレ自信だったんだって理解した。
翔太くんは、はじめから。
深淵を覗いてるが故の兎場先輩の危なっかしさが『怖さ』として認識されてるんだってわかってて。
ちゃんと暗闇から兎場先輩を引っ張りあげた。
だからオレも――……って思ってんだけど。
俺様タイプなだけに、宮部さんは兎場先輩以上に攻略が難しかった。
オレに弱いところなんて見せてくれないし。
好きなのはたぶん、オレの方だけだ。
まあ、ね。
はじめは、翔太くんや紘子ちゃんにあてられて恋人が欲しかっただけだし。
ここまで本気になるつもりはなかった――……なんて、いまさらか。
「翔太くんが処分してくれたんじゃなかったっけ?」
憂いは表に出さず、溜め息を質問に変える。
翔太くんを羨んでみたってしょうがない。
オレが好きなのは宮部さんで。
クリスマスプレゼントで――……ベビードールを寄越すような人だ。
「え、裕太くんが処分したんじゃないの?」
「してないよ。あの後『楽しそうだな』って宮部さんが混ざってきたじゃん」
お互いの顔を見やり、はてあの雑誌の行く末はどうなったんだったかと首をひねる。
オレは宮部さんのお世話をしに立って。
翔太くんは、床に散らかしまくってたスナック類を急いで片してくれてて。
「悪巧みがバレて兎場さんに告げ口されたら不味いなあと思って、誤魔化すのに必死だったもんなあ、オレ」
「うんオレも。あんな雑誌見てはしゃいでたのがバレたら弄り倒されると思って、話題を反らすことばっか考えてた」
「じゃあそのまま?」
「こないだ掃除機かけたけど、雑誌なんてなかったよ?」
「あれ? じゃあ宮部さんが持ってったとか……?」
「まっさかあ。ないない。あの人あんなの見ないもん。捨てたってならまだわかるけど」
「でも、宮部さんてどんなものでも、捨てる前にいるかいらないかちゃんと聞いてくれるでしょ?」
「うん。あきらかに捨て忘れでもちゃんと聞いてくる」
「だったら捨てられてはないんじゃない?」
「う〜ん。どうだろ。宮部さん、あんなの見ないしなあ」
兎場先輩が珈琲カップを持って移動してくれたのをいいことに、翔太くんの隣に移って額を寄せ合い、わちゃわちゃわちゃわちゃ。
ふたりして、いつもの馬鹿話をする時のノリで言葉を交わす。
途中脱線して雑談を交えながら、どのくらい話していただろう。
いつの間にやら兎場先輩の持ってるのが珈琲カップから湯呑みに変わり、ついには一升瓶まで登場して。
のんびりのんびり呑んでいた一升瓶の中身が、すっかり空になった頃。
だらりんと向かいのソファに寝っ転がり、黙ってオレたちの会話を聞いていた兎場先輩が、ふらりと立ちあがるや、オレと翔太くんの頭を、ポンポンとあやすように軽く叩いた。
「あのなあ。オレが嘴挟むこっちゃねえと思って傍観してりゃあ、おまえら。なんでソレがここにあんのか、ちったあ考えてやれよ」
どこか困ったような、それでいて、子供を諭す大人みたいな顔をして。
兎場先輩が、オレと翔太くんの頭をぐりぐりと掻き回す。
何事かある度にふたりで仲良く遊んでいることが多いせいだろう。
この頃は、翔太くんとセットで扱われることが増えた。
もちろん、兎場先輩の『特別』は翔太くんひとりで。
こんな風なスキンシップをいままでされたことがなかったオレは、ぎょっとして身を引きかけたんだけど。
ふと目が合った瞬間。
ちょっと困ったその表情が、宮部さんの為のものだっていうのがなぜかはっきりわかっちゃって。
「なんでって」
されるがままになりながらも、拗ねた顔をして俯く。
宮部さんと兎場先輩の仲がいいのは知ってる。
知ってるからこそ拗ねて俯いたオレを――……兎場先輩が喉の奥で低く笑う。
まるでいつかの逆だ、と。
兎場先輩もそう思っているのだろうか。
あの時は、自分の気持ちにすら蓋をして目を背けてる兎場先輩が焦れったくて、思い切り背中を押した。
翔太くんが兎場先輩を本気で好きなんだってことは、端で見ててもちゃんとわかるくらいだったんだもん。
だって、翔太くんは真っ直ぐで。
いつも、兎場先輩だけを見てた。
だから、あの時。
兎場先輩が、翔太くんを大事に想ってるんだと確信できた時。
オレは――……ううん。
オレたちは、躊躇わずに背中を押せた。
でも、宮部さんは違う。
兎場先輩が翔太くんを想うみたいには、オレを想ってくれてない。
「わざわざ付箋なんぞを貼ってたんだろ?」
けれど、兎場先輩の目には、オレたちの関係がどう見えているのか。
ゆったりと話す口調は言外に、含みがあるぞと告げている。
「わざわざってゆーか」
「見比べるのにページがわかんなくならないよう貼ってただけで、ねえ?」
翔太くんにも、兎場先輩が言外になにか示唆しているとわかったのだろう。
オレの顔を見て首を傾げながら、一緒になって記憶を辿ってくれる――……が。
なにを察しろと言われているのかが、さっぱりわからない。
後で通販を申し込みたいとか、別段本気で思ってた訳でなし。
付箋を貼ったのは、『さっき見たアレってどこに載ってたっけ?』と、いちいち探すのがめんどくさかったからだ。
はてさて、なぞなぞの答えはなんだろう、と。
ふたり仲良くクエッションマークを浮かべ、もっとヒントをくれとばかりに兎場先輩を見る。
「他人事だとよく回る頭してるくせしやがって、ったく。付箋貼っつけて、テメエで買うにゃあ恥ずかしいだのなんだの言ってんのを聞かれたんだろ、宮部によ」
「どうだろ。やっぱ聞かれて……たのかなあ?」
「聞かれてたからソレがここにあんだろが。ああ、もういい。なんか宮部が哀れになってきた。――……おらよ」
寝癖のついた頭をがしがしと掻いて、ため息ひとつ。
やれやれとでも言いたげに肩を竦めるや、お酒を飲みながらもずっとぽちぽちやっていた携帯端末を、兎場先輩が徐に翔太くんへと投げて寄越す。
「え、わわっ」
ぽいっと無造作に放り投げられた精密機械。
兎場先輩ん家のリビングは、遊びに来た面々が酒盛りに突入して寝落ちすることが多々あるため、ふかふかの絨毯が敷いてある。
その上に翔太くんが汚れ防止だとかで、ラグマットだのなんだのを重ねて敷いてるし、キャッチし損ねても、たぶん壊れたりはしないだろうけど。
携帯端末みたいなものを投げて渡されると、結構焦る。
慌ててキャッチする翔太くんを尻目に、兎場先輩は既に半分寝る体勢だ――……ってか、どうやら寝落ち寸前らしく、しきりに欠伸を噛み殺している。
「メールんとこ読め。んで、さっさと片付け」
「メール読めって……いいんですか?」
いくら恋人同士でも、メールなんかはプライバシーが絡んでくる。
業務連絡だけならまだしも、こんな夜中に延々やり取りしてたメールなんて、私的用事に決まってる。
躊躇う翔太くんを、けど。
「おまえに見られて困るようなもんはなんも入ってねえよ。つか、頼むからそろそろ寝かせてくれや。おまえにむちゃくちゃされて怠ぃんだよ」
嬉しがらせたいのかあしらいたいのかよくわからない台詞を吐き、兎場先輩が、苦笑にも似た柔らかい笑みを浮かべる。
甘い甘い、翔太くんを安心させるための笑み。
羨ましむのも馬鹿らしいくらい、兎場先輩は翔太くんを可愛がりまくってる。
翔太くんも、ちゃんとそれをわかっているのだろう。
「えー。兎場さんがクリスマスのプレゼントに流行りもののアクセサリーとか買って寄越すからでしょおう。あんなのあんたの目に止まるわけないし、誰に選んでもらったのか聞いただけじゃないですか――……身体に」
ぷくっと頬を膨らませながら憎まれ口を叩き、じゃれているのだとわかる仕草で、わざとらしくツンとそっぽを向く。
エッチなエッチな尋問は、どうやら不発に終わったらしい。
てゆーか。
兎場先輩の表情を見る限り、はじめこそ問い質すつもりでエッチの最中に意地悪してみたものの、途中で翔太くんが目的を見失っちゃった、っていうのが真相っぽい。
「だぁから。そういうこたあ、まず口で聞けっつの。おまえらがなくした雑誌と一緒だ阿呆。『ボーナス出たら欲しいけど、お金足りない』っつーて、付箋はっつけたカタログ放り出してたのはどこの誰だ」
なんとも表現しがたい表情を一瞬浮かべたものの、兎場先輩は結局のところ、翔太くんに対しては甘甘だ。
文句を言いながらも、最後のヒントだとばかりに投げて寄越したのは、若者向けのファッションカタログで。
反射的に受け取り、付箋を挟まれたページを開いてみれば。
オレたちのお小遣いじゃあちょっと手の届かない金額の、洒落たデザインのブレスレットに翔太くんがつけたのだろう赤丸がぐるぐると書き込まれていた。
「あ。コレさっき、オレがクリスマスプレゼントにもらったヤツだ!」
予想外の展開でもって不発に終わった尋問の答えを得た翔太くんが、びっくりしたような声をあげる。
「そうなんだ? いいなあ、こんなお洒落なの。オレなんて……って。え? コレと一緒? コレと一緒ってことはつまり……え?」
「おっさんにゃあ、くれてやってガキの喜ぶもんなんざ、わっかんねえんだよ。『欲しい』っつって本人が口に出してたもんなら間違いねえだろっつって狡すんのが大人のやり口だ。覚えとけバーカ」
ソファにだらしなく身体を伸ばし、半分寝た声で、兎場先輩が悪態をつく。
体力だけはそこそこある人をここまで疲れさせるなんて、翔太くんてばどんなエッチしてるんだろ。
じゃなかった!!
「バーカって。え? え? ぇええぇえ〜ッ?!! じゃあコレ、オレが喜ぶと思って?! つか、オレあの人に、本気でこんな趣味があると思われ……ッ」
「――……てんじゃねえの? 後はメール読んで、テメエでなんとかしろ。オレは寝る」
女装癖まで受け入れてくれるような懐の広い恋人でよかったなあ、なんて。
落ちる寸前にそんなことを言われても困る。
てか、ねえ。
テメエでなんとかしろって。
オレもメール見ちゃっていいってこと?
見るよ?
見ちゃうよ?
見ていいの?
つか、兎場先輩がずっとメールしてたのって、ひょっとしなくても、宮部さん……?
「ねえ、裕太くん」
「う、うん、なに?」
理解が追いつかずあわあわするオレを、翔太くんがなぜだか平淡な声を出して呼ぶ。
「早めに誤解解いた方がいいんじゃないかな。でないと、あのカタログに載ってた商品が全部届くかも……」
「は……?」
携帯端末を操作し、遠慮なくメールを読んでいた翔太くんの、どうしてだか半分ひきつった顔が。
ぎぎぎ…とぎこちなく動いて、オレの方を向く。
無言でそっと差し出される、携帯端末。
促され、画面を覗き込み――……。
まず、この数十分間で届いた宮部さんからのメールの数に驚き、目を見張る。
「ナニコレ」
数分おきに、ずらりとならんだ着信メール。
兎場先輩の返信の数より、あきらかに多い……ってか。
返信が待ちきれないのか、次から次からへとメールが送られてきてる。
それも、全部が全部、長文で。
「え、え? なにコレ?」
「なにって、裕太くんにマジ切れされてテンパった宮部さんからの、泣き言メール?」
「だっ……て、オレの携帯端末、一回も鳴ってない……」
ウチからここん家まで、車で飛ばせば十分もかからない距離だ。
移動中に携帯端末が鳴らなかったのは、宮部さんだってオレと喧嘩して頭に血がのぼってただろうから、致し方がないとしても。
オレがここに来てから、一時間は軽くたってるんだ。
その間、一回もオレの携帯端末は鳴らなかったのに、なんで兎場先輩にはめちゃくちゃな量のメール送ってるんだよ、あの人は!
と、混乱から軽く切れかけたオレへ、
「ん〜と。裕太くん、電源落としてない? 着信拒否されてるって、かなぁり狼狽えたメールあるよ?」
ひょいっひょいっと画面をスクロールして、はじめの方のメールを、翔太くんが示してくる。
確かに、携帯端末が繋がらないと、かなり焦りまくってるらしい文面のメールがあるけど。
「オレ、着信拒否なんてしてな……あ。充電切れてる……」
コールしてきてもないくせになんだよと、ポケットから携帯端末を引っ張り出せば。
どうやら充電し忘れていたらしい携帯端末が、黒々とした画面を見せて、完全沈黙していた。
「うわあ。兎場さんもたいがい天然でアレな時あるけど、宮部さんてツンデレ属性だったんだ? なんかすんごい混乱してて、支離滅裂なメールばっかだよ」
「デレてもらったことなんかないよ、オレッ。てかなんで? 兎場先輩に乗りかえろとか言ったくせして」
こんな形で宮部さんの胸の内を覗き見ることにほんの少しの罪悪感を覚えつつも。
だって兎場先輩が見ていいって言ったんだし。
オレが見せてくれってねだったんじゃないんだし。
なんて、言い訳ばかりが頭を巡る。
「たぶん、裕太くんに『兎場先輩より宮部さんがいい』って言ってもらいたかっただけなんじゃないかな? ほら」
半ば呆然としながら、翔太くんが順を追って表示してゆくメールでの会話を、黙って目で追う。
とんでもなく焦った文面の、オレを探して焦る心情を露骨に吐露したメールの数々。
加えて、『欲しい』と言ったものを買い与えて、なんでオレが機嫌を損ねたのかがわからないといった内容の、泣き言メール。
淡々とした――……てか、長文を打つのがめんどくさくて簡略な返事しか送らない兎場先輩へと向けられる苛立ち……が。
どんどんどんどん迷走していって。
最後の方では、オレが性転換したいなら、それはそれで受け入れるだの。
オレの嗜好に合わせる覚悟はできたから、なんとか機嫌をとって帰らせてくれ……だの。
普段の宮部さんの態度からは想像もつかない言葉の羅列が続いて、て。
「ちょ、翔太くん充電器貸して!」
なにが気に入るかさっぱりわからないから、通販カタログに載っている商品を一通り買ってやったら機嫌が直ると思うか、だとか。
部屋の内装をオレ好みに改装してやれば喜ぶと思うか、だとか。
混乱が過ぎた宮部さんからのメールがめんどくさくなったのか。
はたまた睡魔の誘惑に負けただけか。
兎場先輩が最後の最後に送ったメールを見て、オレはとんでもなく慌てる。
『テメエで迎えに来る気がねえなら、裕太もオレが囲ってやる』
って!!
ぜんぜん、まったくそんな気ないくせしてぇえッ。
なんてメールを送ってるかな、この人はッッ!!
「充電してる時間なんてないと思うよ?」
笑いながら、それでも充電器を出してきてくれた翔太くんから、ひったくるようにして受け取るより早く。
玄関先で、事故ったんじゃないかってくらい派手なブレーキ音が鳴る。
次いで、荒くたく車のドアを閉める音が続き――……。
「ん〜……」
「寝てていいですよ、オレが運びますんで」
音に反応してもぞり起きかけた兎場先輩を、翔太くんがひょいと抱えあげる。
「じゃあ、オレと兎場さんは寝室に引き上げて朝まで出てこないから、リビングでも客室でも、好きに使っちゃって」
「使っちゃってって……」
グッと親指を立てて、悪戯っぽくウィンクされてもッ。
足音も荒くやってくる宮部さんを、オレが対処すんの?!
「大丈夫、大丈夫。裕太くんしかいなかったら、兎場さんに引っかけられたんだってすぐ気づくよ」
「でもオレたち喧嘩して……」
「だから。仲直りエッチするんでしょ?」
頑張ってね、なんて爽やかな笑顔を残して去られてもッ。
オレまだ、混乱から立ち直れてないんだけどッ。
どんな顔して宮部さんを出迎えればいいのかわかんないんだけどッ。
なんて嘆いてる暇すらなく。
「ウサギッッ!!!!」
怒髪天を衝く勢いで怒鳴り込んできた宮部さんと、まともに目が合っちゃったりなんかして。
「え、えへ?」
とりあえず、間を持たすべく小首を傾げてみる。
一瞬の、限りない沈黙。
ギラギラと怒りを湛えた眼差しと、向かい合うことしばし。
右を見て、左を見て。
再度室内中を見回して。
他に誰もいないのを確認した宮部さんが、暗い目をしてオレを見る。
怒鳴られる。
そう身構えかけて、でも。
つかつかと歩み寄ってきた宮部さんの腕の中へと強引に閉じ込められ、目を見張る。
「――……おまえは、ウサギの方がいいのか?」
低い低い、暗闇を覗いていた頃の兎場先輩と、同じ抑揚の喋り方。
いつもの、からかうような俺様口調はどこへやら。
ああ、これがこの人の素なんだ、って納得できちゃう、暗い抑揚。
ぎゅううっとしがみつくみたいにしてオレを抱きしめといて、なんだかなあ。
「そんなこと聞いて、オレがうんって言ったらどうする気?」
「おまえの視界から、全力でウサギを排除する」
ぎゅうぎゅうぎゅうぎゅうオレを抱きしめて。
宮部さんが、抑揚のない声を紡ぐ。
感情を覗かせない声は、けれど。
痛みを伴うからこそ平淡なのだとオレに教える。
宮部さんと兎場先輩は、仲がいい。
んでもって嗜好も考え方も、結構似てる。
と、いうことは。
ここがオレの頑張りどころだ。
いままでは、宮部さんの本音がどこにあるのかわからなくて、あまり強気には出れなかった。
でも、いま。
兎場先輩が狡をさせてくれたお陰で、オレはこの人の本音を知っている。
オレのプレゼントを身につけてくれなかったのは、いつかオレがいなくなった時、眺めては思い出すためだとか。
馬鹿なんだから、ほんとにもう。
「もっと簡単な方法があるのに?」
目を見ようとしても、抱きしめて離してくれない宮部さんに力負けして。
しょうがないから煙草の匂いのする胸に顔を埋めたまま、小さく笑う。
「どんなだ」
「毎日『好きだ』って言って濃厚なキスしてくれるなら、余所見なんてしないよ、オレ」
宮部さんは、オレに『好きだ』って言ってくれたことがない。
言ってくれないから、オレのことなんて遊びの一環なんだろうなって、ずっと思ってた。
それが、はじめにオレが軽い調子で売り込んだもんで、気後れして言えなかっただけなんだって、さっき知った。
お互い、『向こうは遊びなんだ』と思って遠慮してたんだから、間抜けな話だ。
抱きしめる腕の力が僅かに緩んだ分だけ身を引き、精悍な顔をじっと見あげる。
戸惑ったような、意図を計りかねているような、混乱した表情が。
なんだか妙に、可愛らしい。
「してくれないんだ?」
「――……していいのか?」
「客室の使用許可はもらっといた」
真顔で真意を問うてくる宮部さんに聞きたいだろう言葉は聞かせてやらず、悪戯っぽく舌を出す。
深刻になったら、きっと宮部さんはアレコレいらないことを考える。
振り回すくらいが丁度いいんだっていうのは――…翔太くんと兎場先輩を見てればわかる。
「こんのクソガキが。もう逃がしてやらねえぞ」
「いいよ。その代わり――……うんとエッチなキスして?」
甘ったるく囁いて、促すように薄い唇に触れる。
あんたがオレのだって確信させてくれるなら。
ずっとずっと側にいる。
そんな気持ちを込めて。
果たしてそれが伝わったのか。
「――……好きだ」
少し低めの声が、ありったけの感情を込めて落とされ――……唇が重なる。
深く深く重なる唇の感触に酔いしれながら、そういや宮部さんの誤解を解いてないやと気がついたけど、まあいいや。
たぶんこれは、兎場先輩からのオレたちふたりへのクリスマスプレゼントだ。
あれこれ話をするのは、この甘い時間をたっぷりと堪能してからで――……。
※ 小鳥ちゃんが、『事の顛末を寝落ちしたウサギさんの代わりに見届ける』という口実のもと、一部始終を見学していたのはいうまでもない……※




