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56*崇められる者 -02-

「体に異常はないですが、心は……様子を見る必要がありますね」


 女医が神妙な面持ちで言う。


 ミアノが倒れた話は全員に知れ渡った。ティントレットはベッドで眠るミアノを見て顔面蒼白になった。アガサは彼女が起きるまで休んだ方がいいとティントレットに告げ、無理やりその場から移動させる。彼の気持ちを考えれば一緒にいさせてあげたいが、一番大事なのはミアノの心だ。それはティントレットも分かったのか、素直に従っていた。ロイも付き添うために一旦部屋を出る。


 その場に残ったのはアイリスとバルウィンだ。彼女のためにもいた方がいいだろうという判断になった。バルウィンが傍にいることを許されたのは暴走したミアノを落ち着かせることができたからだ。間近で見たアイリスが推薦した。


(……私は、ここにいていいのか分からないけど)


 何もできなかった。

 それが少し悔しい。


 それでも、同じ女性として、何かできることはあるかもしれない。そう思い、バルウィンと共にいる。バルウィンは何も言わず、ただミアノの傍に座って手を握ってあげている。


 アイリスは、なんとなく気になったことを聞く。


「なぜバルウィン殿下は、この国に来たのですか」


 外交のためだと言われたらそれまでだが、それだけじゃない気がした。手紙を読んですぐ来る判断ができるほど、暇ではないはずだ。それに、バルウィンがすぐ来なければならないほど緊迫した雰囲気でもない。落ち着いてから合流することだってできたはず。


 彼はゆっくり首を動かした。

 真っ直ぐ瞳を見てくる。


「ミアノ殿下に会いたかったからだよ」

「……なぜ」

「彼女の『予知』に興味があった」


 誰しもが言いそうな理由だ。だがそんなものだろう。知らない能力を持つ人が存在すると言われては、会ってみたい、話してみたい、どんな人なのか興味がある。そう答えるものだ。それ以上バルウィンは何も言わない。ただ興味があったのか、それ以上に何か考えていることがあるのか。現時点では分からなかった。


 ミアノの予知では、バルウィンは結婚相手になっている。まだ、バルウィンにそれを伝えていない。それが本当である確証はないし、逆に混乱させるかもしれないと思ったからだ。


 だが先程、ガクの調査の話を聞いた。


 ミアノの予知通りに動かなければ不幸になること。そして、不幸の道に行ってしまった者達の未来さえもミアノは見てしまうこと。先程ミアノが暴走したのは、見てしまったからだろうか。だから「みんな不幸になる」と口にしたのだろうか。


 他にも疑問はある。


 どうしてミアノはバルウィンから離れようとしたのだろう。彼女が会いたがっていたのに。会いたいと、笑っていたのに。


「う……」

「! ミアノ殿下」


 ゆっくりと大きな瞳が開く。

 彼女は何度か瞬きした。


「ミアノ殿下、大丈夫ですか」


 バルウィンが覗き込むように腰を浮かせる。


「……」

「陛下をお呼びしましょうか。それとも、」

「……バルウィン」

「はい」

「敬語なくしてほしい。私のことも殿下って呼ばないで。ミアノがいい」


 バルウィンはちらっとアイリスを見た。


 アイリスは反射で頷いた。

 その方がいい気がしたのだ。


「分かった。二人きりやアイリスの前ではそうするよ。でも、他の人の前では敬意を持ちたいから敬語にする。それでもいいかな」

「……うん」

「何かしてほしいことはある?」

「……。バルウィン」

「なに」

「王子、辞めたいんでしょ?」


 バルウィンは息を呑んだ。

 アイリスは思わず絶句した。


「……みんなが求めるから完璧な王子でいる。……でも辛く見える。ねぇ、本当のバルウィンはどこにいるの」

「…………」

「人に優しいばかりで自分にちっとも優しくない。それじゃあいつか……壊れちゃう」


 ミアノの目は天井を見つめたままだ。


 ぽつりぽつりと零す言葉と共に、なぜか彼女の目の淵から涙が流れている。なぜ泣いているのか。ミアノには何が見えているのか。何も言わないバルウィンは、何を思っているのか。


 アイリスはどう反応すればいいのか分からなかった。


 知りたいような、知りたくないような。

 心がざわめくのを感じた。


「――アイリス」

「はっ」


 騎士として返事をしてしまう。


「しばらく二人きりになりたい」

「かしこまりました」

「このことは、僕がいいと言うまで秘密にしてほしい」

「……はい」


 アイリスはすぐに部屋から出ていく。

 バルウィンの顔は、見ることができなかった。







(バルウィン殿下は王子を辞めたい? 国王になりたくないじゃなくて? リアン殿下の方が国王に相応しいと思っているからじゃなくて?)


 アイリスは混乱していた。


 部屋を出てからの記憶がない。落ち着きたくてただ歩いている。部屋の外にはバルウィンとミアノの護衛達がいたので任せた。どこに行けばいいのかも分からないまま、ただ足を動かした。


 ミアノの言葉がもし正しければ、バルウィンは王子の仕事を辞めたいのか。王族であること自体負担に思っているのか。そこまでの気持ちがあるだなんて思わなかった。だって、ジェシカのことだって、王子として誠意ある行動をしてくれた。それを負担と思うような素振りはなかった。


 だが、バルウィンは否定をしなかった。ということは、もしかして本当にそう思っているのか。王子ではない、別の誰かになりたいと――。


「……ス」


 もしそれが本当ならどうする。

 アイリスはより急いてしまう。


 リアンに何と言えばいい。


 誰よりも王子と認め、国王に相応しいと尊敬している兄が、実は王子を辞めたがっているなんて。一体なんと言えば納得してくれる。


「……リス」


(言えない)


 そんなこと、リアンには言えない。


 バルウィンから王に相応しいのはお前だと言われ、モネのこともあってリアンは塞ぎ込んでいた。何も言えないほどに。何の行動もできないほどに。モネと結ばれて、やっと前を向こうとしているのに。


 それに、バルウィンが王子を辞めるなど、周りは絶対に望まない。そんなことがあっていいはずがない。それをバルウィンも分かっているはずだ。


(……でも、バルウィン殿下だって苦しんだのよね)


 聖人君子のような扱いは息苦しいと。

 彼ははっきり口にした。


 ミアノが本当に結婚相手なら。

 彼は、やっと救われるのだろうか。


「アイリス!」


 はっとして顔を上げる。


 いつの間にかロイが目の前にいた。

 息を上げて、神妙な面持ちでいる。


「あ……」

「どうした」

「…………」

「ひどい顔をしている」


 頬に触れられる。


 温かい。男性の方が体温が高いせいだろうか。それとも、走ってきてくれたからだろうか。じんわりと頬から熱を感じていると、ロイが屈んできた。目が合う。


「何があった。話せるか」


 剣の師匠であった頃を思い出す。こうして人の気持ちに敏感なところが、彼のいいところで、人から好かれるところだ。そんなことを懐かしく思いながらも、アイリスは口が動かなかった。


 何を言えばいいのか。

 何を言っていいのか分からなかった。


「……。お二人は? 俺は行ってもいいか?」

「! 駄目です。今は二人きりにしてほしいと」

「誰からの命令だ」

「バルウィン殿下です」

「ミアノ殿下は」

「目は覚めました。ですが、」


 言葉が止まる。

 思わず口をつぐんでしまう。


「……分かった。アイリス、少し休め」

「え」

「その顔は他の人に見せるべきじゃない。心配をかける」

「……申し訳ありません」


 仕事中であるのに。臣下の立場であるのに。

 正直なところが、仕事では邪魔になってしまう。


「大丈夫だ」


 急にロイが軽く抱きしめてくる。

 背中をぽんぽん、と叩かれた。


「アイリスは殿下達に近い立場だから、互いに色々と考えすぎてしまうことがあると思う。リアン殿下には俺から伝えておく。少し休め」

「……はい。あの、ロイ殿」

「うん?」


 アイリスはロイの胸元で顔をうずめる。

 小声で聞いた。


「……ミアノ殿下の『予知』を、全て信じますか」


 今の自分から言えること、聞けることはこれしかなかった。一番信頼しているからこそ、ロイならどう答えてくれるのだろうと、知りたかった。しばらくロイは考えている様子だったが、ゆっくり答える。


「信じたいが、全て正しいかと言われると分からない」

「……」

「そもそも情報が少なすぎる。だからこそ知りたいし調べるつもりだ。それに、彼女が見えるものと俺達が見えるものはかなり違う。予知に関しては慎重であるべきだと思っている」

「……ロイ殿らしいです」


 アイリスは思わず苦笑する。


 自分の主観で判断せず、客観的立ち位置からの意見だ。ミアノに一番向き合っているのもあるし、言葉通り徹底的に調べるつもりなのだろう。正直に答えてくれたからこそ、アイリスは少しだけ落ち着くことができた。そうだ。全て正しいと決まったわけじゃない。憶測でバルウィンの気持ちも判断してはならない。


 するとロイも少し微笑んだ。


「今日は一緒に寝ようか」

「…………えっ」

「冗談だよ」


 笑って頭を撫でてくれた。




 コンコン。


「はい」

「アイリス。今いいかな」

「え……バルウィン殿下?」


 部屋に戻って少し休んでいたアイリスは、急な来訪者に慌てる。心を落ち着かせてからゆっくりドアを開ければ、いつのも柔らかい表情をしたバルウィンがいた。彼はなぜかちょっと困った様子を見せる。


「さっきは驚かせたね」

「…………いえ」

「驚きが隠せていないな」

「……申し訳ありません」

「いいよ。ちょっと話さない?」


 城の中にある見晴らしのいい場所まで一緒に歩こうと言われた。あえて護衛は連れていない様子だった。アイリスはちょっとぎこちない。さっきの今なので、気まずい気持ちさえあった。


「ミアノ殿下と話してね」

「は、はい」

「ちょっと叱っておいた」

「…………は?」

「はははっ」


 バルウィンは声を上げて笑っている。


 途中で庭園を見つけ、彼は花の傍まで寄った。香りをかいで、また微笑んでいる。花がよく似合う人だ。綺麗で優美で柔らかい。この人は根っからの王子なのだろうなと思わされる。


「ミアノが言ってたことだけど、まぁ当たってはいたよ」

「え」


 彼はこちらを見て指でひとつまみの形を作る。


「少しだけね。そう思ってしまったことはある。王子を辞めたいって」

「…………」

「でもね、それはそう思ってしまった瞬間がある、でしかないんだ。王族に生まれたなら、その責務は果たさないといけない。それを投げ出すほど器は狭くないよ」

「……それは、存じ上げているつもりでした」

「ほんと? かなり驚いた顔してたけど」


 隠せないところが本当に、自分のよくないところかもしれないと、アイリスは反省したくなる。正直に白状する。


「……さすがに、動揺はします」

「そうだよね。国王はリアンの方がいいとか言ったしね」


 バルウィンはまた笑いだす。


「ミアノと話して分かったんだ。彼女は自分の予知を信じすぎている。予知だけが正しいと思っているって」

「!」

「だから叱ったんだ。『君は何も分かっていない。周りの人達の気持ちを知ろうともしていない』って。……でもね、彼女も色々と思うことがあったようでね」


 ティントレットに出会う前のミアノは、過去のことを一切覚えていない様子だった。……と思われたが、本当はおぼろげに覚えていることもあったようだ。


 能力があるからこそこき使われ、人間らしい扱いを受けなかったこと。ティントレットに出会って優しくしてもらって、嬉しさもありながら戸惑いが大きかったこと。自分が今ここにいるのは予知の能力があるからで、国のために、人のために役に立たなければ、生きている価値がないと思っているということ。


 関わる人全員を救おうと思うあまり、予知に囚われ、より予知を見て心をすり減らしている。不幸になった人達の姿も見えると言ったが、それは本当なのか。直接この目で見たわけではないなら、そうじゃない可能性もあるのではないか、と、バルウィンは考えたようだ。


「人が生まれるというのは奇跡だ。生まれたのは愛されるため、幸せになるためだと僕は考えている」

「……はい」

「不幸な人生だけを歩む人なんていないと僕は思っているんだ。人生で苦しいこと悲しいこと辛いことはあっても、楽しさや嬉しさがないわけじゃない。僕はそう信じている」

「……そうですね」


 不幸だと一言で片付くほど、人生というのは簡単ではない。バルウィンの言う通りだ。何が起こるか分からない人生だからこそ、人は今を必死に生きている。


「ミアノも本当は多くの人に愛されている。それを知ってほしいと思ってね。だからアイリス、お願いがあるんだけど」

「? なんですか」

「説得してほしいんだ」







 次の日。


「いーやーだー!!!」

「ミアノ殿下っ!」


 アイリスはミアノの両腕を痛くさせない程度に引っ張っていた。部屋から出てほしかったからだ。起き上がれるようになったミアノは、アイリスの説得に応じなかった。バルウィンに叱られたせいか、ちょっと機嫌も悪い。


「いいもんっ! 誰も私の予知なんて信じないんでしょっ!」

「なんでそうなるんですかっ!」

「バルウィンに言われたもんっ! 未来ばっかり見るんじゃなくて今を見なさいって!」


(……バルウィン殿下、面倒くさいこと押し付けたわね!?)


 アイリスはバルウィンに言われたことを思い出す。


『周りの人達からの愛情を感じてほしい。予知じゃなくて目の前のこと、今を見てほしいって伝えたんだけど、そしたら出ていけって言われちゃって。口を利いてくれなくなったんだ。女心が分からなかったかも。アイリス、代わりに説得してくれない? 他の準備はしておくから』


 丁寧に両手を合わせて頭を下げてきたのだが、ちょっと手に負えなくなったから頼む、みたいな感じだった。確かに今のミアノはご機嫌斜めだ。予知では婚約者で、王子様の中の王子様であるバルウィンに叱られたのは予想外だったのかもしれない。


「ただミアノ殿下に知ってほしいんです。あなたは愛されていて、心配もされているって」


 するとミアノは一瞬動きが止まる。


「……そんなことないよ」

「どうしてそう思うんですか」

「……私は厄介者だって、聞いたもん。他の使用人達も、私のこと、変な目で見てるし」


 予知ではない、直接向けられた刃となった言葉や視線が、いつの間にかミアノを傷つけていたのか。今を見たにも関わらず、思い描いたものを得られなかったのか。


「私、最初は暗かったの。でも、暗かったらみんな余計に怖がっちゃうでしょ? だからできるだけ人前では明るく振る舞っているの。お父様を心配させたくなかったし、私を王女にしたせいで、お父様が何か言われるのも嫌だし……」


 予知の能力があること、王女になったことで、よりミアノにとってプレッシャーになっていたのかもしれない。それ以上に、周りに迷惑をかけない生き方をしなければならないと、自分で枷を与えていたのかもしれない。


 でも、だからこそ。


「行きましょう。ミアノ殿下に見てほしいものがあるんです」

「……でも」

「話を変えますが、バルウィン殿下から離れようとしたのはなぜですか?」

「え?」

「秘密の場所でバルウィン殿下から離れようとしましたよね。あれはなぜですか? あんなにも会いたがっていたのに」

「それは…………。私なんかと仲良くしたところで、バルウィンにとって良くないと思ったから」

「……だから離れようと? 会いたがっていたのに?」


 矛盾を感じて言葉を繰り返してしまう。

 するとなぜかミアノはむっとした顔になった。


「だ、だって、予知で私の婚約者だって見えたら、気になるじゃん! 私のことを一番理解してくれる人かもしれないって、その人となら私も幸せになるのかなって! ……でも、思った以上に素敵な人だったから、相手が私なんて申し訳ないと思って」

「だから離れようと?」

「……もうっ! 何度も聞かないでよっ!」


 怒り出すミアノに、アイリスは少しだけ可愛さを感じて笑ってしまう。すると「なんで笑うの!?」とさらに怒られてしまう。やっとミアノの正直な気持ちを知ることができた。色んな思いを抱えながら生きていることも知れた。……だからこそより、周りの人達の気持ちも知ってほしいという思いが強まる。


 アイリスは強硬手段を取る。


 ミアノの手を急に離し、彼女はバランスを崩す。

 それを狙って、横抱きにした。


「!?」

「さぁ行きましょう。愛しのバルウィン殿下も待ってますから」

「っ! 今はバルウィンに会いたくないっ!」

「はいはい」


 だいぶ嫌っているようだが問題ないだろう。

 バルウィンはミアノのために色々と考えてくれたのだから。


 わぁわぁ騒ぐミアノを無視して小走りで進んだ。

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