43*動く -02-
早めに更新できました。
今回少し長めです。
いつも読んでくださりありがとうございます。
毎回励みになっております。
今回は後半の途中、描写的に不快に感じる箇所があるかもしれません。
読む際、ご注意ください。
大丈夫です。
信じてください。
「やっと二人きりだな」
ソファーに座っているジェシカに対し、目の前で見下ろしてくるルーカスが言う。ジェシカは目を合わせず、じっと黙って座っている。
モニカと共に案内された部屋は応接間のような造りで、広い中に大きめのソファーが並んでいた。あとは部屋の品格を高める絵画や骨董品がいくつか置かれていた。歓談するための部屋であった。
最初は男性達とモニカが話を盛り上げてくれた。モニカは貴族になったばかりなのだと、謙遜しつつも明るく笑っていた。その笑顔に他の男性達は癒されている様子だった。少女の無邪気で素直な姿は心を打つ。側で話を聞くジェシカも心が穏やかになるのを感じていた。しばらくすると男性達とモニカは移動しようということになる。
彼女一人に対して男が数人。
ジェシカとルーカスだけが部屋に残されそうになったので、ジェシカは警戒してモニカの腕を取った。表向き離れるのが寂しいという風に見せてはいたが、彼女を一人にするなど冗談ではない。だがモニカは「大丈夫ですよ」と安心させるように笑っていた。
度胸があるのか策があるのか、ジェシカの方がたじろぎそうだった。さすがはあのシリウスを好きになった少女だ。度胸がある。
移動する前、モニカに耳打ちされる。「信じてください」と口にした彼女の瞳は、強く輝いて見えた。ジェシカは似た人物を思い出す。親友と、彼のことを。どうして自分の周りの人達は、こうも心が強いのだろうか。
「――誰のことを考えているんだ?」
はっとして顔を上げると、ルーカスの顔が先程よりも近かった。ジェシカはあからさまに眉を寄せる。
「相変わらずつれない奴だな」
「…………」
「まぁいい。俺達も移動するぞ」
「?」
「お嬢様がお待ちだ」
ルーカスはにやっと笑った。
「今追ってる男はどんな人なの?」
移動しながらクロエに聞く。どうやらこの件の中心人物のようだが、アイリスはよく知らない。彼女はあっさり答える。
「表向き、レイナの我儘のために色々起きてるわけだけど、計画を立ててるのはその男みたい。レイナはあんまり頭が良くないみたいだからね。頭のいい人が計画しないと何も上手くいかないでしょ」
「なるほど」
「イーデン公爵が抜き打ちでフェイシー伯爵邸に監査に行ったことがあるんだけど」
思わず「えっ」と声が大きくなる。
「そんな話知らないけど……!?」
「極秘で行ってたんだって。だから誰も知らないはずだよ。私はバルウィン殿下から教えてもらったんだけど、何も出てこなかったんだって」
「! 証拠となるようなものがなかったって?」
「急に監査に行ったのに何もないなんて、上手く隠してるだけな気もするんだけどね。いつでも逃げられるように、常に持ち運んでるんじゃないかって見解になったの」
「……この会場にあるってわけね」
クロエは頷く。
「確実性を得るためにさっきの人に聞いたわけだけど黒だった。ここまで来たんだから絶対見つけたいね」
「でもどうするつもり」
正々堂々、真正面で会うわけではないだろう。こっそり男の後を追って証拠を掴むのだろうか。見張りはいるだろうしこっちは二人。簡単にはいかないはず。
するとクロエは笑いながらウインクをする。何度やっても上手いなと思っていると「強行突破しかないよね」とさらっと言われる。
「は?」
「この会場は我々騎士達によって包囲されている。こんなチャンスないよ。それにアイリス、暴れる方が得意でしょ?」
「……だから私を呼んだの?」
「そういうこと」
「さすがね。適任だわ」
思わず口角が上がる。
潜入で呼ばれたと思えばそういうことだったのか。若干「暴れ馬」みたいな表現に物申したくなったが間違ってはいない。アイリスはすっと顔色を変える。
「暴れてやろうじゃない」
ジェシカが今までどんな思いをしてきたのか。それを力技でどうにでもしていいなら好都合だ。この件で自分は何も動けないと思っていた。暴れる機会を得られたなら、存分に暴れて好きにさせてもらう。
騎士として集中し始めたアイリスに、クロエは「やっぱり、アイリスはかっこいいねぇ」と呟いた。
「お兄ちゃん、助けに来てくれてありがとう」
「いや、作戦通り誘導してくれて助かった」
ロイはすっと立ち上がる。
足元には、男達が倒れていた。
モニカは貴族(実際は違うだろうが)の男性達と別の部屋に移動した。女性一人に対して男数人。まるでハーレムのような状態になっていた。
部屋に入った途端襲われそうになり、先に部屋で待っていたロイが成敗した、という流れだ。この後は外で待機している騎士達に引き渡す予定である。
モニカが一人でいるところを狙われるかもしれないと思い、事前に作戦を立てていた。集合場所の部屋も先に決めていた。人通りが少ない広い部屋なら、相手側に怪しまれないし、むしろ都合がいいと思われやすい。部屋が広い分隠れる場所もあったわけで、ロイとしても動きやすかった。
「他のご令嬢達は大丈夫?」
「一応見張って助けたりしてる。やはり招待された令嬢達は狙われてるな」
社交界で令嬢が被害に遭う事件はロイも共有されて知っている。アイリスも被害に遭った。相手の卑劣な行為にはらわたが煮えくり返そうだが、ここでは冷静を装う。今回も参加者の令嬢達が危ない目に遭うのでは、と皆で心配していたが、案の定被害が起きている。
すでに何件か危ない目に遭いそうな令嬢をロイが助けたり、庇ったりしている。外で待機の騎士達には上手く共有している。あまりにひどい場合は裏で懲らしめて回収してもらうつもりだ。
ロイとモニカが行うことは、主に会場内の見張り。中にいるであろうレイナ側の味方を減らすこと、捕まえた者達によって証拠を吐かせる意味合いもある。
「助けたことでロマンス生まれてない?」
「……全力で生まれないようにしてるな」
ロイの苦渋の表情に、モニカは笑っていた。騎士兼貴族でもある男性に助けられるシチュエーションが運命めいているせいか、助けた後で一緒にいないかと必ず声を掛けられた。全て丁重に断っている。
(やはり指輪をつけた方がいいか)
ロイは自分の左手を見た。
一応婚約はしている。指輪をつければ、女性に声を掛けられること自体減るかもしれない。この件が終わったら、早くアイリスと一緒に指輪を選びたい。自分のためにも、相手のためにも。周りのためにも。
「ジェシカ嬢は」
「別の部屋で男の人と二人きりになってる」
「そうか。急ごう」
彼女が危ない目に遭う可能性は大いに高い。だが彼女も士官学校を卒業している。最低限の武力は持っており、すぐにやられることはないと信じている。それでも助けられるなら早い方がいい。
「そういえばジェシカ様、その人のこと知ってるみたいだったよ」
「え……?」
(まさか)
嫌な予感がした。
「ここだ」
言いながらルーカスは部屋をノックもせずに入る。会場から一番遠く、一見部屋があるかどうかも分からないような場所にそれはあった。
周りに人がいない。
人の気配もない。
途中で見張りのような男が数人いたが、それ以外はいなかった。
部屋の中は思ったより暗く、ルーカスの後を追うようにして進む。部屋は広かった。奥に何かある。だがそれよりも印象に残るものがあった。匂いだ。
ジェシカは思わず顔を顰めた。
(……なにこの匂い)
とにかく甘ったるい。
花の香りを強くしたような匂いだ。こんな強い香りのする部屋にずっといるだなんて耐えがたい。今すぐ新鮮な空気を吸いたいと思ってしまう。
進むとゆらりと人影が動く。
「あら」とねっとした声が聞こえてきた。
「やっと来たの? 待ちくたびれたわ」
衣擦れの音が聞こえる。
部屋が暗いせいで見えづらい。
少しして目が慣れてきた。
ジェシカは目の前の光景に目を疑う。
「早くグレイ様を私のものにしたくて仕方ないのに、遅いんだもの」
そこには軽装のドレスになっていたレイナが座っていた。いや……まるで夜着だ。薄い白っぽい姿になり、髪も下ろしている。ジェシカは心臓がうるさく鳴っていた。その光景を信じたくなかった。
レイナはクイーンサイズのベッドの上にいる。
彼女の側には……グレイが横たわって寝ている。
上着はどこに行ったのか、シャツの格好だ。
首元が少しだけ開いていた。
彼は目を閉じていた。
寝ているのか、全く動かない。
ジェシカは動揺を見せないようにした。この状況の説明を求めたくても、隙を見せるわけにはいかない。あくまで冷静を装ってこの光景を見ている。
するとレイナはくすっと笑う。
「安心して? お姉様。まだグレイ様に手を出していないわ。……ああでも、お酒は口にしたかしら。それにこの部屋の香り……とっても素敵でしょう。眠ってもらったの」
「……あなたには効いていないのね」
「私はお酒を口にしていないもの。ねぇいいでしょうこの部屋。わざわざベッドを二つ置いているのよ」
よく見れば反対側に同じようなベッドが置かれていた。そこには誰もいない、が、ジェシカはすぐに理解した。これから行われようとすることが。ルーカスは鼻で笑っている。それで確信を得た。
(……おぞましいわ)
この二人の思考が。
レイナは演技をするように溜息をつく。
とぼけるような声色で言った。
「お姉様もお酒で眠らせましょうって言ったのに、彼ったらそれを拒否したのよ。信じられないわ」
「大人しくなったところを襲うなんてつまらないだろ。逃げまわる奴を力で屈服させる方が楽しい」
「ですって。お姉様、お相手してあげて」
(誰が……)
こんな奴の相手などするか。と思うがすぐに腕を取られ、ベッドに向かって乱暴に投げられる。すぐさまルーカスが身体の上に乗ってきた。両腕はルーカスの手によって拘束される。逃げようとするが、相手の方が身体は大きいし力がある。びくともしない。
それでもジェシカは思い切りルーカスを睨む。
相手はお構いなしに笑うだけだ。
「やっと俺のものになる日が来たか」
「あなたのものになんてなりませんわ」
「強情だよなぁ。そこがいいが」
ジェシカの腕が上に伸びたと思えば、ルーカスが片手で拘束していた。空いている片方の手で、ジェシカの脇の下をそっと撫でた。
「っ!」
気持ちが悪い。
思わず眉を寄せてしまう。
するとルーカスは苛立ちの声を出す。
「なんだこのドレス。どれだけ防御力高いんだ?」
どうやら脱がせようとしたようだ。
が、手が止まっている。
このドレスは一人で着ることができない作りになっている。当然、脱ぐのも一人ではできない。複雑な構造になっているのだ。
これからされることを見越して作ってもらった。刃物を使われても時間がかかるだろう。襲われることは予想していた。少しでも時間を稼げるよう、生地も刺繍も、頑丈に作ってもらっている。
「面倒だな……これ相当時間かかるぞ」
「先に唇を塞いでしまったらいかが?」
傍観しながら言うレイナに腹が立つ。
(何を言ってるの)
大体こんな姿を見られるだなんて屈辱に近い。だがレイナからすれば、嫌がる顔が見たいのだろう。今まで嫌がらせをされても顔色を変えてこなかった。それが面白くなかったに違いない。
「おいおい分かってねぇな。肌に触れてからするキスがいいんだろ?」
「勝手になさったらいいですわ」
「興味がない声を出すな。暇なら精神揺さぶれよ」
「そうでしたわね」
(何の話をしているの?)
さっきからぞっとするような会話しかしていない。最悪な二人が協力するとこうも最悪な方向にしか進まないのか。と思っていれば、なぜかレイナがベッドから降り、こちら側にゆっくり近付いてくる。
「ねぇ見てお姉様。これなんだか分かる?」
彼女は下ろしている自分の長い髪、左側の髪を後ろに動かした。見せられた首筋には、何やら跡のようなものが見える。ジェシカはそれに対し何の反応も示さなかった。
「ほらこれ。なにか分かるかしら?」
(……そんなわけないわ)
予想はできても信じなかった。
彼がそんなことをするはずがない。
「ねぇほらよく見て。私、すごく嬉しかったの」
(グレイはそんなことをする人じゃない)
好きじゃない人に。
簡単にそんなことをする人じゃない。
「全然効果ねぇな」
「まさか嘘だと思っているの? じゃあこう言えば信じてくれるかしら」
(聞く耳なんて持たなくていいわ)
何を言われても無視すればいい。
相手の言葉に真実などない。
そう思っているのに。
「『ジェシカ』って言いながらこれをつけてきたの」
一瞬、呼吸が浅くなる。
「何度もジェシカって呼ばれちゃった。私のことお姉様だと思ったみたい。ああでも気持ちよかったわ。たくさん口付けしてくれたもの。嬉しかった……まるで愛されているみたいに……」
(ちがう)
ジェシカは頭の中で否定する。
(グレイはそんなことしないわ)
例えお酒や香りに惑わされても。相手が自分でなくても。いや、自分であろうがなかろうが。彼の精神はそんなものですぐ揺らぐわけがない。
そう分かっているのに。
目の端からいつの間か、涙が流れ始める。声は出さないように必死に耐えた。部屋が暗いのは幸いだ。はっきり顔が見えるわけじゃない。
「それにしても私とお姉様を間違えるなんて……」
レイナはせせら笑う。
「お父様と同じようなことをなさるのね」
なにかがぷっつんと切れた。
(……ふざけないで)
ジェシカは父のことが好きではなかった。
母のことしか好きではないから。
娘のことなど一ミリも見ていないから。
母に依存し、母に似た者を愛する父のことを好きになれるはずがなかった。
それでも。
それでも。
あの人は自分の父親だ。
なぜ赤の他人に馬鹿にされないといけない。血の繋がりがないくせに、自分より愛されているくせに、なぜ馬鹿にされないといけない。
父自体が許せないのに、他人に馬鹿にされたことが許せなかった。あんな父でも自分にとって父なのだ。あんなに許せないのに、他人に馬鹿にされるのは許せないらしい。ジェシカは今まで生きてきて初めて知った。
怒りの感情が一気に沸き上がる。
今までずっと冷静だった。馬鹿にされても返さなかった。それでいいと思っていた。そうすれば平穏を守れると思っていた。…………いや違う。諦めていた。
何をしたところで何も変わらない。
自分は幸せにはなれない。仕方ない。
そう思っていた。
でもそれは――間違いだった。
我慢しなくていい。
怒っていい。
怒っていいのだ、もう。
(私はもう、独りじゃないもの)
怒りの衝動のおかげか、恐れなどなかった。怯まなかった。でもきっとそれは、周りのおかげだ。自分は愛されない、愛されるべき存在じゃない。必要とされない。別にいなくていい。そんなことを思いながら生きてきたが、周りは根気強く付き合ってくれた。
愛されて、と言ってくれた。
愛を、与えてくれた。
味方がいることがどれだけ心強いだろう。それがどれだけ自分の背中を押してくれるだろう。現に今だって、傍にいる。自分を好きだと、言ってくれた人が。
「グレイ!」
ジェシカは無意識に叫んでいた。
二人は驚いたように固まる。
「グレイ起きて! グレイ!!!」
「なっ、大声を出したって、グレイ様は起きませんわっ!」
「静かにしろっ」
二人が慌て始める。
その姿がなんだか滑稽だった。
「グレイ起きて! 助けてくれるんでしょう!」
「静かにしろって、」
「早く黙らせてっ」
「グレイ! お願い、お願い助けて!」
大声で叫んだ瞬間。
自分の上にあった重いものが吹っ飛ぶ。
ルーカスのうめき声のようなものが少し先で聞こえてくる。ジェシカがゆっくり身体を起こすと、手を差し出してくれる人物がいた。
今一番、信じられる人が、目の前にいた。
「ジェシカ殿」
「……グレイ」
「遅くなってしまいすみません」
綺麗な瞳が自分を捉える。
ジェシカは首を振る。
彼が自分だけを見てくれる。
それだけで、十分嬉しかった。
「くっそ……」
壁にぶつかって痛そうな声を上げるルーカスに、グレイはジェシカを守るように前に出る。遠慮なく殺気を出していた。
「剣術大会で決着をつける話だったはずですが」
「ふざけんな、お前の方がルール違反だろっ! ジェシカの傍に虫みたくずっといやがったくせに」
「主から許可はいただいています」
「黙れ孤児が。第二王子にどんな媚を売って今の地位にいる。その顔で王子に迫ったのか」
反吐が出るほどの偏見だ。
ジェシカは聞きながら顔が歪む。
するとグレイの様子が変わる。
「――主を侮辱するな」
唸るような低音。
氷の如く冷えた言葉。
一瞬ルーカスが怯む。
「ここで決着をつけます。いい加減、あなたの言動は目に余る」
「はっ、俺の実力舐めんなよ……!」
ルーカスがどこに持っていたのか、剣を抜いてこちらに向かって来る。グレイはジェシカを庇いながらそれを避けた。「逃げてください」と声を掛けられるが、ジェシカは「いいえ」と答えた。
「私も殴りたい人がいるの」
令嬢として生まれて、まさか殴りたいという言葉を使う日が来るとは思わなかった。誰の影響だろうか。なんでもいい。今殴りたいのは本当だ。
グレイはきょとんとした顔する。
が、すぐにふっと笑ってくれた。
ジェシカの好きな、優しい笑みだ。
「分かりました。存分にやってください。守ります」
「ええ」
二人はそれぞれ、動く。
「レイナ」
強い口調でジェシカは名前を呼ぶ。
相手は分かりやすくびくつく。
腰が抜けたのか、座り込んだままだ。
「な、なによ……」
(もう我慢しない)
ジェシカはレイナに近付く。
「こ、来ないで。来ないでよっ!」
手で払われるような動きをされるが効かない。ジェシカは相手の手を取り、無理やり立たせる。士官学校で鍛えられて、普通の女子よりは力がある。無理やり立つ羽目になったレイナは転びそうになるが、そこまで助けるつもりはない。
狙いを定め、手を振り被る。
パンッと大きい音が、部屋に響いた。




