カシウス伝承
捲るページの音。落ち着いた呼吸。手首だけを動かす二つの人影。僕と父は貸本屋のレジと奥間で書物を読み耽っていた。
「カシウス…やっぱり槍の名前か。」
写本や歴史書、解説書の数冊を同時に開いていた。机の上は書物と紙屑とそれから紙片で敷き詰められていた。奥間にいた僕は障子越しに父のいる店内の会話を聞いた。
「やぁ、久しいな元気でやっているかい。」
聞き覚えのある声だった。母方の祖父であろう。
「私も息子もおかげさまで元気ですよ。今日は本を借りていきますか?」
父の問いかけが聞こえる。ページを捲る音は止まり僕はその会話を聴いていた。
「今日はそうだな…とりあえず西洋の面白い童話を借りたいかな。お勧めあるかい。」
ガタッと席を立つ音が聞こえたのち、会話はだんだん小さくなっていく。僕はまた書物に目を落とした。
「ロンギヌスと対…けれど史実にカシウスは存在しない…ともあるな。」
僕が右手を右頬に置いて考え込む体制を作った時、障子をガタガタと開ける音が聞こえた。ゆっくりと人間の寿命が決まっているかのように開けられる運命なのか障子はスーッと引かれて顔が飛び出した。
「おはよ、今日はなにしてたの?」
目をくりくりさせて微笑みかける少女の顔がそこにはあった。
「特に何も。」
僕は頬をかきながら彼女から目を逸らして言う。彼女は障子を閉めて奥間に入ってきた。
「嘘でしょ。こんなに難しそうなのを開いてるじゃん。」
彼女は僕の右上、肩越しに回り込んでそう呟く。僕は以前書物や障子に焦点を合わせながら続ける。
「カシウスについて調べてたんだよ。」
息を含んだ声が肩越しにいる聞こえる。それからそばで足をたたむ音も。爽やかな水仙の香りがした。
「あのカシウスのことだよね。お義母さんの。」
僕はそれを聴いて少しうずくまる。こくん、と頷いて手を書物に置いた。
「あ…ごめん。」
彼女の申し訳なさそうに謝る声が聞こえる。僕は彼女の顔を今度こそ振り向いて視界に入れて言う。彼女は眉間に皺を寄せて俯いていた。当然、目は合わない。
「大丈夫だから、いつも変だった母さんのあの言葉の意味を知りたかっただけ。」
僕は彼女の肩に手を置こうと腕を伸ばすが途中で止める。ハンカチも持っていないし薔薇も当然この家にはない。目の前の彼女はしばらく経ってようやく顔を上げて言った。
「ごめんね、私より航平くんの方が悲しいのにね。」
目に涙を含んだ無理矢理の彼女の笑顔はやはり綺麗だった。可愛いと、思わず言ってしまいそうなほどに。
障子越しで飛び交う声が次第に大きくなる。僕と彼女は静かにそれに耳を傾けていた。
「ありがとう、面白そうな本が見つかったよ。またお願いするね。」
その後、小さくありがとうございました、と感謝する父の声が聞こえてから足音がコツコツと奥間にまで響くだけになってやがてそれすらも無くなった。
音を響かない空間になってから彼女は僕に言った。
「私も帰ろうかな、今度何してたか教えてね。」
腰を上げる音が聞こえる。空気が少しだけ揺れて畳を歩く彼女の姿が消える。彼女が障子を閉めて僕はまた本に目を落とす。障子越しに父と彼女が少しだけ挨拶をしてまた静かになる。
ページを捲る音だけが支配する、そんな時間が過ぎる。
「なんなんだろうな、本当に。」
伏せられた写真立てを見やりながら、そう僕はため息をついた。




