本当のあなた
「まず紹介しよう。こいつが今回のパイプ役、老老泊家の親玉、源蔵だ。」
雄介が手を添えて僕に向けて紹介した人物。それは見覚えのない中年だった。
「会うのは初めてだね。よろしく、航平くん。信介んとこの坊っちゃんだな。」
彼が左手を差し出してきた。社交辞令か。僕は彼と握手をする。たった数秒間だけれど、新雪に生身で触れた時のような電撃が僕の指に走ったのだった。彼は体温がすこぶる低いのかもしれない。
「航平くん、すごい手があったかいね。熱でもあるんじゃないの?」
彼のその尋ねには首を振ることで応えた。雄介は肩を引っ込めて苦笑した。
「さぁ源蔵じい、そして航平くん。戻ろうか、元の世界に。」
雄介がポケットから手を抜いて僕に手招きをした。眼の前のやさぐれたジジイこと源蔵は拳を解いて手中のブツを広げてみせた。
驚いたことに見覚えのあるその代物に僕は無意識に唸りを上げた。雄介はそのブツを指差して言う。
「驚いたかい?実はあっちの世界の僕が持っていたのもこの源蔵じいさんが創ったものなんだよ。」
源蔵じいの手のひらに乗った代物から僕は目が離せなかった。茜色に輝くのはどこの世界でも同じなのかもしれない。
「これは雄介くんがこの世界へ君を誘った元凶と同じモノ。通称ユーフィニティー。いわば因果を超える最終兵器だ。」
源蔵じじいはメガネをくいっとし、眉間にはしわが寄っていた。
「ちょっと手違いがあって君に渡せなくてな。これを君にあげるってのが雄介の契約内容だったらしいけど。」
雄介は手を大仰に振って、への字で目をつぶってみせた。あくまで無実を乞うのだろう。僕は源蔵に目を寄せてから低い声色でボソボソと言った。
「これがあれば戻れるんですよね?でもどうして。」
源蔵じいはさっきまで若干半開きにしていた口を固く閉じた。雄介は首をうえに上げて何も映らない夜空を眺めている。無反応を装う彼らに対して僕は言う。
「その最終兵器とやらの原理は言えない。そしてどうして手違いがあったのかも言えない。源蔵さん、あなたが何者なのかも。それになぜ事件の前日に戻すという契約を全無視して全然違う、こんな幸福世界に飛ばされたのかも。あなたたちは僕に何も教えてくれない。それでいいんですね?」
源蔵じいは悔しそうに歯をギチギチ噛み締めた。雄介は顔をこちらに見えないように反らしていたが彼の左拳には震えんばかりの力が籠っていた。
「分かりました。良いですよ。何も言わなくて。」
僕はそうとだけ言ってシワだらけの手のひらに乗ったそのブツを掴んだ。どしりと重い。金属のサビが指にこびり付いたのが分かった。
「本当に済まない。けれどそれは…」
源蔵じいは下を向いて震える声で言う。僕はそれを少し申し訳なく聞いた。
「分かってます。でもあなたたちが来てくれて僕が助かったのは事実ですしこのままだと自殺していたでしょうね。元はと言えばあなた達のせいですけど。」
僕は玄関へ顔を振り向かせた。今は誰もいないその家に僕は哀想を感じる。まぶたに潤いがやってきてもぐっと力を入れてこらえた。僕の世界はここではない。ここは夢のような幸福世界なんだ。儚い夢でしかない。そう拳に力を込めて思った。
「押してくれ航平くん。僕達はこの世界でやるべきことがある。君だけが戻ってくれ。」
雄介はそっぽを向いて何も語らない。源蔵じいだけが僕の肩に手を置いてそう言った。その頼みを聞いて僕はユーフィニティーを握るその指に力を込めた。
…カチッ
歯車の駆動音に数十の音の重なった電子音。視界の中の源蔵じいが何重にも広がる。路端に捨てられたタバコが点滅する。薄いモヤの中に家族の最期がリフレインする。
う…あぁ…
思わず膝を着いた僕。眉間に手をやり口呼吸で押さえる僕。脳は歪んで装置を持つ手は震えている。低い男の声が何回も唸るように嘆く。その断末魔が聴こえ続ける。視界が暗転してついにプツンと切断音がしてそれから何も分からなくなる。
お前の記憶は信頼できない
信頼していいのは…
それだけ聴こえて、僕は深い眠りに落ちた。その眠りは世界を横断するための余白だろう。




