燃焼
その日の夜、父は僕の部屋に訪れた。ノックもせずに飛び込んだ父の顔には疑いという思念が浮かび上がっていた。詰まるところ一人息子である僕を大らかでも敵視していたのだ。
「航平、これはなにだ?」
訝しげな低音が僕に尋ねる。僕は持っていた書物を閉じて体を父に向けた。
「それは、本に挟まっていたんだ。」
その言葉が父を逆撫でしたのかもしれない。眉間が少し揺れてそれから荒々しい声色が飛んでくる。今にも罵声に
変現しそうな父の声に僕は身を引く。
「それはお札だ。どの本に挟まっていた。」
父は僕に近づく。僕は身を翻して背を向く。父に近づかれるのが怖い、そんな感情が急に僕を突き動かした。椅子を離れ自室の隅に逃げる。すると父は激昂して髪を逆撫でる。怒りは天頂に達し父の吐息に炎が見えた。
「民謡だよ。ただの民謡。」
父は沈黙した。それからさらなる形相を見せる。もはや鬼ではない、形が崩れた怒りだった。頭髪が燃焼して顔が赤を超えて黒く染まる。先ほど天頂を達したのなら今度は天頂を乗り越えたのであろう。父は燃え盛る炎の中で唱えた。
「民謡と書かれた本などこの世界で売られていない。あるのは私と母が書いた古文書だ。この家にしかない特別な民謡だ。お前、中身を読んだか?」
父は問いという槍を僕の鼓膜に突き刺した。自室の本は静まり返り時計の針も申し訳なさそうに進んでいる。僕は震える口から答えを返した。
「読んだ、けれどただの聖書だったよ。民謡じゃない、そうだ、僕は民謡なんか読んでいない。」
僕の咄嗟の返しは空間に響く。想像以上に響いて響いて父は沈黙してそれを何度も聞く。落ち着いた顔で僕の答えを何度も何度も。響く僕の言葉を何度も聞いた父はそれから口を開けた。
嘘だ、と。
「嘘でしかない。お前は嘘つきだ。私と母が書いたのは民謡という名の聖書を改竄した文書だ。それこそお前が言った本だ。そしてそれはもう存在しないはずだ。」
だからお前はどうやってそれを読んだ、と。
封印のお札をどうやって奪い取った、と怒りと疑いとそれから敵意を凝縮して再燃した炎の形相が僕を襲う。椅子から転げ落ちた僕は床に倒れたまま答える。
たとえそうであってもそれが何だというんだ、と。僕が目を瞑って叫んだその言葉の後に続くはずの怒りの罵声も糾弾もやってこなかった。それはそれで、父は萎んでいた。
床に倒れた僕はそのまま父を見る。手を目のそばに置いて嘆く様子の父。父は自分を責めていた。
「僕は、確かに悪いことをしたんだと思う。けれど知らなかったんだ。何も、何も。」
だから仕方ない、と。そして父も仕方ない、と。
僕は泣き崩れる父に向かってそう言った。




