聖櫃
目の前の巨体に吹き飛ばされる。道路の道幅に達するその腕が僕を押さえて離さない。殴り飛ばされたれた僕は民家のブロック塀に衝突したあと、じりじりと体を震わせていた。
目の焦点がグラグラと揺れて視界が定まらない。胃液が喉を駆け巡って口内に達する。それを思い切り飲み込んで目の前の影をみる。僕の顔に落とされた大きな影。信号の青いネオンライトを簡単に閉ざしてしまうその巨体。
(一体、何が起きている。)
愚痴か叫びか掠れた声でいう僕に巨体が迫る。背中の感覚はすでになく僕の周りには赤黒い血が散布していた。あれはもはや雄介ではないし人間でもない、呪われた何かであると僕は考える。足の骨が見えていた。
「痛いか?痛みは無くせないもんなぁ。」
鈍い衝撃が走る。地底の奥底を這いずり回る大蛇が僕の腹に噛みついた様な感覚。自然と体を震わせて閉じこもる。痛みは何度も繰り返される。鈍い衝撃は何度も続く。巨体は僕をいじめていた。
「こりゃあ、呪いだわなぁ。」
血が口から漏れる。横隔膜は幾分にも揺れて自制が効かない。目から大粒の涙が落ちていた。
「楽しいなあ、面白いなあ。」
鈍痛の中ですーっとサイレンが聞こえる。床に崩れた僕の耳に地面から駆動する車両を感じ取る。痛みは何度も続いてもう感覚もなかった。やがて衝撃がなくなる。目をゆっくりと開いて外の世界をみる。そこには影と僕の間に立つものがいた。
「ユーグリティー、ここから早く去りなさい。」
青いネオンライトが彼女を照らすが背中しか見えない。僕の前で雄介に対立する長い髪のその人は僕に決して顔を見せない。それでも赤い巫女服を着せ込んだ彼女に一筋の希望を預ける僕がいた。
「不干渉の掟破りに俺は止められない。堕落した荒人神が俺を止められるとでも?」
雄介はケケケと甲高く笑う。それから手をさらに二本背中から引き伸ばして前に出す。ぐりぐりと動く目玉は四つあった。
「及ぶのは力ではない、想いであり生きようと思える願いだ。」
キキキとその女性の返しを笑い飛ばしながら首を震えさせる雄介。ぐにゃぐにゃと首を回転させたあと上下左右奥つらら暗い見えない影から漆黒の腕が伸びる。彼女一点求めて漆黒の亡者の呻きが彼女を襲う。彼女は怯まずに飛翔する。裾から何かを取り出してそれを掲げる彼女。数多の亡者の亡き腕を使役する巨躯の影に飛び込む刹那。
「天津神よ、妾に天命を全うさせよ。死に戻りの黄泉へ彼を誘い給え。」
天空の運河から酷い轟音と共に光の鉄槌が彼の頭上に落とされる。空高く飛翔した彼女は楽々と着地し影は呻き出す。亡者の腕は消え去り、蠢く巨体は見えなくなる。光に照らされた後、そこら中から黒煙が湧き出す。その煙を吸って思わずくしゃみをする。そこら中にある血溜まりに僕のであろう肉片。けれども体は繋がっていた。巫女服の女性はすでに見えない。電柱はいつも通り屹立し青いネオンライトはさも当たり前の様に夜道を煌々と照らす。僕だって目が赤く腫れているだけでそれ以外は元通り。
骨が見えていた大怪我も背中が割れる様な痛みの余韻も道路に散らばった肉片も血ももう見えない。隠される様に姿を消していく。それはまるで夢から目覚めた朝の様で、気づけば太陽が昇り始めていることに気づいた僕でもあった。
その歩道にいるのは僕一人。朝早い外には僕しかいない。雄介もあの女性もとうにいない。だから一人だ。だから静かだ。だから落ち着ける。
朝が始まった太陽を感じて、とんでもないことが起きたのにいつも通りの街を眺めて、ブロック塀のそばに立った僕は口を開ける。
母さんありがとう、と。




