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散開怪花  作者: 暮葉
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絶望

「家が燃えた。貸本屋が焼けた。私の本が焼けた。」


父が僕に糾弾する。ブランコからずれ落ちたまま動けない僕に父が近づく。父の影が僕の視界を覆う。暗がりが襲う。


「私が留守している間に全て燃えた。お前がいたのに全てが焼けた。なぜお前は外にいる。なぜお前は逃げている。」


僕の襟を掴み引き寄せる。父の鼻息を顔に浴び、思わず目を逸らした。


「お前に聞いてるんだ、航平。」


父は僕の頬を抑えて無理やり曲げる。いやでも目が合う。鬼の形相でこちらを睨む父。


「僕は、火事なんてしらない。病院にいたんだ。」


父はさらなる雄叫びを上げる。喉を貫く震えに頬にかかる手の力。彼は燃えていた、焼けていた。


「私は…お前が謝れば納得してやろうと思っていた。が、嘘を言って言い訳を並べるのかその口は。お前は何をしたか、何を許したか、お前は何もわかっていない。お前は私の、我が一族の伝統を、麗花の形見を全て燃やした、焼いて灰にした。その意味がわかるか。航平。」


後ろで笑う声が聞こえた。サイレンが飛び交う夜中。父の罵声が耳を支配する中、確かに笑い声を聞いた。電柱につかまる雄介だった。


「ぼ、ぼくは。違うんだ。火事なんて知らないんだ。」


父の目は僕を離さず噴き上がる炎の源泉はとぐろを巻いて父の顔を支配する。父の指が揺れ出し、肩が上下に震え出し口がカチカチと小刻みに鳴るその時、僕は父の正体を垣間見た。


「お、お前は本当にバカ息子だ。麗花じゃなくて…お前が死ねばよかった。この、クソ息子が。」


力の入った腕が僕を後ろに押し出す。ブランコの支柱に頭が衝突し、鈍い音が公園に響く。父の力は衰えることなく余計に強くなる一方で半ば狂乱した父は僕の頭を支柱に食い込ませ続けた。


血が流れ続けて体が冷たくなり呼吸が苦しくなる。目の前の父の目には涙が伝い、父の息は荒く、頬に当たる。僕はどうすることもできずに頭から血を流していた。


死ねと言われ続けて数十分。首を絞められるのは数十分。それでも僕は生きていた。そして次第に父の力が弱まる。鬼の形相も、膨れ上がった顔も、全てがしぼんでいく。真っ赤だった父の顔は今や青ざめていた。ついに父が僕からその手を離した。起き上がる僕、のけぞる父。僕は頭を撫でながら父に言った。頭の陥没はもう無かった。


「父さん、これが呪いだよ。」


僕は父の顔をまじまじとみながら言う。父は僕の顔を見ようとしない。電柱につかまっている雄平はケケケと笑う。


「父さんは悪くない。それに僕も悪くない。」


言い聞かせるように大袈裟なほどに大らかに。父の瞳孔は気味の悪いくらいに収縮拡大し、口が震えていた。


「父さんは悪い夢を見ていたんだ。」


父の元に駆け寄る僕。青白い顔をしたまま父はこちらを見ようとしない。雄平は電柱に掴まりながら様子をじーっと見ている。僕は父を抱きしめた。父は冷たかった。


「もう安心していいんだ。本だって買い揃えばいい。家は火災保険があるだろ?」


父はようやく僕を見つめる。その顔はいつもの父の顔であった。穏やかで冷静な父。僕の尊敬する父の顔だった。


「あの文書が燃えたんだ。もうおしまいだ。麗花が死んだ。」


けれど父は体をブルブルと震わせていた。冷静な顔などただの見間違いだった。父は何かに怯えていた。


「母さんは4月にもう…」


僕の言葉に父が反応する。涙を流したままの父は答える。


「麗花は生きている。お前が忘れているだけ。」


電柱に捕まっていた雄平が蠢き出す。俊狼の様に走り寄ってくる。間髪入れずに僕と父のそばまで行き着く、それまで3秒。目の前の父は言う。


「あのな航平。誰かには必ず忘れてはいけない人がいる。私の場合麗花だ。彼女を私は守る必要があるし彼女もまた私を守る必要がある。」


父は自分で頷きながら戸惑う僕に必死に伝える。


「世界はすぐに忘れるんだ。死んでしまえば忘れられて潰えてしまうんだ。」


そばに来た雄介は目を逆さの盃にして、蛾の服の袖から何かを掬う。その何かは月光で煌めいた。父は僕に訴える様に言う。


「お前の場合はあの子じゃ、あの麗…」


それが最期だった。父の首を貫いたのは短剣だった。月光を浴びて青白く光る短剣にはドス黒い血が付着していた。


それは父の血だった。


カカカと笑いながら短剣を抜く影。それは明確に雄介だった。口を開けたまま何かを言おうとしたまま父の言葉は止まる。父の骸はブルブルと揺れて蠢いた。腕も足もとんでもない方向に曲がったり折れたりする。それを雄介が踏みつけて治める。それから雄介は言った。


「みっともねぇことペラペラと話すんじゃねぇ、この餓鬼が。」


チチチと舌を鳴らして僕の頬に手を添える雄介。雄介は満面の笑みで僕に問いかける。お前はどう死にたいか、と。


震えて動かない腕を無理矢理動かす。雄介の手を払いのけて起き上がってから走り出す。ガクガクと震える足を叩いて動かす。一目散に公園から逃げる。笑い声は風と共に小さくなった。


激しい息遣い。凪浪公園を出た僕は屈んで呼吸する。それからゆっくりと身の回りを確認した。返り血が飛び散った衣服、なんの傷もない身体。どんどん近づくサイレンは僕に向かって来ていた。


このサイレン、僕を狙って…


咄嗟に凪浪公園の外縁の茂みに身を投じる僕。サイレンは僕のそばを通り過ぎてから遠ざかる。僕は逃げれた様だった。


「どうしたら、良いと言うんだ。」


絶望の中のため息は、葉にかき消されて茂みから出ていかない。僕は目を閉じて身を丸めて横になった。沈みゆく月を見つめてポケットの紙片の感触を確かめる。どうやらまだ持っているらしい。心が少し落ち着いた矢先、耳に届く音がガラリと変貌した。


ケケケと声が聞こえた。キャッキャッキャと喚く笑いを聞いた。ドタバタと走りよる足音を聞いた。それは全てあの男のものだった。


「航平。航平。航平。」


僕は耳を閉じた。


「…」


今度は腕を引っ張られる感触を感じた。それはまぎれもなく雄介のものだった。


僕は腕を振り切って茂みから飛び上がる。僕は公園から逃げ出す。後ろで足音が聞こえる。


「死にたくない。何もわからないまま死ねない。」


走って走って走った後、凪浪公園が見えなくなった所で赤信号が僕を停めた。息を切らした僕は屈んで呼吸をつなぐ。後ろを振り返っても雄介はいない。呼吸を落ち着かせる。徐々に止まる駆動音。赤いネオンライトが緑に変化する。自動車が皆止まった後の歩道を歩く。もう彼には会わない、僕は逃げ切ったと、胸から手を撫で下ろす刹那、信号を渡った先の歩道で僕は見た。


気持ちの悪い蛾の服を着た男が、盃を反転させたような口を僕に見せつける男が、目の前で青のネオンを輝かせている信号を優に超えた大きさで、歩行者の何倍もあるその巨体で…待っていた、まじまじと僕を見ていた。


奇怪だった。


「航平くぅん。さあ心の準備はできたかな?」


彼の笑い声が何度も何度も何重にも重複して響き渡る。信号を蹴飛ばした彼は僕に一足で追いつくとその長い腕で僕を投げ飛ばした。


これは呪いだよ


雄介は笑って言った。













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