逃亡
目標を持たないものが目標を達成できるはずがない。そう言う点では彼が迷うのもこの世の摂理であろう。
8月20日、僕は歩いていた。今夜は月が雲に隠れていて、代わりに電柱の灯りが夜道を照らしていた。静々と歩く少年の背中。それは紛れもなくこの僕のものだった。
「母のあれは、父に向けたあの手紙はこう言うことだったのか…でもそれなら僕は…」
「僕は、どうすればいいんだ。」
一人独白は時を開けても地続きになる。声は夜道を駆けていた。遠くに見知った家が見える。
「やっと着いた。なんで自分の家を迷ったんだろうな。」
僕は郵便受けに隠している合金の鍵を手に取る。金属の粉は手につかず、塩化ビニルで保護されていた。頭を傾けながら鍵穴に刺す差して扉を開く。靴を脱いで靴箱に入れようと屈んだ。靴箱にはすでに靴でいっぱいであった。
「来客か…父が?」
口を少し開けて不思議に思う。とりあえず玄関口に靴を揃えておき、自室に向かった。階段を踏み締めるといつもギシギシとなる悲鳴も聞こえない。自室につながる扉から灯りが漏れていた。
「父か?でもなんで。」
扉を開くと腑抜けた声が聞こえる。何かの打突音と共に僕が部屋を覗くと…
「お、お前誰だ。」
部屋にはメガネをかけた少年が一人。一人椅子に座ってゲームをしていた。棚には沢山の漫画の背表紙が並びカラフルな絨毯がここを洋室にしていた。
「ママ誰かいる。助けて」
少年は深く息を吸ってから大きく口を開けてそう叫ぶ。僕は硬直してそのまま廊下を走り戻る。一階まで走り抜けた後、リビングから出てきた女性と目が合う。
「なんだよ…」
僕はその女を突き飛ばして扉をこじ開ける。錠は砕け大きな瓦解音と共に扉が倒れる。それを踏んで走り逃げる。その様子は俊狼のようであった。
「僕の家は…」
遠く消えた僕の家。一階に黒い軽自動車が止まっていたのも、外壁に鬼の落書きをしていたのも、それから郵便受けに鍵を隠していたことも、そのうえ家の間取りも。
全部全部僕の家とまるっきり同じだった。
だから僕は一心不乱に風を切りながら口を開く。この世界はおかしい、と。呪いって何なんだよと。ここはいつだ、と。父はどこへ行った、と。あいつは一体何だ、と。僕の家はどこいった、と。
それから脳裏に浮かび上がるおぼろかげ。凪浪公園に着いた僕は一本の木を見つけた。
「迷えば目印を作れ。さもないと一生死に迷う。母さんはこれを言って。」
立ち尽くす僕の背中に月光が煌めいた。




