暴行
陽が落ちても僕の自宅が見当たらない。冷や汗をかきながら8月の熱帯夜を彷徨い続ける僕の前に一つの影が待っていた。電柱の灯りに蛾が飛び交うたびに彼の影はゆらゆらとゆれていた。
「8月20日。あの日も信介はここを歩いていたよ、君のようにね。」
カカカと笑い声と共に囁きが聞こえる。影はだんだんと伸びていき電柱の奥から男が現れた。
「あなたは父の…」
僕は彼と影が交差しないくらいに離れた位置で立ち尽くしていた。彼は僕に歩み寄りながら手の甲を上に、手の指を下に垂らして歩み寄ってくる。
「そうさ、雄介さ。覚えてやってくれ、こんな夜中にほっつき歩いているしがない中年の名前くらい、な。」
ケケケと彼は下駄を鳴らしながら近づいてそれから僕の頬に手を添える。
「なんか家に帰れないんだ。迷ってしまったっぽい。」
助けてくれないか、と僕は彼に言おうと目を向けるとそこには奇怪な顔をした雄介が立っていた。盃を逆さにしたような口で暗い喉の奥を覗かせる。電柱の灯りのそばで舞う蛾は醜かった。男は僕の頬に添えた手を思い切り虚空へ振り上げる。頬が引き攣って激痛が神経を駆ける。
バチん、と何かが割れた音と共に僕は反動で床にずれ落ちた。痛みは感覚を麻痺させる。口は動かずただ静かの血の臭いを感じる。鉄の臭いだった。
「ここ夢じゃない、そしてお前は?」
雄介のこえがきこえる。僕は頬に手を当ててゆっくりと体を起き上がらせる。
「おっと、させないよ。」
雄介の声が聞こえると共に背中が押される。そのまま床に仰向けになるように倒れる。背中にかかった力は戻らない。
「おっと時間だ、撤退するか。」
いくばくかの時間が経った後、僕を押さえつける力は無くなった。かくして起き上がる。電柱にまとわりついていた蛾も、犬笛のように騒ぐサイレンの音も無い。ただ誰かが読書に没頭しているだけかのような静けさがそこにはあった。
頬を触る。痛みを感じないことに驚いて水たまりの前に立って自分を見る。その顔に、その事実に僕は驚き顔は硬直する。
「これが母の言う呪いなのか…」
ポケットにしまった紙片を手に取った。




