一話八節『初音好実と決まり文句』
「わ、私……ななな、何かしましたか……?」
友香はそう不安げに呟くと、茶髪のショートボブを揺らし俯く。その顔は真っ赤で今にも火を噴きそうだ。
「いえ。会長として尋問をしに来たのではないわ。落ち着いて」
友香はなおも下を向き、落ち着きなくハシバミ色の瞳をさまよわせる。パニックになっているのか、唇がモゾモゾと動き、何か独り言を言っているようだ。
「友香さん?」
「は、はひぃ!」
今度はまるで鉛筆のように直立不動で固まってしまった。
「個人的に、少し、聞きたいことがあるのだけど」
「な、なんでしょうか……」
『個人的に』――生徒会長としてではない、という建前だ。
一拍置き、友香の目を見るが、彼女はすぐにそれを逸らしてしまう。
仕方がないので、京香は目線をずらして話しかける。
「友香さん。今日、水泳の授業で途中離席したようだけど、どこか具合でも悪かったのかしら?」
「そ、それをわざわざですか……?」
「ええ。同じクラスとして、気になったのよ」
京香はもっともらしい理由を付けた。実際、そうした配慮はしている。
生徒会長がいる前では、良い子でいようと無理をする生徒も中にはいる。
特に夏の時期は熱中症の危険性もあり、京香は常に気にかけている。
「それ、それは……」
「それは?」
友香は目線を床に向けたまま、再び顔を覆う。
そうして、振り絞るように声を出す。
「き、京香様の汗が溶け込んだ聖水に私が浸かっているのだと思ったら……ききき、緊張してしまい、トトト、トイレに……!」
「そ、そう……」
これにはさすがの京香も、返す言葉が見つからなかった。
「聖水……」
「明美ちゃんすら引くレベル……流石ですね」
明美と美穂の言葉に、友香は『いやあ』と照れくさそうに頭を搔く。
「褒めてないですよ」
美穂の鋭いツッコミが入るが、友香はニヤニヤと笑い続ける。
(おトイレ……ですか。けれど、裏付けのしようがありませんわ)
好実だけは、笑う友香の横顔を静かに見つめていた。
「はいー。須木さん。一ついいでしょうか?」
好実は、例の指二本を額に当てる仕草に乗せた古畑口調で質問をする。
上半身を十五度ほど傾けて、友香の目を捉える。
「……何かしら」
京香に向けていた上ずった声とは別人のような、低い声だった。
「離席時間はどれぐらいだったか、覚えていますか?」
「なぜそんなことを?」
友香は怪訝そうに顔をしかめる。好実は古畑の真似を継続しつつ、ニヤリと笑う。
「京香さんが気にしていたんですー。あまり離席時間が長いと、何かあったのかと思いますから。フフフ」
「え、ええと……二分ぐらいかと」
京香の名が出たことで、友香は表情を和らげ質問に応じる。
部屋の奥では、小町が扇子を握る手に力を込め、友香の背中をじっと見つめていた。
京香がチラリと美穂に視線だけ向ける。美穂は微かに首を左右に振り、人さし指を下に向けた。
京香は小さく息をのむ。
(実際の離席時間よりも短く言った……)
「なるほど。わかりました。ありがとうございます」
好実は踵を返すと、京香と目を合わせて軽くうなずく。京香もうなずき返し、友香に和やかな笑顔を向けた。
「そうだったのね。わざわざありがとうね、友香さん」
「ととと、とんでもありません!」
ペコペコと何度も頭を下げる友香を尻目に、一同はドアに手をかける。
その時、好実だけがくるりと反転した。
「あー、すみませーん。もう一つだけ」
「出た! 右京さんのもう一つだけ」
明美の合いの手に、好実は『だから、古畑ですわ!』と心の中でツッコミつつ、口の端を吊り上げて不敵に笑ってみせる。
「今日、プールの授業で何かトラブルがあったの、ご存知ですか?」
突然の質問に友香は眉を下げるが、少し考えるように下を向くと自信なさげに言った。
「最初、ゴキブリ騒ぎがあったぐらいかな」
その単語に、京香の肩がびくりと跳ねた。
「出たんですか?」
「分かりません。誰かが悲鳴をあげて、私も一緒にパニックになっていたので」
好実は再度、友香の目を見た。彼女は目線を動かさず、何かを考えるように一点、壁だけを見ていた。
(嘘はついていない)
好実は『ありがとうございます』と言うと、今度こそ振り返らずに秘密基地を後にした。
「ねー、彼女絶対怪しいよ」
秘密基地を出るやいなや、明美が声を潜めて言った。
秘密基地の入口を横目で見つつ、美穂に顔を寄せる。
「確かに。離席時間も短く言ってました。何より、親衛隊にとって、京香さんの下着は是が非でも欲しい聖遺物のハズです」
明美の疑いの念に、美穂も賛同する。
ただ、好実は唇に人さし指を添え、考え込んでいた。
「納得していない……という表情ね。好実」
「ええ。京香さん」
好実が軽くうなずくと、明美が前のめりで好実の顔を覗き込んだ。
「えー? なんで?」
「動機がないのです」
明美の問いに、好実は迷わずにハッキリと言い切った。
その目には、前々世の好実――初見寿喜男が宿っているかのようだ。
「動機ですか? 聖遺物収集では?」
「いいえ。それはないと思いますわ。美穂さん」
「なぜそう言えるんです? 怪しいですよ、彼女」
「確かに、一見するとそうです」
好実はコツコツと音を立て、廊下をゆっくりと歩き、数歩で止まる。
そして振り返ると指を立てて説明した。
「けれど、思い出してください。親衛隊の秘密基地を。あの所狭しと堂々と飾られた聖遺物たちを。彼女らは抜け毛すら収集し、それを恥ずかしげもなく展示していたのですよ?」
「つまり好実さんは、もし彼女なら、既に堂々と飾っているはずだと?」
美穂の問いに、好実は首を振る。
「いいえ。飾れないものを、わざわざ盗みはしないだろうと、そういうことです。仮に隠し持つにしても、聖遺物を独り占めするなど、あの方々の流儀に反します。彼女らは確かに狂気じみた崇拝者たちですが、それでも一定の節度は保っているように思えますわ。わたくしにも、覚えがありますから」
「さすが、パンツ崇拝者……説得力がありますね」
「それほどでも」
「褒めてないです」
ふふっと笑う好実に、美穂はすかさずつっこむ。
好実は不満げに頬を膨らませるが、京香が笑いながら横に並び立つと、表情を和らげた。
「……とはいえ、離席時間の件は、まだ引っかかりますけれど」
「確かに、現状の材料で彼女を犯人と決めつけるのは早いわ。そもそも、どうやってロッカーを開けたのかも分からない。ひとまず、残りの容疑者とも会いましょう」
「そうですわね」
好実はうなずくと、京香と肩を並べ、ゆっくりと歩き出した。
*
廊下の足音が遠ざかる。
秘密基地に残された友香の背後で、扇子がパチンと閉じられた。
「特攻隊長・友香殿」
古式小町の声は、先程までの浮かれた調子とはまるで違っていた。
「近頃、方々で他人の鍵を覗いて回っているそうですな……拙者に、何か隠しておりませぬか?」
友香はゆっくりと振り返り、震える唇で答えた。
「……総隊長には、関係ありません」
──────────
続く……




