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一話九節『初音好実曰く、パンツは急げ』

 京香様親衛隊の秘密基地での聴取を終えた一行は、再び一階のエントランスにいた。

 時刻は夕方四時。まだ、多くの生徒は校内にいる。

 京香たちは今、休憩スペースのテーブルを挟み、対面する形でソファに座っている。

 ソファの傍らに置かれた観葉植物が、ほのかに緑の香りを漂わせている。


「とりあえず、今わかっていることをメモしますね」


 美穂は手際よくキーボードを打ち、『事件ファイル』を作成する。そして、友香の顔写真の横に――

 『動機→聖遺物。手段→不明。備考→親衛隊・特攻隊長』と記載した。


「次はどうしましょうか?」


 美穂がキーボードを打ちつつ、質問を投げる。


「そう言えば、京香ちゃん。ゴキちゃん騒ぎの時、どうしてたのー?」


 明美もスマホの画面を凝視しつつ、何かを打ち込んでいる。

 ゴキという言葉に反応したのか、京香は再び肩を震わせると、隣に座る好実のスカートの端を握る。

 美穂はチラリと目線を流すが、すぐに戻しキーボードを叩く。


(京香さん。私の改造ノーパソには、背面カメラというものがありましてね)


 ちゃっかり撮影し、『資料』フォルダに保存した。


「悲鳴が聞こえたのは、更衣室に入ってしばらくしてから。着替え始めた子もいたけど、私はまだだったわ。あの時、多くの生徒がパニックを起こして、半狂乱でプールサイドに逃げたの」

「京香さんは逃げなかったんですの?」


 好実の問いに、京香は眉をひそめながら首を振った。


「逃げようと思ったけど、抱きつかれた拍子に手首のバンドが外れて、鍵を落としちゃったし、何人かの生徒にしがみつかれたりして動けなかったの」

「鍵を落とした……? それは、いつのことですの?」

「ロッカーを開ける前よ。でも、配られたときに番号は確認していたし、拾った鍵も同じ番号だったわ」


 京香は自らの記憶を確かめるようにうなずくと、話を続けた。


「だから、すり替えはなかったはずよ。実際、騒ぎの後、私は自分のロッカーを開けることが出来たわ」


 好実は『なるほど』と呟き、ガラステーブルへ視線を下げる。ガラス面には、京香の整った顔が映し出されている。

 一呼吸置き、好実はゆっくりと京香本人に視線を戻す。


「ですが、京香さん。先程は『授業中、鍵に触れられるほど近づいた生徒はいなかった』と仰いましたわね」

「ええ。授業中は……あ」


 京香の口が、小さく開いたまま止まる。

 授業前の更衣室。鍵は床に落ち、周りには何人もの生徒がいた。


「……ごめんなさい。騒ぎのことは、すっかり頭から抜けていたわ」

「いいえ。おかげで、可能性が一つ見えてきましたわ」

「それで、結局出たの? 京香ちゃん」


 明美の問いに京香は『いいえ』と答え、会話を続けた。


「結局出なくて、普段から退治してるって子が上履き片手に、ロッカーの隙間や下を覗いて回ってくれて、それで落ち着いたの」

「上履きで叩き潰すの……? 強い」

「え? 普通じゃありませんか? うちでは、よく特売のチラシを丸めてやってましたけど」


 さも当然のように握った拳で叩く仕草をする美穂に、明美が目を丸くする。


「……さすが庶民代表の美穂っち」


 その時、好実がある違和感に気づいた。


「待ってくださいまし、京香さん。その方、ロッカーを調べましたの?」

「貴女の言いたいことは分かるわ。けど、まだ私も含め、多くの生徒が着替える前。少なくとも、そのタイミングでは、下着はまだ私が身につけていたわ」

「ちなみに、その方のお名前は?」

「中島(なかじま)俊子(としこ)。図書委員の子ね」


 その名前が出た時、美穂が眼鏡を押し上げ、キーボードを叩く。


「その中島先輩。途中離席した容疑者の一人ですね」


 美穂はノートパソコンを反転させ、中島俊子の映像を改めて共有した。画面の俊子の顔を見ながら、明美が口を開く。


「彼女なら、ゴキちゃんに警戒するフリをして、京香ちゃんの着替えを覗いて、どこに下着を置いたか確認できるよね」


 明美の意見に、京香は軽く息を吐いてから、『そうね』と、声を低くした。


「とりあえず、残りの容疑者を順に当たりましょうか?」


 好実がそう言って立ち上がると、美穂はノートパソコンを見ながら一つの方向を指さす。


「では次は科学部に行きましょう。ここから近いですし、科学部の梶原(かじわら)怜香(れいか)先輩も途中離席した一人です」

「決まりですわね」


『中島俊子。動機→不明。手段→不明。備考→ゴキ騒ぎを利用できる立場』


 美穂は『事件ファイル』を開き、俊子の項目を更新する。

 一同は科学部の部室を目指して歩き出した。


 *


「失礼しまーす」


 先に扉を開けたのは明美だった。勢いのまま一歩踏み込み、そこで足が止まる。


「ふへ!?」


 自分で開けておいて、間抜けな声が出る。

 明美が期待していたのは、ゴポゴポと泡立つフラスコか、いつ爆発してもおかしくない実験台だった。

 ただ実際の部室には、それらしいものは一つもなかった。ビーカーすら台の上にない。代わりにあるのは紙コップの束、使い込まれたマグカップ、インスタントコーヒーの瓶。

 棚の隅には『二〇二五年文化祭』と手書きのラベルを貼った段ボールが一つ。それだけだ。

 部員も二人しかいない。


「どなたかしら?」


 そのうちの一人、先程映像で見た顔が、首を傾げながらやってくる。


『梶原怜香』


 京香と同じ三年。長い黒髪のポニーテールの彼女は、髪型こそ明美と同じだが、遠目にもわかるほどに大人びて見える。

 白衣を着てこそいるが、それでも線の細さがハッキリと浮かび上がる、華奢でスラリとした女子生徒だ。


「お邪魔だったかしら」


 後から入ってきた京香が軽く頭を下げる。京香を見ても、怜香は表情を変えていない。


(既に、始まっている)


 好実は、京香と怜香、二人の横顔を見比べた。

 怜香は現状、容疑者の一人でしかない。だが、二人の間に流れる緊張感は、まるで刑事ドラマの尋問シーンだ。


「いいえ。見ての通り、寂しい部活ですもの。歓迎しますよ」


 怜香はそう言うと、慣れた手つきで紙コップの束から人数分抜き取り、インスタントコーヒーの瓶を開ける。


「カフェインが苦手な方はいますか?」


 一拍待っても返事がないので、怜香は『そう』とだけ呟いて、電気ポットからお湯を注ぎ、コーヒーを実験台の上から滑らせた。


「ブラックですから、必要ならそこの棚から砂糖とミルクをどうぞ」


 京香はコーヒーを受け取ると、一口すする。

 好実は紙コップを受け取ったまま、口をつけなかった。

 それを開戦の合図と取るかのように、怜香から切り出した。


「ところで、京香さ……会長がなんのご用でしょう? 科学に目覚めたのなら歓迎しますよ」

「『京香さん』でもいいわよ? クラスメイトなのだし」

「……いえ。少し馴れ馴れしいかと思いまして」

「真面目なのね」


(言いかけてから呼び直した……?)


 その一瞬の言い淀みに、好実は引っかかりを覚えたが、ここは京香に任せることにした。


 京香は、コーヒーの紙コップを台の上にそっと置く。

 怜香は白衣のポケットに手を突っ込み、首を傾げてみせる。


「部長」


 もう一人いた部員が、怜香をそう呼んだ。

 怜香は目配せで、奥の扉を示す。それを察し、部員はお辞儀をしてその扉から退出していった。


「気を遣わせてしまったかしら?」

「いいえ。それで、ご用件は? 身に覚えがないのですけど」


 京香は軽く微笑むと、手を広げるジェスチャーを交えて切り出した。


「水泳の授業であった事件のことで、少しね」

「ああ……ロッカーで何かあったみたいですね」


 怜香は迷わず『ロッカー』だと言った。それに対して、京香は笑ってみせる。


「よくわかったわね。アレの騒ぎもあったでしょう」


 ゴキ、とは口に出来なかったらしい。


「……貴女のジャージ姿を見れば、察しがつきますよ。何もなければ、着る必要もないでしょう?」


 京香は『なるほど』と、呟くように返事をすると、それ以上は踏み込まなかった。


「では単刀直入に言うけど、実は盗難があって、それで事情を聞いて回っているの」


 怜香は自分のコーヒーをすすると、二度うなずいた。

 好実の視線は、紙コップを持つ怜香の指先に注がれていた。細く、白い指だった。


「なるほど。それで、トイレで離れた私が怪しいというわけですか?」


 京香の眉が、ほんのわずかに動いた。離席のことは、まだ一言も口にしていない。


「気を悪くしないで。あくまでも参考程度よ」


 首を振る京香に対し、怜香は腕を組む。が、すぐにそれを解き、再度コーヒーをすすった。


「私がトイレで離れたのは三分程です。その短い間に盗みを働くのは、難しいと思いますが?」


 京香は美穂に視線を送る。美穂がこくりとうなずくと、京香はすぐに向き直った。


(申告時間は合っている)


「……確かに。ありがとう。では、ここでお暇するわ」

「そうですか。あ、カップはそのままで結構ですよ」


 怜香がそう言うと、京香は軽く頭を下げ、好実もそれに続くが、足を止めた。


「一つ、よろしいでしょうか?」

「まだなにか?」


 怜香は手に持った紙コップへ目線を向けたまま、生返事だけを返す。


「害虫騒ぎの際、梶原先輩はどちらに?」


 その単語に、京香の肩が小さく跳ねた。


「更衣室内にいましたよ。それが?」


 好実はわざと頬に指を当てて、あざとい声を出す。


「意外です。虫は平気でいらっしゃるのですね」

「……は?」


 怜香は紙コップを持ったまま、しかし高さを下げると、睨むような目で好実を見つめる。


「京香さんは『害虫』という言葉すら嫌って、『アレ』と呼ぶほどですのに。冷静でいらっしゃいますのね」

「……会長も、更衣室にいたでしょう」

「ええ。逃げ遅れた生徒に取り囲まれて、怯えていたようです。それで、その時先輩は?」

「壁際にいました。騒ぎが収まるのを待っていただけです。いけませんか?」


 好実はにこりと微笑み、『いいえ』と首を振った。そのまま踵を返すと、京香にそっと耳打ちをする。


「今の話は?」

「……覚えていないわ。あの時は、それどころじゃなかったもの」

「……彼女、何か隠していますわね」

「ええ。友香さんと同じくね」


 一行は扉を開けて部室を後にした。


 *


「残りは図書委員の中島先輩です。このまま行きますか?」


 科学部の部室を出た先、美穂がノートパソコンを広げて顔写真を指さす。


「そうですわね……パンツは急げと言いますし、行きましょうか」


 好実がスカートを広げてお辞儀をしてみせる。京香はじっとりとした目で好実を睨むが、眼力はない。


「初耳よ」


 京香は好実の頬をツンとつつく。その後ろでは、雑食腐れ脳コンビがときめいていた。


(もう告れよ)(さっさと結婚しろ)


「行くわよ……」


 京香は好実の袖を掴んで横に並んだ。



 ─────────



 続く……

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