一話十節『初音好実と二人の姫君』
科学部の部室を出た先、階段に差しかかったところで、明美が急に声を出す。
京香より一歩先に、好実は既に階段を降り始めていた。
「あ、待って」
「ちょ、明美さん!?」
突然の声掛けに好実がバランスを崩し、階段を踏み外しそうになる。
「好実!」
真後ろにいた京香が、咄嗟に手を伸ばし、好実の右手を引っ張る。が、今度は勢いが強すぎた。
「きゃっ!?」
京香に抱きつく形で好実がぶつかり、京香は床に尻もちをつく。
「――っ!!」
茹でダコのように顔を赤くした京香が、好実を突き飛ばそうとする。だが、近すぎて力が入らず、腕は空を切る。京香はそのまま腕をブンブンと上下に振り回した。
「バカー!」
その横では、眼鏡を曇らせ、ノートパソコンの背面カメラのシャッターを切りまくる美穂がいた。
なお、改造パソコンなので、シャッター音は出ない。
(けしからん……白米が、白米が欲しい……!)
「後で画像生成AIで二次元化しておきましょう……フヘ」
「あ、美穂っち、それ一枚ちょうだい!」
がしりと握手をする美穂と明美。その横では、ジト目で見上げる京香を、好実が引っ張り上げていた。
「……まったく、急に引っ張らないでくださいな」
「ごめんごめん。でもラッキーだったでしょ?」
好実はコホンと咳払いを一つ落とす。
「それで、どうかしたんですの?」
やや不機嫌そうな声を出す好実に、明美はようやく本題を切り出した。
「あ、えーとね。コレ見て」
「……見えませんわ」
明美はスマホを一同に見せるが、文字が小さくて見えない。
一拍置いてから、明美は内容をかいつまんで説明する。
「んとね。例の先輩たちについて、学校のグループチャットに聞いてみたんだー。『最近なにか変わったことあった?』って」
「明美さん、まさか、お名前を出して……?」
好実の目が、すっと細くなる。
「出してないよー。『三年の先輩の噂ないー?』って、さりげなくね。こういうのは得意なんだー」
顔が広く、社交性の高い明美ならではの情報収集に、好実は舌を巻いた。
「さすがですわね。それで、なにかわかりまして?」
「うん。まず、須木先輩だけど、例のキープレートのおまじないについて、『鍵を見せて欲しい』って、水泳の度に聞き回ってたみたい」
好実はちらりと京香を見る。なぜか京香は少し照れながら答えた。
「私は聞かれなかったけど、確かにコソコソとなにかやっていたわ。なるほど……そういうことだったのね」
そう言うと、京香はジャージのポケットの中に手を入れ、なにかの感触を確かめた。
「水泳の度に鍵を見せてもらえば、鍵本体に刻まれた番号を、四十個すべて控えられます。あの刻印さえあれば、鍵屋は現物がなくても合鍵を作れます」
美穂は興奮気味に眼鏡を押さえながら続けた。
「全部揃えれば、京香さんがどのロッカーに当たっても開けられます。何より、親衛隊の彼女には動機があります」
美穂はインターネットで鍵屋のホームページを開く。
「一度店舗で身分証を登録すれば、以降はネットだけで完結出来ます。彼女は水泳部ですし、そういう意味では、他の誰よりも有利です」
(……確かに、辻褄は合いますわ)
好実はツーサイドアップの右側を指で巻くと、それをクルクルと回す。
考え込む時、よく出る癖だ。
「それで明美、他には?」
京香に促される形で明美が続けた。
「後は中島先輩。先輩の家、機械工場らしいんだけど、最近の不況で『小遣いが減った』って周囲に嘆いていたみたい」
「俊子さん……彼女なら、騒ぎを自ら起こせる。そして――」
京香の分析に、美穂がキーボードを叩きながら続く。
「出ました。中島機械。この工場、鍵のカムやサムターン等も作っています。彼女、鍵の構造に詳しいですよ」
「小遣い目当てでロッカーを物色する動機が出来たわね」
「はい。彼女なら、鍵を開ける技術や道具を持っていても、なんら不思議じゃありません」
(中島先輩にも動機がありますわ。そして――梶原先輩にも、おそらくは)
須木友香と中島俊子。二人には、動機と、それぞれの立場を利用した鍵開けの手段がある。辻褄は合っている。
「中島先輩にも、やはり会ってみる必要がありますわね」
*
放課後だというのに、図書室は多くの生徒で溢れていた。
パソコンデスクでは、インターネットに繋ぎ勉強する者。自習室では、机の大半を複数のグループが既に占有している。
真面目に勉強している生徒もいるが、噂話や動画の見せ合いで盛り上がっている生徒もままいる。
「まったく……半分遊び場ね。これでは」
生徒会長として、京香は呆れたため息を落とす。彼女が咳払いを一つすると、多くの生徒が振り向き、自習室からは笑い声が消えた。
「おお……これが噂に聞く、『氷の姫』ですか。場の空気が一気に冷えましたね」
小さく拍手をして感心する美穂に、京香は『昔のあだ名よ』と、照れ隠しをし、『行きましょう』とカウンターを目指す。
その奥には、ベージュのお下げ髪を前に垂らす落ち着いた雰囲気の生徒――中島俊子がいる。
「ご機嫌よう、俊子さん」
カウンターにいる中島俊子に、京香は軽く手を振り挨拶をした。中島俊子と京香はただのクラスメイトだが、京香は名前で呼ぶ。
相沢家と一括りにされるのを嫌う京香は、一部を除き、相沢と呼ばれることを好まない。だから自分も、相手を家の名ではなく名前で呼ぶ。
これが、京香にとっての礼儀である。
「こんにちは。それと、ありがとうございます。さすがは京香さん。アイシィプリンセスは健在ですね」
「やめてちょうだい。恥ずかしいわ」
俊子は『うふふ』と上品に笑うと、左手でお下げ髪を弄った。俊子はごく普通の町工場の娘だが、下手なお嬢様より、よほど気品があった。
令和の時代に『俊子』という名前からも、古風な家風が窺えた。
(今日日『子』のつく名前は、めっきり聞かなくなりましたわね)
好実は、記憶の片隅に残る、寿喜男の残滓を呼び起こし、しみじみと考えた。
「それで、生徒会ご一行が、どのようなご用件でしょうか。あちらで伺います」
「助かるわ」
図書委員だけあって、俊子には観察力があった。京香だけであればともかく、生徒会ががん首を揃えてやってくる――その異常さを察し、カウンターの奥の書庫へとすぐに案内した。
*
図書室の書庫には、古めかしい本棚がひしめき合い、所狭しと本が収納されていた。
百年の歴史を持つ学園だけあり、中には見るからに歴史的価値のある本まである。
薄暗い照明の中に、ニスと古紙の匂いが混ざり合い、まるで大正にタイムスリップでもしたかのような錯覚を与えた。
「ご用件を伺います」
そんな大正浪漫の趣を漂わせる書庫の中央に、俊子はまるで姫君のように背筋を伸ばし優雅に立つ。
その姿勢だけ見れば、とても盗みなどするようには見えない。
「ねえ、美穂っち、ここの本全部売ったらいくらになるかな……?」
「さあ……中には値段のつけようのないものもありそうですが」
古書の数々に沸き立つ二人に、好実は『しっ』と、指を立てる。
「お静かに」
前に立つ京香は、後ろを振り返ると苦笑いを浮かべ、向き直ると軽く頭を下げた。
俊子は優しく微笑むと、手を横に振って答える。
「お気になさらずに」
「ありがとう。では、本題に入るわ」
京香の目の奥に冷気が宿り、俊子の目もすっと細められた。
古書の香りが場を包む中で、事実上の尋問が始まろうとしていた。
─────────
続く……




