一話六節『初音好実はギャップに戸惑う』
「合鍵の線、どこから当たりましょうか?」
更衣室を出た先の廊下、ノートパソコンを広げたまま、初音好実と相沢京香の顔を覗き込むのは佐藤美穂だ。
「事情聴取以外で、今出来ることってあるかなー?」
佐々木明美は、スマホをポチポチと弄りつつ、考え込むように壁を見る。
壁には二学期の体育祭のお知らせと、スケジュールが記載されたポスターが貼られている。
好実は明美のスマホをちらりと見た。深く考え事をするとき、明美はよくチャットアプリやAIに相談する。
彼女なりに、京香の仇を討とうとしているのだろう。好実はそう思い、黙って見守った。
「そうですわね……とりあえず職員室へ向かいましょうか」
「職員室ですか?」
「ええ。可能性は低いですけれど、マスターキーや鍵の持ち出し記録、そして、これまでに鍵の紛失がなかったかの確認も必要ですわ」
美穂は『確かに』とうなずき、一行は職員室へと向かう。
*
放課後の職員室では、インスタントコーヒーの香りが漂い、机の上には採点途中の答案が山を成し、それだけで教師たちの疲労を物語っていた。
「聞いたわ。相沢さん。水泳の授業で盗難に遭ったそうね」
対応してくれたのは、大きくなったお腹を愛おしそうに撫でる音楽教師、豊田 美紀、三十二歳。
ウェーブパーマの茶髪を後ろで束ね、白のハイネックに茶色のロングスカートという出で立ちの、落ち着いた女性だ。
「はい……美紀先生」
美紀は椅子をくるりと回すと、壁のキーボックスを一瞥する。
ずらりと並んだ鍵には、ナンバープレートと、鍵本体に刻まれた細かな番号。
彼女はこれまでにも、生徒会の非公式の捜査を見守ってきた経緯があり、今回も京香が来ただけで、おおよその事情は察したようだ。
「わー、美紀ちゃんまたお腹大きくなったー?」
「明美ちゃんったら、先週の金曜日に会ったばかりじゃない。そんな劇的に大きくはならないわよ」
「えー、そうかなあ」
明美は自らの腹部と美紀のそれを交互に見比べ、無邪気に笑う。
京香は、しばらく見守った後、やり辛そうに訊ねる。
「美紀先生。授業中、ロッカーキーの紛失などを理由に、鍵を借りに来た生徒はいましたか?」
「水泳の授業中、音楽の授業がなかったからここにいたけど、そうした生徒はいなかったわ」
「では、これまではどうです?」
美紀は『そうねえ』と口元に指を添えて、思い出すように白い天井を仰ぐ。
「プール授業が始まってから、私が知る限りではいなかったわ」
「先生、ロッカーのマスターキーはございますの?」
「ええ、そこのキーボックスに。でも、持ち出すには管理簿への記入が必要だし、ここ最近は誰も持ち出していないわね」
「そうですか。わかりました」
京香はそう言うと踵を返し、すぐ近くの扉に手をかける。
その時、美紀に呼び止められた。
「相沢さん」
「はい。なんでしょう」
「……探偵も程々にね。あまり大きな声では言えないけど、先生の中では、快く思っていない人も正直いるわ」
「ご忠告、ありがとうございます」
京香は事務的に頭を下げ、今度こそ職員室を後にした。
扉を閉める直前、京香の視線が一瞬だけ美紀へと向く。それに気づいた者は、美紀のほかにいない。
一同もそれに続き、美紀は丁寧に閉められた扉を静かに見つめていた。
*
職員室を出た一行は、学園のエントランスの自動販売機前にいた。
冷房で冷えた身体に温かいものが欲しくなり、紙コップの自販機から人数分のホットのレモンティーを買う。目の前の対面式のソファに腰掛けると、レモンの爽やかな香りが四人を包んだ。
「分かってはいましたけど、やはりそんな単純ではありませんでしたわね」
「可能性が潰せただけでも収穫よ、好実。次に繋げましょう」
「はい。京香さん」
「ところでさー、京香ちゃん」
レモンティーを一口含むと、京香は向かいのソファに座る明美へ目線だけ向ける。
「なに?」
「犯人はさー、なんで京香ちゃんの下着を狙ったんだろうね? 売ってお金にしたかったとか?」
「まさか。今時ブルセラなんて流行りませんわよ」
好実の一言に、一瞬場の空気が固まった。
「……ブルセラ?」「ブルセラってなんですか?」「このみん、ブルセラってなあに?」
一斉に質問され、好実の眉が軽く痙攣する。
(今のヤングはブルセラって言いませんのー!? もしや、テレクラも死語ですか!?)
「オホン! 意味はご自分で調べてくださいまし!」
「にしても明美、売るなんて発想がすぐ出てくるあたり……まさか」
京香の疑いの視線が注がれる。明美はぷくっと頬をフグのように膨らませた。
「いくら私でもそこまではしないよー! せいぜい生徒会の備品を――」
「備品を……?」
やぶ蛇だったが、もう遅かった。
「……お小遣いが減らされて」
美穂の冷めた目と、好実の沈黙。そして京香の殺気が明美に深く突き刺さった。
「……明美、後で話があるわ」
「だ、だってー! しょうがないんだよー!」
「何がですの? ご説明をどうぞ」
「ちちち、違うんだよー!」
好実の勢いに圧され、明美は手を振りながら必死に説明する。
「パパがさー『そろそろお前にも、金の大事さを教えねばならん。私も心を鬼にする』とか言って、十万あったお小遣いがたったの八万に減らされたんだよー! 酷くない!? 八万だよー!? ソシャゲキャラ、初登場で完凸出来ないよー!」
明美の呆れた言い訳に、美穂が紙コップを握りつぶす。
黒いガラスのテーブルに、熱いレモンティーが滝のようにこぼれ落ちる。
「はぁ!? 『たったの八万』!? 月二万でやりくりしてた家への当てつけですか?」
「えー? 二万とかお菓子で終わるじゃん!」
明美には悪気は無いのだろうが、火に油だ。
「あははは。お菓子どころか、家賃滞納当たり前、水道ガス電気は停止がデフォでしたが何か?」
「え……」
「ええ、ええ。どうせ私は貧しい母子家庭庶民。技術特待生の全額免除に甘える雑草ですよ。さすが大物政治家の愛娘の明美ちゃんは違いますね。あははは……死ねばいいのに」
美穂は笑顔だが、言葉は猛毒で極寒だ。
「ごごご、ごめんてー! 今度回らないお寿司奢るからー!」
両手を合わせて必死に謝る明美に、美穂は苦虫を一ダースほど噛み潰したような顔を浮かべ、悔しそうに胸の前で拳を作る。
「そ、そんなもので私が釣られると思ったら……母の分もお願いします」
母子家庭貧困庶民に、回らないお寿司の力は偉大だった。
好実は苦笑いを浮かべつつ、ポケットの中からハンカチを取り出しテーブルを拭き取る。
残り少しのところで、その手が止まった。
「けど、確かに明美さんの言う通りですわね。何故、京香さんのだったのでしょう」
好実が言い終わるのとほぼ同時に、横で美穂が何かを思い出した顔を浮かべ、高速でキーボードを叩く。
「一つ心当たりが……アクセスします」
画面に映るのは、とあるホームページの会員限定ページだ。
「動機という意味では、一番疑わしいのはここでしょうか」
美穂が見せたその画面に、京香が苦虫を噛み潰したような顔を向ける。
「京香様親衛隊……」
『京香様親衛隊』
生徒会長・相沢京香を『京香様』と崇め、信仰に近い推し活を行う一種のカルト集団だ。
そして、その会員名簿の顔写真の中には、先程映像で見た顔もあった。
『京香様親衛隊・特攻隊長・須木 友香』
「親衛隊の特攻隊長ですか⋯⋯なるほど」
好実はツーサイドアップの右側を指でくるりと巻いた。
須木友香は水泳部の三年、京香と同じクラスの生徒で、先の授業で途中、プールサイドから消えた生徒の一人。
そして、離席時間は最も長い五分だった。
─────────
続く……




