一話三節『初音好実はパンツメトラーである』
女子更衣室。塩素の臭いが漂う中、初音好実は一つのロッカーの前に佇んでいた。
ツーサイドアップの右側を指で巻き、左手は口元に添えている。
「この世の神秘に……感謝」
そう呟くと好実は合掌し、空っぽのロッカーに深くお辞儀をする。
「では――」
そうして、好実が右手を伸ばした、その時だ。
「ね、ねえ……好実」
声をかけたのは相沢京香。長い紺色の髪を指先で弄りながら、床にアヒル座りのまま、潤んだ藍色の瞳で好実を見上げる。
もし、普段の彼女を『京香様』と慕う女子生徒が見れば、卒倒するか、あるいは庇護欲を掻き立てられ、奪い合うかもしれない。
それほどまでに、その表情は可憐で切実。声は震えながらも透き通っていた。
「はい?」
首だけ振り返る好実に、京香はこの期に及んで食い下がる。握った拳から覗く親指の先を、唇で甘噛みしつつ上目遣い――
部屋の隅には、京香のキャラ崩壊に必死に笑いを堪える明美。そして、鼻を押さえ、眼鏡を白くする美穂が悶絶している。
「この光景、写真に撮ってばら撒きてー!!」
「だ、ダメですよ。殺されますよ。明美ちゃん……十枚ください。観賞用、観賞用予備とその予備。保存用と予備と、予備の予備。触る用、触る用予備と予備の予備……」
言うが早いか、既にシャッター音が機関銃のように鳴り響き、その写真は学園の裏サイトで、とある団体を中心に高額取引されることとなる――が、それはまた別の話。
「た、たかが下着よ……? 犯人捜しとか、やめましょう?」
普段の相沢京香からは決して出ないセリフ。全生徒の見本たる生徒会長とはとても思えない。
だが、その懇願は悪手だった。何故なら――
「今なんと仰いました? 『たかが下着』?」
パンツの蔑視は好実の最大の地雷。京香は見事に、華麗にそれを踏み抜いた。
「いいですか? 京香さん。下着とは――いいえ、パンツとは神聖なものなのです。神聖にして不可侵な乙女の正装、心の武装、人界の神秘ですよ? それをたかがとは何事ですか? パンツとは乙女に穿かれてこそ、本人に愛されてこそ、人を魅了するパンツたりうるのです。他人はそれを想像し、愛でる。それこそがパンツへの愛であり、礼儀なのです。それをたかがですか? 京香さん」
早口で畳み掛け、ガン開きの目で京香の顔を覗き込む好実。京香は直視できず、目を閉じて顔を背ける。
やがて項垂れ、両手を床につく。長い紺色の髪がさらりと床へ流れた。
「……と、言うわけで♡」
好実はくるりと反転すると、京香を尻目にガッツポーズを取り、明美は拍手で応える。
「よッ! 待ってましたー!」
「記録……準備万端。フォルダ名『京香さん、パンツ』……ふんす!」
好実は静かに目を閉じると、ロッカーの床をそっと撫でる。
指先から意識を溶け込ませ、一体となる。
やがて、暗闇から映像が浮かんでくる。
それは、一枚の布。ただの布切れ、しかして好実の心を掴んで離さない魅惑の布切れ。
好実の言葉を借りるならば、乙女の正装。柔らかな布地だ。
「見えました♡」
「このみん! 色は! 種類は!」
前のめりで腕を振る明美に、好実は人さし指を唇に当て、『しー』と制する。
「SHI・RO♡」
「白!」
「薄生地♡ レース付きショーツ♡」
「薄生地透けパンキター!」
好実と明美は捜査そっちのけでハイタッチ。美穂は高速でキーボードを叩き、鼻息を荒げる。
「勝負下着! 勝負下着!」
「い、いやぁぁぁ! 見らりぇてぃやぁー! 好実に見らりぇたー!」
説明しよう。これこそが彼女の能力。サイコメトリー。
彼女が愛してやまないパンツ限定で、そこに宿る記憶を垣間見るサイキック。
その名も――パンツメトリー!
しかも、見えるのはパンツだけではない。パンツが見た映像を、パンツ目線で見ることも可能なのだ――!
「……役得、いただきました」
突如、頬を赤らめ口元を手で覆う好実に、京香はもはや半狂乱だ。
涙目で跳ね起きると、『な、何を見たのー! 何を見たのー!』と、好実の両肩を鷲掴みにして揺さぶる。
「……言ってもよろしくて?」
「ダメに決まってるでしょう! 言ったら殺すわ!」
「なら教えられないではありませんか」
「私にだけこっそり言いなさいってことよ!」
好実は『えー』とわざとらしく渋ってみせると、京香の肩を抱いて耳元に唇を近づける。
そんな二人に対して、明美と美穂は餌を目の前にした子犬のように目を輝かせている。
「んふふ……」
好実はいたずらっぽく笑うと、『ぼしょぼしょ』と、京香に耳打ちをする。
すると、京香の顔が見る見るうちに耳まで赤くなり、グーで好実をポカポカ殴り始めた。
「変態! 死ね死ね!」
「嗚呼……生きているって、素晴らしいですわ」
「もう……お嫁にいけない」
とうとう京香はその場で座り込み、子供のようにわんわんと泣き出してしまう。
「ダイジョーブだよ、京香ちゃん。その時はこのみんがもらってくれるから」
明美は親指を立てて京香の肩を叩くが、火に油。完全な逆効果だ。
「何が大丈夫なのよ! 馬鹿ー!」
この後、明美の頬に京香の平手打ちが炸裂し、京香をなだめるのに一苦労だったそうな。
一般生徒の前では完璧な生徒会長――相沢京香も、初音好実の前では一人の少女。
平手打ちを食らってなお、佐々木明美の顔はニヤケっぱなしだった。
ただ一人、好実だけが真顔でロッカーを見つめていた。
映像は、制服がパンツの上に重ねられた瞬間から闇に閉ざされ、ロッカーを離れた瞬間、ぷつりと途切れている。
「愛するおパンツを、必ず……取り戻してみせますわ」
そう呟きながらも、好実の指先には拭いきれない違和感が残っていた。
制服が重ねられた瞬間、映像は闇に閉ざされた。その先は――何も見えなかった。
パンツメトリーが場所から読めるのは、パンツがそこにあった間だけ。パンツそのものに触れられれば、もっと深く遡れる。
鍵のかかったロッカーの中から、パンツは誰に、どうやって連れ去られたのか。
あの闇の向こうに、犯人がいる。好実はそう考えていた。
──────────
続く……




