一話一節『初音好実はサイコメトラーである』
季節は、プールが恋しい七月上旬である。
ここは、成城や田園調布にも負けじと劣らぬ、都内でも屈指の高級住宅街『花百合ヶ丘』に構える巨大学園――『私立花百合学園』
蝉が外でラブコールの合唱を繰り広げる中、女子更衣室では一人の女子生徒が項垂れていた。
「不覚……」
そう言って、額に手をやるのは、三年の生徒会長・相沢 京香、十八歳。
頭脳明晰、容姿端麗、文武両道、才色兼備。おまけに実家は旧華族で旧財閥の大金持ち。
全校生徒の憧れ、完全無欠の生徒会長――の、はずの彼女の長い紺色の髪は、ホラー映画の怨霊のように前に垂れ、今にも怨嗟の声が聞こえてきそうだ。
彼女の目線の先には灰色のロッカー、そして奥には紺色のセーラー服とスカート……それだけ。
プールの授業を終え、水着のまま戻ってきた彼女を待っていたのは――
『それだけ』だった。
「しかもハズレだし……最悪だわ」
京香はおもむろに、手首に通したロッカーキーの赤いプレートを見る。
『キープレートにハートマークがあるものが一つだけあり、七夕までに引いた生徒は好きな人と両想いになれる』
クラスメイトから小耳に挟んだ噂話がリピートされる。
(七夕なんて、とっくに過ぎているのに)
「別に……信じてないし」
そのため息は、マリアナ海溝のように深かった。
*
場面は、放課後の生徒会室に移る。
「――と、言うわけなの」
京香はジャージに着替え、長テーブルの先に縮まるように座っている。
そこへ、赤髪ツーサイドアップの女子生徒が並び立つ。
「んー……なるほど。はいー。つまりー、下着がないと、そういうことですねー?」
初音 好実、十七歳。二年の雑用係。そして、ちょっと……いや、かなり特異な能力の持ち主。
普段はお嬢様然とした彼女だが、今は完全に役に入り込んでいる。
額に指二本――人さし指と中指を当てる独特なポーズを取り、クセのある喋り方。目の前のテーブルの周りを、右に左に歩き回りながら、コツコツとわざとらしく靴を鳴らす。
その様は、平成の名刑事・古畑任三郎そのものだ。
古畑任三郎は寿喜男のバイブル、恩師、ヒーローだった。知恵とハッタリとトークで犯人を欺き、翻弄し、真実を暴き出す名刑事。寿喜男は、いつも彼の真似をしていた。
「恥ずかしいから、直球で言わないで」
好実の悪ふざけに、京香は睨みを利かせるが、本来あるべき物がジャージの下に無いせいか、その姿勢はストーブの猫かアルマジロ。丸まった身体ではまるで覇気がない。
「つまり、今……京香ちゃんのジャージの下は……ゴクリ」
向かいの席から身を乗り出すのは、二年庶務の佐々木 明美。同じく十七歳。茶髪のロングポニーテールを左右に揺らし、興味津々だ。
そこに、好実がノリノリで応える。
「それはもう……上下共に……んふふ。ありませーん」
京香は『ぶつわよ』と手を挙げて凄むが、赤い顔で、内股で、胸元を守りながら言われても凄みがない。
「んふふー、ですが、事実は事実ですからねえー。はいー」
「あはは、似てる似てるー。右京さんでしょー?」
「……これがジェネレーションギャップ」
明美が笑いながらパチパチと手を叩く。
好実はモノマネが通じなかったことに落胆するが、コホンと咳払いでごまかした。
(古畑と右京さんは違うでしょうー!)
心の中のツッコミは、好実の胃の中に消えた。
「男子校の連中かなー? 京香ちゃん、人気あるしー」
明美は窓の外へ視線を流し、テーブルの上のポテトチップスに手を伸ばして口の中に放り込む。
「どうでしょう。同じ学園内とはいえ、本校と男子校の間には塀がありますし、通用口には鍵もかかっていますよ?」
そう冷静に分析するのは、もう一人の女子生徒。同じく二年の書記、佐藤 美穂、十七歳。
彼女は、黒いボブカットを搔き上げ、黒縁の眼鏡をクイッと押す。目前には一台のノートパソコン。そこには本校である女子棟の見取り図が展開されている。
京香は顔を上げずに付け加える。
「それに、授業中の更衣室は、私が施錠していたわ」
「防犯カメラあったらよかったのにねー」
明美は『そんなことは無理だ』と分かっていながら声に出した。ポテトチップスに再び手を伸ばし、隣に座る美穂のパソコンを覗き込む。
「それは明美ちゃんが見たいだけでしょ……」
「バレたかー」
二人のやりとりに、京香は机に突っ伏し、深いため息を吐く。本来の彼女であれば絶対にしない仕草に、明美は『くぷぷ』と失笑を漏らす。その顔はひょっとこのようだ。
「全く……まるで他人事ね」
「んふふー。はいー。ここはわたくしの出番ですねー」
好実は声だけ古畑の真似を継続しつつ、右手人さし指を高らかに上げる。すると、皆の視線がその指先に集まった。
「――ッ!」
先に反応したのは京香だ。テーブルから身を乗り出し、何かを言おうと口をモゴモゴと動かすが、気恥ずかしさからか、やがて項垂れるように深く腰を落とす。
その京香の反応に、明美はパチパチと拍手をし、美穂は口元を手で覆い、眼鏡を曇らせる。鼻息を荒げ、密かに何かをメモっているが、誰も美穂を見なかった。
「……」
京香は、項垂れたまま長い紺色の髪をハラリと流し、まぶたを痙攣させる。その視線は一瞬だけ好実の指先に留まり、すぐに逸れた。
「ズバリ、そうでしょう?」
「アレを……使うの? 私で?」
「そうですよ? え、いつやるの?」
好実の振りに明美が『今でしょー!』とノリで返す。こうなったらもう、止められない。
「よッ! サイコメトラー!」
明美の合いの手に、京香は『非科学的な……』と小声で愚痴るが、彼女の能力は京香も認めるところであり、もはやただの負け惜しみだ。
さあ――満を持して解説しよう。
この『サイコメトリー』こそが、彼女――初音好実の能力である。
しかし――あるモノ限定で。
そしてそれは、今の京香が、世界で一番知られたくないモノであった。
─────────
続く……




