一話十八節『初音好実はパンツ探偵である』
最終下校時刻を告げるチャイムが鳴り終わった。時刻は十八時を三十分過ぎている。
外はすっかりダークブルーの世界となり、ガス灯が植栽を照らし、石畳に長い影が伸びている。
初音好実は、目の前で項垂れながら膝をつく梶原怜香を、不肖の弟子を見る師匠のような、どこか冷めた目で見下ろしていた。
「……どこでわかったの」
すっかり意気消沈した怜香が、最後の意地であろうか、答え合わせの為に僅かに顔を上げる。その目には希望はなく、手に入るはずだったものを目の前で失った――そんな失意が満ちていた。
「最初に会った時です。あの『京香さ……』と言いかけたイントネーションは、さん付けのそれではありませんでした」
「ふっふ……それだけで、私に目を付けたの?」
好実の観察眼に、怜香は脱帽する。同時に、どこか吹っ切れたのだろうか、静かに立ち上がり髪を掻き上げる。
「私はなんて答えれば良かったの?」
「やり直しますか?」
好実がそっと首を傾げると、怜香は『ええ』と、ゆっくりうなずいた。
もう自白はした。逃げるつもりはない。だが、最後の意地が、怜香がただの敗者に成り下がるのを許さなかった。
「ああ……今なら言い訳が思いつくわ」
「受けて立ちましょう」
好実がこくりとうなずくと、怜香は『ふふ』と笑い、好実のように手のひらを向ける。
「その指紋は、私が今朝、備品の整理で付けたものよ。そろそろ片付けようと思っていたの……どう? これなら自然でしょう?」
怜香はまるで舞台女優のように、演技をしてみせる。その演技に、好実は微かに微笑み、静かに乗ってみせる。
「では、部員さんに訊いてみましょう」
「その時は私一人だったの。残念ね?」
「んふふ、では、トイレの指紋はどうでしょう」
「トイレ?」
「ええ、おトイレに指紋がなければ、それは貴女が『トイレを使わなかった』という証拠になります」
思わぬ一手に、怜香は一瞬言葉に詰まり、唇を噛んだ。
だが、数秒後に口角を上げる。
「私の手は濡れていたわ。それで指紋は付かなかった」
「んふふ、残念ながら、指紋には皮脂が付いています。つまり脂です。水は弾きますー」
「そうとは限らないわ。ハッタリは無駄よ」
「では、やはりその缶を確かめるしかありませんー」
好実が笑顔で首を傾げると、怜香は肩を竦める。
「それは反則よ」
「はい。ですが、一番最初に貴女が出してしまったんですー」
「なんで持ってるって思ったの?」
合点のいかない怜香に、好実は静かに指を上げて答える。
「それは聖遺物だからです」
「……え?」
「その缶の中には京香さんが使った鍵の跡と、指紋が付いた印象材があります。んふふ、捨てられるはずがありませんー」
好実の笑いに、怜香は肩を震わせ、笑う。
「……確かにね」
怜香はそう言うと、ゆるりと窓際まで歩き、窓枠に手をつく。外の景色は、もう夜の帳に包まれている。
「……最初から詰んでいたのね」
「はい」
好実はうなずくと、一歩、怜香に歩み寄った。
「それで、京香さんのおパンツは、どちらに?」
「……私のカバンの中よ。真空パックにしてあるわ」
「し、真空パック……!?」
好実の声が裏返る。後ろでは、明美と美穂が無言で顔を見合わせていた。
「鮮度が落ちないように。当然でしょう?」
「なんという保存への執念……いえ、おパンツは保存食ではありませんわ!」
京香は額に手を当て、深いため息をついた。
怜香は窓に息を吐くと、ゆっくり振り返り、再び好実の前に立った。
「最後に一つだけ教えて」
「なんでしょう」
「貴女のその口調、誰かのモノマネ? 杉下右京?」
「……古畑任三郎です」
「ああ……ユーチューブで見たわ。けど……似てないと思う」
「余計なお世話です」
好実はふっと鼻で笑う。
京香が、そっと怜香の肩を抱いた。
怜香の肩が小さく跳ね、それから、静かに震え始めた。
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続く……




