第9話 触っても、いいですか
翌朝、町の広場は人でごった返していた。
役所で懸賞金を受け取った帰り道だった。盗賊団の懸賞金は金貨二十枚。ティコが「これは預かっておくね」と言って、半分を自分の家の金庫にしまってくれた。残りの半分で俺は大通りの宿「月見亭」に部屋をとった。
広場の人だかりの中心に派手な服を着た若い男がいた。
赤い上着に金の刺繍。指には大きな宝石の指輪がいくつも光っている。後ろには武装した取り巻きが十人ほど。男は、広場の真ん中に立つ誰かを見下ろして、大声で笑っていた。
立っていたのは昨日ギルドで見た、金色の髪の女性だった。
「……ティコ、あれは?」
俺のとなりでティコが顔をしかめた。
「バルド・ゴードン。この町の代官の息子。……町でいちばん、きらわれてる人」
バルドは、わざと広場じゅうに聞こえるような声で言った。
「リリア・グランツ! 約束の日は明日の正午だ。闘技場で待っているぞ。まさか、逃げはしないだろうな?」
女性――リリアは表情を変えずに答えた。
「逃げません」
「ははいい返事だ。お前の父親が残した借金、金貨三百枚。お前が勝てば、帳消しにしてやる。だが、負けたら――」
バルドはいやらしく口の端をつり上げた。
「お前は俺のものだ。妾として、屋敷に来てもらう」
広場の空気がざわりと揺れた。眉をひそめる者もいた。けれど、誰も声を上げなかった。代官の息子に逆らえる者はこの町にはいないのだろう。
「……承知しています」
リリアの声は静かだった。
「せいぜい剣を磨いておくんだな。逆賊の家の剣がどこまで通用するか見ものだ」
バルドは、腰の剣の柄をぽんとたたいて、取り巻きを連れて去っていった。
その剣を見た瞬間、俺の目の前に半透明の板が浮かんだ。
【魂喰いの魔剣】
【種別】呪具
【効果】斬った相手の体力と魔力を吸い取り、持ち主に与える
【備考】ロウェル王国法により所持・使用を禁ず
「……禁止の剣じゃないか」
思わずつぶやいた。
さらにバルドの取り巻きの一人が、広場の端に立っていた初老の男に何かを手渡すのが見えた。小さな革袋だった。初老の男はそれを素早く懐にしまった。
その男にも板が浮かんだ。
【ドミニク】
【職業】闘技場の審判
【状態】買収済み(金貨十枚)
「……」
鑑定のスキルは、どうやら、見てはいけないものまで見えてしまうらしい。
「お兄さん、どうかした?」
「いえ。……ティコ、あの決闘って、本当に公平なものなんですか」
ティコは少し黙ってから、小さな声で言った。
「……みんな公平じゃないって分かってる。でも、代官さまの息子のすることだから。誰も何も言えないの」
俺は、広場の真ん中に一人で立つ、リリアの背中を見た。
昨日と同じだった。背筋をまっすぐに伸ばして、少しも揺らいでいない。
関わらないほうがいい。ティコの言うとおりだ。俺はよそ者で記憶もなくて、この町のことを何も知らない。代官を敵に回したら、ハンスやティコにも迷惑がかかるかもしれない。
それにあの人は助けを求めていない。
そう、自分に言い聞かせた。
その日の夕方、俺は町の外れを流れる川のほとりを歩いていた。宿の部屋にこもっていると、昼間の光景が頭から離れなかったからだ。フードの中ではシラタマがすうすうと寝息を立てていた。
川沿いの土手を歩いていくと、どこからか、風を切る音が聞こえてきた。
ひゅん。ひゅん。ひゅん。
土手の下の河原で誰かが剣を振っていた。
リリアだった。
鎧を脱いで、白いシャツ一枚になっている。細身の剣を何度も何度も振り下ろしていた。型を確かめるようにゆっくりと。それから、速く。汗が夕日を受けて光っていた。
きれいな剣だ、と思った。
剣術のスキルがMAXだから、分かる。無駄がない。力任せではなく、体の軸がまっすぐに通っている。何年も、何千回も同じ型を繰り返してきた者の剣だった。
見とれていたせいで、フードの中のシラタマが目を覚ましたことに気づかなかった。
「きゅう?」
シラタマがフードから顔を出した。河原を見下ろして、鼻をひくひくと動かす。
そして、次の瞬間、俺の肩を蹴って、飛び出していった。
「あっ、おい、シラタマ!」
シラタマは土手の斜面を転がるように駆け下りていった。銀色の毛玉が夕日の中を跳ねていく。俺の魔法はフードの中にいるあいだしか効かない。飛び出したシラタマはそのままの姿だった。
剣を振っていたリリアが足音に気づいて振り向いた。
その足もとにシラタマがちょこんと座った。
見上げる。首をかしげる。尻尾をぱたぱたと振る。
「……」
リリアの動きが止まった。
剣を振り上げた姿勢のまま、固まっている。
シラタマは、リリアのブーツのにおいをくんくんとかいで、それからその足にすりすりと体をこすりつけた。
「きゅう」
かたん、と音がした。
リリアの手から剣が落ちた音だった。
俺はあわてて土手を駆け下りた。
「す、すみません! その子、俺の連れで……」
リリアは俺のほうを見なかった。
じっと足もとのシラタマを見下ろしていた。
青い目が大きく見開かれていた。昨日も、今日の広場でも、少しも揺らがなかったその顔がみるみるうちに崩れていく。唇がふるふると震えて、頬がほんのりと赤くなって、眉が情けないほど下がっていく。
騎士の顔ではなかった。
ふわふわの小さな生き物を前にして、どうしていいか分からなくなった、ただの女の子の顔だった。
「……あ、の」
リリアがようやく俺のほうを見た。声がかすれていた。
「この子は……あなたの……」
「はい。シラタマといいます」
「しら、たま……」
リリアはその名前を口の中で転がすようにつぶやいた。
それから、ひどく真剣な顔で俺を見た。
「……触っても、いいですか」
ギルドで罵声を浴びても、広場で侮辱されても、一度も揺らがなかった声が震えていた。
俺は、思わず笑いそうになるのをこらえて、うなずいた。
「どうぞ。この子もあなたのことが気に入ったみたいです」
リリアは河原の石の上にそっと膝をついた。
剣だこのある手をおそるおそる伸ばす。シラタマは自分からその手に頭を押しつけた。
リリアの指が銀色の毛の中に沈んだ。
「……っ」
リリアが息をのんだ。
ゆっくりとなでる。一回。二回。三回。シラタマが気持ちよさそうに目を細めて、ころんとあおむけになった。お腹を見せる。リリアはためらいながら、そのお腹にも手を伸ばした。
それから、ふと、シラタマの前足に目を留めた。
ぷっくりとした桃色の肉球。
リリアは人差し指でそれをそっと押した。
ぷに。
「……ふ、ふふ」
リリアの口から笑い声がこぼれた。
小さな、かすかな笑い声だった。けれど、それは、俺がこの町に来てから初めて聞いた、彼女の笑い声だった。
夕日が川面を赤く染めていた。
しばらく、誰も何も言わなかった。リリアはシラタマをなでつづけ、シラタマはされるがままになり、俺はその横に立って川を眺めていた。
やがて、リリアがなでる手を止めずに言った。
「……見苦しいところをお見せしました」
「いえ」
「広場にもいらっしゃいましたね」
気づかれていたらしい。
「はい。……明日の決闘のことも聞きました」
リリアは何も答えなかった。
俺は少し迷ってから、口を開いた。
「差し出がましいことを言います。あの男の剣は呪具です。王国の法律で禁じられている斬った相手の力を吸い取る魔剣です。それから、審判は買収されています」
リリアの手がぴたりと止まった。
けれど、驚いた様子はなかった。
「……そうですか」
「知っていたんですか」
「剣のことは知りませんでした。でも、公平な決闘でないことは分かっていました」
リリアは、シラタマの頭をもう一度だけなでてから、立ち上がった。落ちていた剣を拾う。刃についた砂を丁寧に払う。
「それでも、私は逃げません」
夕日を背にして、リリアはまっすぐに俺を見た。
「グランツの剣は逃げないための剣ですから」
その目はもう揺らいでいなかった。
俺は何も言えなかった。
リリアは俺に向かって、騎士の礼をした。それから、少しだけ迷うように足もとのシラタマを見た。
「……また、この子に会えますか」
「明日、闘技場に行きます。この子も一緒に」
リリアは、ほんの少しだけ目を見開いて、それから小さくうなずいた。
「では見苦しい負け方はできませんね」
そう言って、リリアは土手を上っていった。
その背中を見送りながら、俺は足もとのシラタマを抱き上げた。
シラタマはリリアの去っていったほうをじっと見ていた。
「……お前、わざとだろ」
「きゅう」
シラタマはとぼけた顔で俺の鼻先をぺろりとなめた。
俺はため息をついた。
関わらないと決めたはずだった。
けれど、あの人が一人で禁じられた剣と買収された審判を相手にするのをただ見ているだけというのは――どうやら、俺には無理そうだった。
第9話 了
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