第10話 私の決闘だったのに
正午の闘技場は、町じゅうの人が集まったかのような騒ぎだった。
すり鉢の形をした石造りの観客席が、円い砂地をぐるりと囲んでいる。その席がほとんど埋まっていた。代官の息子と逆賊の家の娘の決闘。この町の人々にとってはめったにない見世物なのだろう。
俺は、ティコとハンスと並んで、前のほうの席に座っていた。フードの中では、シラタマが落ち着かない様子で耳を動かしていた。
「……リリアさん、勝てるかな」
ティコがぽつりと言った。昨日は「関わるな」と言っていたのに、その声は心配そうだった。
「剣の腕はあの人のほうがずっと上です」
俺は答えた。本当のことだった。
「剣の腕だけなら、ですが」
砂地の東側の門からバルドが現れた。取り巻きたちが大げさに拍手をする。バルドは赤い上着の上に金ぴかの鎧を着ていた。腰にはあの魔剣。
西側の門からリリアが現れた。
昨日と同じ古びた軽い鎧。細身の剣。観客席からひやかしの声が飛んだ。リリアは、それを聞いていないかのようにまっすぐに歩いて、砂地の真ん中で足を止めた。
外套の留め具が日の光を受けて光った。盾と灰色の羽根の紋章。
審判のドミニクが二人のあいだに立った。
「これより、ゴードン家とグランツ家の決闘を執り行う。勝敗は、どちらかが降参するか、戦えなくなった時点で決する。――構え!」
二人が剣を抜いた。
バルドの魔剣は、抜いた瞬間から刃のまわりに黒いもやをまとっていた。観客の何人かがそれに気づいて、ざわりとした。ドミニクは見えないふりをした。
「始め!」
合図と同時にバルドが突っこんだ。
力任せの大ぶりの一撃。リリアはそれを半歩ずれてかわした。流れるように剣を返す。細身の剣がバルドの鎧の肩をかすめて、金の飾りを弾き飛ばした。
観客席がどよめいた。
リリアは強かった。
バルドの剣はひとつもリリアに届かなかった。振り下ろせば、かわされる。薙ぎ払えば、受け流される。そのたびに、リリアの剣がバルドの鎧の継ぎ目を正確に打った。バルドの額にはみるみる汗が浮かんでいった。
「くそっ、ちょこまかと……!」
バルドが大きく剣を振りかぶった。隙だらけだった。リリアが踏みこむ。剣先がバルドの喉もとへ――。
そのとき、バルドの魔剣が黒く脈打った。
黒いもやが刃から伸びて、リリアの剣に絡みついた。
「っ……!」
リリアの動きががくんと鈍った。
剣を伝って、何かが吸い取られていく。リリアの顔から血の気が引いていった。膝が震えはじめる。
反対にバルドの顔には赤みが戻っていた。
「はははっ! どうしたグランツの娘! 足が止まったぞ!」
バルドの剣がリリアの腕をかすめた。浅い傷。けれど、その傷口から黒いもやがさらに力を吸い上げていく。
リリアが片膝をついた。
観客席がしんと静まり返った。
「審判! あれは――」
ハンスが立ち上がって叫びかけた。ドミニクは聞こえないふりをした。
「まだ、戦える状態だ。決闘を続ける」
リリアは剣を杖にして、立ち上がろうとしていた。唇をかみしめて。肩で息をしながら。その目はまだ少しも諦めていなかった。
バルドがにやりと笑って、魔剣を振り上げた。
――もう、いいだろう。
俺は立ち上がった。
右手を軽く空に向ける。
闘技場の上空に巨大な半透明の板が浮かび上がった。
観客席の全員の目に見えるように。
【魂喰いの魔剣】
【種別】呪具
【効果】斬った相手の体力と魔力を吸い取り、持ち主に与える
【備考】ロウェル王国法により所持・使用を禁ず
そのとなりにもう一枚。
【ドミニク】
【職業】闘技場の審判
【状態】買収済み(金貨十枚)
【所持品】ゴードン家の紋章入りの革袋
闘技場が静まり返った。
それから、爆発したようにざわめいた。
「禁止の剣……!?」
「審判が買収……!」
「おい、どういうことだ!」
観客たちが次々と立ち上がった。バルドが振り上げた剣を下ろして、空を見上げたまま、口をぱくぱくさせていた。ドミニクは真っ青になって、懐の革袋を押さえた。
押さえたせいで、それが本物だと全員に分かってしまった。
観客席の端から鎧を着た男が立ち上がった。城門で会った、衛兵の隊長だった。
「審判ドミニク! 懐のものを出せ!」
隊長の声が闘技場に響いた。
「それから、ゴードン殿。その剣を改めさせていただきたい。王国法で禁じられた呪具の所持は、たとえ代官のご子息であっても、見過ごすわけにはまいりません。この決闘は無効とします」
バルドの顔が赤くなり、それからどす黒くなった。
「む、無効だと……? ふざけるな!」
バルドが叫んだ。
「誰だ! 誰がこんなまねを! ――ええい、どうでもいい! 決闘が無効なら、今ここでこの女を斬ってやる!」
バルドが魔剣を振りかぶった。
膝をついたままのリリアに向かって。
観客席から悲鳴が上がった。
リリアが顔を上げた。剣を構えようとしたが、腕に力が入らない。
黒いもやをまとった刃がリリアの頭上に振り下ろされる――。
その刃が止まった。
リリアの目の前で。
俺の指のあいだで。
「……え?」
バルドが間の抜けた声を出した。
俺は観客席から砂地まで一歩で移動していた。どうやったのかは自分でもよく分からない。気がついたら、リリアの前に立っていた。そして、振り下ろされた魔剣の刃を右手の人差し指と中指でつまんでいた。
黒いもやが俺の指に絡みついてくる。力を吸い取ろうとする。
けれど、何も起こらなかった。
吸い取ろうとした黒いもやが逆にぶるぶると震えはじめた。刃の表面にぴしり、と細いひびが入った。
「な、なんだ、お前……! 離せ!」
バルドが剣を引き抜こうとした。びくともしなかった。
「その剣でこの人を斬ろうとしましたね」
自分の声がまた冷たく聞こえた。
「決闘はもう終わっています。武器を持たない相手に背を向けていない相手に、膝をついている相手に。それでも、斬ろうとしましたね」
「だ、黙れ! 俺は代官の息子だぞ! お前みたいな――」
俺は指にほんの少しだけ力を入れた。
ぱきん。
澄んだ音が闘技場に響いた。
魂喰いの魔剣が根もとから真っ二つに折れた。
折れた刃から黒いもやがしゅうしゅうと音を立てて抜けていった。今まで吸い取ってきた力が行き場をなくして、空へと散っていく。その一部がきらきらと光りながら、リリアの体に戻っていった。
バルドは、柄だけになった剣を握ったまま、へなへなと砂の上に尻もちをついた。
「あ……あ……」
俺は折れた刃を砂の上に放った。
闘技場は静まり返っていた。
誰も何も言わなかった。
やがて、観客席のどこかで誰かが手をたたいた。
ひとり。ふたり。それがあっという間に広がって、闘技場じゅうが、割れるような拍手と歓声に包まれた。
衛兵たちが砂地に降りてきて、呆然としているバルドとドミニクを取り囲んだ。バルドの取り巻きたちはいつの間にか、こそこそと逃げ出していた。
「こ、このことは父上に……! 覚えていろ……!」
衛兵に両腕を取られながら、バルドがわめいた。隊長が冷ややかに言った。
「代官殿にはわたしから報告いたします。それから、領主さまにも」
バルドの顔が今度こそ、真っ白になった。
騒ぎの中で俺は振り返った。
リリアが立ち上がっていた。
魔剣から力が戻ったのだろう。顔色は少しよくなっていた。剣を鞘に納めて、外套の砂を払う。
それから、俺の前までつかつかと歩いてきた。
「あの大丈夫で――」
「なぜ、出てきたんですか」
リリアの声は低かった。
「え」
「私は逃げないと言いました。見苦しい負け方はしないとも言いました。あの剣のことも、審判のことも分かったうえで私は自分の剣で――」
リリアの青い目が燃えていた。
怒っていた。
本気で怒っていた。
「私の決闘だったのに!」
闘技場の歓声に負けないほどの大きな声だった。
俺は何も言い返せなかった。
リリアは肩で息をしていた。握りしめた拳が震えていた。
しばらく、そのまま、にらみ合っていた。
フードの中からシラタマがひょこりと顔を出した。
「きゅう」
リリアの視線がシラタマに落ちた。
その目からふっと怒りの色が消えた。
リリアは長い、長いため息をついた。それから、握りしめていた拳をほどいて、うつむいた。
「……分かっています。あのままでは私は斬られていました」
小さな声だった。
「だから、これは八つ当たりです。……すみません」
顔を上げる。
その顔は少しだけ赤かった。
「……でも、ありがとうございました」
リリアはそう言って、深く頭を下げた。騎士の礼だった。
頭を下げたとき、外套の留め具が俺の目の前に来た。
盾と灰色の羽根の紋章。
昨日よりもずっと近くで。
――ずきん。
また、こめかみに痛みが走った。
視界が白く染まる。
燃えさかる炎。崩れる石の壁。鎧をまとった大きな背中。
その背中が今度は振り返った。
顔は見えなかった。ただ、笑っていることだけが分かった。
そして、声が聞こえた。
『行け、名もなき友よ。――約束はグランツが守る』
はっと我に返った。
「……あの?」
リリアが顔を上げて、不思議そうに俺を見ていた。
青い目。金色の髪。
あの背中の男と同じ色だった。
「いえ……なんでもありません」
俺は、こめかみを押さえたまま、どうにか笑ってみせた。
ローブのポケットの中で焼け焦げた手紙が、かすかに熱を持っていた。
まだ読めない三行目のあたりが。
第10話 了
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