第11話 逆賊の家
決闘の翌朝、月見亭の食堂で朝めしを食べていると、宿の主人が困ったような顔でやってきた。
「レイさん。お客さまが見えています。その……グランツ家のお嬢さんが」
食堂の入り口にリリアが立っていた。
鎧は着ていなかった。紺色の飾りの少ない服。首の後ろで束ねた金色の髪。背筋はいつもどおりまっすぐだった。食堂にいたほかの客たちがちらちらとそちらを見ては、ひそひそと何かをささやき合っていた。
リリアは、それを気にするそぶりも見せずに俺のテーブルまで歩いてきた。
「おはようございます、レイ殿」
「おはようございます。……どうぞ、座ってください」
「いえ。長居をするつもりはありません」
リリアは立ったまま、深く頭を下げた。
「昨日は失礼な態度をとりました。命を救っていただいたのに、怒鳴りつけるなど騎士としてあるまじきことです。改めて、お詫びとお礼を申し上げます」
「いえ、あれは……俺も勝手に出ていきましたから」
「それでも、です」
リリアは顔を上げた。それから、少しだけ視線をさまよわせた。
「……それで、その。もしご迷惑でなければ、我が家にお越しいただけないでしょうか。お礼に昼食をご用意したいのです。大したものはお出しできませんが」
俺のフードの中でシラタマがぴくりと耳を動かした。
リリアの目が一瞬、そちらへ向いた。
「もちろん、シラタマ殿も一緒に」
「……殿」
聖獣に敬称をつける騎士。俺は笑いをこらえるのに苦労した。
グランツ家の屋敷は町の南の外れにあった。
屋敷、と呼ぶにはあまりにも古びていた。石造りの二階建てでかつては立派だったのだろうが、今は壁のあちこちがひび割れ、庭の草は伸び放題だった。門柱にはあの紋章が彫られていた。盾の中に一本の羽根。
「使用人はもうばあやのマルタしかおりません。父が亡くなってから、ほかの者には暇を出しました」
リリアは淡々と言った。
玄関で出迎えてくれたのは腰の曲がった小柄な老婆だった。マルタは、俺を見るなり、しわだらけの手で俺の手を握りしめた。
「あなたさまがお嬢さまを……。ありがとうございます。本当にありがとうございます……」
マルタはぽろぽろと泣いていた。リリアが「ばあや、お客さまが困っています」と言うまで手を離してくれなかった。
屋敷の中は外よりもずっときれいだった。家具は少なく古いものばかりだったが、床はていねいに磨かれ、窓には染みひとつなかった。
玄関の広間の正面に一枚の大きな肖像画がかかっていた。
鎧をまとった、大柄な男の絵だった。金色の髪。青い目。がっしりとした顎。口もとには豪快な笑みが浮かんでいる。
その絵を見た瞬間、足が止まった。
昨日、闘技場で見た、あの背中。振り返った、あの笑顔。
顔ははっきりとは見えなかったはずだ。なのに、分かった。
この男だ。
「初代当主、ユーグ・グランツです」
リリアが俺のとなりに立って、絵を見上げた。
「百年前の人です。我が家はこの人から始まりました。――そして、この人のせいで、逆賊の家と呼ばれるようになりました」
昼食は、野菜のスープと、黒パンと小さな鶏の煮込みだった。マルタが腕によりをかけて作ってくれたらしい。シラタマは、フードから出て、リリアのとなりの椅子にちょこんと座り、マルタにもらった鶏肉をはぐはぐと食べていた。そのたびに、リリアとマルタの顔がそろってゆるんだ。
食事のあとリリアは家の話をしてくれた。
「ユーグ・グランツはもともと聖王国の騎士でした」
リリアは窓の外を見ながら話した。
「百年前、聖王国は、世界の危機を救うために、異世界から勇者を召喚しました。ユーグはその勇者の護衛を任されていたそうです」
異世界。勇者。召喚。
その言葉を聞いたとき、なぜか、背中がぞくりとした。
「ところが、ある儀式の夜、ユーグは勇者を連れて聖王国から逃げました。儀式は台無しになり、多くの人が傷ついたと聖王国の記録には書かれています。ユーグは、聖王国を裏切った大罪人として、国を追われました」
「それで、この国に?」
「はい。ロウェル王国の当時の王が、なぜかユーグをかくまい騎士として取り立ててくださったそうです。けれど、ロウェル王国と聖王国は古くからの同盟国です。聖王国の人々にとっても、この国の貴族たちにとっても、グランツ家は今でも裏切り者の家なのです」
「その勇者は……どうなったんですか」
リリアは首を横に振った。
「分かりません。名前すら、伝わっていないのです。聖王国の記録からは消されていて、我が家にも何も残っていません。ただ、ひとつだけ――」
リリアは壁にかかった木の額を指さした。
額の中には古い羊皮紙が一枚だけ入っていた。そこに力強い筆跡で一行だけ書かれていた。
――名もなき友との約束を守れ。
「我が家の家訓です。ユーグが残した、ただひとつの言葉です」
「名もなき友……」
「誰のことなのか、どんな約束なのか、誰にも分かりません。父も、祖父も分からないまま、この言葉を守ってきました。……守りようもないのに」
リリアは少しだけ笑った。寂しい笑い方だった。
俺は額の中の文字をじっと見つめた。
名もなき友。
昨日、頭の中に響いた声。『行け、名もなき友よ。約束はグランツが守る』。
胸の奥で何かがぎしりと軋んだ。
思い出せそうな気がした。手を伸ばせば、届きそうな気がした。
その瞬間、ポケットの中の手紙がひやりと冷たくなった。
――思い出すな。
一行目の言葉が頭の中によみがえった。
俺は伸ばしかけた心の手をそっと引っこめた。
「……レイ殿?」
「すみません。少し、ぼうっとしていました」
話を変えよう。俺はずっと気になっていたことを聞いた。
「リリアさん。お父さんの借金のことですが、決闘が無効になって、どうなるんですか」
リリアの表情がわずかに曇った。
「……借金そのものは消えていません。金貨三百枚。父が病の薬代のために、代官のゴードン家から借りたものです。決闘は無効になりましたが、返済の期限は来月です」
「金貨三百枚、ですか」
「はい。……到底、返せる額ではありません」
リリアは膝の上で手を握りしめた。
「でも、借りたものは返さなければなりません。それが筋です。騎士団に仕官できればよかったのですが、逆賊の家の娘を雇う騎士団はありません。冒険者として稼いでいますが、Cランクの私ではひと月に金貨数枚がやっとです」
そのとき、マルタがお茶のおかわりを持ってきた。
「お嬢さま。旦那さまのお薬代、本当にそんなにかかったのでしょうかねえ。わたしが覚えているかぎりでは、旦那さまがお借りになったのはもっとずっと少なかったような……」
「ばあや」
リリアがたしなめるように言った。
「証文にははっきりと三百と書いてあるのです。父の署名もあります」
「……その証文、見せてもらえませんか」
俺が言うと、リリアは不思議そうな顔をした。
「構いませんが……何か?」
「いえ。ただ、数字を見るのがなんとなく得意なんです」
リリアは奥の部屋から一枚の紙を持ってきた。上質な羊皮紙に借入額、利息、返済期限が書かれている。いちばん下に二人の署名。ゴードン家の当主とリリアの父、レオン・グランツ。
借入額の欄には「金貨三百枚」と書かれていた。
俺はその数字をじっと見た。
目の前に半透明の板が浮かんだ。
【借用証文】
【状態】改ざんあり
【詳細】借入額の欄。「三十」の後に「〇」が書き足されている。書き足した部分のインクはほかの部分より約一年新しい
「……」
鑑定がなくても、分かったかもしれない。
「三十」の「十」と、そのあとの「〇」。筆の入り方がほんのわずかに違う。インクの色も光にかざすと、ほんの少しだけ濃い。数字をいじった書類を俺はどこかで何度も見てきた気がした。
「リリアさん」
「はい」
「お父さんが借りたのは金貨三十枚です」
リリアが目を見開いた。
マルタがお盆を取り落としそうになった。
「この証文はあとから書き換えられています。ゼロがひとつ足されているんです」
リリアの顔から血の気が引いていった。
それから、その青い目に昨日の闘技場と同じ火が静かに灯った。
第11話 了
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