第12話 守られる覚悟
その日の午後、俺とリリアは衛兵の詰所を訪ねた。
闘技場で決闘を止めてくれた隊長はゲオルクという名だった。四十過ぎの日に焼けた顔の男だ。証文を見せて事情を話すと、ゲオルクはしばらく黙って紙を見つめていた。
「……ゼロがひとつ」
「はい。インクの古さが違います」
「わたしには見分けがつきません。ですが、あなたがそうおっしゃるなら、そうなのでしょうな。昨日の闘技場であれだけのものを見せられたあとでは」
ゲオルクは証文を丁寧にたたんで、立ち上がった。
「ちょうど、領主さまが昨日の件でゴードン家をお呼びになっています。このまま、お館へ参りましょう。この件はわたしの手には余る」
領主の館は、町の中央の塔のとなりに建つ石造りの建物だった。
通された広間で待っていたのは、七十歳くらいの小柄な老婦人だった。銀色の髪をきっちりと結い上げ、背筋をぴんと伸ばして、椅子に座っている。しわの刻まれた顔の中で灰色の目だけが鋭く光っていた。
「辺境伯、ロザリンド・ヴェステンです。この地を治めております」
老婦人は座ったまま、俺を上から下まで眺めた。
「あなたが、昨日の魔導師殿ですね。ゲオルクから聞いています。指二本で魔剣を折ったとか」
「……はい。その少し、加減を間違えまして」
「加減を間違えて、呪具が折れるものですか」
ロザリンドの口もとがほんのわずかに動いた。笑ったのかもしれない。
広間の反対側には太った中年の男が青い顔で立っていた。バルドの父、代官のゴードンだった。バルドの姿はなかった。屋敷に閉じこめられているのだとゲオルクが小声で教えてくれた。
ゲオルクが証文をロザリンドに差し出した。
ロザリンドは眼鏡をかけて、それをじっと見た。
「金貨三百枚。……ゴードン。これはあなたの家の証文ですね」
「は、はい。レオン・グランツ殿に正式にお貸ししたものです……」
「こちらの魔導師殿は書き換えられていると言っています」
ゴードンの額に汗が浮かんだ。
「な、何を根拠に! そのような言いがかりは――」
「根拠なら、お見せできます」
俺は証文の上にそっと手をかざした。
鑑定の結果を広間にいる全員に見えるように宙に浮かべる。昨日の闘技場でやったのと同じことだ。
【借用証文】
【状態】改ざんあり
【詳細】借入額の欄。「三十」の後に「〇」が書き足されている。書き足した部分のインクはほかの部分より約一年新しい
【書き足した者】ゴードン家の書記、ヘルマン
最後の一行は俺も初めて見た。鑑定は見ようと思えば、そこまで見えるらしい。
ゴードンがへなへなと膝をついた。
そのとき、広間の扉が開いて、マルタが衛兵に付き添われて入ってきた。腕に古びた帳面を抱えていた。
「お、お嬢さま……! ありました、ありましたよ! 旦那さまのお家の帳面です!」
マルタが差し出した帳面は、レオン・グランツが自分の手でつけていた家計の記録だった。二年前の日付のところにはっきりと書かれていた。
――ゴードン家より金貨三十枚借用。薬代として。
そして、そのあとのページに毎月の返済の記録が几帳面な字で並んでいた。一枚、また一枚。病に伏せっていたはずの父親が震える字で、それでも欠かさずに書きつけていた。
リリアはその帳面を両手で受け取った。
指先がかすかに震えていた。
「……父上」
小さな声だった。
ロザリンドは帳面と証文を見比べて、長いため息をついた。
「ゴードン。代官の職はただいまをもって停止します。書記のヘルマンとともに取り調べを受けなさい。ご子息の魔剣の出どころについても、きっちりと聞かせてもらいます」
「そ、そんな……領主さま……!」
ゴードンは、衛兵たちに両脇を抱えられて、広間から連れ出されていった。
静かになった広間でロザリンドは、帳面の最後のページを指でなぞった。
「レオン殿の返済の記録によれば、すでに金貨二十二枚を返しておられる。残りは八枚です」
八枚。
三百枚が八枚になった。
リリアはまだ帳面を見つめていた。唇をきゅっと結んでいた。泣くのをこらえているのだと俺にも分かった。
「リリア・グランツ」
ロザリンドが名を呼んだ。リリアははっと顔を上げた。
「残りの八枚はわたしの判断で帳消しにすることもできます。これまでこの町は、グランツ家に対して、ずいぶんと不義理をしてきました。そのお詫びとして」
リリアはしばらく黙っていた。
それから、帳面を胸に抱いて、まっすぐにロザリンドを見た。
「お心遣い感謝いたします。ですが、お断りします」
「……ほう」
「これは父が借りて、父が返しつづけてきたお金です。最後までグランツの手で返させてください。それが父の帳面に対する私の礼儀です」
ロザリンドはじっとリリアを見つめていた。
やがて、その灰色の目がふっとやわらいだ。
「……ユーグ・グランツの血は百年たっても、頑固なままのようですね」
「え?」
「いいえ、独り言です。分かりました。残り八枚、期限は定めません。あなたの手で返しなさい」
「はい。必ず」
リリアは深く頭を下げた。
館を出ると、空は夕焼けに染まっていた。
俺とリリアは並んで大通りを歩いた。フードの中からシラタマが顔を出して、リリアの肩のほうへ鼻を伸ばしていた。リリアは無言でその鼻先を指でなでていた。
しばらく歩いてから、俺は口を開いた。
「リリアさん。八枚なら、俺が――」
「お断りします」
即答だった。
「……ですよね」
「レイ殿のお気持ちはありがたく思います。でも、これは私の借金です。あなたに払っていただいたら、私は今度はあなたに借金をすることになります」
「俺は別に返してもらわなくても」
「それがいちばん困るのです」
リリアは足を止めた。
夕日の中で振り返る。
「レイ殿。昨日も、今日も私はあなたに助けられてばかりです。決闘でも、証文でも。……正直に言います。悔しいのです」
「悔しい、ですか」
「はい。私は騎士です。騎士は守る者です。守られてばかりの騎士など騎士ではありません」
リリアの青い目がまっすぐに俺を見ていた。
俺は少し考えてから、言った。
「じゃあ、一緒に稼ぎませんか」
「……え?」
「俺もお金がいるんです。記憶もないし、家もないし。冒険者として、依頼を受けて稼がないといけない。でも、この世界のことを何も知らない。昨日もティコに常識がないって怒られたばかりで」
リリアの口もとがほんの少しだけゆるんだ。
「だから、この世界のことを知っている人と組みたいんです。剣が強くて、真面目で頑固な人と」
「……最後のは余計です」
リリアはぷいと顔をそむけた。耳が少し赤かった。
しばらく、黙っていた。
それから、リリアはゆっくりと俺に向き直った。
「分かりました。パーティを組みましょう」
「本当ですか」
「ただし、条件があります」
リリアは右手を胸に当てた。騎士の誓いの形だった。
「あなたが強いことは分かっています。私よりもずっと。きっとこの先もあなたは私を守ろうとするでしょう」
「……たぶん、そうなると思います」
「ですから、あなたにも覚悟していただきたいのです」
リリアは真剣な顔で言った。
「私に守られる覚悟もしてください」
夕日がリリアの金色の髪を赤く染めていた。
俺はその言葉を胸の中で繰り返した。
守られる覚悟。
なぜだろう。その言葉はひどく新しく聞こえた。まるで今まで一度も誰かにそう言われたことがないかのように。一人で全部を背負いこむのが当たり前だったかのように。
「……分かりました」
俺はうなずいた。
「よろしくお願いします。リリアさん」
「リリア、で結構です。仲間ですから」
「じゃあ、俺もレイで」
「……それは少し時間をください」
リリアはまた顔をそむけた。
フードの中でシラタマがきゅう、と鳴いた。まるで自分も忘れるなと言うように。
「もちろん、シラタマ殿も仲間です」
リリアが真面目な顔で言った。
こうして、俺と、シラタマとリリアの三人でパーティを組むことになった。
ステータスの画面を開くと、いちばん下に新しい行が増えていた。
【パーティ:リリア・グランツ、シラタマ】
たったそれだけの文字がなぜか、ずいぶん長いあいだ、目から離れなかった。
第12話 了
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