第8話 辺境都市リンデン
四日目の昼、丘を越えたところでティコが荷台から身を乗り出した。
「見えた! お兄さん、あれがリンデンだよ!」
丘のふもとに灰色の城壁に囲まれた町が広がっていた。
思っていたよりもずっと大きい。城壁の内側には、赤や茶色の屋根がぎっしりと並び、そのあいだを何本もの道が走っている。町の真ん中には高い塔があり、その横に石造りの立派な館が見えた。町を貫くように川が流れていて、水車がいくつも回っていた。
「大きいですね」
「でしょ。辺境でいちばんの町なんだから」
ティコが自分のことのように胸を張った。
俺の肩の上でシラタマも首を伸ばして町を見ていた。
ハンスと相談して、シラタマのことはしばらく人に見せないことに決めていた。月銀狐だと知られれば、また狙われるかもしれない。
とはいえ、シラタマは俺から離れようとしない。ためしに馬車の中の箱に入れてみたら、きゅうきゅうと鳴いて箱をひっかき、最後には箱の角をかじって穴を空けた。
しかたなく、俺はシラタマをローブのフードの中に入れることにした。それから、ほんの少しだけ魔法をかけた。人の目にシラタマの姿が「白い毛皮の襟巻き」に見えるようにする魔法だ。隠密のスキルがMAXだとこういうこともできるらしい。
シラタマは、フードの中で丸くなると、満足そうに俺の首筋に鼻を押しつけてきた。くすぐったかった。
城門でハンスが衛兵に盗賊団と密猟者のことを話した。衛兵たちは最初こそ信じられないという顔をしていたが、先に宿場の詰所から早馬が届いていたらしく、すぐに隊長が出てきて、俺に深々と頭を下げた。
「あの『傷のゴズ』の盗賊団をたったお一人で……。長年、街道を荒らし回っていた連中です。懸賞金が出ております。後ほど役所へお越しください」
「懸賞金……」
ティコの目がきらりと光った。
門をくぐると、町の中はにぎやかだった。石畳の道の両側に店が並び、人々が行き交っている。パンの焼けるにおい。鍛冶屋の槌の音。子どもたちの笑い声。人族だけでなく耳の長い人や、頭に獣の耳が生えた人の姿もあった。
「ハンス殿はこれから?」
「わたしどもは店に荷を下ろします。町の北の通りに小さな店を構えておりまして」
ハンスはそう言って、ティコの背中を押した。
「ティコ。レイ殿を冒険者ギルドまでご案内しなさい。身分証がなければ、宿もとれないからな。わたしの紹介状も持たせる」
「はーい」
ティコは俺の腕をつかんで歩きだした。
冒険者ギルドは町の中心に近い大通りにあった。三階建ての石造りの建物で入り口の上に、剣と盾を組み合わせた看板がかかっている。扉を開けると、中は酒場のようになっていて、武器を持った男たちや女たちがテーブルで酒を飲んだり、壁の掲示板を眺めたりしていた。
いくつかの視線がこちらに向いた。すぐにそれた。ひょろりとした若い男と赤毛の女の子。興味を引く組み合わせではなかったらしい。
奥のカウンターに受付の女性がいた。茶色の髪をひとつに結んだ、しっかりした感じの人だ。
「いらっしゃいませ。ご用件は?」
「冒険者の登録をお願いしたいんです」
「かしこまりました。わたくし、受付のカーラと申します。紹介状はお持ちですか」
ティコがハンスの紹介状を差し出した。カーラはそれに目を通して、うなずいた。
「ハンスさんのご紹介ですね。ではこちらに手をかざしてください。魔力を測ります」
カウンターの上に透明な水晶玉が置かれた。台座に乗った、赤ん坊の頭くらいの大きさの玉だ。
「魔力の量によって、水晶の色が変わります。白、青、緑、黄、赤の順に多くなります。赤なら、宮廷魔導師級ですね」
「分かりました」
俺は水晶玉の上にそっと手をかざした。
加減しよう、と思った。けれど、魔力を測る道具なのに、加減をしていいのだろうか。そう迷っているうちに、水晶玉が光りはじめた。
白。青。緑。黄。赤。
色がすごい速さで変わっていく。
赤を越えた。紫になった。黒になった。
そして、水晶玉の表面に文字が浮かび上がった。
【測定不能】
カーラが固まった。
「……え?」
その瞬間、水晶玉が台座からころりと落ちた。
カウンターの上を転がる。止まらない。まっすぐに俺のほうへ転がってくる。カウンターの端で止まるかと思ったら、ぴょんと跳ねて、俺の手のひらにすっぽりと収まった。
俺の手の中で水晶玉はほのかに温かく光っていた。
まるでなついた犬のように。
「……」
「……」
カーラと、俺とティコが無言で水晶玉を見つめた。
「あのこれ、どうすれば」
「……返していただけますか」
「はい」
水晶玉を台座に戻すと、玉は、しばらくのあいだ、名残惜しそうにこちらへ転がろうとしていた。カーラが両手で押さえつけていた。
「こ、こんなことは初めてで……。測定不能というのも記録にありません」
カーラは額に汗を浮かべていた。
「と、とにかく魔力は十分すぎるほどおありのようです。本来は試験を受けていただくのですが、ハンスさんの紹介状に盗賊団の件が書いてありましたから……。ひとまず、Eランクからの登録とさせていただきます。実績を積めば、すぐに上がるはずです」
「ありがとうございます」
銅でできた、小さな札を受け取った。俺の名前とEという文字が刻まれている。これがこの世界での俺の最初の身分証だった。
ティコが俺の脇腹をひじでつついた。
「お兄さん、目立ちすぎ」
「……すみません」
フードの中でシラタマがくしゅん、とくしゃみをした。
そのとき、ギルドの奥のほうでがたんと大きな音がした。
振り返る。
酒場の隅のテーブルで若い女性が一人、床に落ちた盆を見下ろしていた。
金色の髪を首の後ろでひとつに束ねている。すらりと背が高い。古びてはいるが、手入れの行き届いた軽い鎧を身につけていて、腰には細身の剣を下げていた。年は二十歳前後だろうか。
その周りを三人の冒険者の男が囲んでいた。盆を落としたのはその男の一人らしかった。女性の足もとにスープとパンが散らばっている。
「おっと悪いな。手がすべっちまった」
男がにやにやと笑った。
「でもまあ、いいだろ。逆賊グランツの娘には床に落ちた飯がお似合いだ」
ほかの男たちも声を上げて笑った。
ギルドの中にいたほかの冒険者たちは誰も止めようとしなかった。見て見ぬふりをする者。くすくすと笑う者。カーラもカウンターの中で困ったように目をそらしていた。
女性は何も言わなかった。
ただ、背筋をまっすぐに伸ばしたまま、しゃがんで、床に落ちたパンを拾った。土を払って、盆の上に戻す。散らばったスープの器もひとつずつ。
その横顔は少しも揺らいでいなかった。
青い目だけが静かに燃えていた。
俺は一歩踏み出しかけた。
ティコが俺の袖を強く引いた。
「お兄さん、だめ」
「でも」
「あの人、グランツ家の人。……いろいろあるの。よそ者が首を突っこむと、お兄さんまで町にいられなくなるよ」
ティコの声は真剣だった。
女性は、盆を持って立ち上がると、男たちの前を無言で通りすぎ、カウンターに盆を返した。カーラに小さく頭を下げる。
「……汚してしまって、すみません」
静かな、よく通る声だった。
それから、女性はギルドの出口に向かった。俺たちのすぐ横を通りすぎる。
そのとき、彼女の外套の留め具が目に入った。
銀でできた、小さな紋章だった。
盾の形。その中に一本の羽根が描かれていた。
灰色の羽根。
――ずきん。
こめかみに鋭い痛みが走った。
思わず、額を押さえる。視界が一瞬だけ白くなった。その白の中に何かが見えた。
大きな背中。鎧をまとった広い背中。燃えさかる炎。誰かが振り返らずに何かを叫んでいる。
「お兄さん? お兄さん、どうしたの?」
ティコの声で我に返った。
痛みはもう消えていた。
顔を上げると、金色の髪の女性はすでにギルドの扉の向こうに消えていた。
フードの中でシラタマが俺の首筋にぎゅっと体を押しつけていた。
小さく震えながら。
第8話 了
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