第7話 シラタマ
馬車に戻ると、ティコが仁王立ちで待っていた。
「お兄さん! すぐ戻るって言ったのに、全然戻ってこないし、森の奥から変な音はするし、あたし、どれだけ心配し……」
そこで、ティコの言葉が止まった。
視線が俺の腕の中に落ちていた。
ローブにくるまれて、銀色の小さな頭がのぞいている。子ぎつねは、泣き疲れたのか、俺の胸に顔をうずめたまま、うとうとしていた。
「……え」
ティコの口がぽかんと開いた。
「え、え、ええっ……!? それ、それって……」
「罠にかかってたんです。けがをしてて」
「ぎ、銀色の……狐……」
ハンスも駆け寄ってきて、子ぎつねを見るなり、顔色を変えた。
「レイ殿、それはまさか……」
「たぶん、あの依頼書の狐です。森の中で密猟者に狙われていました。密猟者は動けなくしてあります。あとで衛兵に知らせてください」
ハンスは護衛の一人に手早く指示を出してから、俺に向き直った。声をひそめる。
「本物の月銀狐だとすれば、大変なことです。聖獣ですからな。高値で取引しようとする者はあの密猟者だけではないでしょう」
「……そうですよね」
「ひとまず、人目につかないようにしましょう。それから、傷の手当てを」
俺はうなずいて、馬車の荷台に上がった。ティコもついてきた。
荷台の床に毛布を敷いて、子ぎつねをそっと下ろす。子ぎつねは目を覚まして、不安そうに俺を見上げた。俺が手を離そうとすると、あわてて前足で俺の指をつかんだ。
「大丈夫。どこにも行かないよ」
そう言うと、子ぎつねはようやく力を抜いた。
改めて、傷を見た。後ろ足の傷がいちばん深い。骨までは届いていないようだが、肉が裂けていた。体にも枝や石で作ったらしい細かい傷がたくさんある。
目の前に半透明の板が浮かんだ。
【月銀狐(幼体)】
【性別】メス
【状態】衰弱・裂傷・栄養不足
【備考】■■■■の■■■■(閲覧不可)
備考の欄も俺の称号と同じように塗りつぶされていた。
俺は両手を子ぎつねの上にかざした。
治癒の魔法。盗賊の件で加減の難しさは分かっている。今度はもっと慎重に。傷をふさぐだけ。痛みを取るだけ。
手のひらから淡い緑色の光がこぼれた。
光が子ぎつねの体を包みこむ。裂けていた後ろ足の傷がみるみるうちにふさがっていった。細かい傷も次々と消えていく。血で固まっていた毛がほぐれて、ふわりと立ち上がった。
光が消えたとき、そこにいたのはまっさらな銀色の毛玉だった。
子ぎつねはきょとんとした顔で自分の後ろ足を見た。ぴょこぴょこと動かしてみる。痛くないと分かると、ぱっと顔を上げて、俺の手に飛びついてきた。
「きゅう! きゅうきゅう!」
「はは分かった分かった。よかったな」
子ぎつねは、俺の手のひらに顔をこすりつけ、指をなめ、腕をよじ登って、肩の上にちょこんと座った。そこから俺の頬にすりすりと頭を押しつけてくる。
ふわふわだった。
本当にふわふわだった。
毛の一本一本が綿菓子よりも細くてやわらかい。頬に当たると、くすぐったくて、温かい。お日さまの下で干した布団のような、いいにおいがした。
「……っ」
となりで変な音がした。
見ると、ティコが両手で口を押さえて、ぷるぷると震えていた。
「ティコ?」
「か……かわ……かわいい……っ」
押さえた手のすき間から声がもれていた。
「な、なにこれ、かわいすぎない? 反則じゃない? ねえお兄さん、さわっていい? さわっていい?」
さっきまでの仁王立ちはどこへ行ったのか。
「この子がいいなら」
俺が言うと、ティコはおそるおそる手を伸ばした。子ぎつねは、少しだけ警戒するように耳を伏せたが、俺の顔をちらりと見てから、ティコの指先のにおいをかいだ。
そして、ぺろりとなめた。
「ひゃあっ」
ティコが変な声を出した。
それから、そっと子ぎつねの背中をなでる。一回。二回。
「……やわらかい……」
ティコの顔がとろけていた。十三歳のちゃっかり者の商人の娘の顔ではなかった。ただのふわふわに負けた女の子の顔だった。
「ねえ、お兄さん。この子、名前は?」
「名前……」
考えていなかった。
子ぎつねをじっと見る。子ぎつねも首をかしげて俺を見返してくる。
銀色というより白に近い。まんまるに丸まると、ころんとした白い玉のようだ。
ふと、足もとを見た。
子ぎつねの前足の裏がこちらを向いていた。小さな肉球が四つと、大きな肉球がひとつ。淡い桃色でぷっくりとふくらんでいる。
指先でそっと押してみた。
ぷに。
指がやわらかく沈みこんだ。押し返してくる弾力。もちもちとした、あの感触。
頭の中にひとつの言葉が浮かんだ。
「……白玉みたいだな」
「シラタマ?」
ティコが聞き返した。
「白くて、丸くて、もちもちした甘いお菓子です。たぶん。俺の知ってる食べ物で」
口にしてから、自分でも少し笑ってしまった。お菓子の名前を聖獣につけるなんて。
「シラタマ」
呼んでみる。
子ぎつねの耳がぴんと立った。
「きゅう!」
元気よく、鳴いた。
尻尾がぱたぱたと左右に揺れている。気に入ったらしい。
「シラタマ、でいいか?」
「きゅうっ!」
「そっか。じゃあ、今日からお前はシラタマだ」
シラタマは俺の胸に飛びこんできた。俺はそれを受け止めて、そのまま、背中をなでた。
なでる。なでる。なでる。
指が毛の中に沈む。温かい。やわらかい。シラタマは、気持ちよさそうに目を細めて、喉の奥で小さく、くるくると鳴いた。
俺はいつの間にか、夢中でなでていた。
どれくらいそうしていたのか。
ぴこん、と目の前に半透明の板が浮かんだ。
【休息のスキルが上がりました】
【休息Lv1→Lv2】
【効果:わずかに疲れが取れやすくなる】
「……」
俺はなでる手を止めた。
板をじっと見た。
「どうしたの、お兄さん」
「いや……」
あれだけみんなで唐揚げを食べても、上がらなかったのに。
「……モフってたら、上がった」
「もふ……?」
ティコが首をかしげた。
俺はなんだか笑えてきた。全部のスキルがMAXの俺が、何をしても上がらなかった唯一のスキル。それが子ぎつねをなでただけで上がった。
どうやら、過去の俺は、こういう時間をまったく持っていなかったらしい。
「ティコ」
「ん?」
「もうちょっとだけなでててもいいですか」
「……お兄さん、それ、あたしに聞くことじゃないと思う」
ティコはあきれたように笑った。それから、自分も手を伸ばして、シラタマのお腹をなではじめた。シラタマは、ころんとあおむけになって、四本の足を宙に投げ出した。
荷台の外でハンスが出発の合図をした。馬車がゆっくりと動きだす。
ごとごとと揺れる荷台の上で俺とティコは、ずっとシラタマをなでていた。
その日の夕食は残っていた干し肉で作ったスープだった。俺がひと手間加えて、ガーリ草で香りをつけた。シラタマは、俺のひざの上でスープにひたしたパンをはぐはぐと食べた。
そして、ティコがこっそり取っておいた唐揚げの最後のひとかけらをもらうと、目をまんまるにして、しばらく固まった。
それから、ティコの手にものすごい勢いで頭をこすりつけはじめた。
「え、なに、なに?」
「もっとくれ、って言ってるんだと思います」
「もうないよ!」
シラタマはこの日から唐揚げが大好物になった。
第7話 了
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