第5話 野営の唐揚げ
馬車の旅は思っていたよりずっとのんびりしていた。
街道は平らで左右には麦畑や牧草地が広がっている。ときどき小さな村を通りすぎ、畑仕事をしている人が手を振ってくれた。俺は荷台に座って、流れていく景色を眺めながら、ティコからこの世界のことを教わった。
ここはロウェル王国という国の西の端にあたるらしい。これから向かうリンデンは王国の辺境でいちばん大きな町。東へずっと行くと、聖王国という大きな国がある。森の向こうにはエルフの国があり、南の山脈の先には獣人たちの国がある。
「で、魔族の国は北のほう。でも、魔族にはあんまり近づかないほうがいいって言われてる」
「どうして?」
「怖いから、って大人は言うけど。あたしは会ったことないから知らない」
ティコは干した果物をかじりながら言った。この子は、分からないことを分からないと言える子だった。それがなんだか好ましかった。
日が西の空に傾いたころ、隊列は街道脇の広場で止まった。今夜はここで野営をするという。
護衛の男たちが火をおこし、ハンスが荷の中から食材を出してくる。干し肉と、固いパンと根菜のスープ。それが行商の旅のいつもの夕食らしい。
そこへ護衛の一人が丸々と太った鳥を二羽ぶら下げて戻ってきた。
「ホロ鳥が獲れましたよ。今夜は焼き鳥にしましょう」
護衛たちから歓声が上がった。ホロ鳥は、この辺りの草原にいる飛べない鳥で肉がやわらかくておいしいのだという。
その鳥を見た瞬間、俺の頭の中で何かがぱちんとはじけた。
鶏肉。小麦粉。油。塩。にんにく。しょうが。
衣をつけて、揚げる。
「……あの」
気がつくと、手を挙げていた。
「その鳥、俺に料理させてもらえませんか」
全員がこちらを向いた。
「レイ殿が料理を?」
「たぶん、できると思います。スキルに料理ってありましたから」
ハンスは少し迷ったようだったが、やがてうなずいた。
「ではお願いしましょう。命の恩人のお手並み、拝見します」
ティコがわくわくした顔で俺の横にしゃがみこんだ。
まずは材料だ。ハンスの荷の中を見せてもらうと、小麦粉があった。ラードの壺があった。岩塩もある。それから、香りの強い白い球根――ティコによれば「ガーリ草」という薬味で、においがにんにくにそっくりだった。しょうがに似た根っこもあった。
足りないのはしょうゆだった。
しょうゆ。黒くて、しょっぱくて、うまみのある調味料。そんなものはこの世界にないだろうと思ったが、荷の奥に小さな樽がひとつあった。
「それ、南の港町で仕入れた魚の塩漬けの汁だよ。くさいから誰も買わないの」
ティコが鼻をつまんだ。ふたを開けると、たしかに強烈なにおいがした。けれど、指先につけてなめてみると、奥のほうに深いうまみがあった。
「……これ、使えます」
「ほんとに?」
「少しだけ使えば、においは飛びます」
口が勝手に答えていた。手も勝手に動いていた。
ホロ鳥をさばく。風の魔法を指先にまとわせて、骨に沿って肉をはずす。今度はまな板代わりの板まで切ることはなかった。料理のときは不思議と加減がうまくいく。体がこの作業をよく知っているからだろうか。
肉をひと口大に切って、木の器に入れる。すりおろしたガーリ草と、しょうがもどきと魚の汁をほんの少し。岩塩をひとつまみ。手でよくもみこんで、しばらく置く。
そのあいだに鍋にラードを入れて火にかける。油の温度は、菜箸代わりの小枝を入れて、泡の立ち方で確かめた。
肉に小麦粉をまぶして、油の中へ。
じゅわああっ、と音が立った。
その瞬間、広場じゅうに香りが広がった。ガーリ草の香ばしいにおい。肉の焼けるにおい。魚の汁のくさみはすっかり消えて、甘いような深いような香りに変わっていた。
護衛たちがふらふらと集まってきた。
「な、なんだ、このにおいは……」
「腹が……腹が鳴りやまねえ……」
きつね色になった肉をいったん引き上げる。少し休ませてから、もう一度高い温度の油にくぐらせる。二度揚げだ。表面がからりと音を立てそうなほど固くなる。
大皿に山盛りにして、みんなの前に置いた。
「どうぞ。唐揚げです」
「カラアゲ……?」
誰も手を出さなかった。見たことのない料理にためらっているようだった。
最初に動いたのはティコだった。
小さな手でひとつつまんで、ふうふうと息を吹きかけてから、ぱくりとかじる。
さくっ、という音がした。
ティコの動きが止まった。
「……ティコ?」
ハンスが心配そうにのぞきこむ。
ティコの目からぽろりと涙がこぼれた。
「お、おいしい……」
それを合図に全員の手が伸びた。
さくっ。さくっ。さくさくさくっ。
「うっ……うまい……!」
「なんだこれ、外はかりかりなのに、中から汁があふれてくる……!」
「ガーリ草って、こんなにうまかったのか……!」
大の男たちが次々と涙を流しはじめた。護衛のひとりは、唐揚げを両手に持ったまま、空を見上げて泣いていた。ハンスは、ひとつ食べるごとに目を閉じて、何度もうなずいていた。
大皿はあっという間に空になった。
俺は二羽目の鳥も唐揚げにした。それもあっという間になくなった。
食べ終わると、みんなたき火の周りで腹をさすりながら寝転がっていた。誰も何もしゃべらなかった。満ち足りた沈黙だった。
ティコだけがまだ起き上がって、じっと考えこんでいた。
「……お兄さん」
「はい」
「これ、売れる」
ティコの目がたき火の光を映して、ぎらりと光った。
「絶対、売れる。町の屋台で出したら、行列ができる。いや、行列じゃすまない。暴動が起きる」
「暴動は困りますね」
「お兄さん、町に着いたら、あたしと一緒に屋台やらない? 材料はお父さんのつてで安く仕入れる。お兄さんは作るだけ。もうけは半分こ。どう?」
「ティコ、お前という子は……」
ハンスが寝転がったまま、あきれた声を出した。けれど、止めようとはしなかった。唐揚げの味が止める気力を奪っているようだった。
「考えておきます」
俺が言うと、ティコは「約束だからね」と念を押して、ようやく寝転がった。
夜が更けた。
みんなが寝静まったあと俺はたき火の番をしながら、空を見上げていた。見たことのない星座が空いっぱいに散らばっている。月はふたつあった。大きな白い月と小さな青い月。
ステータスの画面を開いてみる。
【休息Lv1】
変わっていなかった。あれだけみんなでおいしいものを食べて、笑って、寝転がったのに。
「……俺だけ、休んでなかったのか」
たしかにずっと料理をして、配って、片付けていた。みんなが寝転がっているあいだも鍋を洗っていた。
なんだか、それが当たり前のような気がしていた。
いつの間にか、まぶたが重くなっていた。
――夢を見た。
どこかの森の中だった。夜で空には大きな白い月が浮かんでいた。
目の前に銀色の狐がいた。
ただの狐ではなかった。家ほどもある、大きな狐だった。月の光をそのまま毛にしたような淡く輝く銀色の毛並み。金色の目がじっと俺を見下ろしていた。
怖くはなかった。むしろ、ひどくなつかしかった。
狐の足もとに誰かがいた。小さな女の子だった。とがった耳。エルフだろうか。深い緑色の髪をしていて、両手で顔を覆って、肩を震わせて泣いていた。
なぜ泣いているのか、聞こうとした。声が出なかった。
大きな狐がゆっくりと顔を近づけてきた。温かい息が額にかかる。
そして、狐が口を開いた。
「――レイ」
俺の名前を呼んだ。
目が覚めた。
たき火はまだ小さく燃えていた。空には白い月と青い月が並んで浮かんでいた。
頬が濡れていた。
俺は袖で顔をぬぐって、ポケットの中の銀色の毛に触れた。
第5話 了
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