第4話 お兄さん、常識ないね?
「本当に、本当にありがとうございました」
商人の男は地面に膝をつきそうな勢いで頭を下げた。
「わたしはハンスと申します。リンデンの町を拠点に行商をしている者です。この子は娘のティコ。あなたがいなければ、荷も、娘も護衛の者たちの命もどうなっていたか……」
「いえ、そんな。頭を上げてください」
俺はあわてて手を振った。大人の男にこれほど深く頭を下げられると、どうしていいか分からない。
「俺はレイといいます。たまたま通りかかっただけですから」
「たまたまで盗賊団を丸ごと捕まえる方はおりませんよ」
ハンスは苦笑して、ようやく頭を上げた。
けがをした護衛たちには俺が治癒の魔法をかけた。これも加減が難しかった。最初の一人にかけたとき、腕の切り傷がふさがるだけでなく、その男が子どものころに作ったという膝の古傷まできれいに消えてしまい本人が泣きだした。三人ともすっかり元気になった。
問題は盗賊たちだった。
三十人を馬車に乗せるわけにはいかない。かといって、蔦で縛ったまま街道に転がしておくのも危ない。ハンスによれば、この先の宿場に衛兵の詰所があるという。護衛の一人を馬で走らせて知らせ、衛兵が来るまでのあいだ、盗賊たちを閉じこめておく場所が必要だった。
「じゃあ、作りますね」
「……作る?」
俺は街道の脇の空き地に手をかざした。土の魔法で地面から石の壁をせり上げる。四方を囲って、天井をかぶせて、正面に鉄のように硬くした石の格子をはめる。窓はなし。空気穴だけ。
ものの十秒で石造りの牢屋ができあがった。
蔦で縛った盗賊たちを風の魔法でふわりと浮かせて、順番に中へ運びこむ。最後の一人を入れたところで蔦をほどいた。盗賊たちは格子にしがみついて何か叫んでいたが、格子はびくともしなかった。
振り返ると、ハンスと護衛たちがそろって口を開けたまま固まっていた。
「……ええと。何か、まずかったですか」
「いえ……いえ、まずくはないのですが……」
ハンスがひげをなでながら言葉を探している。
その横からティコがひょいと顔を出した。
「お兄さん、あれ、どこの魔導師団の人?」
「魔導師団?」
「だって、あんなの宮廷魔導師でもできないよ。土の魔法で壁を作れる人はいるけど、一瞬で家一軒分なんて聞いたことない。しかも呪文なしで」
「そうなんですか」
「そうなんですか、って……」
ティコはじとっとした目で俺を見た。
そのとき、牢屋に運ぶ前に盗賊の頭の懐から落ちたものを護衛の一人が拾ってハンスに渡した。折りたたまれた紙だった。
ハンスはそれを広げて、眉をひそめた。
「これは……依頼書、ですな」
「依頼書?」
俺ものぞきこむ。見たことのない文字だったが、目で追うと、自然に意味が頭に入ってきた。
――銀色の子狐を一匹、生きたまま捕らえよ。報酬、金貨五十枚。
紙のいちばん下に印が押してあった。黒いインクで描かれた目の形の紋章。まぶたの中に瞳がひとつ。その瞳の部分だけが塗りつぶされずに白く抜けていた。
見ていると、なぜか、こめかみのあたりがずきりとした。
「銀色の子狐……まさか、月銀狐のことでしょうか」
ハンスがつぶやいた。
「月銀狐?」
「ご存じありませんか。聖獣ですよ。月の光を食べて育つという銀色の狐です。おとぎ話にも出てきます。ほら、百年前の……」
ハンスはそこで言葉を切って、首をかしげた。
「いや、しかし、月銀狐はもう何十年も姿を見た者がいないはずです。この盗賊どもは、この近くの森にいると聞いて、探しに来たのかもしれませんな」
「金貨五十枚って、多いんですか」
何気なく聞いた。
ハンスがまた固まった。
ティコがゆっくりと俺のほうを向いた。
「……お兄さん」
「はい」
「金貨五十枚あったら、リンデンの町で家が一軒買えるよ」
「へえ、そうなんですね」
「へえ、じゃなくて」
ティコは腰に手を当てた。
「ちょっと聞くけど、お兄さん、銅貨何枚で銀貨一枚になるか知ってる?」
「……知りません」
「パン一個いくらか知ってる?」
「知りません」
「この道がどこに続いてるか知ってる?」
「知りません」
「今の王様の名前は?」
「知りません」
ティコは深いため息をついた。十三歳の女の子がつくとは思えないほど深いため息だった。
「お兄さん、常識ないね?」
「……すみません」
なぜか謝ってしまった。
ハンスがあわてて娘の頭を押さえた。
「こら、ティコ。命の恩人になんて口のききかたを」
「だってお父さん、この人、このままじゃ絶対だまされるよ。町に着いたとたん、パン一個に金貨払っちゃうよ」
「それは……」
ハンスが俺の顔をちらりと見た。否定してくれなかった。
俺は正直に打ち明けることにした。隠していてもしかたがない。
「実は記憶がないんです。目が覚めたら森の中にいて、自分の名前しか覚えていなくて。だから、この辺りのことも、お金のことも何も分からなくて」
ハンスとティコが顔を見合わせた。
「記憶が……」
「はい。魔法の使い方は体が覚えていたみたいなんですけど」
しばらく、誰も何も言わなかった。
やがてハンスがぽんと手を打った。
「でしたら、レイ殿。わたしどもと一緒にリンデンの町まで参りませんか。ここから馬車で四日ほどです。道中、この国のことやお金のことをわたしがお教えしましょう。町に着けば、冒険者ギルドで身分証も作れます。何より、命を救っていただいたお礼をきちんとさせてください」
「いいんですか」
「もちろんです。むしろ、あなたに護衛していただけるなら、こちらが謝礼を払わねばなりません」
ハンスは笑って、腰の袋から金貨を五枚取り出した。
「まずはこれをお受け取りください。盗賊から荷と娘を守っていただいたお礼です」
「いや、そんなに……」
断ろうとした俺の手にティコが金貨を押しつけた。
「お兄さん、もらっときなよ。記憶がないなら、なおさらお金がいるでしょ。あとこれは教えてあげる。銅貨百枚で銀貨一枚。銀貨百枚で金貨一枚。パンは一個、銅貨三枚。だから、この金貨五枚があれば、パンが……えっと……」
「一万六千六百六十六個ですね。銅貨にすると五万枚。それを三で割って、銅貨が二枚余ります」
口が勝手に答えていた。
ティコがぽかんと口を開けた。
「……なんでそういう計算だけは速いの?」
「さあ……」
俺にも分からなかった。ただ、数字を見ると、頭が勝手に動くのだ。まるで毎日毎日、数字ばかりを相手にしていたように。
ティコはしばらく俺の顔をじっと見ていた。それから、にっと笑った。
「決めた。お兄さんのお財布はあたしが預かる」
「え」
「お兄さん一人じゃ絶対損するもん。お礼に町に着くまであたしがちゃんと面倒見てあげる」
「ティコ、お前……」
ハンスが額を押さえた。けれど、その口もとは少しゆるんでいた。
俺は手のひらの五枚の金貨を見た。それから、自信たっぷりに胸を張る赤毛の女の子を見た。
「……じゃあ、よろしくお願いします。ティコさん」
「ティコでいいよ。お兄さん」
護衛たちがくすくすと笑った。
馬車が動きだす。俺はティコと並んで、いちばん後ろの馬車の荷台に座った。
ポケットの中であの依頼書がかさりと音を立てた。ハンスが衛兵に渡すまで預かっておいてほしいと言ったのだ。
黒い目の紋章。銀色の子狐。
そして、あの家のかごの底に残っていた銀色の毛。
偶然だろうか。俺はポケットの上からそっと紙を押さえた。
第4話 了
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