第42話 買い占め
次の日の朝、ティコが真っ青な顔で宿に駆けこんできた。
「お兄さん! 市場に何もない!」
「何も?」
「鶏も、豚も、油も、香辛料も! 全部、料理ギルドが買い占めたって! 昨日の夜のうちに!」
ティコは両手で頭を抱えた。
「どこのお店に行っても、料理ギルドの札が貼ってあって、売ってくれないの。香辛料のお店のおじさんなんか、ごめんよ、ボッシュさまに逆らったら、この町で商売できなくなるって、泣きそうな顔で……」
ハンスも渋い顔で腕を組んでいた。
「ここまでやるとは……。わたしの荷の中にある米と魚醤は無事ですが、それだけでは……」
ガルムが床をこぶしでたたいた。
「汚えやり方しやがって! 大将、あのしゃもじ野郎の館に殴りこむか!」
「殴りこみません」
「じゃあ、どうすんだよ」
俺は窓の外を見た。
すり鉢の底の黒い口。
「材料は市場だけにあるわけじゃありませんよね」
ガルムがきょとんとした。
それから、にやりと笑った。
「……そうか。迷宮か」
「はい。この町の料理の元は迷宮の中にあるんですよね。だったら、自分たちで獲ってくればいい」
ティコの顔がぱっと明るくなった。
「料理ギルドも迷宮の中までは買い占められない!」
迷宮ギルドのエマに話をしに行った。
エマは話を聞くなり、眼鏡の奥の目をつり上げた。
「料理ギルドが市場を……! また、そんなことを!」
「また?」
「ボッシュさんは、気に入らない店があると、いつもそうするんです。迷宮ギルドとしては、冒険者が獲った素材を料理ギルドに安く買い叩かれて、ずっと困っていて……」
エマは奥の棚から迷宮の地図を引っぱり出してきた。
「欲しいのは香辛料と、豚の肉と、卵と油ですね。……それなら、この三か所です」
エマの指が地図の上を走った。
「三階と四階に迷宮猪。脂が多くて、油もとれます。八階に岩鶏の巣。卵を産む鳥の魔物です。それから――十二階」
エマの指が止まった。
「香りの庭、と呼ばれている階層です。迷宮の中にひとつだけ植物ばかりの階があって、大陸じゅうの香辛料に似た草や根が勝手に生えているんです。ただ……」
「ただ?」
「植物の魔物もたくさんいます。人を食べる花とか、毒の胞子をまく茸とか。十二階は、Cランクのパーティでも、あまり近寄りたがりません」
そのとき、ギルドの扉が勢いよく開いた。
「話は聞いたぜ!」
赤い髪。ダリオだった。後ろに紅蓮の牙の四人がいた。ミナが杖を抱えて、にこにこしていた。
「料理ギルドのやつら、灰羽に意地悪してるんだってな。俺たちにも手伝わせろ。十二階なら、何度も行ってる。道は分かる」
「ダリオさん……」
「命の借りは飯で返す。……いや、飯を獲って返す。なんか、変な言い方だな」
ダリオは頭をかいた。ガルムががははと笑った。
灰羽と紅蓮の牙。九人と一匹で迷宮に潜った。
三階と四階で迷宮猪を狩った。ガルムとダリオが競うように次々と猪を倒していった。
「おい、赤いの! 今ので何頭目だ!」
「七頭目! そっちは!」
「八頭目だ!」
「くそっ!」
倒した猪のうち、半分くらいが、肉を残した。脂の厚い、ばら肉ときめの細かい背中の肉。背中の肉はカツにちょうどいい。脂はラードにして、揚げ油にする。
八階の岩鶏の巣ではアズが活躍した。
岩鶏は岩のような羽を持つ、大きな鳥の魔物だ。巣に近づく者には鋭いくちばしで襲いかかってくる。けれど、アズが岩鶏の影を縫いとめると、岩鶏は、その場でじたばたと足踏みすることしかできなくなった。
「……今のうちに、卵を」
「アズ、すげえ!」
ミナが目を輝かせた。アズは少しだけうつむいた。耳の先がほんのりと赤かった。
巣の中には、鶏の卵の倍くらいの薄茶色の卵がごろごろと転がっていた。鑑定で見ると、味は鶏の卵とほとんど同じ。いや、少し濃いくらいだった。
そして、十二階。
階段を下りた瞬間、においが、変わった。
鼻の奥をつんと刺すような鋭い香り。甘い香り。土のような深い香り。さわやかな、すっとする香り。いくつもの香りが混ざり合って、空気そのものが濃くなっていた。
目の前に森が広がっていた。
迷宮の中なのに、天井が見えないほど高く、そこから柔らかい光が降りそそいでいた。見たことのない草や木がびっしりと生い茂っている。赤い実。黄色い花。黒い、ねじれた根っこ。
「香りの庭だ」
ダリオが鼻をこすりながら言った。
「気をつけろよ。ここの草は半分くらい動く」
その言葉どおりだった。
足もとの草むらがざわりと揺れた。緑の蔓が蛇のように伸びてきて、ガルムの足首に巻きつこうとした。ガルムが大剣でそれを断ち切った。
木の上から巨大な花がぐいと首を伸ばしてきた。花びらの真ん中に歯のようなものがずらりと並んでいた。リリアが一振りでその首を落とした。
「……人を食べる花というのは比喩ではなかったのですね」
リリアが剣についた緑の汁を払いながら、眉をひそめた。
俺は、みんなの後ろであたりの草をひとつずつ鑑定していた。
赤い小さな実。
【火炎唐辛子】
【備考】ひと粒で口から火が出るほど辛い。乾かして粉にすると、長持ちする
黄色い、しょうがに似た根っこ。
【黄金根】
【備考】切ると、鮮やかな黄色。土のような深い香り。料理を黄色く染める
その瞬間、頭の中で何かがぴんと鳴った。
ターメリック。
知らない言葉だった。けれど、知っていた。
茶色い小さな種。
【香り種】
【備考】炒ると、甘く鼻に抜ける香りが立つ
クミン。
緑の細長い莢。
【すっと莢】
【備考】割ると、さわやかな香り。甘い菓子にも肉料理にも合う
カルダモン。
それから、茶色い丸い実。黒い細かい粒。薄い木の皮。
コリアンダー。こしょう。シナモン。
知らないはずの言葉が次から次へと頭の中に浮かんできた。
カレーの材料だった。
「……全部、ある」
声が震えていた。
「お兄さん?」
ティコが俺の顔をのぞきこんだ。
「ティコ。全部、ありました。カレーに必要なもの全部」
ティコの顔がぱあっと輝いた。
そこからは夢中だった。
鑑定しながら、草を摘む。根を掘る。実をもぐ。リリアとガルムとダリオたちが襲ってくる植物の魔物を追い払う。アズとミナが摘んだものを種類ごとに布の袋に分けていく。
シラタマは、ガルムの頭の上から鼻をひくひくさせて、ときどき、「きゅうっ!」と鳴いて、前足で草むらを指した。
そこには決まって、香りの強い草が生えていた。
「……タマちゃん、すごい。鼻、めちゃくちゃいい」
ティコが感心して、シラタマの頭をなでた。
袋がいっぱいになったころだった。
香りの庭のいちばん奥から地響きがした。
木々がばきばきと倒れる音。
ダリオの顔色が変わった。
「……まずい。庭の主だ」
木々のあいだから、巨大な影がぬうっと現れた。
木だった。
いや、木の形をした、魔物だった。家よりも高い幹。枝の先が鞭のようにしなっている。幹の真ん中にうろのような大きな口がひとつ。その口の奥から甘ったるい腐ったような香りがもわりと漂ってきた。
【香木の主】
【危険度】B
【備考】十二階の主。香りで獲物を眠らせ、根で捕らえて食べる
「香りを吸うな!」
ダリオが叫んだ。
けれど、遅かった。紅蓮の牙の大盾の男が膝から崩れ落ちた。弓の女もふらりとよろめいた。
俺は手のひらをふっと振った。
風が吹いた。
香りの庭の奥から入口のほうへ。甘ったるい香りが風に吹き流されて、消えていった。
倒れかけていた二人がはっと目を覚ました。
「今です!」
リリアが跳んだ。ガルムが吠えた。ダリオが二本の剣を振りかざした。
香木の主の枝が何本もばらばらと落ちた。
最後は、ガルムの大剣が幹の真ん中の口に深々と突き刺さった。
香木の主はゆっくりと傾いて、倒れた。
光の粒になって、消えていった。
あとに魔石とそれからひと抱えほどの赤茶色の木の皮が残った。
鑑定の板が浮かんだ。
【香木の皮】
【品質】極上
【備考】削ると、甘く深い香り。ひとかけらで鍋いっぱいの料理を香り高くする
俺はその皮を両手で持ち上げた。
甘い深い香りがした。
どこかで嗅いだことのある香りだった。
湯気の立つ鍋。茶色い、とろりとしたもの。白いごはん。
誰かと一緒に食べていた。
俺は、目を閉じて、その香りを胸いっぱいに吸いこんだ。
大丈夫だった。頭は痛まなかった。空も割れなかった。
ただ、腹がぐうう、と鳴った。
ガルムの頭の上でシラタマの腹もきゅるる、と鳴った。
みんなが笑った。
第42話 了
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