第41話 料理ギルドの長
料理ギルドの館は、すり鉢の縁に近い、いちばん眺めのいい場所に建っていた。
白い大理石の壁。金色の屋根。入口の扉には巨大な銀色のしゃもじの紋章。館というより小さな宮殿だった。
「……しゃもじ」
「料理ギルドの紋章だよ。ガルデアでいちばんお金持ちのギルドなんだって」
ティコが帳面を胸に抱えて、扉を見上げていた。いつもより、少しだけ背筋が伸びていた。
大食祭に屋台を出すための許しをもらいに来たのだ。ついてきたのは俺と、ハンスと、リリア。ガルムとアズは宿でシラタマの番をしていた。
通された広間には、長い卓が置かれていて、その奥にひとりの男が座っていた。
背の高い痩せた男だった。五十歳くらい。油でぴったりと整えた口ひげ。白い上着の胸に金のしゃもじの徽章。指には宝石の指輪がいくつも光っていた。そばにフーゴが手をもみながら控えていた。
「料理ギルドの長、ボッシュだ」
男は甘ったるい声で名乗った。
「で? リンデンの田舎商人が何の用かな」
ティコが一歩、前に出た。
「シラタマ商会のティコです。大食祭に屋台を出させてください」
「断る」
ボッシュはティコの顔も見ずに言った。
「大食祭の屋台は料理ギルドに加わっている店だけのものだ。余所者に出す場所はない」
「じゃあ、料理ギルドに入ります。どうすれば入れますか」
「入会金、金貨百枚。それから、ギルドの審査がある。審査には三年かかる」
「三年……!」
「祭りは九日後だ。諦めなさい、お嬢ちゃん」
ボッシュは、卓の上の杯を持ち上げて、ゆっくりと口に運んだ。
ティコは唇をかんでいた。
そのとき、俺の目の前に半透明の板が浮かんだ。ボッシュの卓の上に置かれていた分厚い帳面。表紙に、「大食祭 屋台割り当て」と書かれていた。
【大食祭 屋台割り当て帳】
【備考】屋台百二十のうち、九十八がボッシュ本人、またはボッシュの親族の店。残り二十二の店は、売り上げの三割をボッシュに納める約束をしている
「……九十八」
思わず、つぶやいてしまった。
ボッシュの眉がぴくりと動いた。
「何か言ったかね」
「いえ。祭りの屋台はほとんど、ボッシュさんのお店なんですね」
ボッシュの顔から笑みが消えた。
フーゴがぎょっとした顔で俺を見た。
「……誰から聞いた」
「なんとなく、そう思っただけです」
ボッシュはしばらく俺をにらんでいた。それから、ふん、と鼻を鳴らした。
「ガルデアの料理はガルデアの料理ギルドが守る。わたしがこの町の味を守っているのだ。何が悪い」
「悪いとは言っていません」
俺はできるだけ穏やかに言った。
「ただ、大陸じゅうから人が集まる祭りなのに、料理を出せるのがほとんどひとりの人のお店だけなのはもったいないなと思っただけです」
ボッシュは何も言わなかった。
フーゴがちらりとボッシュの顔色をうかがった。
ティコが帳面を開いて、あるページを指でたたいた。
「……ボッシュさん。大食祭の古い決まりにこう書いてあります」
ティコはゆっくりと読み上げた。
「祭りの最終日、自由屋台の枠をひとつ設ける。料理ギルドに入っていない者も誰でも出してよい。ただし、料理ギルドの長の店と売り上げと味を競わねばならない。負けた者はガルデアで二度と料理を売ってはならない」
ボッシュの目が見開かれた。
「……どこでそんな古い決まりを」
「町の古本屋で百年前の祭りの記録を買いました。銀貨二枚でした」
ティコは胸を張った。
「この決まり、なくなったって書いてある記録はどこにもありませんでした」
ハンスがとなりで額を押さえていた。止めようかどうか、迷っている顔だった。
ボッシュはしばらく黙っていた。
それから、急に大声で笑いだした。
「ははは! 面白い! 自由屋台か! そんなものに挑んだ者はここ五十年、ひとりもおらん! わたしの店と味と売り上げを競って、勝てると思っているのか!」
「思ってます」
ティコがきっぱりと言った。
ボッシュの笑いが、止まった。
「……いいだろう。受けて立つ」
ボッシュは卓の上に身を乗り出した。
「ただし、条件を足させてもらう。お前たちが負けたら、ガルデアで二度と料理を売らないだけではない。シラタマ商会の料理の作り方をすべて、料理ギルドに差し出してもらう」
「お父さん……」
ティコがハンスを振り返った。
ハンスはしばらく目を閉じていた。それから、目を開けて、俺を見た。
俺はうなずいた。
「……分かりました。その代わり、こちらが勝ったら、条件をひとつ」
ティコがボッシュをまっすぐに見た。
「来年からの大食祭の屋台を、ギルドに入っていない人にも開いてください。誰でも、料理を出せるように」
広間がしんと静まり返った。
ボッシュの口ひげがひくひくと震えていた。
「……よかろう。どうせ、勝つのはわたしだ」
館を出ると、ティコは階段の途中でへなへなと座りこんだ。
「……こ、怖かったあ……」
「よくやりました、ティコ」
リリアがティコの頭をなでた。
「商人の娘としても、騎士の端くれとしても、見事な啖呵でした」
ハンスは、深いため息をついて、娘のとなりに腰を下ろした。
「まったく、お前という子は……。負けたら、商会の作り方を全部取られるんだぞ」
「負けないもん」
ティコは顔を上げて、俺を見た。
「だって、お兄さんがいるもん」
俺はティコのとなりにしゃがんだ。
「ティコ。ひとつ、教えてください。祭りで何を出したいですか」
「……え?」
「ボッシュさんの店に勝つには、この町の人がまだ食べたことのないものがいいと思うんです。唐揚げはもうリンデンで出しました。この町ではステーキも少し知られてしまいました」
ティコはしばらく考えこんだ。
それから、ぽつりと言った。
「……森の家の台所の壁」
「壁?」
「カレー食べたい、って書いてあったでしょ。あれ、なんなの? お兄さん、一回も作ってくれてない」
俺ははっとした。
カレー。
茶色くて、とろりとしていて、スパイスの香りがして、白いごはんにかけて食べるもの。舌が覚えている。けれど、この世界に来てから、一度も作っていなかった。スパイスがなかったからだ。
「スパイスがあれば、作れます」
「スパイス……ガルデアなら、大陸じゅうの香辛料が集まってるよ!」
ティコの目がぱっと輝いた。
「あともうひとつ。肉を揚げて、卵でとじて、ごはんに乗せるものも作れると思います」
「それ、何?」
「カツ丼です」
「かつどん」
ティコはその言葉を大事そうに繰り返した。
「……おいしい?」
「おいしいです。たぶん」
「たぶん?」
「作ったことはない気がするんです。でも、食べたことは何百回もある気がします」
ティコはにっと笑った。
「じゃあ、決まり! カレーとかつどん!」
その夜。
料理ギルドの館の奥の部屋でボッシュはフーゴを呼びつけていた。
「……いいか、フーゴ。祭りまでに町じゅうの鶏と、豚と、油と香辛料を料理ギルドの名前で買い占めろ。あの田舎者どもに何ひとつ売るな」
「ぼ、ボッシュさま、それは……」
「文句があるのか」
「……いえ」
フーゴはうつむいて、部屋を出ていった。
廊下を歩きながら、フーゴは自分の手のひらを見ていた。
銀の匙亭の裏庭でひと口だけこっそりなめた、あのたれの味がまだ舌の上に残っていた。
第41話 了
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