第39話 銀牙の咆哮
鉄角牛の群れが岩山にぶつかった。
どおん、という音がして、岩山が揺れた。角が岩を削る。岩のかけらがはじけ飛ぶ。岩山の上で人影がよろめいた。
大盾を背負っていた大男が盾を構えて、岩山の縁に立っていた。登ってこようとする牛の角を盾で必死に押し返している。弓の女が矢を放つ。身軽な男が短剣で牛の目を狙う。
そして、赤い髪の男が二本の剣を振り回して、岩山のいちばん低いところを守っていた。
ダリオだった。
全身、泥と血にまみれていた。片方の剣は途中から折れていた。それでも、一歩も退いていなかった。
群れがまた岩山にぶつかった。
大盾の男が弾き飛ばされた。岩の上を転がって、縁から落ちかける。ダリオがそれを片手でつかんで引き戻した。その隙に一頭の牛が岩山の縁に前足をかけた。
角がダリオの背中に向いた。
「――っ」
俺の足が前に出かけた。
その前に隣から風が吹いた。
ガルムだった。
大剣を背中から抜いて、草原を走っていた。
速かった。
リンデンの森で俺に殴りかかってきたときよりもずっと。灰色の毛が風に逆立って、銀色に光って見えた。地面を蹴るたびに、草がちぎれて舞い上がった。
ガルムは群れの中に真正面から突っこんだ。
そして、吠えた。
「――ウオオオオオオオオオオオオッ!!」
声、ではなかった。
衝撃だった。
ガルムの口から放たれた咆哮が見えない波になって、草原を走った。草が根もとからなぎ倒された。空気がびりびりと震えた。
鉄角牛の群れが一斉に動きを止めた。
何十頭もの巨体がその場で足をすくませていた。耳を伏せ、目を白黒させ、がたがたと震えている。岩山に前足をかけていた牛もずるずると滑り落ちた。
岩山の上でダリオが目を見開いていた。
「……銀牙……?」
ガルムは群れの真ん中に仁王立ちしていた。大剣を肩にかついで。頭の上にはシラタマがしっかりとしがみついていた。耳がぺたんと伏せられていた。さすがにうるさかったらしい。
「――おう赤いの! 生きてるか!」
ガルムが岩山を見上げて、怒鳴った。
ダリオは口をぱくぱくさせていた。
「な、なんで……お前が……」
「てめえんとこの魔法使いの嬢ちゃんが、泣いて頼みに来たんだよ! 礼なら、あとで嬢ちゃんに言え!」
すくんでいた群れが少しずつ我に返りはじめていた。
群れの外側で黄金角の王牛がゆっくりとこちらを向いた。
金色の角が光っていた。ほかの牛の咆哮への恐れはこの牛には効いていなかった。赤い目がガルムをじっとにらんでいた。
鑑定の板が浮かんだ。
【黄金角の王牛】
【危険度】A
【備考】十八階の主。群れを率いる。金の角はあらゆる刃を弾く。突進は城門をも砕く
王牛が前足で地面をかいた。
ガルムが大剣を構えた。
その背中を見て、俺はふと、思った。
ガルムはひとりで王牛を止めるつもりだ。
群れの真ん中にひとりで立って。後ろの者たちを逃がすために。
十年前と同じように。
「ガルムさん」
俺は声をかけた。
ガルムの耳がぴくりと動いた。
「今度はみんなで生き残りましょう」
ガルムは振り返らなかった。
けれど、その尻尾が一度だけ大きく揺れた。
「……おう。分かってらあ」
王牛が突進してきた。
地面が揺れた。
速い。巨体とは思えない速さで金色の角を低く構えて、まっすぐにガルムへ。
ガルムの目の前で王牛の足が止まった。
止まったのではない。止められた。
王牛の足もとの影が黒い縄のように伸びて、四本の足にぐるぐると絡みついていた。
アズだった。
いつの間にか、王牛の影の中に立っていた。両手を地面について。額に汗が浮かんでいた。
「……長くはもちません」
王牛が暴れた。影の縄がぎしぎしと軋んだ。
その首の上に金色の髪が舞った。
リリアが王牛の背中を駆け上がっていた。
剣をふわりと宙に浮かせる。
王牛の赤い目がそれを追った。首をぐいと上げた。
上を見た。
「――灰羽」
舞い落ちる羽根が向きを変えた。
下から。上を見上げて、がら空きになった喉もとへ。金色の角が守れない場所へ。
リリアの剣が王牛の喉に深く突き刺さった。
王牛が吠えた。苦しそうに首を振る。リリアは剣を離さずに首にしがみついていた。
「ガルム殿!」
「おうよ!」
ガルムが跳んだ。
大剣を頭上高く振りかぶる。
振り下ろした。
大剣は、王牛の首のリリアの剣が刺さったすぐ横に叩きこまれた。
ずん、と。
重たい音がした。
王牛の巨体がぐらりと傾いた。
それから、ゆっくりと草原の上に倒れた。
地面が揺れた。
そして、光の粒になって、消えていった。
あとに巨大な魔石と、二本の金色の角と山のような肉の塊が残った。
王を失った群れが一斉にばらばらと逃げはじめた。
何頭かが混乱して、岩山のほうへ突進した。
俺は指をちょんと動かした。
岩山のまわりの地面から土の壁がせり上がった。牛たちは、壁にぶつかって、目を回して、それから草原の向こうへ逃げていった。
俺がこの戦いでやったのはそれだけだった。
それで、十分だった。
しばらくして、岩山の上から紅蓮の牙の四人がよろよろと下りてきた。
大盾の男は足をひきずっていた。弓の女は腕を押さえていた。身軽な男は頭から血を流していた。ダリオは折れた剣を握ったまま、ふらふらと歩いていた。
俺は四人に治癒の魔法をかけた。傷がふさがっていく。四人は目を丸くして、自分の体を見ていた。
ダリオがガルムの前に立った。
しばらく、何も言わなかった。
それから、深く頭を下げた。
「……すまなかった」
声が震えていた。
「牙の抜けた狼だなんて、言って。仲間を見捨てたなんて、言って。……本当にすまなかった」
ガルムは頭をかいた。
「顔を上げろよ、赤いの」
「……ダリオだ」
「ダリオ。お前、魔法使いの嬢ちゃんをひとりで逃がしたんだってな」
ダリオが顔を上げた。
「あいつが、いちばん弱いから。……あいつだけでも、生きて帰れば、それでいいと思った」
ガルムは少しのあいだ、黙っていた。
それから、ダリオの頭を大きな手でがしがしとなでた。
「ばかやろう。生きて帰ったら、あの嬢ちゃんは、一生、お前たちを置いて逃げたって、思い続けることになるんだぞ」
ダリオの目が見開かれた。
「逃がされたほうはな、つれえんだ。……俺は知ってる」
ガルムの声は静かだった。
「だから、次はみんなで帰れる道を探せ。それがいちばん強えやつの仕事だ」
ダリオは唇をかみしめて、うなずいた。
何度も、何度もうなずいた。
その目から涙がぼろぼろとこぼれていた。
ガルムは、ダリオの頭から手を離すと、俺のほうを振り返った。
照れくさそうに鼻をこすった。
「……大将。今のはお前に言われたことの受け売りだ」
「俺は何も言ってませんよ」
「言ったろ。今度はみんなで生き残ろうってな」
ガルムはにやりと笑った。
いつものがははという笑いだった。
頭の上でシラタマがきゅう、と誇らしげに鳴いた。
リリアが王牛の角を拾い上げて、ダリオに差し出した。
「これはあなたたちのものです。あなたたちがここまで持ちこたえたから、私たちは間に合いました」
「え……いや、でも、倒したのはあんたたちで……」
「それにこれがあれば、Bランクなのでしょう?」
リリアは少しだけ笑った。
「その代わり、次はミナさんを泣かせないでください」
ダリオは角を受け取って、もう一度深く頭を下げた。
俺は、草原に残された、山のような肉の塊を見下ろした。
鑑定の板が浮かんだ。
【黄金角の王牛の肩ロース】
【品質】極上
【備考】脂がとろけるように甘い。厚めに切って、強火で焼くのがいちばん
「……厚めに切って、強火で」
「大将。また、よだれが出てるぞ」
「出てません」
出ていた。
シラタマがガルムの頭から飛び降りて、肉の塊のまわりをぐるぐると走り回っていた。尻尾をちぎれそうなほど振っていた。
第39話 了
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