第38話 十八階へ
次の日は迷宮に潜らなかった。
朝からティコとハンスに頼まれて、宿の台所で干した唐揚げの味を直していた。ガルデアの料理人たちに売りこむための試作品だ。リリアとアズは町の武器屋を見に行っていた。ガルムは宿の裏庭で大剣の手入れをしていた。
昼過ぎ、宿の扉が乱暴に開いた。
飛びこんできたのはギルドの受付のエマだった。眼鏡がずれて、息が上がっていた。
「灰羽の皆さん! いらっしゃいますか!」
俺は台所から顔を出した。
「エマさん。どうしたんですか」
「紅蓮の牙が……っ、十八階で……!」
ギルドの一階の救護の部屋にミナが寝かされていた。
杖を抱えたまま、ぐったりと横になっていた。額と腕に血のにじんだ包帯。ローブの裾がずたずたに裂けていた。
俺たちが部屋に入ると、ミナはガルムの顔を見て、体を起こそうとした。
「ぎ、銀牙さん……っ」
「起きるな、嬢ちゃん。何があった」
ガルムがミナの肩を押さえた。
ミナは唇を震わせながら、話した。
「十八階に着いたんです。最初はうまくいっていました。鉄角牛を一頭、倒しました。角も取れました。ダリオはこれでBランクだって、喜んでいて……」
ミナの目から涙がこぼれた。
「そうしたら、群れが来たんです。何十頭も。地面が揺れて、何も見えなくなって。その群れの真ん中に金色の角の大きな牛がいて……」
「金色の角」
エマが青ざめた。
「黄金角の王牛……。十八階の主です。Aランクの魔物です。ここ何年も姿を見せていなかったのに……」
「ダリオがわたしだけ転移の石まで逃がしてくれました。わたしがいちばん弱いから。転移の石で助けを呼んでこいって。……ダリオたちは、岩山の上に追いつめられて、動けなくなっていました」
ミナはガルムの袖をぎゅっとつかんだ。
「お願いです。ダリオたちを助けてください。ダリオは、口は悪いけど、仲間を見捨てたりしない人なんです。今日だって、わたしを……」
あとは言葉にならなかった。
エマが唇をかんだ。
「……ギルドとしては、Bランク以上のパーティに救援を頼むしかありません。でも、今、町にいるBランク以上のパーティはみんな三十階より下の遠征に出ていて……」
部屋の入口に何人かの冒険者が集まっていた。十階の安全地帯で見かけた顔もあった。
「十八階の王牛だろ? 無理だ無理」
「紅蓮の牙は自分たちで無茶したんだ。自業自得だろ」
「あいつら、昨日もでかい口たたいてたしな」
ひそひそとそんな声が聞こえた。
ガルムが立ち上がった。
何も言わなかった。
ただ、背中の大剣の柄を握った。
部屋の入口に集まっていた冒険者たちがガルムの顔を見て、口をつぐんだ。
「――行くぞ、大将」
低い声だった。
俺はうなずいた。
「はい」
「嬢ちゃんたちは――」
「行きます」
リリアがすでに剣を腰に下げていた。
「……行きます」
アズが黒い短剣を腰の後ろに差していた。
シラタマがガルムの頭の上にぴょんと飛び乗った。
エマがあわてて言った。
「ま、待ってください! 灰羽の皆さんは、まだ十階までしか……十一階から十八階まで普通に下りたら、どんなに急いでも、半日はかかります! その前に紅蓮の牙は……」
「半日もかけません」
俺は言った。
迷宮の入口から転移の石で十階の安全地帯へ飛んだ。
そこから先はまだ転移の石に触れていない。自分の足で下りていくしかない。
普通なら。
「ガルムさん。リリア。アズ。俺のそばに寄ってください」
「……何をする気だ、大将」
「迷宮は生きているんですよね。壊した壁も一晩たてば、元に戻る」
「ああ、そうだが……」
「じゃあ、床に穴を空けても、あとで元に戻りますよね」
ガルムの顔が引きつった。
「……おい。まさか」
俺は安全地帯の外れの石の床に手をついた。
下へ。
まっすぐ、下へ。
土の魔法で床の石を溶かすようにどかしていく。十一階の天井を抜ける。十一階の床を抜ける。十二階の天井。十二階の床。
どこまで下りればいいのかは分かっていた。床の下へずっと、ずっと耳を澄ませる。探知の魔法で生き物の気配を探す。十八階のずっと奥。岩の上に四つの弱った気配。そのまわりを何十もの大きな荒々しい気配が取り囲んでいる。
床に穴が空いた。
人が三人並んで落ちられるくらいの丸い、まっすぐな穴。
穴の底は暗くて、見えなかった。
「……大将。これ、何階まで続いてる」
「十八階です」
「落ちる、のか?」
「落ちます。風でゆっくりにしますから」
「ゆっくり、ってのはどのくらいだ」
「……たぶん、大丈夫です」
「たぶん!?」
リリアが俺の腕をがしっとつかんだ。顔が少しだけ青かった。
「……レイ殿。空を飛んだときもたぶん大丈夫、とおっしゃいました」
「大丈夫でしたよね」
「大丈夫でしたけれども!」
アズが無言で俺のローブの裾をつかんだ。表情は変わらなかった。けれど、つかむ指に力がこもっていた。
ガルムが大きく息を吸って、吐いた。
「……ええい、ままよ! 大将を信じる!」
四人と一匹で穴に飛びこんだ。
風が下から吹き上げてきた。
落ちていく。十一階。十二階。十三階。穴の壁の向こうに一瞬ずつ迷宮の通路が見えては消えていく。驚いた顔の冒険者。目を丸くした魔物。宝箱。
「うおおおおおおっ!?」
ガルムの叫び声が穴の中に響いた。
頭の上のシラタマは、耳を風になびかせて、楽しそうにきゅうきゅうと鳴いていた。
十六階。十七階。
そして、足もとがぱっと明るくなった。
穴を抜けると、そこは空の下だった。
いや、空ではなかった。天井がはるか高いところにあって、それが青白く光って、空のように見えているのだ。その下に見渡すかぎりの草原が広がっていた。
迷宮の十八階。
風の魔法で落ちる速さをゆるめる。ふわりと草の上に着地した。
ガルムが膝に手をついて、ぜえぜえと息をしていた。
「……二度と……二度とやらねえぞ……」
「帰りは転移の石を使います」
「そうしてくれ……」
リリアは、剣の柄を握ったまま、草の上にしゃがみこんでいた。顔が白かった。
「……レイ殿。次にたぶん、とおっしゃったときは私は斬りかかるかもしれません」
「気をつけます」
アズだけが何事もなかったように草原の遠くを見ていた。
「……あちら、です」
アズが指さした。
草原の向こうに土煙が上がっていた。
地面がかすかに揺れていた。
どどどどど、という、低い地鳴りのような音が風に乗って聞こえてきた。
土煙の中に影が見えた。
牛だった。
ただの牛ではない。体は馬車ほどもある。黒い毛。頭から鉄のような、にぶい灰色の角が二本、前に突き出していた。それが何十頭も群れになって、ぐるぐると何かを取り囲むように走り回っていた。
群れの真ん中に岩山があった。
岩山の上に小さな人影が四つ。
赤い髪が見えた。
そして、群れの外側に一頭だけほかの牛の倍はある巨大な牛がじっと立っていた。
その頭の角は金色に光っていた。
黄金角の王牛が岩山の上の人影を見上げて、ゆっくりと前足で地面をかいた。
低く長く、吠えた。
群れが一斉に岩山に向かって、突進しはじめた。
第38話 了
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