第37話 迷宮の歩き方
翌朝、俺たちはすり鉢の底の迷宮の入口に立っていた。
近くで見ると、入口は思っていたよりもずっと大きかった。馬車が三台並んで通れるほどの黒い石のアーチ。その奥に下へ向かう広い階段が続いている。ひんやりとした空気が奥から吹き上がってきた。土と、苔とそれからどこか甘いような不思議なにおいがした。
入口のまわりには朝から冒険者たちが集まっていた。荷物を確かめる者。仲間と打ち合わせをする者。屋台で朝めしの串焼きをかじっている者。
「迷宮ってのはな、生きてるんだ」
ガルムが入口を見上げながら言った。
「中の魔物は倒しても、しばらくすると、また湧いてくる。壊した壁も一晩たてば、元に戻る。宝箱もいつの間にか、中身が増えてる。だから、何百年たっても、掘りつくされねえ」
「生きている……」
リリアが少し気味悪そうにアーチを見上げた。
「怖がるこたあねえよ、嬢ちゃん。浅いとこはおとなしいもんだ。問題は深いとこだ」
ガルムはそう言って、階段を下りはじめた。頭の上にはあいかわらず、シラタマが乗っていた。
一階は石の壁に囲まれた、広い通路だった。
壁のところどころに青白く光る苔が生えていて、明かりがなくても、ぼんやりと先が見えた。天井は高くところどころで通路が枝分かれしていた。
最初に出てきたのは大きなねずみだった。犬ほどの大きさがある。
リリアが一振りで斬った。
ねずみは光の粒になって、消えた。あとに小さな石がころんと転がった。
「魔石だ。迷宮の魔物は倒すと、体が消えて、魔石だけが残る。……ただし」
ガルムがにやりと笑った。
「たまに肉が残る。それがこの町の食い物の元だ」
その言葉どおり、三階で倒した迷宮猪は消えたあとに大きな肉の塊を残していった。赤身と脂身がきれいに層になった、見事な肉だった。
「……これはおいしそうです」
俺は思わず、肉を持ち上げて、光にかざした。
鑑定の板が浮かんだ。
【迷宮猪のばら肉】
【品質】上
【備考】脂が甘い。焼いても煮てもよい。岩塩との相性が抜群
「岩塩との相性が抜群……」
「大将。よだれ、出てるぞ」
「出てません」
出ていた。
迷宮の中を進んでいく。
陣形はリンデンからの旅とほとんど同じだった。先頭に、ガルム。鼻と耳で先の気配を探る。その少し後ろに、リリア。剣を抜いたまま、ガルムの脇を固める。アズは、影の中を渡って、分かれ道の先を見てきては戻ってくる。
「……右の道、ゴブリンが五匹。左の道、行き止まり。宝箱がひとつ」
「宝箱か!」
「……罠がついています」
「罠か……」
ガルムの耳がしゅんと垂れた。
俺はいちばん後ろでみんなを見ていた。
ここに来る前に決めていた。迷宮の中ではできるだけ俺は前に出ない。
強い魔法を使うことそのものは大丈夫だと分かった。けれど、戦いの中で何がきっかけで怒りがこみ上げてくるか分からない。怒りの底で記憶の扉が開けば、また空にひびが入る。
だから、俺は後ろでみんなを支える。明かりをともす。傷を治す。道を探す。それで、十分だった。
それにみんなは強かった。
リリアの剣はこの迷宮でも、少しも鈍らなかった。ガルムは、大剣を片手で振り回して、ゴブリンの群れを壁ごと薙ぎ払った。アズは魔物の影を縫いとめて、動けなくした。シラタマはガルムの頭の上からときどき「きゅうっ!」とひと声鳴くだけで小さな魔物を追い払っていた。
五階の安全地帯に着いたのは昼過ぎだった。
大きな広間になっていて、魔物はここには入ってこない。壁ぎわには冒険者たちが腰を下ろして、休んでいた。広間の真ん中に背の高い青い石の柱が立っていた。
「あれが転移の石だ。一度触っておけば、次からは入口からここまで一気に飛べる」
みんなで石の柱に手を触れた。石がぼうっと光った。
昼めしは安全地帯で作った。
三階で手に入れた迷宮猪のばら肉。四階の壁に生えていた白い茸。鑑定で食べられると分かったものだ。それから、迷宮の壁から削り取った薄桃色の岩塩。
肉を厚めに切って、石の上で焼く。脂がじゅうじゅうと音を立てて溶けだす。茸をその脂で炒める。仕上げに岩塩を削りながら、ぱらぱらと振る。
香りが安全地帯じゅうに広がった。
壁ぎわで休んでいた冒険者たちが一斉にこちらを向いた。
「……な、なんだ、あのにおい」
「迷宮猪か? いや、猪って、あんなにうまそうなにおいしたか?」
ガルムが焼けた肉をひと切れ、口に放りこんだ。
目を閉じた。
しばらく、動かなかった。
「……大将」
「はい」
「俺はこの迷宮に十年以上前にも潜った。そのときも迷宮猪は食った。……こんな味じゃなかった」
「岩塩がよかったんだと思います」
「岩塩のせいじゃねえ。お前のせいだ」
ガルムは二切れ目を口に放りこんだ。
リリアも、アズも黙々と食べていた。シラタマは脂の多いところを夢中でかじっていた。
結局、まわりの冒険者たちに少しずつ分けることになった。みんな、ひと口食べて、目を丸くしていた。
午後は六階から十階まで一気に下りた。
十階の安全地帯は五階よりもずっと広かった。冒険者の数も多かった。ここから先はCランク以上でなければ潜れない。だから、ここで仲間と合流したり、情報を交換したりする者が多いのだとガルムが教えてくれた。
転移の石に触れてから、壁ぎわで休んでいると、近くにいた冒険者たちの話し声が耳に入ってきた。
「三十階の灰の扉。また誰かが挑んだらしいぜ」
「開いたのか?」
「開くわけねえだろ。百年、誰も開けられねえんだ」
俺は顔を上げた。
「……すみません。灰の扉、というのは」
話していた冒険者の一人が振り返った。年配の日に焼けた男だった。
「なんだ知らねえのか? ガルデアの迷宮じゃ有名な話だぜ。三十階のいちばん奥にでけえ石の扉があるんだ。扉の真ん中に灰色の羽根の模様が彫ってある。どんな魔法でも、どんな怪力でも、びくともしねえ」
灰色の羽根。
リリアがはっと息をのんだ。
「言い伝えじゃ灰の賢者が百年前に、あの扉の奥に何かを隠したんだとよ。宝だとか、伝説の杖だとか、いろいろ言われてるがな。誰も中を見たことはねえ」
男は肩をすくめた。
「ま、三十階まで行けるパーティ自体、この町に片手で数えるほどしかいねえ。行ったところで開かねえ扉を眺めて、帰ってくるだけだ」
俺は礼を言って、壁ぎわに戻った。
みんなが俺を見ていた。
「……レイ殿」
「はい」
「三十階、ですね」
リリアの声は静かだった。
「……はい。たぶん、そこです」
迷宮都市ガルデアの底に預けてきたものがある。
ロザリンドの祖母の日記にそう書いてあった。
灰色の羽根の扉。
そのとき、安全地帯の入口のほうが、騒がしくなった。
「おう、どいたどいた! 紅蓮の牙のお通りだ!」
赤い髪が人ごみの中から現れた。ダリオだった。その後ろに紅蓮の牙の四人。十一階から上がってきたところらしい。みんな泥と汗にまみれていたが、顔は得意げだった。
「十五階の転移の石まで触ってきたぜ。明日はいよいよ十八階だ」
ダリオは安全地帯の真ん中で胸を張った。まわりの冒険者たちがひやかすような感心したような声を上げた。
ダリオの目が壁ぎわの俺たちに気づいた。
「お、辺境の新人さんたちじゃねえか。十階まで来たのか。まあまあだな。でも、ここから先は本物の迷宮だぜ。荷物持ちでもいいから、誰かについていったほうがいい」
ダリオは、からからと笑って、転移の石のほうへ歩いていった。
ガルムは何も言わなかった。
ただ、ダリオの背中をじっと見ていた。
紅蓮の牙のいちばん後ろを歩いていた杖の女の子が足を止めた。
きょろきょろと、あたりを見回してから、壁ぎわのガルムのところへ小走りでやってきた。
「あ、あのっ」
ガルムが目をぱちくりさせた。
「……なんだ、嬢ちゃん」
「わ、わたし、ミナといいます。紅蓮の牙の魔法使いです。昨日はダリオが失礼なことを言って、ごめんなさい」
ミナはぺこりと頭を下げた。
「……いいって。本当のことだ」
「本当じゃありません!」
ミナが顔を上げた。その目に涙がにじんでいた。
「わたしの兄は、十二年前、北の街道で魔物に襲われた商隊の護衛をしていました。そのとき、通りかかった銀色の狼の獣人に助けてもらったんです。名前も言わずに行ってしまったそうです。兄は、ずっとあれは銀牙のガルムだったって、言っていました」
ガルムの耳がぴくりと動いた。
「兄は今でも、その人のことを英雄だと言っています。だから……だから、わたしは、あなたが、仲間を見捨てるような人だとは思いません」
ミナはもう一度頭を下げた。
それから、ダリオの呼ぶ声にあわてて振り返って、走っていった。
ガルムはしばらくミナの背中を見送っていた。
それから、大きな手で顔をごしごしとこすった。
「……十二年前、か。覚えてねえな。そんなこと」
声が少し、かすれていた。
頭の上のシラタマがガルムの耳を前足でぽんぽんとたたいていた。
第37話 了
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