第36話 賢者まんじゅう
ガルデアの町はすり鉢の内側にへばりつくように建っていた。
城門をくぐると、道は、ゆるやかな坂になって、穴の底へ向かって、ぐるぐると渦を巻くように下っていく。坂の両側に店がぎっしりと並んでいた。上のほうは宿屋や、武器屋や、商人の館。下へ行くほど屋台が増えていく。
そして、穴のいちばん底に黒い口がぽっかりと開いていた。
迷宮の入口だった。
「あの穴の奥が五十階まで続いてるって話だ。いちばん下まで行ったやつはまだ誰もいねえ」
ガルムが坂の手すりから身を乗り出して、穴の底をのぞきこんだ。頭の上のシラタマも一緒になって、のぞきこんでいた。
「迷宮の中では魔物が倒しても倒しても、湧いてくる。その魔物の肉やら、迷宮の中に生える茸やら、塩やらがこの町の料理の元になってるんだ。だから、食の都ってわけだ」
「ガルムさん、詳しいですね」
「昔、何度か潜ったことがある。十年以上前だがな」
坂を下るにつれて、においが、どんどん濃くなっていった。
肉を焼く煙。甘い蜜を煮つめる湯気。香辛料をたっぷりまぶした、揚げ物のにおい。屋台の呼びこみの声があちこちから飛んでくる。
「迷宮猪の串焼き! 焼きたてだよ!」
「岩塩茸のスープ、一杯銅貨四枚!」
「十階の蜜蜂の蜜で作った蜜菓子はいかが!」
ティコが御者台の上で目をぐるぐる回していた。
「す、すごい……屋台の数がリンデンの十倍……いや、二十倍……」
ハンスは、手帳に屋台の値段をものすごい速さで書きつけていた。
坂の途中の屋台の並ぶ一角で、ひときわ行列のできている店があった。
のぼりが立っていた。
――名物 賢者まんじゅう。
俺の足が止まった。
「……賢者、まんじゅう」
「灰の賢者にちなんだ菓子だよ!」
ティコが目を輝かせた。
「ガルデアの名物なんだって。お父さんが、前にお土産に買ってきてくれたことがある」
行列に並んで、ひとつずつ買った。
手のひらに乗るくらいの丸い菓子だった。皮は灰色がかった白。表面に焼き印が押してあった。
ひげもじゃのいかめしい、おじいさんの顔だった。
「……これが灰の賢者ですか」
俺は屋台の主人に聞いた。
主人は太った、陽気な男だった。がははと笑った。
「さあねえ! 誰も本当の顔なんか知らねえよ! 賢者っていやあ、ひげもじゃのじいさんだろうってんで、うちのひいじいさんが、勝手にこの顔にしたんだ!」
「……そうですか」
俺は自分のあごをなでた。ひげは生えていなかった。
となりでリリアが口を押さえて、肩を震わせていた。ガルムは遠慮なく笑っていた。
「似てねえなあ、大将!」
「ガルムさん、声が大きいです」
アズは、手の中のまんじゅうの顔と俺の顔を何度も見比べていた。
「……似て、いません」
「似てないですね」
「……でも、目は少しだけ似ています」
「……そうですか?」
「……うそです」
アズがぼそっと言った。
冗談を言ったのだと気づくまでに少しかかった。
ガルムがまた大声で笑った。
屋台の主人は機嫌よく話を続けた。
「でもな、この菓子の作り方は本物だって話だぜ。百年前、この町に灰色のローブの若いのが来たんだとよ。そいつが、うちのひいじいさんにこの菓子の作り方を教えていったんだと。故郷の菓子だ、ってな。それがあとで灰の賢者さまだったって分かって、この名前になったんだ」
俺は手の中のまんじゅうを見下ろした。
丸い。白い。
ひと口、かじった。
皮はもっちりとしていた。中に甘く煮た豆の餡がぎっしりと詰まっていた。
ただ、皮が少し厚かった。餡が少し甘すぎた。本物とはどこか、違った。
本物、が何なのかは分からない。
それでも、舌が知っていた。
もっと皮は薄くて、やわらかい。もっと餡はしっとりしている。粉は米の粉を使う。
これは大福だ。
百年前の俺がこの町の菓子屋にうろ覚えで伝えた大福。
ダイフクという名前の狐と一緒にいた俺が。
「……レイ殿?」
リリアが俺の顔をのぞきこんでいた。
「どうか、なさいましたか」
「いえ」
俺は残りのまんじゅうを口に放りこんだ。
「……おいしいです。ちょっと甘すぎるけど」
肩の上にシラタマがいつの間にか移ってきていた。俺の口もとをくんくんとかいで、ぺろりとなめた。
屋台の主人がシラタマを見て、目を丸くした。
「おや、珍しい。銀色の狐かい。……月銀狐みてえだな」
「襟巻きです」
俺はとっさに言った。
シラタマは、襟巻きのふりをして、俺の首にぴたりと巻きついた。
主人は首をかしげていた。
宿はハンスがなじみにしている「銀の匙亭」という宿に取った。坂の上のほうにある、落ち着いた宿だった。ハンスとティコは、さっそく、町の商人たちへのあいさつ回りに出かけていった。
俺たちは迷宮ギルドへ向かった。
ガルデアのギルドは、リンデンのギルドとは比べものにならないほど大きかった。坂の中ほどにある五階建ての石造りの建物。入口の上に迷宮の穴を描いた、大きな看板がかかっていた。
中は冒険者でごった返していた。
受付で迷宮に入るための登録をした。受付の女性は、エマという、眼鏡をかけた、はきはきした人だった。
「灰羽の皆さんですね。リンデンのギルドから連絡をいただいています。リーダーのレイさんがCランク、リリアさんとガルムさんがBランク、アズさんがEランク。……十階より下に潜るには、パーティの半分以上がCランク以上である必要があります。灰羽の皆さんは条件を満たしていますね」
エマは手際よく銅の札に迷宮の印を刻んでくれた。
「迷宮の中には五階ごとに転移の石があります。一度たどり着いた転移の石からは次からは入口から一気に飛べます。ただし、深く潜るほど魔物は強くなります。特に最近は――」
「おいおいエマさん。そんな素人に丁寧に説明してやる必要はねえよ」
後ろから声がした。
振り返ると、五人の冒険者がにやにやしながら立っていた。
先頭の男は燃えるような赤い髪をしていた。二十代の半ばくらい。赤く塗った革の鎧を着て、腰に細い剣を二本、下げていた。
その後ろに大きな盾を背負った大男。弓を持った背の高い女。細い体の身軽そうな男。
それから、いちばん後ろに杖を抱えた小柄な女の子。十五歳くらいだろうか。ほかの四人とは違って、不安そうな顔で仲間の背中を見ていた。
「ダリオさん……」
エマが困ったように眉を寄せた。
「俺たちは紅蓮の牙。この町のCランクでいちばん勢いのあるパーティだ」
赤髪の男――ダリオは胸を張って言った。
それから、俺を上から下までじろじろと見た。
「で、あんたがリーダー? Cランク? 見たことねえ顔だな。どこの田舎から来たんだ」
「リンデンからです」
「リンデン! 辺境じゃねえか!」
ダリオの仲間たちが声を上げて笑った。
「悪いことは言わねえ。この町の迷宮は辺境のお遊びとは違う。あんたみたいなひょろいのは、しばらくほかのパーティの荷物持ちでもして、迷宮に慣れたほうがいいぜ」
「おい、てめえ――」
リリアが一歩、前に出かけた。
俺はその腕をそっと押さえた。
ダリオの目が今度はガルムに向いた。
「……ん? その狼。まさか、銀牙のガルムか?」
「昔はそう呼ばれてたな」
ガルムがあっさりと答えた。
ダリオは一瞬、目を丸くして、それから鼻で笑った。
「はっ。十年前に仲間を見捨てて逃げて、それっきり酒場で飲んだくれてたっていう、あの銀牙か。牙の抜けた狼が今さら迷宮に何の用だ」
ギルドの中の空気がぴりっとした。
リリアの腕に力が入った。アズの影がゆらりと揺れた。
ガルムは何も言わなかった。
ただ、耳の後ろをぽりぽりとかいた。
「……まあ、そんなとこだ」
ガルムは笑った。いつものがははという笑いではなかった。少しだけ、疲れたような笑い方だった。
ダリオはつまらなさそうに肩をすくめた。
「ま、せいぜい浅いとこで遊んでな。俺たちは明日、十八階に行く。帰ってきたら、Bランクだ」
「十八階!?」
エマが声を上げた。
「ダリオさん、まだ十五階までしか行っていないでしょう! 十八階は、今、鉄角牛の群れが出ていて、Bランクのパーティでも苦戦しているんです!」
「だからこそ、だろ。鉄角牛の角を持って帰れば、一発でBランクだ」
ダリオは、仲間たちに顎をしゃくって、ギルドを出ていった。
いちばん後ろの杖を抱えた女の子が、出ていく前にちらりと振り返った。
ガルムのほうを見て、小さく頭を下げた。
ごめんなさい、と言うように。
それから、仲間を追って、走っていった。
ギルドの扉が閉まると、リリアがガルムの前に立った。
「ガルム殿。なぜ、言い返さなかったのですか。あなたは仲間を見捨てたのではありません。仲間に逃がされたのです。ご自分でそうおっしゃっていたではありませんか」
ガルムは困ったように笑った。
「嬢ちゃん。外から見りゃ、同じことだ」
「同じではありません!」
「……ありがとな」
ガルムはリリアの頭を大きな手でぽんとたたいた。
それから、俺のほうを見た。
「大将。明日、俺たちも潜るんだろ」
「はい。まずは浅いところから」
「おう」
ガルムは、ギルドの窓から穴の底の迷宮の入口を見下ろした。
その横顔はなぜか、少しだけ険しかった。
頭の上のシラタマがガルムの耳をそっと前足でなでていた。
第36話 了
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