第35話 東へ
ハンスの商隊は幌馬車が六台だった。
前の旅より、一台多い。増えた一台にはシラタマ商会の荷物が積まれていた。米。魚醤。ガーリ草。それから、ティコが「ガルデアで絶対売れる」と言い張った干した唐揚げの試作品。
ティコはその馬車の御者台に父親と並んで座っていた。
「あたしも行く。ガルデアは食の都なんだよ。大陸じゅうから、料理人と食べ物が集まる町。シラタマ商会の名前を広めるなら、ガルデアしかない」
出発の前の晩、ティコはそう言って、ハンスを説得した。ハンスは、半刻ほど渋い顔をしていたが、最後には「灰羽の皆さんと一緒なら」と折れた。
マルタは、リンデンの屋敷と森の家を行ったり来たりして、留守を守ることになった。森の家の結界は張り直したばかりだ。満月の夜のようなことはもう起きない。それに転移の札を使えば、俺たちは一日に一度いつでも帰れる。
「毎晩、お風呂の湯は張っておきますからね」
出発の朝、マルタはそう言って、俺たちを見送った。
東へ向かう。
街道は、リンデンを出ると、なだらかな丘を越えて、まっすぐ東へ伸びていた。麦畑。牧草地。小さな村。俺が最初にハンスたちと出会った、あの街道の続きだった。
馬車の周りを灰羽の四人と一匹で固めた。
先頭は、ガルム。大剣を背負って、のしのしと歩きながら、鼻をひくつかせて、あたりのにおいを探っている。
右手に、リリア。馬に乗って、背筋をまっすぐに伸ばしている。ハンスが護衛用に一頭、貸してくれた。
左手に、アズ。足音をほとんど立てずに馬車の影の中を歩いている。ときどき、ふっと姿が消えて、しばらくすると、少し先の木の陰から現れる。影を渡って、先の様子を見てきているのだ。
しんがりが俺だった。フードの中には、シラタマ。
と思っていたら、シラタマは二日目からガルムの頭の上に移った。
「……おい、大将。こいつ、なんで俺の頭に乗ってんだ」
「高いところが好きなんだと思います」
「俺は見張り台じゃねえぞ」
文句を言いながらもガルムはシラタマを下ろそうとはしなかった。灰色の耳のあいだに銀色の毛玉がちょこんと収まっている。ときどき、シラタマがガルムの耳を前足でぺしぺしとたたくと、ガルムはくすぐったそうに首を振った。
ティコが御者台で腹を抱えて笑っていた。
旅はのんびりと進んだ。
ただ、途中の村々はどこも少しだけぴりぴりしていた。
三日目に泊まった村では、夕方、村の真ん中の広場に人々が集まって、空を見上げていた。
日が沈むと、月のとなりにあの黒いひびが浮かび上がった。
村の年寄りたちが手を合わせて、何かを唱えていた。
「……白の災いが、また来る。百年前と同じだ」
「わしの婆さまが言っておった。空が白くなると、村が消える。名前ごと消える。誰も思い出せなくなる」
「灰の賢者さまはもうおらん。今度は誰が空を青くしてくださるのか」
子どもたちが母親のスカートにしがみついて、泣いていた。
俺は広場の端でそれを聞いていた。
胸の奥がずしりと重くなった。
あのひびを作ったのは俺だ。
俺が怒って、何かを思い出したから、空が割れた。この村の人たちが怖がっているのは俺のせいだ。
「……レイ殿」
となりにリリアが立っていた。
「ご自分のせいだと思っていらっしゃいますね」
「……はい」
「ひびを入れたのはレイ殿の怒りかもしれません。でも、その怒りを呼んだのは教団です。私の背中を裂いたのは教団の影です」
リリアはまっすぐに空のひびを見上げた。
「背負うなら、半分ずつです。前にそう申し上げました」
俺はリリアの横顔を見た。
「……はい」
その夜は村の外れで野営をした。
たき火を囲んで、晩めしを作った。
今夜の担当は俺とアズだった。
「……こう、ですか」
アズが両手で炊いた米を握っていた。
三角にしようとしていた。
手の中から出てきたのはまんまるの白い玉だった。
「……丸くなりました」
「最初はみんな、そうなります」
「……もう一度」
アズは真剣な顔でもう一度握った。
今度は四角くなった。
その次はつぶれた。
その次は半分に割れた。
アズの眉がほんの少しだけ寄っていた。悔しそうな顔、というものを、アズがするのを初めて見た。
「手のひらを少しだけくぼませて。指の付け根で、角を作るつもりで。力は入れすぎないで」
「……はい」
五個目でようやく三角に近いものができた。ちょっといびつだったけれど。
アズはそれをじっと見つめていた。
ガルムの頭の上からシラタマがぴょんと飛び降りてきた。
アズの手の中のいびつな三角をくんくんとかいだ。
それから、ぱくっとかじった。
「あ……」
アズが声をもらした。
シラタマはもぐもぐと口を動かして、ごくんと飲みこんだ。それから、アズの手のひらに残っていた残りの半分もぱくっとくわえた。
尻尾をぶんぶんと振っていた。
アズは空っぽになった自分の手のひらを見た。
それから、夢中でおむすびを食べるシラタマを見た。
アズの口の端がほんの、ほんの少しだけ上がった。
笑った。
すぐに元の顔に戻った。けれど、たしかに笑った。
たき火の向こうでティコが目を見開いていた。リリアが口を押さえていた。ガルムが酒の杯を持ったまま、固まっていた。
アズはみんなの視線に気づいて、首をかしげた。
「……どうか、しましたか」
「い、いや、なんでもねえ」
ガルムがあわてて、杯をあおった。今日の一杯だった。
晩めしのあとリリアとガルムがたき火から少し離れた草地で木の枝を使って、打ち合いをしていた。
ガルムは大剣の代わりに、太い枝。リリアは細い枝。
ガルムの打ちこみをリリアが受け流す。何度か打ち合ったあとリリアの枝がふわりと宙に浮いた。
ガルムの目がそれを追った。
下からリリアの枝がガルムの脇腹をぽんと打った。
「……っ、おお!」
ガルムが目を丸くした。
「今のが灰羽か! いやあ、いやらしい型だな! 上を見ちまったら、もうおしまいだ!」
「いやらしい、とは失礼な」
「褒めてんだよ、嬢ちゃん。俺は、何百人と打ち合ってきたが、こんなずるい型は初めてだ」
ずるい型。
たき火のそばで聞いていた俺は思わず、ふき出しそうになった。
夜が更けた。
みんなが馬車の中や、毛布の中で眠ったあと俺はたき火の番をしていた。
ガルムがとなりにどっかりと腰を下ろした。
「眠れねえのか、大将」
「ガルムさんこそ」
「俺は夜のほうが、目がさえるんだ。狼だからな」
ガルムはたき火に枝を一本、放りこんだ。
しばらく、黙っていた。
「……なあ、大将」
「はい」
「十年前にな。俺は仲間を四人、なくした」
ガルムの声は静かだった。
「北の山脈で竜が出た。俺たちは五人のパーティだった。俺がいちばん強かった。だから、俺が足止めして、四人を逃がすつもりだった。……逆だった。四人が俺を逃がした。俺がいちばん強かったから。いちばん強いやつが生き残れば、また誰かを助けられるって、言ってな」
たき火がぱちりとはぜた。
「俺は強かった。だから、守られる側の気持ちなんて、考えたこともなかった。守られるってのがどんなに苦しいことか。自分より弱いやつに命をかけて庇われるのが、どんなにみじめでどんなにありがてえことか」
ガルムは俺のほうを見た。
「大将。お前は強すぎて、弱いやつの気持ちが分からねえだろ」
責めるような声ではなかった。
「満月の夜、嬢ちゃんが倒れたとき、お前、自分のせいだと思っただろ。自分がいなかったから、って。……それは半分だけ正しい。残りの半分は、嬢ちゃんが、自分で選んで、ティコのちびを庇ったってことだ」
「……はい」
「それをお前が全部背負っちまったら、嬢ちゃんの選んだことがなかったことになる」
ガルムは酒の入っていない杯を手の中で転がした。
「守られる側の気持ちは嬢ちゃんに教わっとけ。俺みたいになくしてから気づくんじゃ遅えからな」
俺は何も言えなかった。
ただ、うなずいた。
ガルムはそれきり、何も言わなかった。
たき火の向こうで馬車の幌の隙間から金色の髪が、ちらりとのぞいていた。
すぐに引っこんだ。
寝たふりが下手な人だった。
ぴこん、とたき火の上に板が浮かんだ。
【休息のスキルが上がりました】
【休息Lv5→Lv6】
【効果:仲間と囲むたき火のそばでは心が少し軽くなる】
俺はたき火に枝を一本、足した。
ガルムの横顔が炎に照らされて、少しだけゆるんでいた。
十日目の昼。
丘を越えたところでガルムの頭の上のシラタマが鼻をひくひくさせて、前足で東を指した。
ティコが御者台から身を乗り出した。
「見えた! あれがガルデア!」
平原の真ん中に巨大な穴が空いていた。
大地がすり鉢の形に深く、深くえぐれている。その穴を取り囲むように城壁と、屋根と塔がびっしりと建ち並んでいた。穴の縁から白い湯気や、煙が何本も立ちのぼっていた。
風が東から吹いてきた。
香ばしい、においがした。
肉の焼けるにおい。パンの焼けるにおい。香辛料のにおい。甘い菓子のにおい。
ガルムの腹がぐうう、と鳴った。
シラタマの腹もきゅるる、と鳴った。
迷宮都市、ガルデア。
大陸でいちばん深い迷宮の上に建つ、食の都。
過去の俺が何かを預けていった町だった。
第35話 了
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