第34話 灰羽
ハンスの商隊がガルデアに向けて出発するのは十日後と決まった。
それまでにやっておくことがいくつもあった。
まず、確かめておきたいことがあった。
ある朝、俺は、ひとりで森の家からずっと離れた、岩ばかりの荒れ地へ飛んだ。人も、獣も住んでいない場所だ。
そこで、魔法を撃った。
熊を消し飛ばした火球よりもずっと大きいものを。
岩山がひとつ、消えた。
俺は空を見上げた。
昼の青空。ひびは見えない。地面も揺れない。
もう一発。今度は雷を。空が光って、荒れ地の真ん中に巨大な穴が空いた。
何も起きなかった。
頭の中に昔の光景が浮かぶこともなかった。
「……強い魔法を使うことそのものじゃないんだ」
満月の夜に空が割れたのは俺が百の魔法陣を開いたからではない。
怒って、記憶のかけらが戻ったからだ。
つまり、ただ力を使うだけなら、大丈夫。気をつけなければならないのは心のほうだ。怒りすぎないこと。昔の何かに触れすぎないこと。
分かったような分からないような気持ちで俺は、荒れ地に空けた穴を土の魔法で埋めて帰った。
次に転移の札を作った。
森の家の転移の陣。あれとつながる札だ。
薄い木の板に陣と同じ模様を細く刻む。錬金のスキルで模様に魔力を流しこむ。それを仲間の人数分。
「この札を握って、帰りたいと思えば、森の家の陣まで一瞬で戻れます。触れている人も一緒に。ただし、一日に一回だけ。一回使うと、次の日の朝まで使えません」
居間のテーブルに並べた札をみんながふしぎそうに手に取った。
「……一日一回、いつでも、家に帰れる」
リリアが札を両手でそっと握った。
「旅先から毎晩、露天風呂に入りに帰ってこられる、ということですか」
「そういう使い方もできます」
「……レイ殿。それは旅と呼べるのでしょうか」
「呼べないかもしれません」
リリアはしばらく真顔で札を見つめていた。それから、ほんの少しだけ口もとをゆるめた。
「でも、うれしいです。ばあやをひとりにしないですみます」
マルタが台所から顔を出して、エプロンで目元をぬぐった。
それから、ギルドへ行った。
アズとガルムの冒険者の登録のためだ。
ギルドのカウンターにはカーラが座っていた。ドレイクの件のあと、新しいギルドマスターが決まるまでの代わりを務めている。前よりもずっと顔色がよくなっていた。
「アズさんの登録……ですか」
カーラは、アズの額の角を見て、少しだけ迷うような顔をした。
アズがうつむいた。
ギルドの中にいた冒険者たちの何人かが、ひそひそと何かをささやいていた。満月の夜の話は町にも少しずつ広まっていた。森の家が襲われたこと。襲った者が東の教団の者だったこと。
「カーラさん」
俺はカウンターに一通の手紙を置いた。
「領主さまからです」
カーラは封を開けて、中を読んだ。
それから、顔を上げて、アズを見た。
「……領主さまがアズさんの後ろ盾になる、と書いてあります」
ギルドの中がざわりとした。
ロザリンドは、あの日、縁台で話したあとアズとも二人だけで話をしていた。何を話したのかは知らない。ただ、帰り際、ロザリンドはアズの頭にそっと手を置いていた。
――満月の夜、この子はリンデンの民を自分の命をかけて守りました。それで、十分です。
手紙にはそう書かれていた。
カーラは手紙を丁寧にたたんで、うなずいた。
「分かりました。アズさん、登録をお受けします。こちらに手をかざしてください」
水晶玉にアズが手をかざした。
水晶は紫色に光った。
「……紫。影の魔法の適性ですね。魔力の量は黄色の上。Cランク相当です。ですが、規則ではじめはEランクからになります」
「……はい」
アズは銅の札を受け取って、じっと見つめていた。
自分の名前が刻まれた札。
アズはそれを両手で胸に押し当てた。
「……ありがとう、ございます」
小さな声だった。
次はガルムだった。
「俺は昔、登録してたんだがな。十年も放っておいたから、たぶん、消えてるだろ」
ガルムが古びた銀色の札をカウンターに置いた。
カーラは、それを手に取って、刻まれた名前を読んで――固まった。
「ぎ、銀牙の……ガルム……?」
ギルドの中がしんと静まり返った。
奥のテーブルで酒を飲んでいた年配の冒険者が、椅子から立ち上がった。
「銀牙だと? 十年前に北の山脈で竜を一人で足止めしたっていう、あの……?」
「昔の話だ。今はただの飲んだくれだよ」
ガルムは照れくさそうに耳の後ろをかいた。
カーラは、あわてて、奥の棚から分厚い台帳を引っぱり出してきた。
「え、ええと……Sランクの資格は、五年以上依頼を受けていないと停止になります。再開するにはBランクからやり直していただくことに……」
「おう、それでいい。むしろ、ありがてえ」
ガルムは新しい札を受け取ると、にやりと笑った。
最後にパーティの登録の書き換えをした。
「パーティの名前はお決まりですか」
カーラが聞いた。
俺たちは顔を見合わせた。
考えていなかった。
「シラタマ商会、はもうティコが使ってるしな」
ガルムが腕を組んだ。
「銀牙団、ってのはどうだ」
「ガルムさんの昔のあだ名ですよね、それ」
「……だめか」
アズは何も言わなかった。考えているのか、いないのか、分からない顔をしていた。
リリアが少し迷ってから、口を開いた。
「……灰羽、というのはいかがでしょうか」
俺はリリアを見た。
「グランツの家に伝わる剣の型の名前です。私がいちばん大事にしている型です。……それに」
リリアは俺の灰色のローブをちらりと見た。
「灰の羽根は我が家の家紋でもあります。仲間の証にふさわしいと思いました」
灰羽。
あの洞窟で見た記憶のかけら。
――決めた。灰羽だ。お前のローブの色からとって。
――やめてくれ。恥ずかしい。
百年前、俺はそう言ったはずだ。
胸の奥がくすぐったくなった。
恥ずかしかった。今も恥ずかしかった。
けれど、リリアがその名前をいちばん大事だと言った。
「……いいと思います」
俺はうなずいた。
「灰羽にしましょう」
「おう、いい名前じゃねえか」
ガルムが俺の背中をたたいた。
アズが小さく繰り返した。
「……はいばね」
カーラが台帳にその名前を書きこんだ。
――パーティ名、灰羽。リーダー、レイ。メンバー、リリア・グランツ、ガルム、アズ、シラタマ。
ステータスの画面を開くと、パーティの行が書き換わっていた。
【パーティ:灰羽(リリア・グランツ、ガルム、アズ、シラタマ)】
フードの中でシラタマがきゅう、と誇らしげに鳴いた。
ギルドを出るとき、リリアが俺のとなりに並んだ。
「……レイ殿。灰羽という名前を聞いたとき、少し困ったお顔をなさいましたね」
「そうですか?」
「はい」
リリアは前を向いたまま、言った。
「何か、思い出されたのですか」
俺は少しだけ迷った。
それから、正直に言った。
「洞窟で見た光景を思い出しただけです。ユーグさんが、その名前をつけたときのことを」
リリアの足が止まった。
「……ユーグが名前を」
「はい。俺のローブの色からとったって、言っていました。……俺は恥ずかしいからやめてくれって、言いました」
リリアはしばらく何も言わなかった。
それから、小さくふき出した。
「……では、百年たって、また恥ずかしい名前をつけられてしまいましたね」
「はい。二回目です」
「グランツの家の者はしつこいのです」
リリアは笑った。
夕日の中で金色の髪が揺れていた。
少しだけ、泣きそうな顔で笑っていた。
第34話 了
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