第33話 シラタマ商会
「――というわけでガルデアに行く前にひと稼ぎします」
リンデンのハンスの店の奥でティコが帳面を広げて宣言した。
「お兄さんたちが旅に出たら、しばらく唐揚げもおにぎりも食べられなくなる。その前に、町の人たちに味を覚えてもらう。覚えてもらったら、お兄さんがいないあいだもうちの店で作って売れる。お兄さんには作り方の使用料を払う」
「使用料」
「そう。お兄さんの料理はお兄さんが考えたものでしょ。だったら、それを使ってもうける人はお兄さんにお金を払うの。それが筋」
ティコは胸を張った。十三歳とは思えない商人の顔だった。
「……俺が考えたのかどうかは分からないんですけど」
「この世界で最初に作ったのはお兄さんだよ。それで十分」
ハンスがとなりで苦笑していた。
「娘がどうしてもと申しまして。店の若い者を二人、レイ殿に弟子入りさせたいのですが、よろしいでしょうか」
三日後。
リンデンの中央広場に小さな屋台がひとつ、出た。
木の骨組みに白い布の屋根。屋台の前に手書きの看板がかかっていた。ティコの字だった。
――唐揚げ 三個で銅貨十枚。
――塩むすび ひとつ銅貨五枚。
――焼きむすび ひとつ銅貨六枚。
看板のいちばん上には大きな字でこう書かれていた。
――シラタマ商会。
「……ティコ。この名前は」
「いいでしょ! お父さんの店の新しい商売の名前。タマちゃんの名前をもらったの。白くて、丸くて、みんなに好かれそうな名前でしょ」
屋台の横でリリアの腕に抱かれたシラタマが自分の名前を聞いて、得意げに鼻を鳴らした。
「シラタマ殿の名を冠する店なら、私も異論はありません」
リリアが真面目な顔でうなずいた。
屋台の裏では、俺とハンスの店の若い衆が二人、鍋の前に立っていた。二人ともこの三日、俺と一緒に朝から晩まで鶏をさばき、米を炊き、おむすびを握る練習をしてきた。最初は、おむすびが三角にならず、丸になったり、四角になったり、崩れたりしていたが、昨日あたりからようやく形になってきた。
油の温度を確かめる。
鶏肉を油に落とす。
じゅわああっ、と音が立った。
広場に香りが広がった。
最初に足を止めたのは通りがかりの荷運びの男だった。鼻をひくひくさせて、屋台の前まで来て、看板を見た。
「……カラアゲ? なんだ、そりゃ」
「鳥の揚げ物です。おひとつ、味見をどうぞ」
ティコが小さな木の串に刺した唐揚げをひとつ差し出した。
男は半信半疑の顔でそれを口に入れた。
さくっ。
男の動きが止まった。
それから、男は腰の財布をものすごい速さで開いた。
「三個……いや、九個くれ! あとその白いのも三つ!」
「まいどありー!」
それが始まりだった。
香りに引かれて、人が集まってきた。味見をした人が目を丸くして、財布を開く。買った人がその場でかじって、声を上げる。その声を聞いて、また人が集まってくる。
半刻もしないうちに、屋台の前に行列ができていた。
一刻もしないうちに、行列は広場を一周していた。
「お、押さないでください! 順番に、順番に!」
ティコが屋台の前で声を張り上げていた。ガルムが行列の横に立って、割りこもうとする者をにらみつけていた。狼の獣人ににらまれると、たいていの人間はおとなしく列の後ろへ戻っていった。
アズは屋台の横でお金の受け渡しを手伝っていた。無表情のまま、驚くほど速く正確におつりを数えていた。
「……銅貨、十枚。ちょうど、です。……ありがとう、ございます」
ぎこちない声だった。けれど、アズは客ひとりひとりにそう言っていた。
行列が広場からあふれて、大通りにまで伸びはじめたころ、衛兵の一団があわてた様子で駆けつけてきた。先頭はゲオルクだった。
「レイ殿! 広場で暴動が起きかけていると聞いて――」
ゲオルクは行列を見て、足を止めた。
それから、屋台から漂ってくる香りに鼻をひくつかせた。
「……暴動、ではありませんな」
「すみません。思ったより、人が来てしまって」
「いえ。……ついでにひとつ、いただけますか」
ゲオルクは、衛兵たちに行列の整理を命じてから、自分も列のいちばん後ろに並んだ。
昼を過ぎたころ、仕込んでおいた鶏肉も、米もすっかりなくなった。
「本日は売り切れでーす! 明日もここでやりまーす!」
ティコが叫ぶと、行列から悲鳴のような声が上がった。
屋台の裏でティコが売り上げの入った木箱をどさりと置いた。
「……お兄さん」
「はい」
「今日の売り上げ。銀貨で八十二枚」
「……多いんですか」
「多いよ! お父さんの店の半月分だよ!」
ティコは木箱に抱きついて、足をばたばたさせた。
ハンスが額の汗をぬぐいながら、苦笑していた。
「まさか、餌の穀物と鶏でここまでとは……。レイ殿。シラタマ商会、本気でやらせていただきます」
片付けを終えて、屋台の布をたたんでいたときだった。
広場の噴水のほうから、弦の音が聞こえてきた。
竪琴だった。
噴水の縁に旅の吟遊詩人が腰かけていた。つばの広い帽子をかぶった、若い男だ。そのまわりに子どもたちが集まっていた。
吟遊詩人が歌いはじめた。
澄んだ、よく通る声だった。
――灰のローブの 名なき人
――銀の狐と 月を駆け
――白き空へと 歩みゆき
――名前ひとつを 置いてった
俺の手が止まった。
――忘れた者の 名を呼んで
――消えた村の 灯をともし
――最後に空を 青く塗り
――己の名だけ 忘れてった
子どもたちが声をそろえて、歌っていた。
足もとがぐらりと揺れた気がした。
地面は揺れていなかった。揺れていたのは俺のほうだった。
「……ティコ。この歌は」
声がかすれていた。
ティコはきょとんとした顔で俺を見た。
「灰の賢者の歌だよ。子どもでも知ってる。ちっちゃいころ、お母さんがよく歌ってくれた」
ティコはあっと口を押さえた。
満月の夜のあとの居間での話を思い出したのだろう。
となりでリリアが小さく、歌を口ずさんでいた。無意識のようだった。
「……グランツの家ではこの歌を子守歌にしていました」
リリアは、俺の視線に気づいて、少し恥ずかしそうに言った。
「父がよく歌ってくれました。灰の賢者は、グランツの家の友だちだったのだと子どものころは本気で信じていました。……作り話だとずっと思っていましたが」
リリアはそこで口をつぐんだ。
噴水のまわりでは子どもたちが歌に合わせて、遊びはじめていた。灰色の布を肩にかけた男の子が木の枝を振り回している。
「灰の賢者だぞー! 白いおばけめ、あっちいけー!」
「白いおばけ役、いないよー!」
「じゃあ、そこのお兄ちゃん!」
男の子が枝で俺を指した。
「え、俺ですか」
「お兄ちゃん、白いおばけやって!」
子どもたちにぐいぐいと手を引っぱられた。
ガルムが腹を抱えて笑っていた。
「がっはっは! いいじゃねえか、大将! やってやれよ!」
俺はしかたなく、噴水の前に立った。両手を上げて、「おばけだぞー」と言った。
灰色の布をかけた男の子が木の枝で俺の腹をぽこんとたたいた。
「くらえ! 灰の賢者のひっさつまほう!」
「……う、うわー。やられたー」
俺は噴水の前にばたりと倒れてみせた。
子どもたちが歓声を上げた。
倒れたまま、空を見上げた。
昼の青空。その奥に見えないひびがあるはずだった。
灰の賢者が白いおばけを倒す。
子どもたちの遊びの中ではそうなっていた。
でも、日記には青年は帰らなかったと書いてあった。
――己の名だけ 忘れてった。
吟遊詩人の歌の最後の一節が耳の奥で何度も繰り返されていた。
顔の上に影が落ちた。
アズだった。倒れた俺を真上からじっと見下ろしていた。
「……だいじょうぶ、ですか」
「はい。やられた役ですから」
アズは少しだけ首をかしげた。
それから、しゃがんで、俺に手を差し出した。
俺はその手を取って、起き上がった。
アズの手は冷たかった。
けれど、握る力はしっかりしていた。
第33話 了
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