第23話 露天風呂と風呂ぎらい
グランツ家の庭に転移の陣を描いた翌日、森の家に客が二人増えた。
「まあ……まあまあまあ……!」
陣の光が消えると同時にマルタが両手を頬に当てて、家を見上げていた。
「こんな森の奥にこんなに立派なお家が……。それに今のは何でございますか。お庭に立っていたと思ったら、次の瞬間には森の中に……」
「転移の陣です、ばあや。昨日、説明しました」
リリアが額を押さえた。
「説明していただいても、分からないものは分からないのでございます」
マルタは、腰の曲がった体で家のまわりをぐるりと一周した。それから、俺の前に来て、しわだらけの顔をぐいと近づけた。
「レイさま」
「は、はい」
「お嬢さまが殿方のお家に出入りなさるとお聞きしまして。このばあやもご一緒させていただきます。お嬢さまおひとりで、殿方のお家にお泊まりになるなど亡き旦那さまに申し訳が立ちません――」
「ばあや!」
「――ですから、わたしもお泊まりいたします」
マルタはきっぱりと言った。
リリアの顔が真っ赤になっていた。
「と、泊まるなどと誰も言っていません!」
「おや。昨日、お帰りになってから、お嬢さまは、寝台で枕を抱えて、森の家の寝室は三つもあったと三回もおっしゃって――」
「ばあやっ!!」
リリアがマルタの口を両手でふさいだ。
俺は聞こえなかったふりをした。
もう一人の客はティコだった。
マルタの後ろから陣を出てきたティコは家を見るなり、目をきらきらと輝かせた。
「お兄さん! この場所、すごくいい!」
「いい、ですか」
「うん! リンデンからは転移の陣で一瞬でしょ。で、この森を抜けた先の西の街道って、エルフの国との交易路なんだよ。今は森を迂回するから、十日もかかってる。ここを中継地にして、森の中に道を通せば――」
「道なら、もうあります。一本」
「知ってる。お兄さんが薪割りで作ったやつでしょ。リリアさんに聞いた」
ティコはにっと笑った。
「お父さんに話したら、ぜひ使わせてもらいたいって。その代わり、この家にうちの商会の荷物置き場を作らせてほしいの。それで、あたしがときどきここに泊まって、荷物の番をする」
「ティコも泊まるんですか」
「週に三日くらい。お父さんの許しはもらってきた」
ティコは胸を張った。
どうやら、俺の家はあっという間ににぎやかになるらしかった。
寝室は三つ。ひとつは俺。ひとつはリリアとマルタ。ひとつは、ティコ。ちょうど、ぴったりだった。
そう決まったとき、居間の丸い敷物の上でシラタマが満足そうに鼻を鳴らした。
昼過ぎ、俺は家の裏手の岩場で地面に手を当てていた。
「何をなさっているのでございますか」
洗濯物を干していたマルタが不思議そうに聞いてきた。
「お風呂を作ろうと思って」
「お風呂……?」
「昨日、井戸を直したときに気づいたんです。この辺りの地面のずっと深いところに温かい水が流れています」
温泉だ。
なぜ、それが分かったのかは自分でも分からない。ただ、地面に手を当てたとき、ずっと下のほうで熱いものがゆっくりと動いているのが手のひらに伝わってきた。
そして、それを感じた瞬間、体の奥から強烈な欲求がわき上がってきたのだ。
湯につかりたい。
肩までざぶんと。
「――よし」
土の魔法で地面に細い穴をうがつ。まっすぐ、下へ。深く、深く。慎重に。
手のひらの下で何かがごぼりと鳴った。
次の瞬間、穴から湯が噴き出した。
白い湯気がもうもうと立ちのぼる。熱い湯が岩場を流れていく。硫黄のような、かすかなにおいがした。
「まあああっ!?」
マルタが洗濯物を取り落とした。
家の中からリリアとティコが飛び出してきた。
「レイ殿! 何事ですか!」
「お兄さん、今度は何やったの!?」
「温泉を掘りました」
「おんせん……?」
三人が同時に首をかしげた。
そこからは夢中だった。
土の魔法で岩場に大きな湯船を作る。平たい岩を並べて、縁を作る。湯の出口とあふれた湯の流れる道を作る。湯船のまわりに木の柵を立てる。柵は真ん中で二つに仕切って、脱衣所も作った。
湯船に湯がたまるころには日が傾きかけていた。
湯気の向こうに森の木々が見える。空が少しずつ橙色に染まっていく。
露天風呂ができあがった。
「……レイ殿。これは何に使うものなのですか」
リリアが湯船をのぞきこみながら聞いた。
「お湯につかるんです。体を洗って、肩まで。疲れがとれます」
「お湯につかる……」
この辺りでは、湯を沸かして体を拭くのが普通で湯船につかる習慣はあまりないらしい。リリアもティコも半信半疑の顔をしていた。
ただ、マルタだけは目を輝かせていた。
「わたしは、若いころ、南の国でこういうお湯に入ったことがございます。それはもう腰の痛みがすうっと……」
「じゃあ、マルタさん、一番にどうぞ」
「まあ、よろしいのですか」
最初に入ったマルタは湯船からなかなか出てこなかった。ようやく出てきたとき、その顔は十歳は若返ったように見えた。
「お嬢さま。ティコちゃん。入りなさい。今すぐ入りなさい。これは極楽でございます」
マルタの迫力に押されて、リリアとティコが脱衣所に入っていった。
しばらくして、柵の向こうから、声が聞こえてきた。
「ひゃっ、熱っ……あ、あれ……?」
「……っ、これは……」
「ふわあああ……」
「……溶けます……」
それきり、二人の声は聞こえなくなった。
問題はそのあとに起きた。
「シラタマ殿もご一緒にいかがですか」
湯から上がったリリアがほかほかの顔で、シラタマを抱き上げようとした。
シラタマは湯気の立つ湯船を見た。
全身の毛がぶわっと逆立った。
「きゅうううっ!!」
シラタマは、リリアの腕をすり抜けて、ものすごい速さで逃げ出した。
「シラタマ殿!?」
「タマちゃん、待って!」
ティコが追いかける。シラタマは家の周りをぐるぐると走り回る。リリアが先回りする。シラタマはリリアの足のあいだをくぐり抜ける。マルタが両手を広げる。シラタマはマルタの頭を踏み台にして跳ぶ。
「まあっ!」
俺も追いかけた。
速かった。本当に速かった。月銀狐は聖獣だ。本気で逃げると、目で追うのがやっとだった。
最後は家の屋根の上だった。シラタマは、屋根のいちばん高いところに陣取って、下にいる俺たちを見下ろしながら、ぐるるるとうなっていた。
「……どうやら、お湯が嫌いみたいですね」
俺はため息をついた。
しかたがない。無理に入れるのはかわいそうだ。
俺は台所から木の桶をひとつ持ってきた。それに湯船の湯を汲んだ。井戸の水を足して、ぬるめにする。それを屋根から見える、湯船の縁に置いた。
それから、自分が湯船に入った。
肩までつかる。
「……っ、はああああ……」
声が勝手に出た。
熱い湯が全身にしみわたっていく。肩の力が抜けていく。背中の骨が一本ずつほどけていく。頭の中が白く、からっぽになっていく。
湯気の向こうに夕焼けの空。森の木々。鳥の声。
「……これだよ、これ……」
なぜ、これを知っていたのか。どこでこうしていたのか。そんなことはどうでもよくなっていた。
ただ、湯が気持ちよかった。
ふと、気配がした。
湯船の縁を見ると、シラタマがいつの間にか、屋根から下りてきていた。
桶のそばに座って、俺の顔をじっと見ていた。
俺のとろけきった顔を。
シラタマはしばらく首をかしげていた。
それから、おそるおそる桶の湯に前足を一本だけ入れた。
ぴくっ、と耳が動いた。
もう一本、入れた。
それから、後ろ足。
ついに全身で桶の中にちゃぷんと入った。
ぬるい湯の中でシラタマはしばらく固まっていた。
やがて、その目がゆっくりと細くなった。
耳がへにゃりと垂れた。
「……きゅう……」
とろけきった声だった。
シラタマは桶の縁にあごを乗せて、目を閉じた。ぷかぷかと、桶ごと湯船に浮かべてやると、気持ちよさそうにしっぽを湯の中でゆらゆらと揺らしていた。
柵の向こうでリリアとティコとマルタが、そろって柵の隙間からのぞいていた。
「……溶けてる」
「溶けていらっしゃいますね」
「溶けておりますねえ」
ぴこん、と湯気の中に板が浮かんだ。
【休息のスキルが上がりました】
【休息Lv4→Lv5】
【効果:湯につかると、体力と魔力の回復が早くなる】
俺は、桶の中のシラタマと顔を見合わせて、二人して、とろけた顔のまま、しばらく湯の中に沈んでいた。
第23話 了
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