第22話 開かない扉
家の中は半月前と同じだった。
床に積もった落ち葉。隅の鳥の巣。崩れた屋根の隙間から差しこむ光。暖炉の前の古い椅子。
リリアは、入り口に立ったまま、ゆっくりと部屋を見回した。
「……思っていたよりもしっかりした造りですね。柱も梁も太い木を使っています。屋根さえ直せば、住めそうです」
「俺もそう思います」
「ですが、屋根を直すとなると、大工を何人も呼ばなければ。リンデンからこの森の奥まで来てくれる大工がいるかどうか……」
リリアが真面目な顔で考えこみはじめた。
俺は部屋の真ん中に立って、床に手をついた。
「ちょっと試してみたいことがあるんです」
「試す?」
「ドレイクの帳面を灰から戻した魔法です」
燃えたものは燃える前の形を覚えている。
だったら、朽ちたものも朽ちる前の形を覚えているはずだ。
手のひらから床へ魔力を流す。ゆっくりと。家じゅうに、行き渡るように。柱へ。梁へ。壁へ。屋根へ。
「――修復」
家がきしんだ。
みしり、と柱が鳴った。ぎしぎしと梁が震えた。リリアが思わず剣の柄に手をやった。
崩れていた屋根の板がふわりと宙に浮いた。床に落ちていた木片がひとつ、またひとつと舞い上がって、屋根の穴へ吸いこまれていく。割れていた板がつながり、ずれていた瓦が元の位置に戻り、穴がふさがっていく。
壁に絡みついていた蔦がするすると外へほどけていった。ひび割れた漆喰がなめらかになっていく。朽ちていた窓枠が木の色を取り戻す。窓には、ガラスは戻らなかったが、代わりに、木の雨戸がぴたりとはまった。
傾いていた扉がまっすぐに立った。外れていた蝶番がかちりと音を立ててはまった。
床に積もった落ち葉が風に吹かれたように、開いた扉から外へ流れ出ていった。鳥の巣だけはそっと屋根の軒下へ移しておいた。
光がおさまった。
家の中はすっかり明るくなっていた。
屋根に穴はなかった。壁は白かった。床の板は飴色に光っていた。暖炉の中には古い灰すら残っていなかった。
リリアは口を開けたまま、立ち尽くしていた。
「……家が若返りました」
「若返りましたね」
「レイ殿。あなたの魔法には、もう驚かないようにしようと思っていたのですが」
「はい」
「無理でした」
リリアは真顔で言った。
改めて、家の中を見て回った。
入ってすぐの部屋は居間だった。暖炉があり、その前にあの椅子。部屋の真ん中には、修復の魔法で形を取り戻した、大きな木のテーブルがあった。
テーブルのまわりには椅子が三脚。
ひとつは暖炉の前の椅子と同じ背の高いもの。ひとつは少し小さめの座面に花の彫りこみがあるもの。ひとつは飾り気のない、まっすぐな背もたれのもの。
そして、四つ目の場所には、椅子の代わりに、大きな丸い敷物が置かれていた。
動物が丸くなって眠るような敷物だった。
シラタマがその敷物の上にぴょんと飛び乗った。
くるくると三回まわって、ころんと丸くなる。
それから、目を閉じて、動かなくなった。
俺とリリアはしばらく黙ってそれを見ていた。
「……ここに誰が住んでいたのでしょう」
リリアが小さな声で言った。
「椅子が三つと、獣の寝床がひとつ。魔導師とその家族か、弟子か……」
俺は答えられなかった。
花の彫りこみの椅子を見ていると、なぜか、胸がちくりとした。まっすぐな背もたれの椅子を見ていると、なぜか、胸がざわついた。
奥には台所があった。かまどの上の壁にはあの落書きがはっきりと残っていた。修復の魔法でかすれていた字まで元に戻っていた。
――カレー食べたい。
その横にもうひとつ、別の字で小さく書き足してあった。半月前にはかすれて見えなかったものだ。
――師匠、かれーって何ですか。
丸っこい子どもが書いたような字だった。
俺はその字を長いあいだ見つめていた。
「レイ殿?」
「……いえ」
師匠。
誰かが誰かをそう呼んでいた。
台所の奥に廊下が続いていた。廊下の両側に扉が四つ。
三つはすんなりと開いた。中は小さな寝室だった。寝台と、小さな机と棚。どの部屋もがらんとしていて、私物らしいものは何も残っていなかった。誰かがきれいに片付けて出ていったように。
四つ目の扉は廊下のいちばん奥にあった。
ほかの扉よりも少しだけ大きい。取っ手は黒い鉄でできていた。
手をかけた。
開かなかった。
鍵がかかっているのかと思った。けれど、鍵穴がない。押しても、引いても、びくともしない。
修復の魔法をかけたときもこの扉だけは、何の反応もしなかったことを思い出した。
扉の表面に手のひらを当てた。
その瞬間、扉が青く光った。
石室の壁の文字と同じ光。燃えた手紙に修復をかけたとき、俺の手を弾いた光と同じ色だった。
ばちっ、と手が弾かれた。
目の前に板が浮かんだ。
【開けられません】
【理由:■■■■による封印】
「……また、これか」
手紙と同じだった。
過去の俺が閉じた扉。
リリアが後ろから心配そうにのぞきこんだ。
「開かないのですか」
「はい。……たぶん、今の俺にはまだ開けちゃいけない部屋なんだと思います」
俺は青い光が消えていく扉を見つめた。
この奥に何があるのだろう。過去の俺が今の俺に見せたくないもの。思い出させたくないもの。
知りたかった。
けれど、手紙の一行目が頭の中で繰り返されていた。
――思い出すな。
俺は扉から手を離した。
「まあ、部屋は三つあれば、十分です」
わざと明るく言うと、リリアは少しだけ眉を寄せたが、何も言わなかった。
そのあとは外の仕事をした。
家の裏に石で囲った古い井戸があった。修復をかけると、底から澄んだ水がわき上がってきた。
家の横の草ぼうぼうの空き地は昔は畑だったらしい。土の魔法でふかふかに耕した。今度は加減を間違えなかった。地面が割れることもなかった。リリアがリンデンの市場で買ってきた野菜の種を並べてまいた。
それから、家のまわりに結界を張った。
目に見えない薄い膜のようなものだ。悪意を持った者や、人を襲う魔物はこの膜を越えられない。家の四隅に小さな石を埋めて、それを支えにした。
最後に、家の前の地面に円い模様を描いた。
「これは?」
「転移の陣です。同じ模様をもう一か所に描いておけば、そのあいだを一瞬で行き来できます」
「一瞬で……」
「リンデンのどこかに描かせてもらえる場所があればいいんですけど。空を飛ぶのはリリアの心臓が無理だそうですから」
リリアは少しむっとした顔をした。
それから、少し考えて、言った。
「……我が家の庭なら、空いています。ばあやには私から話します」
「いいんですか」
「はい。その代わり、私もこの家に来てもよろしいですか。その……シラタマ殿に会いに」
リリアは目をそらしながら言った。
「もちろんです」
夕方になった。
仕事を終えて、俺とリリアは家の前の小さな縁台に並んで座った。修復の魔法で元に戻ったものだ。
森の向こうに日が沈んでいく。霧が夕日を受けて、橙色に染まっていた。鳥の声が少しずつ遠くなっていく。畑の土のにおいがした。
シラタマが俺とリリアのあいだにちょこんと座った。
誰も何も言わなかった。
何もしなかった。
ただ、座って、日が沈むのを見ていた。
目が覚めてから、こんな時間は初めてだった。何かをしなければならないとか、どこかへ行かなければならないとか、そういうことを何も考えずにいる時間。
ぴこん、と目の前に板が浮かんだ。
【休息のスキルが上がりました】
【休息Lv3→Lv4】
【効果:何もしない時間を少しだけ楽しめるようになる】
俺は思わず笑ってしまった。
「どうなさいました?」
「いえ。俺、今まで何もしない時間を楽しめなかったらしいです」
「……はい?」
リリアは首をかしげた。
俺は説明しなかった。ただ、となりのシラタマの背中をゆっくりとなでた。
日が沈んだ。
森の上に白い月と青い月が並んでのぼってきた。
第22話 了
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