第20話 黒い目の行き先
ドレイクが捕らえられた日の午後、領主のロザリンドが自らギルドに乗りこんできた。
杖をつきながら、背筋をぴんと伸ばして、広間に入ってくる。冒険者たちがあわてて道を空けた。ロザリンドは、広間の真ん中の長い机の上座に座ると、オットーから黒い帳面を受け取って、一枚ずつゆっくりとめくっていった。
広間は静まり返っていた。
やがて、ロザリンドは帳面を閉じた。
「ドレイク。王国の法に照らして、あなたのギルドマスターの職を解きます。三年分の横領の額は、あなたの財産からギルドと被害を受けた冒険者と商人たちに返させます。足りない分は牢の中で働いて返しなさい」
縛られたまま床に座らされていたドレイクはうなだれたまま、何も言わなかった。
「鉄の拳の三人は冒険者の資格を取り上げます。手柄の横取りと報奨金の水増し。それから、今朝、監査の場で武器を抜いたこと。どれひとつとして、軽い罪ではありません」
ボリスは顎を押さえたまま、ぐったりとしていた。リリアの一撃がまだ効いているらしかった。
「それから」
ロザリンドは俺とリリアのほうを見た。
「ミルト村のゴブリンキング。あれはリリア・グランツの手柄と認めます。報奨金、金貨十枚。角と魔石は正しい値でギルドが買い取りなさい。金貨十五枚と角が金貨五枚」
「……っ」
リリアが息をのんだ。
合わせて、金貨三十枚。
「リリア・グランツ。あなたの冒険者の資格をBランクに上げます。キングを単独で倒した者を、Cランクにとどめておく理由はありません」
広間がざわめいた。今度は驚きとそれから少しの感嘆のざわめきだった。
「それから、レイ殿」
「はい」
「あなたはCランクです。本当は、もっと上にしたいのですが、登録して十日足らずの者をいきなり上げるわけにもいきません。規則というのは面倒なものです」
ロザリンドはほんの少しだけ口の端を上げた。
「規則を守って不正を暴いた方に、規則を破ってお礼をするわけにはいきませんからね」
「……はい。十分です」
「新しいギルドマスターが決まるまでのあいだギルドのことは、カーラに任せます」
カウンターのそばに立っていたカーラが目を丸くした。
「わ、わたしがですか……!?」
「一年間、ひとりで台帳の写しをとり続けた者以上にこのギルドの数字を知っている者はおりません。あなたの母上の薬代はギルドの見舞金から出しなさい。これはわたしの命令です」
カーラは両手で口を押さえて、何度も何度もうなずいた。
その夜。
ハンスの店の居間でささやかなお祝いの席が開かれた。
ハンスとティコ。俺とリリアとシラタマ。カーラ。それから、署名をしてくれた冒険者たちの何人か。狭い居間は人でいっぱいになった。
料理は俺が作った。ハンスの店の台所を借りて、唐揚げを山ほど揚げた。ティコが市場で仕入れてきた芋を薄く切って揚げて、塩をふった。それから、ホロ鳥の骨でとったスープ。
片腕の元剣士が唐揚げをひと口かじって、黙って泣いた。双子の姉弟は、唐揚げの最後のひとつを取り合って、けんかを始めた。シラタマは、ティコのひざの上で唐揚げを抱えこんで、誰にも渡さないという顔をしていた。
にぎやかな居間の隅でリリアが俺のとなりに立った。
手に小さな革袋を持っていた。
「レイ殿」
「はい」
「明日の朝、領主さまのお館へ行ってまいります」
リリアは革袋をぎゅっと握った。
「金貨八枚。父の借金の残りです。キングの報奨金から払います」
俺はリリアの顔を見た。
リリアは笑っていた。泣きそうな顔で笑っていた。
「私の剣で稼いだお金で返せます。父の帳面に最後の一行を書けます」
「……よかったですね」
「はい」
リリアはうなずいた。
それから、少しだけ声を落とした。
「レイ殿がいなければ、返す額は三百枚のままでした。キングの手柄も盗まれたままでした。……でも、今朝、ボリスを倒したのは私です。キングを倒したのも私です」
「はい。見てました」
「ですから、これは半分ずつです。レイ殿に助けられた分と、私が自分で守った分と。半分ずつ」
リリアはまっすぐに俺を見た。
「これからもそうでありたいと思います」
俺はうなずいた。
「俺もです」
リリアは満足そうに小さく笑った。
宴が終わったのは夜遅くだった。
月見亭の自分の部屋に戻って、俺は机の前に座った。
シラタマは、唐揚げの食べすぎで、寝台の上でお腹を上にしてひっくり返っていた。
俺はポケットから焼け焦げた手紙を取り出した。
机の上にそっと広げる。
一行目。俺へ。思い出すな。
二行目。銀色の狐を見つけたら、今度こそ守ってやれ。
その下は黒く焦げていて、読めない。紙の端は崩れかけている。
今朝、ドレイクの帳面を元に戻した。灰から一冊の帳面を。
この手紙も同じようにできるのではないか。
焦げた部分を戻せば、残りの行が読める。過去の俺が何を書き残したのか。なぜ、思い出すなと言ったのか。
手を手紙の上にかざした。
指先が少しだけ震えた。
――思い出すな。
一行目の文字が目に入った。
それでも、知りたかった。
「……修復」
魔力が手のひらから手紙へ流れた。
その瞬間、手紙が青く光った。
石室で目を覚ましたとき、壁に刻まれていた文字の光と同じ色だった。
ばちっ、と音がして、俺の手が弾かれた。
目の前に板が浮かんだ。
【修復できません】
【理由:■■■■による封印】
【備考:この紙は書いた者自身の手で焼かれています】
「……書いた者、自身の手で」
つまり、俺だ。
過去の俺が自分で書いて、自分で焼いた。読めるところだけを残して。残りは今の俺にはまだ読ませないように。
そして、その封印は今の俺の魔法でも、破れない。
俺はしばらく弾かれた手のひらを見つめていた。
それから、なんだか、笑ってしまった。
「……本気なんだな。過去の俺は」
本気で思い出させたくないのだ。
それほどのことがあったのだ。
手紙をたたんで、ポケットに戻した。
寝台の上でシラタマが寝返りを打った。むにゃむにゃと口を動かしている。唐揚げの夢でも見ているのだろう。
俺は、そのとなりに横になって、銀色の毛の中に指を沈めた。
温かかった。
――今度こそ、守ってやれ。
「分かってるよ」
小さく、つぶやいた。
窓の外で白い月と青い月が並んで光っていた。
――同じ夜。
大陸の東の果て。窓のない塔の最上階。
銀縁の眼鏡の男は水晶の前に座っていた。
水晶の中には何も映っていなかった。黒い霧がゆらゆらと揺れているだけだった。
「影の狼が消された」
男は静かに言った。
「徽章の印も途絶えた。消したのは月の光だ」
男の指が水晶の表面をゆっくりとなでた。
「……ダイフクの子があの方のそばにいる」
その声には懐かしさと苦しさが混じっていた。
「リンデンのギルドからの金も途絶えました」
男の背後の暗がりから声がした。
少女の声だった。感情のほとんどこもらない声。
暗がりから一人の少女が歩み出た。紫色の髪。額の片側から一本の黒い角が伸びている。年は十六くらいに見えた。黒い衣をまとい腰に細い短剣を下げていた。
「怒りが足りないのだ」
男は水晶から目を離さずに言った。
「あの方はまだ本当には怒っておられない。記憶の扉を開くにはもっと深い怒りがいる。大切なものを傷つけられたときの怒りが」
男はようやく振り返った。
眼鏡の奥の目が少女を見た。
「アズ。お前が行きなさい」
少女――アズは表情ひとつ変えずに頭を下げた。
「……はい、司教さま」
その声はやはり、何の感情もこもっていなかった。
けれど、頭を下げたその瞬間、アズの指先がほんのわずかに震えていた。
本人も気づかないほどに。
第20話 了
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