第2話 力加減が分からない
強いのは分かった。問題は強すぎることだった。
熊を消し飛ばしたあと俺はしばらく森の中を歩いた。石室の近くには川も道も見当たらない。とにかく人の住むところを探さなければならないが、その前にこの力をなんとかしないとまずい。人に会うたびに山に穴を空けていたら、会話どころではない。
小さな空き地を見つけて、そこで練習をすることにした。
「まずは水だな」
喉が渇いていた。水を出す魔法もやり方は体が覚えている。手のひらを上に向けて、ほんの少しだけコップ一杯分くらいの水をイメージする。
「水球……ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ」
手のひらにぽこん、と水の玉が生まれた。
と思ったら、それはみるみるふくらんで、俺の頭より大きくなり、家より大きくなり、空き地を覆うほどになって――落ちた。
ざばあああん。
滝に打たれたような衝撃だった。頭からずぶ濡れになり、足もとの土が一瞬でぬかるみに変わる。水はそのまま低いほうへ流れていき、空き地の端のくぼみにたまって、あっという間に小さな池になった。
いや、池ではない。対岸までの距離を見ると、ちょっとした湖だった。
「……ほんのちょっとって言ったのに」
ローブの裾をしぼると、じゃばじゃばと水が落ちた。喉の渇きだけはしっかりおさまっていた。
次は火だ。濡れた体を乾かしたい。
さっきの火球は、いちばん小さく撃ったつもりで山に穴が空いた。つまり、俺の「いちばん小さい」は、普通の人の「いちばん大きい」よりもはるかに大きいということだ。だったら、もっともっと小さく。ろうそくの火をさらに半分にするくらいのつもりで。
人差し指を立てて、その先に意識を集める。
ぽっ、と小さな火がともった。
「おお」
今度はちゃんとろうそくくらいの火だった。指先で揺れている。熱くない。自分の魔力だからだろうか。その火をそっと落ち葉の山に移す。ぱちぱちと音を立てて、ちょうどいいたき火ができた。
俺はその前に座りこんで、濡れた服を乾かした。たき火の温かさがじんわりと体にしみてくる。
なんとなく、分かってきた。この力は蛇口のようなものだ。俺の蛇口は普通の人の何百倍も太い。だから、ほんの少しひねっただけでとんでもない量が出る。ひねるのではなく蛇口の先を指で押さえて、しずくをひとつずつ落とすくらいの気持ちでいかなければならない。
蛇口、というたとえが自然に出てきたことに少しだけ引っかかった。俺はどこで蛇口なんてものを見ていたのだろう。
服が乾くと、次は薪を作ることにした。夜になれば冷えるだろうし、たき火は続けておきたい。
剣術のスキルもMAXだった。剣は持っていないが、風の魔法で刃を作れば、枝くらいは切れるはずだ。手刀の形にした右手に薄く風をまとわせる。これもごくごく弱く。
「えい」
足もとの枯れ枝に向かって、軽く手を振った。
枯れ枝はすぱっと二つに割れた。
ついでにその向こうに立っていた木も割れた。その向こうの木も。そのまた向こうの木も。
ばき、ばき、ばきばきばき、という音が森の奥へ向かって遠ざかっていく。一列にならんだ木々が次々と斜めに切れて、ゆっくりと倒れていった。
音がやんだとき、森の中にまっすぐな一本の道ができていた。
道の幅はちょうど人が二人並んで歩けるくらい。長さは先が見えないほど。
「……」
俺はしばらく何も言えなかった。
しゃがみこんで、両手で顔を覆う。
「なんで、薪を作ろうとしただけで林道ができるんだよ……」
誰に文句を言えばいいのか分からなかった。過去の俺か。過去の俺は手紙に「思い出すな」と書く前に、「力加減に気をつけろ」と書いておくべきだった。
とはいえ、できてしまったものはしかたがない。前向きに考えよう。道ができたということは歩きやすくなったということだ。
倒れた木を何本か細かく割って、薪を作った。こちらは慎重に慎重を重ねたので、今度は薪だけが割れた。三回に一回くらいは地面まで割れたが。
昼を過ぎたころ、俺は自分で作った道を歩いてみることにした。
道はまっすぐ森の奥へ続いていた。倒れた木を越え、切り株をよけながら進む。一時間ほど歩いたところで道の脇の茂みの奥に、何か四角いものが見えた。
近づいてみると、家だった。
木と石でできた、小さな平屋だ。屋根は半分ほど崩れていて、壁には蔦がびっしりと絡みついている。窓の木枠は朽ちて、ガラスは一枚も残っていなかった。ずいぶん長いあいだ誰も住んでいないのだろう。
なのに、なぜか、足が止まらなかった。
扉は蝶番がひとつ外れて斜めに傾いていた。押すと、きい、と音を立てて開いた。
中は薄暗かった。床には落ち葉が積もり、隅には鳥の巣がある。けれど、部屋の作りはしっかりしていた。奥に暖炉があり、その横に台所のような一角がある。石を組んだかまどと木の流し台。壁には棚の跡が残っていた。
暖炉の前に古い木の椅子がひとつだけ転がっていた。
俺はそれを起こして、座ってみた。
ぴったりだった。高さも、背もたれの角度も。まるで俺の体に合わせて作ったように。
「……気のせいだよな」
声に出して言ってみたが、胸のざわつきはおさまらなかった。
台所のほうへ行ってみる。かまどの上の壁に何か書いてあった。木の壁に炭のようなもので書かれた落書きだ。長い年月でほとんどかすれていたが、指で埃をぬぐうと、文字が浮かび上がった。
――カレー食べたい。
俺はその文字をじっと見つめた。
カレー。知っている。茶色くて、とろりとしていて、スパイスの香りがして、白いごはんにかけて食べるやつだ。食べたことがある。何度も。どこで食べたのかは思い出せないが、あの味は舌が覚えている。
そして、この字。
右上がりのくせ。とめとはねを省いた急いで書いたような崩し方。
俺はポケットから焼け焦げた手紙を取り出した。壁の文字の横に並べてみる。
同じだった。
書いた人間が同じだった。
「……ここに俺が住んでた?」
答える者はいない。崩れた屋根の隙間から午後の光が落ちてくるだけだ。
かまどの脇に古びた籐のかごが置いてあった。何気なくのぞきこむと、底に何かが一本だけ残っていた。
毛だった。
銀色の長い毛。光にかざすと、月の光を糸にしたように淡く輝いた。人の髪の毛ではない。もっと柔らかくて、もっと細い。何か大きな獣の毛のようだった。
指でつまんだ瞬間、なぜか、喉の奥が熱くなった。
理由は分からない。分からないのに、目の奥がつんとして、俺はあわてて顔をそむけた。
「なんだよ、これ」
笑おうとしたが、うまく笑えなかった。
銀色の毛を手紙と一緒にポケットにしまう。
窓の外で日が傾きはじめていた。今夜はここで眠ろう。屋根は半分しかないが、それでも森の中で寝るよりはましだ。
それに――なぜだろう。この家の中にいると、とても落ち着くのだ。
まるでようやく帰ってきたとでもいうように。
第2話 了
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