お勉強のじかんです
次の日から早速、蓮人の授業が始まった。
生徒である菊はもちろん、ついでに私も同席させてもらうことにした。
少しくらい勉強してみてもいいかな? という突発的かつ気まぐれな気分になったからだ。
勉強も嫌いを極めると、たまにはやりたいと思えるレジャーの境地に達する。
小さな文机を二つ並べて菊と隣り合い、ちょっとした新入生気分にウキウキした。
「君があの『音を聞きめでて惑う』と名高いかぐや姫だったとは――」
蓮人は文机の向こうから私を見つめて、訝しげに眉をしかめる。
なんだ文句あるか。噂負けだってかコラ。
「いや、確かに顔は――」
「ねえ、いいから授業初めてくんない?」
独りごちる蓮人をイライラしながら睨む。こちとら、迷惑メール(求婚の文)やストーカー対策に忙しい。ちょっとでも字が読めるようになったら、文章から相手の動向も知れるというものだ。
そう。読めない文を無視していたら、最近スト―キング行為をエスカレートさせる輩が増えてきた。
この世界はメールや電話がないから、自分の真意を伝えるのは文が頼りだ。
けれども、その文も貴族の言葉遊びと化していて、ちょっと言い方を間違えると「焦らされている」「焼きもちを焼いている」と、トンチンカンな勘違いをされると最近気づいた。
そういえば以前、私が出した拒絶の文を秋田は冗談だと思い込み、ストーカーまがいにしつこくなったことがあった。今ならその理由もわかる。勘違いさせたのは、私の本気が伝えきれない駄文のせいだ。やはり私の国語レベルをあげるのは必須なのだろう。
変な思い込みを抱いた男たちが屋敷の塀に穴を開けてのぞきをするという、犯罪的な被害も増えてきた。
ここらで、しっかり完膚なきまでにたたきつぶす勢いで断りをいれないと、いよいよ私の貞操が危ない。
割と切実な私の事情を知ってか知らずか、蓮人は淡々と授業を進める。
「……では、始めます。今日は文字の成り立ちと基本から」
「簡潔にお願い。私の飲み込みの悪さ、甘く見ないで」
「簡潔にって言ったって、これがなかなか難しい。唐から伝わった漢字を音や訓に当てはめて読むんだけれど、規則性がほとんどない上に暗号のような読み方をする字もある。それらを、歴史や自然になぞらえた意味の歌で表す。これが文に書く字と歌の基本だ」
昔、学芸員のお父さんに聞いた話を思い出す。万葉文字と万葉歌というものだ。
「自然や歴史、文化の背景がわかっていないと、なかなかいい歌は書けない。けれども恋の歌はこの限りではない」
「そうなの?」
「何でもない、飾らない言葉で率直に気持ちを綴った方が伝わる場合もあるって事だ」
ストレートに言えばズキュンとくる(古)。今も昔もかわらない恋の手法なのだなあ。
「じゃあ、例えばどんな歌?即興で作ってよ! 私に捧げる恋の歌、ってテーマで」
「……断る。僕の専攻は歴史だ。文字一般は一応教えるけれど、歌を作るのは苦手なんだ」
つまらん。
カラオケで「歌えませんから」って断る奴でも、もう少し空気読んで物申すぞ。
蓮人は硬い表情を崩さず、手元の草紙に視線を戻す。
蓮人……背筋がピンと伸びた胡坐姿が妙に男っぽい。今日は女装じゃなくて、一般的な朝服姿なのでそこはかとなく凛々しい雰囲気。服は安い生地だけど清潔感がある。うん、なかなかによき。
「いいじゃん、けち。歌ってみなよ恋の歌」
「君は独特の文字文化を持っているな。それはなんだ?」
私がどうせ読めないと思って、手元の紙に筆で落書きした『ばーか、どうてい、けち、うたえ』の平仮名を、蓮人は目ざとく指摘した。
「これは、この先爆発的にヒットする流行り文字、『ひらがな』よ。足先舐めて頼んだら教えてあげる」
「なぜ、君がそれを?」
私の冗談を華麗にスルーした蓮人の目つきが鋭い。
その真剣な眼差しにちょっぴり怯んでしまい、思わず本当のことを口走ってしまう。
「だって、私、未来から来たから」
――やば、へんなこと言っちゃった。
ない気にもらした真実に自分ながら怯む。
物の怪付き扱い決定だわ。
どうせ信じてもらえないと思ってこの世界では誰にも言わなかったのに……。
誤魔化すように私は慌ててへらへら笑った。
「な……な~んちゃっ」
「どうやって? どうやって未来からここへ来れたんだ?」
蓮人は意外にもすんなり私を信じた……のか? 驚愕の表情で目を見開く。それどころか食らい付く勢いで私に迫った。
「君の規格外な様相をうかがっていると、まるきり嘘だとは思えない。詳しく話せ」
簡単に事態を飲み込むのは彼の頭の良さのせいか。さすが大学の助教ともなると違うな。
蓮人は持っていた草紙を置き、真っ直ぐ私を見る。
その顔つきになんだか鬼気迫る勢いを感じたけれど、私の話を信じてくれる人がこの時代にいる。そんな思いもよらなかった現実が正直嬉しい。
予想外の反応に戸惑うけれど、案外腹を割って話せば相談にのってくれる人はいるのかもしれない。
実は元の世界のことは常々気になっている。
残してきたお父さん。体調は大丈夫だろうか。
傍らの菊を見やると、授業に飽きたらしく、筆で落書きを始めている。
私はひとつ大きなため息をついてから、ぽつりぽつりとここに来た経緯を蓮人に語り始めた。
「――と、いう訳で、ここにいますが」
未来で私は女子高生で、お父さんの為に引っ越しをしている最中だった事。おばけ峠でのタイムスリップ含めた恐怖体験。菊やエロじじい達との出会い。手違いでかぐや姫になった事。余すことなく全て話した。
突飛な話を笑われる? 呆れられる? と心配して怯えていたけれど、そんな必要はなかった。
話を聞いている蓮人は終始真剣な眼差しだった。
「私のこと、信じるの?」
「信じる」
蓮人の即答にほんわか暖かい気持ちが湧きあがる。
この世界にきて、常に一人で戦っている気分だった。それが、急に理解者、味方ができたようで嬉しかった。
「えへへ。物の怪付きの姫みたいな扱いされるかと思ったよ」
「余所では言うなよ。確かにそう思われるだろうから」
私は板の間に両足を投げ出し、リラックスした格好で大きなため息をついた。
「あ~あ、私、未来に帰れるのかな」
脳裏にお父さんの姿が過ぎる。余命わずかと宣告され、最近はめっきり痩せ始めていた。
「帰りたいのか?」
「そりゃ、帰りたいよ」
蓮人は黙って私の話を聞いている。
私はあきらめを含んだ投げやりに言い放った。
「でもさ、あがいてもどうにもならないじゃん。そういう時は置かれた場所で出来る限りの事をする。それしか方法はないと思うよ」
諦めはいい方で生命力もある方だと自負している。
「例えば、ここで結婚するとかね」と、わざと明るく笑う。
「せめて、この世界でイケメン公達でも捕まえて、おばあちゃんや菊に楽させてあげなきゃ。その為には文のひとつでも読めるようにならなきゃね。さあ、勉強しよう、先生」
蓮人は黙ったままなにか考えごとをしているようだった。
何か言いたげな顔をしていたけれど、結局何も語らなかった。まあ、平凡な公務員だしこんなトラブルに巻き込まれるなんて思ってもみなかったのだろう。
私だって彼からうまい慰めを期待しているわけではない。
ただ蓮人が私を信じて話をきいてくれたのは嬉しかった。
蓮人は混乱しているのだろうか。どこか心ここにあらず……な、いかめしい顔つきで再び草紙を開いた。




