第9話 儀典長の停職
三つ潰した式次第を、儀典課へ提出しました。席次、旗、衣装。三箇所とも、変更した理由と根拠条文を添えました。添えるのは決まりですが、今回は決まり以上に書きました。
誰が読んでも分かるように書きました。
ローランドは、束を受け取って、一枚目を見ました。それから二枚目、三枚目とめくって、止まりませんでした。
最後まで、めくりました。
「……これは、いつから」
「三月前からでございます」
「三箇所とも、君が」
「はい」
彼は束を置きました。指が卓の縁へ伸びて、伸びたところで止まりました。
「セラフィーナ」
「はい」
「私は、席次の朱しか入れていない」
部屋の空気が、少し変わりました。ユベールが顔を上げたのが、視界の端に見えました。
「旗は」わたくしは訊きました。「第七項に王家の旗の掲揚が抜けておりました。あれは、どなたの版でしょうか」
「私が受け取ったときには、もう抜けていた」
「衣装は」
「服制の条文には触っていない。触る必要が無かった」
嘘ではない、と思いました。
服制は、たしかに誰も触っていません。触ったのは招待名簿のほうで、聖職者を四名足しただけです。四名足すのは自然な運用で、名簿を増やす権限は儀典長にあります。
――ですが、あの方は服制の条文を読んでおられません。
読んでいたら、紫が重なることに気づきます。気づいて足したのなら、足した人は服制を読んでいる。読めない人には、この仕掛けは作れません。
わたくしは、そこで一つ、はっきりしました。
ローランドは、実行役です。設計者ではありません。
「儀典長」
「なんだ」
「席次の朱を入れよとおっしゃったのは、どなたですか」
彼は答えませんでした。答えないまま、卓の縁を一度だけ叩きました。四十九回目です。
その日の夕方、儀典課から人が来ました。わたくしを呼びに来たのではなく、記録倉庫の帳簿を確認しに来たのだと言いました。誰が何を持ち出したかを見に来たのです。
台帳を見せました。削られた三行の下に、わたくしの名が四行目として書いてあります。
来た人は、その三行の毛羽立ちを見て、しばらく黙っていました。それから、何も言わずに帰りました。
三日後、儀典長の職務停止が告示されました。理由は、調印式式次第における重大な瑕疵の看過。席次の朱と、旗の欠落。二件です。衣装の件は入っていませんでした。あれは名簿の運用で、瑕疵の形をしていないからです。
告示は、王宮の掲示板に一枚貼られただけでした。わたくしは、それを読みに行きました。読んでいるところへ、後ろから声がしました。
「見に来たのか」
ローランドでした。私服です。儀典長の徽章は外してありました。外すと、思ったより小さい人でした。
「告示を確認しに参りました。式次第の担当が変わりますので」
「変わらん。君のままだ」
「では、確認する必要がありませんでした」
彼は、少し笑ったようでした。二年の婚約のあいだ、彼が笑ったのを見たのは、たぶん十回もありません。
「二年間、私が何をしていたか知っているか」
「存じております」
「知っているだろうな」
彼は掲示板のほうを見ました。
「君の組んだ式次第の一枚目に、私の名を書いていた。それだけだ。二年で三十七件」
「三十九件でございます」
「……そうか」
ローランドは、それきり黙りました。わたくしは、訊くべきことを訊きました。
「席次の朱は、どなたのご指示ですか」
「私は、指示されただけだ」
「どなたに」
「言えば、君も同じところへ行く」
彼はそう言って、掲示板から離れました。二歩ほど行って、止まりました。
「セラフィーナ」
「はい」
「台帳の三行を削ったのは、私ではない」
わたくしは、彼の背中を見ていました。
「あれを削れる人間は、王宮に何人もいない。私はその何人かではない」
「存じております」
「知っていたのか」
「副印がございましたので」
ローランドの肩が、少し動きました。振り向きませんでした。
「……君は、そういうところだ」
「はい」
「細かいところによく気がつく。だが、大局が見えていない」
三度目に聞く言葉でした。
ただ、三度目は、言い方が違いました。
「大局が見えていたら、あの束を開いていない」彼は言いました。「開かなければ、置き場で三月過ごして、式は流れて、君は次席のまま王宮のどこかにいた」
「式が流れると、どうなりますか」
「戦だ」
彼は、そこで初めて振り向きました。
「二十年前に流れて、その後どうなったか、君は記録倉庫で読んだだろう」
読んでいませんでした。
二十年前の式次第は見ました。組まれかけて、結ばれなかったことも分かっています。そのあと何が起きたかは、式次第には書いてありません。式次第は、式のことしか書かないからです。
「読んでおりません」
「読め」
ローランドは行ってしまいました。わたくしは掲示板の前に、しばらく立っていました。
実行役が一人、外れました。
残っているのは、指示した人です。台帳を削り、儀礼書の二頁を切り取り、二十年前の写しを隠し、わたくしの辞令に副印を捺した人。
同じ人です。
――丁寧な人です。
四度目に、そう思いました。
記録倉庫へ戻る途中で、厨房に寄りました。
「……で、何時だ」
「いえ。伺いたいことがございます。二十年前、王宮においででしたか」
バティスト殿は、鍋から手を離しました。
「いた」
「そのころ、グラナートとの式が流れたと聞きました。そのあと、何がありましたか」
彼はしばらく答えませんでした。竈のほうを向いて、火を見ていました。
「三年、国境が閉じた」
「閉じた、と申しますと」
「物が入らん。塩も、鉄も、麦もだ。うちの厨房は三年、南のものだけで回した」
「戦は」
「無かった。無かったが、辺境の村は二つ消えた。飢えてな」
わたくしは、何も言えませんでした。
「戦じゃねえから、誰も戦だと言わん」バティスト殿は言いました。「式が流れただけだ、と言う。式が流れると、村が消えるんだよ」
彼は木べらを取って、鍋の縁を二度叩きました。
「あんた、今それを組んでるんだろう」
「はい」
「そうか」
それだけでした。
厨房を出て、記録倉庫へ戻りました。いちばん古い段の前に立ちました。
二十年前の、そのあと。
式次第ではないものを、探さなければなりません。式次第は式のことしか書きません。村が消えたことは、どこにも書いていないのです。
――書いていないものを、どこで読むのでしょう。
棚を見上げました。六十年分あります。
そのうち、二十年前の一年だけが、やけに薄いことに、そのとき初めて気づきました。
次は、合同点検。実力で殴り合える相手が来ます。




