第7話 花嫁の欄
辞令を出した人が、儀典長ではないということは、それだけで一つの事実です。儀典長印は捺してあります。捺してありますが、印は借りられます。借りられない印は、副印のほうです。副印は、印を持つ本人が携えているものだけを使います。
わたくしは、副印の意匠を読もうとしました。掠れています。三日かけて、光の角度を変えて、紙を斜めから見て、輪郭だけ取りました。
円の中に、鳥。翼を広げていない鳥です。座っている鳥の意匠を使う家は、王国では二つしかありません。
どちらも、王家でした。
わたくしは、そこで手を止めました。王家の副印は、王宮の紋章記録に写しがあります。照合すれば分かります。分かりますが、照合を申請すると、記録が残ります。次席の式典官が王家の副印を照合した、という記録が。
――まだ、早いのです。
辞令を仕舞いました。代わりに、別紙を探すことにしました。
条約の第九条が言う別紙です。婚姻の当事者と条件が書いてある紙。それが、わたくしの手元にある写しには綴じられていません。写しに無いということは、正本にはあるということです。写しを作った人が、二枚だけ外した。
正本は、外務府にあります。外務府に、次席の式典官が条約の正本を見せろと言って、見せてもらえるとは思えませんでした。
ですので、外務府には行きませんでした。
代わりに、儀典課へ行きました。ユベールは、わたくしの顔を見て、書き物の手を止めました。
「セラフィーナ殿」
「招待予定者の一覧を、最新のものでいただけますか。手元のものは三月前の版です」
「……最新、ですか」
「差し替えがあれば、席次を組み直しますので」
彼は棚から束を出して、それから、出した手のまま止まりました。
「儀典長の許可が要ります」
「招待名簿は式次第の付属です。式次第を組む者は、付属を閲覧できます。儀典規程の第十九条です」
ユベールは、束を卓に置きました。置いてから、椅子に座り直しました。
「セラフィーナ殿は、規程をすべて覚えておいでですか」
「必要な分だけです」
「私は、三年おりますが、第十九条を読んだことがありません」
「読まなくても仕事は回りますので」
「回りません」
彼は、思いのほか強い声で言いました。言ってから、自分でも驚いた顔をしました。
「……失礼しました。あの、席次の件は、聞きました。炙り台の」
「はい」
「あれは、儀典長は」
ユベールはそこで言葉を切りました。切ったあとを、わたくしは訊きませんでした。訊かないでいると、彼のほうから言いました。
「三月前、この課で、あの式を組める者を挙げろと言われました。挙がったのは一人だけです」
「どなたが挙げられましたか」
「全員です」
わたくしは、束を受け取りました。
「ありがとうございます」
「セラフィーナ殿」
扉のところで、彼が言いました。
「その一覧、三月前の版と、名前の数が違います」
記録倉庫へ戻って、卓に広げました。百四十名。婚姻が付帯されている条約の調印式なら、婚姻の当事者は必ず招待されます。当事者が式に出ない婚姻はありません。
一覧を、上から順に見ていきました。
王国側、六十八名。グラナート側、七十二名。
グラナート側の三行目に、アルベリク・ド・グラナート公爵の名がありました。当事者です。
では、もう一方は。
王国側の名簿には、王族が三名、大臣が九名、聖職者が七名、貴族が三十一名。そのあとに、実務の者が十八名並んでいます。実務の者は、普通は招待されません。式を運営する側は、招待客ではないからです。
十八名を読みました。
外務府の書記官が六名。通詞が四名。近衛が五名。
残る三名が、儀典課でした。
儀典長ローランド・デュヴァル。三席ユベール・ラング。
そして。
――次席 セラフィーナ・ヴェルニエ
招待客の欄です。
運営の名簿ではありません。招待予定者の一覧の、招待客の欄に、わたくしの名がありました。
式を組む人間が、その式に招待されています。
わたくしは、一覧を卓に置きました。置いてから、しばらく、そのままにしていました。
窓の高いところから、光が斜めに落ちています。埃が、その中だけで動いていました。この部屋に来た初日と、同じように。
――順番が、逆だったのです。
わたくしは、婚約を解消されたから記録倉庫へ回されたのだと思っていました。
違います。
記録倉庫へ回すために、婚約を解消させたのです。
婚約している女を、他国の公爵の婚姻条項に入れることはできません。まず解消させる。解消させたら、王宮の目の届かない場所へ移す。移した先へ、誰も引き受けたがらない式を投げる。
式を組めば、当事者として招待される。招待されて出席すれば、その場で条項が発効する。
三月かけて、自分の婚礼の式次第を、自分で組ませる。
――ずいぶん、丁寧なことをなさる。
三度目に、同じことを思いました。台帳を三行だけ削った人。儀礼書の二頁を十一冊から切り取った人。旗の一行を書かなかった人。
全部、同じ性格です。
燃やさない。壊さない。一行だけ動かして、あとは全部そのまま残す。残っているから、誰も気づかない。気づかせないためではなく、気づかれても咎められないようにするためです。
わたくしは、条約の写しをもう一度開きました。
第九条。別紙のとおり。
別紙は手元にありません。ありませんが、もう要りません。招待客の欄が、別紙の中身を言っています。
花嫁の欄に、わたくしの名が書いてあります。
書いたのは、儀典長ではありません。
座っている鳥の意匠を持つ、王家の誰かです。
――お会いしたことは、あるのでしょうか。
思い当たりませんでした。王族と口をきいたことは、二度あります。どちらも式の場で、名を名乗ってもいません。名も知らない相手に、こんなに丁寧なことをされる覚えは、ありません。
わたくしは、辞令をもう一度出しました。副印。円の中に、翼を広げていない鳥。
それから、招待予定者の一覧の、王族三名のところへ戻りました。
王弟殿下。王太子殿下。
――王姉殿下イゾルデ。
旗の一件で、名前だけは見ていました。この方が臨席なさるから、王家の旗を揚げるのだと。揚げる順を、誰かが書かなかったのだと。
筆を出して、紙を一枚引き寄せました。六つの階層に、一つずつ。席次、旗、献立、礼装、時、署名。
二つ潰しました。三つ目の在処は分かっています。残りは三つ。その紙の余白に、もう一行だけ書き足しました。
――婚姻条項。第九条。別紙。
これは妨害の数には入りません。入りませんが、同じ手で書かれています。
わたくしは筆を置いて、窓を見上げました。光は、もう斜めではなくなっていました。
三月後の第二週。百四十名。式を組むのは、わたくしです。
組む者には、式次第を正す権限があります。
それが、どこまでの権限なのかを、わたくしはまだ知りませんでした。
名を書いたのは誰か。次は、隣国から専門家が来ます。




