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婚約解消された王宮式典官ですが、花嫁の欄に私の名が書いてあります――隣国との条約調印式、謹んでお受けします  作者: 望月すずね


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第3話 席次は嘘をつきません

 十日で、席次案を組み上げました。


 百四十名。両国の序列は互いに噛み合いません。王国では聖職者が武官の上に立ちますが、グラナートでは逆です。どちらの作法で並べても、片方の顔が潰れる。


 解き方は一つしかありません。どちらの作法でもない順を作って、両国の儀礼書のどこにも違反していないことを、条文の番号で示すことです。


 三度組み直して、十日かかりました。できあがった束を抱えて、儀典課へ持って行きます。


「席次案です。ご確認をお願いいたします」


 ローランドは受け取って、一枚目だけ見ました。


「これは」


「大聖堂前庭の歓迎晩餐、百四十名分です。両国の儀礼書の該当条文を、各席の脇に付しております」


「ずいぶん細かいな」


「席次ですので」


 彼は二枚目をめくりませんでした。


「セラフィーナ。こういう些末なところに時間をかけるから、大局が――」


「些末とお思いでしたら、それで結構です」わたくしは言いました。「ただ、記録には残します」


 ローランドの指が、卓の縁で止まりました。彼は席次案を卓に置いて、わたくしを見ませんでした。


「ご苦労。こちらで確認しておく」


 三日後、確認済みの席次案が記録倉庫へ戻ってきました。朱が一箇所だけ入っていました。第四項、着席。グラナート特命全権大使ドルジュ卿の席が、二つ動いていました。


 わたくしが置いたのは、上座から数えて六番目、王国側の宰相と向かい合う位置です。朱で消され、代わりに書き込まれていたのは、下座から数えて四番目。欄外に、ローランドの字でこうありました。


 ――序列の再考による。儀典長。


 わたくしは、その紙を持って大広間へ行きました。大広間は使われていませんでした。晩餐は前庭で行いますが、寸法は大広間とほぼ同じです。図面で確かめるより、実寸で見たほうが早い。


 母の白墨を出しました。床に線を引きます。前庭の外周、天幕の柱の位置、卓の長さ。それから席を一つずつ、丸で。百四十個。


 一刻半かかりました。


 引き終えて、上座に立ちました。そこから見えるものを、確かめます。


 次に、下座から四番目に立ちました。


 ――ああ。


 そこから見えたのは、卓の上ではありませんでした。天幕の柱です。柱が視界の真ん中に来る。上座は見えません。乾杯のとき、大使は誰に向かって杯を上げるのか分からない位置です。


 それだけなら、寸法の失敗で済みます。わたくしは、もう一つ確かめました。


 厨房へ行きました。


「バティスト殿」


 彼は鍋の縁を木べらで二度叩いてから、顔を上げました。


「……で、何時だ」


「三月後です。前庭の晩餐で、火はどこに置かれますか」


「炙り台を三つ。天幕の北の外だ。中に入れたら煙で全員が泣く」


「北ですね」


「三月後の前庭は北風だ。煙は南へ流れる」


「北風は、毎年ですか」


「三月の前庭は毎年だ。三十年変わらん」


「記録に残っておりますか」


「残ってねえよ。誰が風の帳面をつける」


 彼は木べらで鍋の縁を二度叩きました。


「三十年焼いてりゃ分かる。それだけだ」


「では、書き留めてもよろしいですか」


「何を」


「三月の前庭は北風、と」


 バティスト殿は、わたくしを見ました。


「そんなもん書いてどうする」


「三十年後に、あなたがいらっしゃらなくても、誰かが炙り台の位置を決められます」


 彼は、何か言おうとして、鍋のほうを向きました。


「……好きにしろ」


 わたくしは礼を言って、大広間へ戻りました。白墨の丸のうち、南の端に立ちました。下座から四番目です。


 北風。煙は南へ流れる。


 三刻の晩餐のあいだ、隣国の特命全権大使は、柱で上座が見えない席で、炙り台の煙を浴び続けることになります。


 これは寸法の失敗ではありません。


 風下です。


 王国の儀礼書に、風下を避けよという条文はありません。グラナートの儀礼書にもない。どちらにも書いていないから、どちらの条文にも違反しない。誰も咎められない。


 けれど、席に着いた本人には分かります。三刻のあいだ、ずっと分かります。国に帰って、なんと報告するでしょう。


 ――王国は、我々をそういう場所に座らせた、と。


 条約は紙の上で結ばれますが、結ぶかどうかを決めるのは、その紙を持って帰る人間です。


 わたくしは、白墨の丸を見渡しました。百四十個。


 直すのは、簡単でした。


 大使の席を元に戻せば済みます。けれどそれをすると、儀典長の朱を次席が消したことになる。そういう記録が残ると、二人のどちらかが職を失います。彼はそれを見越して、朱を入れたのでしょう。直せば咎められ、直さなければ条約が流れる。


 わたくしは、しばらく立っていました。それから、炙り台の丸を一つだけ、白墨で消しました。


 三つのうち、いちばん東の一つ。それを天幕の北西へ動かしました。北風は、変わりません。煙は南へ流れます。ただし、北西から出た煙は、南東へ抜けます。下座から四番目は、南の西寄りです。


 煙の筋が、席の東を通り過ぎるようになりました。


 席次には、指一本触れていません。


 動かしたのは、炙り台です。


 炙り台の配置は席次ではなく、厨房の設営図の管轄です。式典官の権限で書き換えられます。儀典長の朱には、何の関係もありません。設営図に書き込み、余白に鉛筆で二重線を引いて、変更前の位置も残します。何をどう直したかが、後から読めるように。


 提出したのは、その日の夕方です。ローランドは受け取って、一枚目を見ました。それから二枚目をめくります。


 彼が二枚目をめくったのは、二年で初めてでした。


「……これは」


「厨房設営図です。炙り台の位置を一つ変更いたしました」


「なぜ」


「煙が、下座へ流れておりましたので」


 彼の顔から、色が引いていきました。


「席次は動かしておりません」わたくしは言いました。「儀典長の朱は、そのままでございます」


 ローランドは設営図を置きました。指が卓の縁へ伸びて、止まりました。叩きませんでした。


「セラフィーナ」


「はい」


「君は」


 彼は言葉を探して、探すのをやめたようです。


「席次は、嘘をつきません」わたくしは言いました。「座らされた場所が、その者の値打ちです。誰がその席を作ったかも、席が覚えております」


 しばらく、誰も何も言いません。ユベールが書き物の手を止めているのが、視界の端に見えました。


 礼をして、退出しようとします。扉に手をかけたところで、後ろから声がしました。


「まだ五つある」


 振り向きました。ローランドは、設営図を見ていました。わたくしのほうを見ていません。


「まだ五つある。せいぜい数えていろ」


 わたくしは、扉を閉めました。廊下は二百四十歩あります。


 歩きながら、数えていました。歩数ではありません。


 六つ。


 席次で一つ。残りが五つ。


 式次第は二十四項からできています。そのうち二十三項までは、誰も読みません。


 ――読める者が、ここに一人おります。

残り五つ。次は旗です。

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