↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約解消された王宮式典官ですが、花嫁の欄に私の名が書いてあります――隣国との条約調印式、謹んでお受けします  作者: 望月すずね


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/30

第27話 二十年分の暗誦

 大聖堂は、満席でした。王国側六十八、グラナート側七十二。それに随員の席が一つ増えて、百四十一席になっています。


 わたくしは内陣の右手に立ちました。式典官の位置です。ここから四辺と内陣の両方が見えます。


 燭台に、火が入っていました。三本とも、聖障の中央へ寄せたままです。


 最前列に、王姉殿下がおられました。三本の燭台の火が、その方と内陣のあいだにあります。稽古の日と同じ位置です。


 開式の辞。献花。着席。


 式次第は、順に進みました。第十一項まで、遅滞はありませんでした。


 第十二項の途中で、最前列が動きました。


 王姉殿下が、立たれたのです。


 参列者が式の途中で立つのは、退出のときだけです。退出の項は、第三十七項です。


 二十五項、早い。


 大聖堂の中が、静かになりました。百四十名が、全員そちらを見ました。


 わたくしは式次第を持ったまま、動きませんでした。式典官は、参列者を止められません。止める条文がありません。


 王姉殿下は、通路へ出られました。出て、内陣のほうへ歩き出されました。


 ――どこへ。


 署名の卓です。


 内陣の中央に、調印卓が据えてあります。条約正本二通と、羽根ペンが二本。まだ誰も座っていません。署名は第三十一項です。


 王姉殿下は、その卓の前で止まられました。止まって、こちらを向かれました。


「ヴェルニエ殿」


 声が、石によく通りました。


「はい」


「あなたの式次第を、読み上げてくださる」


 わたくしは、式次第を持ち直しました。


「第十二項でございます。着席の確認」


「そこではないわ」


 その方は、卓に手を置かれました。


「二十年前の、第十二項を読むわ」


 わたくしは、動けませんでした。


 王姉殿下は、卓に手を置いたまま、仰いました。


「第十二項。着席。両国全権は、内陣に向かい左右に分かれ、聖障を背にして着席する。着席の順は、序列の下位より上位へ」


 二十年前の式次第です。母が組んだものです。


 わたくしは、昨夜まで、あの束を読んでおりました。読んでおりましたので、分かりました。


 一字も、違っておりません。


「第十三項。献酒。大聖堂司祭が両国全権の杯に献じ、司祭は献じたのち退く」


 その方は、内陣を見ておられました。


「第十四項。誓詞。両国全権は、条約の趣旨を口頭にて確認する。確認の文言は、別に定める」


 百四十名が、聞いておりました。


 誰も、止められません。


「第十五項……」


 王姉殿下は、そこで止まられました。止まって、少しのあいだ、何も仰いませんでした。


「……ここから先は、覚えていないわ」


 その方は、卓から手を離されました。


「二十年前、第十五項まで進んだところで、あの人が立ったの」


 わたくしは、そこで初めて、この方が何をしておられるのかが分かりました。


 二十年間、頭の中で繰り返しておられたのです。


 覚えようとして覚えたのではありません。繰り返しているうちに、そこまでは残って、その先は無くなった。


 その先は、起きなかったからです。


「殿下」


「なに」


「第十五項は、宣誓の項でございます」


「そう」


「二十年前の式次第の第十五項は、こう書かれております」


 わたくしは、式次第を閉じました。閉じて、申し上げました。


「第十五項。宣誓。両国全権は、条約正本を前に、これを遵守する旨を宣する。宣誓ののち、署名に移る」


 王姉殿下は、こちらをご覧になりました。


「覚えているの」


「昨夜、読みました」


「一度読んで、覚えたの」


「式次第を読むのが、仕事でございますので」


 その方は、しばらく黙っておられました。


 燭台の火が、揺れました。


「……ヴェルニエ殿」


「はい」


「わたくしは、あなたの式を止めに来たのよ」


「存じております」


「知っていて、読んだの」


「はい」


「なぜ」


 わたくしは、答えました。


「殿下が、第十五項を覚えておられないのが、お気の毒でしたので」


 大聖堂の中は、静かでした。王姉殿下は、動かれませんでした。


 しばらくして、その方は、卓のほうへ向き直られました。


「二十年前、ここで誰も署名しなかった」


「はい」


「今日は、するのかしら」


「いたします」


「そう」


 王姉殿下は、通路へ戻られました。戻りながら、こちらへ一言だけ仰いました。


「あと一つ残っていると言ったわね」


「署名の順でございますね」


「解いたの」


「解きました」


「そう」


 その方は、最前列の席へ戻られました。座られました。


 式は、止まっておりました。


 わたくしは式次第を開きました。開いて、百四十名に向かって、申し上げました。


「進行に遅滞がございました。式次第第十二項より、再開いたします」


 声が、石に返りました。誰も、何も言いませんでした。


 わたくしは、第十二項を読み上げました。


 着席の確認です。両国全権が内陣に向かい左右に分かれ、聖障を背にして着席する。着席の順は、序列の下位より上位へ。


 二十年前と、同じ文です。


 母が組んだ文を、わたくしがそのまま使いました。使ったのは、二十年前の束を読んだからです。


 読んで、直す必要が無かったので、そのままにしました。


 直さなかった箇所には、二重線が引かれません。


 ――ですので、この項は、母が書いたことが分かりません。


 わたくしは読み上げながら、そのことを考えておりました。残すために二重線を引きます。ですが、直さなかったものは残りません。直したものだけが、誰かの手を経たと分かる形で残ります。


 良いものほど、直されずに、誰の手も見えないまま通り過ぎていきます。式次第の二十三項までを誰も読まないのと、同じことでした。


 第十二項が終わりました。両国全権が着席されました。


 最前列で、王姉殿下が杯に手を伸ばされたのが、視界の端に見えました。


 式は、動いております。


 第十三項、献酒。司祭が両国全権の杯に献じ、献じたのち退きました。第十四項、誓詞。両国全権が、条約の趣旨を口頭にて確認されました。


 わたくしは、一項ごとに済の印を打ちながら、最前列を見ておりました。


 王姉殿下は、動かれません。


 第十五項に入ります。二十年前、そこで止まった項です。


 わたくしは、読み上げました。


「第十五項。宣誓。両国全権は、条約正本を前に、これを遵守する旨を宣する」


 両国全権が立たれました。外務卿が宣し、公爵が宣されました。


 二十年前に、起きなかったことです。


 最前列で、王姉殿下が両手を膝の上で組まれたのが見えました。組んで、そのまま、動かれませんでした。


 わたくしは、第十五項に済の印を打ちました。打つとき、少しだけ、手が止まりました。


 止まったのは一呼吸です。誰も気づかなかったと思います。

次は、調印です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。