第15話 献立の毒
献立札の校正刷りが上がってきたのは、六日後でした。王宮印刷所から、一枚。百四十枚を刷る前に、担当が確認します。担当は式典官です。
わたくしは、それを卓に広げました。
十九品。品名と、材料の主なもの。
上から順に、清書の控えと突き合わせました。一品目。合いました。二品目。合いました。
七品目で、指が止まりました。
――七品目 春鶏の香草蒸し (鶏、乳、香草、葡萄酒)
控えには、こう書いてあります。
――七品目 春鶏の香草蒸し (鶏、香草、葡萄酒)
乳が、増えています。
わたくしは、しばらくその一行を見ていました。
乳と肉を、同じ器に盛ってはならない。目録の第四項です。鶏は肉です。同じ皿に乳が入れば、目録に違反します。
残りを全部見ました。
十一品目。控えでは「白身魚の煮凝り」。校正刷りでは「白身魚と豚脂の煮凝り」。
十五品目。控えでは「木の実の焼き菓子」。校正刷りでは「木の実と血腸の焼き菓子」。
三品です。
わたくしは、校正刷りを持って立ち上がりました。立ち上がってから、座り直しました。
――落ち着かなければなりません。
もう一度、三品を見ました。
乳。豚脂。血腸。
目録の第一項、第二項、第四項。三つとも、上位の禁忌です。当日、百四十枚の札が各席に置かれます。グラナートの使節団は、席に着いて、自分の前の札を読みます。
読んだ瞬間に分かります。
――王国は、我々の目録を受け取っておきながら、その三つを出した。
実際に料理が出るかどうかは、関係ありません。札に書いてあれば、書いてあるだけで分かります。
条約は、流れます。
わたくしは印刷所へ走りました。
「この版下は、どちらから回ってまいりましたか」
「外務府からです」
「外務府のどなたですか」
「送り状しかございません」
送り状を見せていただきました。外務府儀典連絡係。印は係の共用印です。名がありません。
「刷り始めておられますか」
「明日からです。校正が戻り次第」
「止めてください。わたくしが止めます」
わたくしは、その場で止めの書付を書きました。式典官には、式に用いる印刷物を止める権限があります。第二十九項に書いてあります。書いて、印を押して、控えを取りました。
それから、外務府へ行きました。
儀典連絡係は、三人でした。三人とも、版下に手を入れた覚えはないと言いました。
「こちらは受け取ったものをそのまま回します」
「どちらから受け取られましたか」
「儀典課です」
儀典課へ行きました。ユベールが青い顔をしました。
「私が回しました。……セラフィーナ殿の清書を、そのまま」
「そのまま、と申されますと」
「束のまま、外務府へ持って行きました。中は見ておりません」
わたくしは、彼を疑いませんでした。疑う理由がありません。
束は、儀典課の卓の上に、一晩置かれていました。わたくしが提出したのが夕方で、ユベールが持って行ったのが翌朝です。そのあいだに、誰でも触れます。
儀典長は停職中です。
――ローランドではありません。
停職中の人間が、儀典課の卓に一晩だけ置かれた束に手を入れることは、できません。掲示板の前で会った日から、彼は王宮に入っておりません。
わたくしは、そこで初めて、はっきりと分かりました。
まだ五つある、と彼は言いました。あれは自分が仕込んだ数ではありません。
――聞かされていた数です。
誰かに聞かされた数を、彼はわたくしに投げました。
その日の夜、厨房へ行きました。バティスト殿は、まだおられました。
「……で、何時だ」
「夜半でございます。校正刷りに、目録の禁忌が三品入っておりました」
彼は木べらを置きました。
「うちが出したのは、あんたと決めた十九品だ」
「存じております。版下に入っております。料理ではなく、札に」
「札か」
「はい」
「それで」
「刷りは止めました。ですが、当日までに刷り直さなければ、札そのものが無くなります。札が無ければ、客は何が出るか分かりません。それも儀礼違反でございます」
「いつまでに要る」
「明後日の朝までに、確定した版下を印刷所へ入れます」
バティスト殿は、竈のほうを向きました。しばらく火を見ておられました。
「あんた、今、何を疑ってる」
「札だけとは限らない、と思っております」
「そうだろうな」
彼は前掛けで手を拭きました。
「札に三つ入れられるなら、料理にも入れられる。うちの仕込みは明日から始まる」
「はい」
「厨房の材料を、全部あらためる」
彼は若い料理人を呼びました。四人が集まりました。
「明日の朝までに、貯蔵を全部出せ。全部だ」
「全部、ですか」
「全部だ」
わたくしは、目録を出しました。
「十一項目を、もう一度読み上げます」
「頼む」
読み上げました。四人の料理人が、聞いておりました。読み終えたあと、バティスト殿が言いました。
「おれは字が読めん」
厨房が、静かになりました。
「知ってた奴もいるだろう。知らん奴もいる。どっちでもいい」彼は言いました。「読めんから、聞いたことは全部覚える。四十年そうしてきた」
彼はわたくしのほうを向きました。
「あんた、いつから知ってた」
わたくしは、答えました。
「献立表をお渡ししようとしたときに、紙は要らないと仰いましたので」
「それだけか」
「読み合わせが、いい決まりだと二度仰いました」
「……そうか」
彼は、少し笑ったようでした。
「言わんかったな」
「言う必要がございませんでしたので」
バティスト殿は、貯蔵庫のほうへ歩き出しました。
「じゃあ、今から要る。おれは札を読めん。料理は分かる」
その夜から翌朝までに、貯蔵の全部が厨房の床に並びました。樽と籠と壺が、百を超えました。
バティスト殿は、それを一つずつ手に取りました。蓋を開けて、匂いを嗅いで、指で触れて、置きます。
速いのです。一つに三呼吸ほど。
六十を過ぎたあたりで、彼の手が止まりました。
「これだ」
壺です。中身は白い脂でした。
「これは牛の脂で仕入れた。豚だ」
「なぜお分かりですか」
「冷めたときの固まり方が違う。牛はもっと硬い」
彼はそれを脇へ置いて、続けました。八十四番目で、また止まりました。
「これも」
乾いた腸詰めでした。
「血が入ってる。切り口の色じゃ分からん。匂いだ」
百三番目で、三つ目が出ました。
粉です。
「乳を干した粉だ。菓子に混ぜると分からん」
三つでした。
札の三品と、同じ三つです。
わたくしは、床に座り込みそうになりました。
――料理にも、入っていました。
札だけなら、刷り直せば済みます。料理に入れば、当日、実際に供されます。
「バティスト殿」
「なんだ」
「これは、いつ入りましたか」
「仕入れの帳面を見る。……三日前だ。三つとも同じ日に入ってる」
「どなたが受け取られましたか」
彼は帳面をめくりました。めくって、止まりました。
「受け取りの印が、無え」
わたくしは、その帳面を覗き込みました。
三行、空白でした。
書いてあったものを、刃物で薄く削ってあります。紙の表面が毛羽立って、光を当てると窪んで見える。
深さが、三行とも同じでした。
――同じ人です。
わたくしは、その毛羽立ちを指でなぞりました。
台帳の三行。儀礼書の二頁。そして、この三行。
二十年前に打った手ではありません。三日前に打たれた手です。
あの方は、まだ動いておられます。
朝の光が、厨房の高い窓から入ってきました。バティスト殿が、木べらで鍋の縁を二度叩きました。
「で、何時だ」
「……明日の朝までに、版下を入れます」
「じゃあ、作り直しだな。十九品」
「十九品でございます」
「二人でやるか」
「四人おられます」
「六人だ。あんたも数に入ってる」
わたくしは、目録を胸に抱えました。
組み替えなければなりません。一晩で。
――そして、削られた三行を、誰が削ったのか。
わたくしは、それをもう知っています。
知っていて、まだ一度も、その名を紙に書いていませんでした。
仕込んだのは儀典長ではありません。次は、その名を紙に書きます。




