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婚約解消された王宮式典官ですが、花嫁の欄に私の名が書いてあります――隣国との条約調印式、謹んでお受けします  作者: 望月すずね


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14/19

第14話 試作の夕

 三日後の夕の刻、厨房へ行きました。竈が三つ焚いてあって、若い料理人が四人おりました。バティスト殿は一番奥の台で、鍋を三つ並べておられました。


「来たか。座れ」


 丸椅子を出されました。


「八つのうち、器と順の話を潰す。食材は先に外した。豚は無し、血は無し、鱗の無い魚は無し。ここまではただの引き算だ」


「はい」


「難しいのは、乳と肉を同じ器に盛るな、のほうだ」


 彼は一つ目の鍋を指しました。


「祝いの煮込み。乳で伸ばすのをやめて、骨で濃くした。食ってみろ」


 匙をいただきました。濃いのですが、重くありません。乳のときの丸みが、別の形になっています。


「……よろしいと思います」


「よろしい、じゃ分からん。前のと比べてどうだ」


「前のものを存じ上げません」


「そうか」


 彼は二つ目の鍋から、もう一匙よそいました。


「こっちが乳のやつだ。比べろ」


 比べました。乳のほうが、たしかに親しみやすい味でした。骨のほうは、後から来ます。


「乳のほうが、最初の一口は強うございます」


「そうだ」


「骨のほうは、三口目から強くなります」


 バティスト殿は、木べらを止めました。


「……あんた、味が分かるのか」


「分かりません。順が分かるだけでございます」


「順」


「はい。何が先に来て、何が後から来るか。式次第と同じでございます」


 彼は、しばらくわたくしを見ておられました。それから、若い料理人のほうを向いて言いました。


「骨のほうでいく。三口目から効くなら、晩餐向きだ。あの席は長い」


 三つ目の鍋も見ました。器の話です。乳を使う品と肉を使う品を、同じ卓に出すのは構いませんが、同じ器に盛ってはいけない。目録にはそう書いてあります。


「盛り合わせをやめる。一品一皿にする。皿が増えるが仕方ねえ」


「皿が増えると、下げる回数が増えます」


「増える」


「第十七項の給仕の動線を、書き直しておきます」


「そこまでやるのか」


「皿が増えると、給仕が卓の間を通る回数が増えます。通る回数が増えると、大使の背後を横切る回数も増えます。背後を人が通るのは、儀礼上、好まれません」


 バティスト殿は、天を仰ぐような顔をなさいました。


「……面倒くせえな、あんたの仕事は」


「はい」


「うちの仕事も面倒だ」


「存じております」


 試作は、二刻ほど続きました。八つのうち、七つは片付きました。残る一つは、先祖の名を持つ魚の頭の向きです。これは調理ではなく盛り付けなので、当日の指示で足ります。


 帰るとき、バティスト殿が言われました。


「献立の清書は、いつまでに出す」


「明日、儀典課へ提出いたします。そこから外務府へ回り、献立札の版下になります」


「札か」


「はい。各席に一枚ずつ、その日の献立を刷った札を置きます」


「百四十枚か」


「百四十枚でございます」


「刷るのは誰だ」


「王宮印刷所でございます」


 彼は、それを聞いて、少し黙りました。


「……札には、何が載る」


「品名と、材料の主なものでございます」


「材料が載るのか」


「はい。客が自分で避けられるように」


 バティスト殿は、鍋の縁を一度叩きました。


「そりゃあ、いい決まりだ」


 二度目に聞く言葉でした。一度目は、目録を厨房に渡さないと申し上げたときです。


 わたくしは、そのときと同じように、何がいいのか分かりませんでした。分からないまま、礼をして帰りました。


 翌日、献立の清書を作りました。十九品。バティスト殿の試作どおりに書き、材料の主なものを添えました。目録の十一項目と一つずつ突き合わせて、余白に照合の印を打ちました。


 全部、通りました。


 儀典課へ提出しました。受け取ったのはユベールです。


「儀典長代行の決裁が要りますが」


「代行はわたくしでございます」


「……そうでした」


 彼は苦笑して、受領の印を押しました。


「セラフィーナ殿。これで、いくつ潰しましたか」


「四つでございます」


「残りは」


「口に入るものと、署名です」


 ユベールは、束を抱えたまま、少し言いにくそうにしました。


「その、口に入るものというのは、この献立のことですか」


「はい」


「もう潰れているように見えますが」


 わたくしは、そこで手が止まりました。


 ――そのとおりです。


 目録を取り寄せて、条文を復元して、読み上げて、試作まで見ました。十九品すべてが目録と照合済みです。


 潰れています。


 潰れているのに、まだ何かがある気がしていました。気がするだけでは、仕事になりません。


「……そう見えますね」


「見えます」


「ありがとうございます」


 わたくしは礼をして、儀典課を出ました。出て、二百四十歩を戻りながら、考えました。


 仕込んだ人は、丁寧な人です。台帳を燃やさずに三行削り、儀礼書を燃やさずに二頁切り取り、旗の一行を書かなかった人。その人が、口に入るものの階層に、条文を切り取るという手だけを打って、それで終わりにするでしょうか。


 条文を切り取る手は、二十年前に打たれています。二十年前に打った手が、二十年後にちょうど効く。そういう仕込みです。


 ――ですが、二十年前には、この献立はありません。


 献立は、わたくしが昨日作ったものです。二十年前の手は、目録を消すところまでしかできません。目録が届いてしまえば、そこで終わりです。


 終わっているのに、まだ何かがある。


 記録倉庫に戻って、清書の控えを卓に置きました。十九品。材料の主なもの。照合の印。


 どこも、間違っていませんでした。間違っていないので、これ以上見ても何も出ません。


 わたくしは控えを閉じて、代わりに、六つの階層を書いた紙を出しました。


 席次。旗。衣装。時。口に入るもの。署名。


 四つに線を引いてあります。残るは二つ。


 その紙を見ながら、一つ、気になったことがありました。


 ――潰した順が、向こうの都合と合っています。


 席次は、儀典長の朱として、いちばん最初に来ました。旗は名簿を見れば出ます。衣装は服制を読めば出ます。時は暦を見れば出ます。どれも、机の上で見つかるものです。記録倉庫にいる人間に、いちばん見つけやすい四つでした。


 残る二つは、そうではありません。口に入るものは、厨房に行かなければ分かりません。署名は、当日その場でしか動きません。


 ――机から離れないと、見つからないものが、残されています。


 仕込んだ人は、わたくしが机から離れることを、たぶん見込んでいません。三月前まで、わたくしは二百四十歩を一日六度往復して、あとは卓に向かっているだけの人間でした。


 その見込みは、正しかったのです。厨房へ行ったのは、賄いを運んでくださった方がいたからです。


 わたくしは筆を取って、紙の隅にもう一行書きました。


 ――残る二つは、紙の上に無い。


 書いてから、灯りを消しました。


 明日、校正刷りが上がってくる予定でした。

次は、献立札の校正刷りが上がってきます。

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