第14話 試作の夕
三日後の夕の刻、厨房へ行きました。竈が三つ焚いてあって、若い料理人が四人おりました。バティスト殿は一番奥の台で、鍋を三つ並べておられました。
「来たか。座れ」
丸椅子を出されました。
「八つのうち、器と順の話を潰す。食材は先に外した。豚は無し、血は無し、鱗の無い魚は無し。ここまではただの引き算だ」
「はい」
「難しいのは、乳と肉を同じ器に盛るな、のほうだ」
彼は一つ目の鍋を指しました。
「祝いの煮込み。乳で伸ばすのをやめて、骨で濃くした。食ってみろ」
匙をいただきました。濃いのですが、重くありません。乳のときの丸みが、別の形になっています。
「……よろしいと思います」
「よろしい、じゃ分からん。前のと比べてどうだ」
「前のものを存じ上げません」
「そうか」
彼は二つ目の鍋から、もう一匙よそいました。
「こっちが乳のやつだ。比べろ」
比べました。乳のほうが、たしかに親しみやすい味でした。骨のほうは、後から来ます。
「乳のほうが、最初の一口は強うございます」
「そうだ」
「骨のほうは、三口目から強くなります」
バティスト殿は、木べらを止めました。
「……あんた、味が分かるのか」
「分かりません。順が分かるだけでございます」
「順」
「はい。何が先に来て、何が後から来るか。式次第と同じでございます」
彼は、しばらくわたくしを見ておられました。それから、若い料理人のほうを向いて言いました。
「骨のほうでいく。三口目から効くなら、晩餐向きだ。あの席は長い」
三つ目の鍋も見ました。器の話です。乳を使う品と肉を使う品を、同じ卓に出すのは構いませんが、同じ器に盛ってはいけない。目録にはそう書いてあります。
「盛り合わせをやめる。一品一皿にする。皿が増えるが仕方ねえ」
「皿が増えると、下げる回数が増えます」
「増える」
「第十七項の給仕の動線を、書き直しておきます」
「そこまでやるのか」
「皿が増えると、給仕が卓の間を通る回数が増えます。通る回数が増えると、大使の背後を横切る回数も増えます。背後を人が通るのは、儀礼上、好まれません」
バティスト殿は、天を仰ぐような顔をなさいました。
「……面倒くせえな、あんたの仕事は」
「はい」
「うちの仕事も面倒だ」
「存じております」
試作は、二刻ほど続きました。八つのうち、七つは片付きました。残る一つは、先祖の名を持つ魚の頭の向きです。これは調理ではなく盛り付けなので、当日の指示で足ります。
帰るとき、バティスト殿が言われました。
「献立の清書は、いつまでに出す」
「明日、儀典課へ提出いたします。そこから外務府へ回り、献立札の版下になります」
「札か」
「はい。各席に一枚ずつ、その日の献立を刷った札を置きます」
「百四十枚か」
「百四十枚でございます」
「刷るのは誰だ」
「王宮印刷所でございます」
彼は、それを聞いて、少し黙りました。
「……札には、何が載る」
「品名と、材料の主なものでございます」
「材料が載るのか」
「はい。客が自分で避けられるように」
バティスト殿は、鍋の縁を一度叩きました。
「そりゃあ、いい決まりだ」
二度目に聞く言葉でした。一度目は、目録を厨房に渡さないと申し上げたときです。
わたくしは、そのときと同じように、何がいいのか分かりませんでした。分からないまま、礼をして帰りました。
翌日、献立の清書を作りました。十九品。バティスト殿の試作どおりに書き、材料の主なものを添えました。目録の十一項目と一つずつ突き合わせて、余白に照合の印を打ちました。
全部、通りました。
儀典課へ提出しました。受け取ったのはユベールです。
「儀典長代行の決裁が要りますが」
「代行はわたくしでございます」
「……そうでした」
彼は苦笑して、受領の印を押しました。
「セラフィーナ殿。これで、いくつ潰しましたか」
「四つでございます」
「残りは」
「口に入るものと、署名です」
ユベールは、束を抱えたまま、少し言いにくそうにしました。
「その、口に入るものというのは、この献立のことですか」
「はい」
「もう潰れているように見えますが」
わたくしは、そこで手が止まりました。
――そのとおりです。
目録を取り寄せて、条文を復元して、読み上げて、試作まで見ました。十九品すべてが目録と照合済みです。
潰れています。
潰れているのに、まだ何かがある気がしていました。気がするだけでは、仕事になりません。
「……そう見えますね」
「見えます」
「ありがとうございます」
わたくしは礼をして、儀典課を出ました。出て、二百四十歩を戻りながら、考えました。
仕込んだ人は、丁寧な人です。台帳を燃やさずに三行削り、儀礼書を燃やさずに二頁切り取り、旗の一行を書かなかった人。その人が、口に入るものの階層に、条文を切り取るという手だけを打って、それで終わりにするでしょうか。
条文を切り取る手は、二十年前に打たれています。二十年前に打った手が、二十年後にちょうど効く。そういう仕込みです。
――ですが、二十年前には、この献立はありません。
献立は、わたくしが昨日作ったものです。二十年前の手は、目録を消すところまでしかできません。目録が届いてしまえば、そこで終わりです。
終わっているのに、まだ何かがある。
記録倉庫に戻って、清書の控えを卓に置きました。十九品。材料の主なもの。照合の印。
どこも、間違っていませんでした。間違っていないので、これ以上見ても何も出ません。
わたくしは控えを閉じて、代わりに、六つの階層を書いた紙を出しました。
席次。旗。衣装。時。口に入るもの。署名。
四つに線を引いてあります。残るは二つ。
その紙を見ながら、一つ、気になったことがありました。
――潰した順が、向こうの都合と合っています。
席次は、儀典長の朱として、いちばん最初に来ました。旗は名簿を見れば出ます。衣装は服制を読めば出ます。時は暦を見れば出ます。どれも、机の上で見つかるものです。記録倉庫にいる人間に、いちばん見つけやすい四つでした。
残る二つは、そうではありません。口に入るものは、厨房に行かなければ分かりません。署名は、当日その場でしか動きません。
――机から離れないと、見つからないものが、残されています。
仕込んだ人は、わたくしが机から離れることを、たぶん見込んでいません。三月前まで、わたくしは二百四十歩を一日六度往復して、あとは卓に向かっているだけの人間でした。
その見込みは、正しかったのです。厨房へ行ったのは、賄いを運んでくださった方がいたからです。
わたくしは筆を取って、紙の隅にもう一行書きました。
――残る二つは、紙の上に無い。
書いてから、灯りを消しました。
明日、校正刷りが上がってくる予定でした。
次は、献立札の校正刷りが上がってきます。




