表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約解消された王宮式典官ですが、花嫁の欄に私の名が書いてあります――隣国との条約調印式、謹んでお受けします  作者: 望月すずね


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/18

第11話 副本の空欄

 合同点検は三日続きました。二日目、オデット殿は条約の副本を持ってきました。


 式次第の点検に条約の本文は要りません。要りませんが、彼女は卓に置きました。


「引き合わせるわ。式次第の各項が、条約のどの条を履行するものかを対照させる」


「そこまでなさいますか」


「うちではそうするの」


 王国では、そうしません。式次第は式次第、条約は条約です。だから第九条の三行を読んだだけで、わたくしは自分の仕事に戻りました。二日目の午後は、その対照表を作って過ぎました。


 四十二項のうち、三十九項は条約のどこかに紐づきました。残る三項は儀礼上の慣行で、条約とは無関係です。紐づけを書き込みながら、わたくしは第九条のところへ来ました。


 オデット殿の副本を開きました。


 ――第九条(付帯事項) 両締約国は、本条約の履行を保証するため、別紙に定める婚姻を成立せしめるものとする。婚姻の当事者、条件その他は別紙のとおりとする。


 同じ三行です。


 副本には、別紙が綴じてありました。わたくしの写しには無かった二枚です。


 指が止まりました。


 オデット殿が、こちらを見ました。


「第九条がどうかしたの」


「……別紙が、綴じてございます」


「当たり前でしょう」


「王国側の写しには、綴じられておりません」


 彼女の眉が動きました。


「見せて」


 わたくしの束を出しました。彼女は末尾の綴じ糸を見て、二枚分の跡が余っていることを確かめました。


「外してあるわね」


「はい」


「なぜ」


「存じません」


 オデット殿は、自分の副本の別紙を開いて、こちらへ向けました。


「読みなさい」


 読みました。


 ――別紙 第九条に定める婚姻について


 一、当事者は、グラナート公国公爵アルベリク・ド・グラナート及び、王国側の指名する者とする。


 二、王国側の指名は、調印の日までに書面をもって行うものとする。


 三、婚姻は、調印の日をもって成立したものとみなす。


 四、当事者双方は、婚姻の解消を求めることができない。


 わたくしは、四項目を二度読みました。


 花嫁の欄が、ありませんでした。


 名前を書く欄そのものが無いのです。あるのは「王国側の指名する者」という書き方だけです。


「……名がございません」


「そうよ」


「王国側の指名は、調印の日までに書面をもって、とございます」


「そうね」


「では、まだ誰も指名されていない、ということでしょうか」


 オデット殿は、少し不思議そうな顔をしました。


「うちに届いた副本ではそうよ。あなたのところでは違うの」


 わたくしは、招待予定者の一覧を出しました。


 招待客の欄。実務の者十八名の、いちばん下。


 次席 セラフィーナ・ヴェルニエ。


 彼女は、それを見ました。見て、しばらく黙りました。


「……あなた、招待客なの」


「はい」


「式を組む者が」


「はい」


 オデット殿は、一覧を手に取りました。角度を変えて、透かしました。


「この行、あとから足してあるわ」


「え」


「罫線と字の重なり方が違う。他の行は罫の上に字が乗っているけれど、この行だけ罫を避けて書いてある。一覧を作ったあとで、余白に書き足した字よ」


 わたくしは、その一覧を受け取りました。角度を変えました。


 ――そのとおりでした。


 わたくしの名だけが、罫を避けています。字は、小さくて、丁寧で、行がまっすぐです。


「同じ字です」


「何が」


「わたくしの配置辞令の副印の脇と、同じ字でございます」


 オデット殿は、何も訊きませんでした。訊かずに、副本を閉じました。


「ヴェルニエ殿」


「はい」


「その名前は、まだ条約に入っていないわ」


「……はい」


「入るのは、王国側が調印の日までに書面で指名したときよ。一覧に書き足してあるだけでは、指名にならない。あれは招待の書類で、条約の書面ではないもの」


 わたくしは、その言葉を、しばらく飲み込めませんでした。飲み込んでから、手が震えました。


 震えたのは、怖かったからではないと思います。


 ――間に合うのです。


 三月あります。書面が出る前に、この一行を止められるかもしれない。


「オデット殿」


「なに」


「王国側の指名の書面は、どなたが出されますか」


「知らないわ。うちの話ではないもの」


 彼女は手袋をはめました。


「ヴェルニエ殿。一つ訊くけれど」


「はい」


「その一行を止めたいの」


 わたくしは、答えるのに時間がかかりました。止めたいかどうかを、まだ考えていませんでした。名が書かれていることに気づいてから、ずっと、誰が書いたかだけを追っていたのです。


「……存じません」


「存じませんとは」


「止めたいかどうかを、まだ考えておりませんでした」


 オデット殿は、あきれた顔をしました。


「あなた、自分の婚姻の話よ」


「はい」


「三月あるのに、考えていないの」


「式次第が四十二項ございましたので」


 彼女は、そこで少し笑いました。この三日で初めてでした。


「……ああ、そう。あなたはそういう人」


「申し訳ございません」


「謝ることではないわ。ただ、覚えておきなさい」


 彼女は卓に指を置きました。


「式次第を組む者は、式次第に書かれた者ではないの。組む側と組まれる側は違う。あなたは今、両方にいるわ」


「両方」


「そう。だから、どちらの側で考えるかを、自分で決めないといけない。誰も決めてくれないもの」


 わたくしは、その言葉を書き留めようとして、筆を持ったまま止めました。書き留めるようなことではない気がしたのです。


「ただ、一つ言っておくわ」


「はい」


「うちの公爵は、この条項に署名していない」


 わたくしは、顔を上げました。


「条約の本体には署名の予定があるわ。でも別紙には、まだ誰も署名していない。うちの副本の署名欄は空のまま。それは……」


 彼女は、そこで言葉を切りました。切って、少し違う顔をしました。今まで見せていなかった顔です。


「二十年前と、同じ形よ」


 その日はそれで終わりました。オデット殿が宿へ帰ったあと、わたくしは記録倉庫に残りました。


 卓の上に、三つ並べました。


 配置辞令。招待予定者の一覧。二十年前の写し。


 同じ字が、三つ。


 それから、四つ目を出しました。母の白墨です。二重線の作法を教わったとき、母は理由を言いませんでした。消さずに残せ、とだけ。


 ――何をどう直したかが、後から読めるように。


 そう思っていました。


 今、卓の上の三枚を見ていて、別の読み方が浮かびました。


 消さずに残すのは、後から読む人のためだけではありません。


 書いた人を、後から追えるようにするためでもあります。


 わたくしは灯りを引き寄せて、二十年前の写しを、もう一度いちばん最初から読み直しました。

次は、王家の旗の意匠を確かめます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ