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ライネとホムラは親友である。
付き合いの浅いサレンはそう思っていたし、精霊科全体としての認識も大きくは間違っていない。
なにしろ二人は、お互いに離れている場面のほうが遥かに少なく。
むしろ一人でいるところが珍しく、記憶に留まるほどに稀だからだ。
(…………実際は、そんなことはないけど)
当事者であるホムラは、サレンの体内に魔力を流し込む過程でそう思う。
ホムラは本物の龍に育てられた、いわゆる人間と龍のハーフに属する立場だ。
そのため外見は人間に極めて類似している一方、その性質は龍としての割合が大きい。
そして幼少期、厳密に言うなら本校へ入学するまでの間。
ホムラは育ての親と共に、人間の住まない山間部で生活していた。
こういった背景もあってか、ホムラは人間そのものを単一的に毛嫌いしており。
なよなよしく怯え、常に愛想笑いを浮かべるライネを、出会った当初は嫌悪していた。
(そんなわたしを、ライネが一方的に好きでいてくれただけで。わたしはライネが嫌いで、むしろ遠ざけようとしていたくらいなのに)
関係が変化した理由は、紛れもなくホムラのほうで。
弱者と見下していたライネを、いつの間にか庇護の対象として見るようになっていた。
それが正しいかどうかは然したる問題ではない。
少なくともホムラの常識は世間のそれとはズレていて、そのことに困ったことも、改める意志もホムラにはなかった。
だから、甘えてくるライネの存在に、ホムラもまた甘えていて。
そんな彼女が、ホムラ以外の誰かのために頑張ることに、どこか嫉妬を覚えたのも事実だった。
(いつの間にか、わたしがライネを手放せなくなるなんて。昔じゃ想像もできなかったかな)
小さく笑うホムラにサレンが戸惑いの視線を向けるが、ホムラはそれに気づいていない。
あるのはただ、催眠に陥った友を救うための意思。
なんとしても助けるという、無我に近い奉仕の念だった。
「いきます!!」
サレンがそう叫び、途端ホムラはそれを認識した。
地面。
地中深くに流れる何かが、ぐにゃりと大きく形を変える。
それは粘土のように容易に変形し、流れる河川に似た何かの向きを簡単に変えた。
正しく魔法を学んだ者ならば、それがどれだけ恐ろしいことなのか理解できたかもしれないが。
生憎と、本校におけるホムラの価値は、龍としての性質が殆どを占めている。
だからそれがどういうことなのかを、今のホムラが知ることはない。
(サレンって見かけによらず、思いのほか器用なのね)
それでも、それがホムラが望んだ結果であり。
実現のためにサレンが労している工夫くらいは、流石のホムラでも理解できた。
(…………大して仲良くもないのに、単に同じ学科ってだけなのに。ライネのことを想って、ライネを助けるために動いてくれる人がここにはいる)
だからこそ、ホムラは信じることにした。
どうしてライネがサレンを気に入ったのかは分からない。
けれど、そう思うだけの理由を、今ここで見せられたのだ。
だったらもう。
これ以上の勘ぐりは、ここにいる全員に対して失礼だと結論を出した。
(さっさと起きなさい、ライネ。あなた、もう一人じゃないんだから)
揺らめく魔力は地中を走り、舞台の上にいるライネへと向かう。
言葉より曖昧で、動作よりも煩雑で、表情よりも難解な。
意思だけを込めた魔力の波が、ライネの脳天を足元から貫いた。
「当たった!!」
「どうだ?」
「…………分かんない。でも、ちょっと魔力が揺らいだ気がする」
既に臨戦態勢にあるシュラは、汗を滲ませるチョコを見て思わず息を呑んだ。
するとそれが伝わったのか、チョコは一瞥すらせずこう吐き捨てる。
「余計なお世話よ。今ここでライネを救えなかったら、どのみち後はないでしょうが」
「…………承知した」
無駄な気遣いをした。
シュラは己の未熟を恥じ、そして咄嗟に妖刀の鍔を親指で押した。
「拙いな」
「サレン止まって!アイツ、こっちに気づいてる!」
元より一発限りの手段なのだ。
ライネを守護するように佇む怪物は、百メートルを超す体躯を器用に動かし精霊科の客席へと視線を向けている。
「これ、平気…………なんだよね?」
「今のところは、ね。でも、流石にガン見されてるなかで不意をつくのはキツいと思う」
どこまでが適応の対象なのか分からない以上、チョコの検索魔法ですら危険を招く恐れがある。
故に精霊科にできることは、既に打った手に意味があったと信じることだけ。
ただしそれは、好転しているとは思えない変化を目の前にしながらになるが。
「なんか増えてない!?」
「追加に二体は、いよいよ止めに入らないと拙いかも…………」
「…………」
ライネの疑似精霊は、合計で十体。
ホムラが知る限り十体全てを同時に稼働させたことはなく、一体でも人体科の生徒三十人を相手取れる能力を有している。
それが、三体だ。
恐らくサレンの攻撃がライネに届いたのを見て、警戒度を高めたのが要因なのだろう。
冗談でも比喩でもなく、席次持ちの生徒ですら倒せるか分からない状況が眼前にある。
「舞台近く、裏手に通じてる通路近くで何人か動いてる。察するに今の状況を見て、魔法戦の継続は不可って判断してるっぽい」
「そうなるとどうなるの?精霊科の負けになるってこと?」
「学科対抗戦そのものが中止になるって話よ」
推定でも三十名近く。
チョコの探知が正しければ、全員が地質科の生徒であり、この学科対抗戦の運営に関与していた生徒たちだ。
魔法使いの実力としては、恐らくは中の下。
はっきり言って、一撃でも耐えたら奇跡に近い。
(こうなったらいっそ、サレンに暴れさせて無理やり昏倒させる?いや、そんなことしたって現状は何も変わらない。むしろ悪化するだけで、でも他にできることもないし…………)
ライネの怪物に睨まれている今、できることは正面からの強引な突破しかない。
だがそれをすれば最悪、精霊科の恒久的な追放処分になりかねない。
そしてそれは、チョコにとっては致命的すぎる状況になってしまう。
(こんなときだってのに、アタシまたこんなことを───────)
「大丈夫、です」
しん、と。
音が静寂に塗り替わる。
「マーちゃん、ポンくん、チューちゃん。ありがとう、でも、もう平気なのです」
「…………ライネ?」
ライネが意識を取り戻した。
本来なら手放しで喜ぶべき状況なのに、チョコは思わず疑問を口にしていた。
何故なら、そこにいるライネは、チョコの知っているライネと余りにも違っていたからだ。
「ライネはもう、一人じゃないので。だからもう、ライネは大丈夫なんです」
そこにいるのは、己の迷いと決別した一人の魔法使いの姿だった。
『終典』という烙印を押されてなお、燦然と輝く才能の塊そのもの。
人の成長は緩やかな曲線ではなく、階段のように唐突に跳ね上がるもの。
チョコが目撃したそれは、紛れもなくライネのそれそのものだった。
「ありがとう、ホムラちゃん」
その瞬間、チョコは気づいてしまった。
戻りかけていた魔力を使い果たし、疲弊しきったからこそ分かってしまった。
「ウチ、ホムラちゃんと親友になれて、凄く嬉しいな」
このなかで最も劣っているのは、自分だということを。
そしてそれは、この先も絶対にひっくり返らないことを。
(…………タイミング悪すぎでしょ)
ライネの復活、精霊科の三勝による二戦目の突破。
その事実に喜び、あるいは安堵しホッとするなか。
チョコの内側にある何かが、ポキリと音を立てて折れたと同時に。
魔法使いとしてのこれまでが、彼女の中で死んだのだった。




